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◆ はやいもので、もう九月。秋です。エアコンのない部屋ではHPの更新も辛いものがあって、ちょっと涼しくなったので、遅れがちの写真の整理もがんばってするつもり。 ◆ で、思い出したこと。このサイトは「PhotoDiary」を一番最初に作ったのですが、当初はこれに表紙がついていました。そこにはこんなことが書いてありました。
◆ と、これがそもそもの始まりなのでした。いまでも続いているところをみると、これはなかなかいいアイディアでした。写真の情報量ってホントにすごいなと思います。あの日雨が降っていたこと、あの日風が強く吹いていたこと。そのほか多くの忘れていたことが、一枚の写真から連鎖的にいろいろと。表紙の文章の末尾にはこんなことを書き付けていました。 ◇ そうそう、マキシム。マキシムなんて名前はキミにはちょっと似合わない気もするけど、今どこにいるんだい? 元気だといいね。 [2002/12/12] ◆ あいかわらずマキシムは(どこかの)街をさまよっているか、それともちゃんと飼い主のところに戻ったか。わからないけど、とにかく、マキシムに感謝!! |
◆ 乗り物に乗るときには、適当に文庫本をカバンに詰めこんでから家を出る。今日カバンにはいっていたのは、食欲の秋だから(というわけではなくたまたま)、『北の国の食物誌』(達本外喜治,朝日文庫)という本だった。そこからいくつか。 ◇ 木の芽では、サクラ、トキノキ、コナラ、ホオノキなど、みんなそれぞれ滋養があって美味だが、やはりタランボの味が、群を抜く。(p.23) ◆ えっ、みんな食えるのか? タランボ、タラノ芽、おいしいな。つぎ。 ◇ こちらでタケノコといえば、ネマガリタケの若芽のことである。(p.36) ◆ ネマガリタケとはチシマザサ(Sasa kurilensis)のこと。そうだった、北海道に竹はないのだった。そこで、ふと疑問。では七夕はどうするのかというと、 ◇ 七夕(たなばた)祭りの飾りに“内地”では竹を使うが、北海道では手に入らないので、柳を用いる[・・・] ◆ のだそうで、しかも一ヶ月遅れの8月7日に行われるのが一般的らしい。らしいって、北海道に5年も住んでいたというのに、いったいなにをしていたのやら。(つづく) |
◆ 引き続き、『北の国の食物誌』から。これは「ツブ」の項の冒頭。 ◇ 少年のころ、一時期、私は図書館長になりたかった。館長は他人にただで本を貸し、勉強させ、みんなを偉くする仕事だから、男子の本懐であろうと、幼稚に思ったからだ。 ◆ ツブ貝はうまい。この文章もうまい。こういった文章がいちばん好きだ。 ◆ 小学校の卒業文集の「将来の夢」のところに、「京都駅の駅長になって、電車に乗って全国を回りたい」と書き、駅長じゃ電車になんか乗れないぞ、ときわめてまっとうな批判を浴びつつも、それでもめげない同級生がいた。きっと名誉と興味を両立させたかったんだろう。残念ながら、これはわたしのことではありません。ツブのはなしはどこへやら・・・ |
◆ この前の休みの日に、思いついて「Questions」に新たに質問を追加しました。「好きな季節は?」というのがその質問です。四季で考えると、選択肢が4つにしかならないので、それでは大雑把すぎるかなあと思って、十二ヵ月のなかから選んでもらうことにしました。いま現在まで46件の回答が寄せられていますが、ちょっとびっくりしたのは、選択理由を「生まれた月だから」としてあるもの多いこと。生まれた月だからその月を好きになるという発想そのものが、わたしには意外でした。これではまるで誕生月の質問をしているみたいだなと苦笑しつつ、これは一体どういう心理的作用よるものなのかなあと考えたりもしています。この質問が「四季のなかで好きな季節は?」であっても、その理由として「自分が生まれた季節だから」とやっぱり答えるだろうか? あるいは、自分の生まれ月を好きだというひとが多い月、少ない月の差はどこからくるのだろう? いろいろ興味は尽きません。 |
◆ うちのボロアパートで、わたしの住んでいる部屋のとなりのとなりのオバハンが最近、野良ネコにエサをやり始めた。猫なで声で「なんとかちゃ~ん」などと、勝手につけた名前で呼びながら、おびきよせようと必死な様子。これを近くでやられるとたまらない。 ◆ ネコがかわいいと思うのなら、責任をもって飼ってほしい。高級マンションじゃないんだから、だれも文句は言わないはずだ。飼う気がないなら、エサをやらないでほしい。おもちゃじゃないんだから。あたりまえのことじゃないか? |
◆ 昨晩、風呂屋に行く途中、背後からなにやらお経を唱えるような声が近づいてきた。不気味だ。その声はますます近づいてくる。よく聞くと、「シューリンガーン、シューリンガーン」などと云っている。と、「ちがうわよ、シューリンガンノグーリンダイよ」と女性の声。振り返ると、そこには二台の自転車に乗った夫婦(こどもは荷台)が、なぜだか知らないけれど、「寿限無」のおさらいをしているのだった(なんと楽しい家族だろう!)。 ◆ そこでボクも風呂屋で湯船に浸かりながら、「ジュゲムジュゲム」と始めてみたはいいものの、ゴコウノスリキレ」であえなくダウンした。ムカシは言えたんだけどなあ、全部。 ◆ 「寿限無」くんと知り合いでもないかぎり、その名前をすべて暗記したところでなんの役に立たないだろう。はっきりいえば無意味である。覚えたからって落語家になれるわけでなし、ひとに褒められるわけでなし。なのにどうして覚えようとしたんだろう? ◆ 三代目魚武浜田成夫という名のひとが『駅の名前を全部言えるようなガキにだけは死んでもなりたくない』(角川文庫)というタイトルの詩集を出している。本屋に並んでいるのを見ただけで、実際に読んだことはないので、このタイトルにどんな意味が込められているかはわからないが、「駅の名前を全部言える」ってひとがいるのなら、素直にすごいと思いたい。 「駅の名前を全部言えるようなガキ」にならないためになにか努力が必要だろうか? 「死んでも」などと力まなくても、ただなにもしなければいいだけの話だ。心配しなくても、ひとりでに「駅の名前を全部言える」ようにはなったりはしない。努力が必要なのは、当たり前だが、「駅の名前を全部言える」ようになることの方である。 ◇ 戦時中の少国民が「ジンム・スイゼイ・アンネイ・イトク・コウショウ・コウアン・コウレイ・コウゲン…」と歴代の天皇の名を暗記させられた(身体的記憶)は、四大節(四方拝、紀元節、天長節、明治節)の歌のメロディや、暗い講堂で校長がうやうやしくかかげながら読みあげた教育勅語の陰々滅々たる声音、それをとり出した桐の箱を包んでいたふくさの紫色、御真影と称した天皇の写真が蔵されている洞のごとき扉を開く不気味な手つき、などのイメージと重なって離れない。 ◆ もちろんわたしに歴代天皇の名前を暗記させられたという経験はない。また自発的に覚えようとしたこともなかったけれど、歴代横綱の名なら暗記したことがある。「アカシ・アヤガワ・マルヤマ・タニカゼ・オノガワ・オウノマツ・イナヅマ・・・」に始まって、当時は「ワジマ・キタノウミ」止まりだった。天皇と横綱、歴史を起源にまでさかのぼると、いずれもそこに待っているのは伝説の世界。 |
◇ ― ワラビーとか、いらなくない? ◆ これは、女子大生風のグループ三人組の会話。つぎに何を見るか地図を見ながら相談中に。うーん、そんなに人気がないのか、ワラビー! ちょっと、かわいそう・・・ |
◆ 以前、武蔵小山のマクドナルドで、ほかに待っているひとは誰もいないのに、 ◇ 最初にお待ちの方からどうぞ ◆ と言われて、面喰らったことがあって、なるほどこれがマニュアル人間というものか、とその時は妙に感激したのだったが、その後も、たとえば、ナントカセットでホットコーヒー、とこちらが注文したすぐあとに、 ◇ お飲み物は何になさいますか ◆ と尋ねられる、といったことがあまりに多く起きるので、もうマクドナルドには行かないことにした。だから、以下はマクドナルドの話ではなくて、コンビニの話である。 ◇ ストローはお付けしますか? ◆ ス、ストロー? いくらなんでも、こんなマニュアルはないよなあ?! 思わずめまいがした。 |
◆ 暑い。読書の秋には、まだ早い。今週の『週刊文春』(9月18日号)の書評ページ(「私の読書日記」)で米原万里が取り上げていた一冊に、『健康帝国ナチス』(ロバート・N・プロクター,草思社)というのがあった。なかなか興味深そうだ。とりあえずメモ。涼しくなったら、読むことにしよう。たぶん忘れているだろうけど・・・。 ◇ 枢軸国側のヒトラー、ムッソリーニ、フランコが揃いも揃ってタバコ嫌いだったのに対して、連合国側のチャーチル、スターリン、ルーズベルトがベビー・スモーカーだったことは良く知られている。ベジタリアンでもあったヒトラーの健康志向は強く、タバコは「赤色人種が白人にかけた呪い、白人からアルコールを与えられた復讐である」と述べて、禁煙運動にも熱心だった。(p.127) ◆ 最近は健康増進法が施行されたりして、ますます喫煙者(わたしを含む)の肩身は狭くなる一方で、そんなことならいっそのこと、さっさとJTなんか潰してしまって、タバコの販売自体を止めてしまえばいいのに、などと思ってしまう。あるいは人畜無害なタバコを開発するとか。遺伝子組み換えやなんかの技術を使えば、お茶の子さいさいではないのか、それぐらい。 ◆ 一瞬にして変わってしまったものは、記憶に残りやすいけれども(空襲や震災など)、ゆっくりと変わってゆくものは、変わってしまったあとも、そのことにほとんど気づくことがない。むかしは飛行機はもちろん、電車やバスのなかでさえ、タバコの煙は日常の風景だった。むかしといっても、つい昨日のような気もするのだが、いまでは思い出すにも努力がいる。 ◆ 十年以上も前のこと、アイルランドを旅行したことがある。移動には鉄道を使った。で、どこ行きだか忘れたが、あるとき列車に乗り、それが喫煙車であることを確かめたうえで、さて一服と思って灰皿を探したももの見当たらない。はてさてと、辺りを見渡すと、床のいたるところに吸殻が落ちているのだった。要するに、喫煙車と禁煙車の違いは灰皿の有無とは何の関係もなかったのである。その車両がたまたまそうだったのかどうかよくわからないけれど、いやはやなんとも、すごい国だと思った。 ◆ そのことで「健康」が「増進」されるのかどうかにはかかわりなく、これからも禁煙の空間はますます拡がってゆくだろうし、それを悪いことだとは思わない。ただ喫茶店にだけは、できれば最後まで喫煙席を残しておいてほしいと思う。 |
◆ 昨日、小学3年生の「ぼくはなりたい」と題された作文を読んだ。 ◇ 僕は、ごく普通のサラリーマンになりたい、というのは、建設業みたいな、力を使うのは、つかれるので、いやだ、電気せい品を作る仕事もややこしいので、いやだ、となると、やっぱり、サラリーマンみたいな書類を毎日書いていた方が楽でいい、朝は、電車で会社へ行って、昼休みには、昼食を食べて、夕方になると、また電車に乗って、今度は、家に、というサラリーマンに僕はなりたい。(『日刊スポーツ』9月18日付) ◆ この3年生にしては「よくできた」作文を読んで、小学校の卒業文集で親しい友人が書いていた文章を思い出した。 ◇ 大学に現役で入って、公務員になって、たたみの上で死にたい。 ◆ 細部の記憶は確かではないけれども、おおよそこのような内容だったと思う。驚くべきことに(いや、驚くべきではないのだろうが)、この当人は、現在、卒業文集に書いたとおりの人生を送っている。おそらく、数十年後には、畳の上で死ぬことだろう。 ◆ 元に戻って、どうして小学生の作文なんかがスポーツ新聞に載っていたのかというと、この作者が、大人になり、念願のサラリーマンになる前に、自ら主宰する大学のイベントサークルで女子学生集団暴行事件をひき起こして、現在「準強姦罪」に問われているからで、そういえば、卒業文集の友人もこの被告とたまたま同じ大学出身だったけれども、これにはなんの因果関係もない。 |
◇ ゴキブリというと、一般には不潔な衛生害虫という印象の強い虫たちですが、最近はこれをペットとして飼育するマニアも多くなってきました。 ◆ なるほど、ってんで、ペットショップ(昆虫ショップ?)のサイトを見てみたら、ありました。「特価品・お勧め品」になってました。。 ◇ ヨロイモグラゴキブリ 2~3年物ペア ¥32000 ◆ これが高いのか安いのかよくわかりませんが、この「ペア」という点は、ポイントかもしれません。なにせ、このゴキブリ、家族で生活してるらしいですから。 ◇ その辺にいるチャバネゴキブリなど違って、オーストラリアにいるヨロイモグラゴキブリという親子で住む高等なゴキブリもいます。 ◆ 子育てするんだそうです。えらいんです。そんじょそこらのゴキブリなんかと一緒にせんといてんか、といったところでしょうか。くわえて「飛ばない、臭いがしない、清潔、病気を媒介しない」、といいことずくめ。 ◇ Enjoy your cockroaches! They're fun and make great conversation pieces even if noone wants to touch them :-) ◆ というわけで、嫌わないでね! |
◆ 昨日、散髪に行った。待ち時間があったので、置いてあった『FRIDAY』をパラパラめくっていると、校内児童殺傷事件で先日死刑判決を受けた被告による獄中手記の全文が写真で掲載されていた。彼によれば、 ◇ 世の中は金 世の中は金 ◆ だそうで、なるほどそうかもしれず、こうした「人生哲学」に異を唱えるつもりはないけれど、ふと以前、似たような文章を引用していたのを思い出した。それはある地方の短大生が書いた社会学のレポート(テーマ「恋愛したい? 結婚したい?」)だったのだが。 ◇ 「お金がなければ家庭は壊れる」。これは母の口癖で,娘の男を見る目が厳しい。昔はそれに反発してきたが,だんだん成長するに従い,母の言うことも正しいと思えるようになってきた。やはり「愛」とか「ドキドキする」という言葉だけではやっていけないと思う。「世の中,金だ」というように,男もまた「金」ではなかろうか。自分でも嫌な考えだとは思うが,現実は厳しいのである。 ◆ 殺人犯と平凡な短大生を無雑作にならべては、お叱りを受けるかもしれないが、わたしにはこうした「世の中」とか「現実」といった言葉の内実がさっぱりわからないのである。別の世界に生きているような気さえする。 ◆ お金といえば、阪神が優勝するかどうかで乱高下したりする株の仕組みというのもよくわからないなあ。 |
◆ たまには難しい本も読んでみようと(思ってずいぶん以前に買ったのだが、ずっとほったらかしてあった)、穂積陳重著『復讐と法律』(岩波文庫)を(たまたま部屋で再発見したので、なんとなく斜めに)読んだ。 ◇ ダーウィンは狒々が復讐をなせる事実を記述せり。蜂がその巣を毀つ者を螫し、猛獣・毒蛇がこれを攻撃する者を反噬する如く、劣等動物すらなお復讐性を有する者多し。いわんや人類の如き神経系統の発達したる高等動物は、その生存を危くする反対勢力を除去せんとする感覚は、殆ど本能的に発達し、小児といえども痛感を与えたる玩具に対して怒を発してこれを擲ち、或はこれを毀つことあり。川柳にも「子のあたま打った柱へ尻をやり」といえるが如く、往々無生物をもこれを反撃して怨恨を慰むるは人の常情なり。大人といえども、手を螫したる蜂を殺し、足を噬みたる犬を打ち、指を挟みたる器具を投げてこれを罵る等の事あるが如く、生類が生活に対する危害を報復するは、殆どその本能に出でたるものということを得べく、単に将来の危害を撃退するに止まらず、既に去りたる禍害に対してもこれを反撃し、これに己の受けたる苦痛に類似したる苦痛を与えて、自ら憤怨を慰藉するを常とす。(p.83-84) 〔原文の出典指示部分省略,下線は原文傍点〕 ◆ この箇所を読んで、思い出したのは(情けないことに)、自動販売機のことである。いつだったか、ジュースを買おうと、自動販売機に千円札を突っ込んだら、おつりに500ウォンが出てきたことがあった。だれもいない路上の自動販売機の不手際をだれに訴えればいいのだろう。とりあえず、あたまにきたので、一発蹴りをおみまいしてやったが、そんなことで懲りるようなやつではない。反省させられたのは、むしろわたしの方だった。復讐は失敗に終わり、足の痛みはしばらく続いた。 |
◆ 津田晴美『小さな生活』(ちくま文庫)という本を読んだ。タイトルに惹かれて古本屋で買ったのだが、当てが外れた。要するに、 ◇ 今、もしも私がひとり暮らしをスタートするとしたら、記念にまずはバカラのパーフェクションというウォーターグラスを一つだけ買う。(p.163) ◆ といった文章が延々と続くので、こうした方面に関心のないわたしには読むところがほとんどなかった。ただトイレの話はおもしろかった。 ◇ トイレに関しては一つだけお願いしたいことがある。ふつうの家には男女共用で洋式の便器を使っている。私の知る限り、外国人はもちろん、外国に長く住んでいる男性は、小用の際も便座に腰掛けてなさる。ところが、日本人は男性小用の伝統の便器、朝顔めがけるように立ってなさる方が多い。それも勢いよければなお爽快と言わんばかりに。洋式トイレの床は立ってすることを前提にしておらず、木やカーペットだったりする。したがって、はねやおつりが便器の外にこぼれたのでは困る!(p.135) ◆ とりわけおもしろいと思ったのは「立ってなさる」「腰掛けてなさる」という表現で、そのあとにも、「イスラムの男性は野外でもしゃがんでなさる」とある。それはさておき、私の知る限り、こんなことは聞いたことがなかった。さりとて、こんなことでないことも聞いたことがないので、いったい事実はどうなのか? ◆ 「洋式トイレの床は立ってすることを前提にしておらず、木やカーペットだったりする」。おいおい、だったりするなよな。なんでトイレにカーペットが必要なんだ。ミスすれば、拭けばいいじゃないか、自分の家なんだから。などなど、男性であるわたしにはいちいち腹立たしくてしようがない文章である。 ◆ かくいうわたしも、かつて女性の友人宅で、この家では「しゃがんでなさる」ようにとのお達しを受けたことがあった。はいはい、と軽く受け流しておいたら、あとでこっぴどく叱られた。自分ではパーフェクトのつもりだったのだが、彼女の目は些細な痕跡すらも見逃さなかったらしい。どうもゴメンなさい。 ◇ 衛生便器製造業者「TOTO」が大都市居住の主婦985人に対して行ったアンケートの結果によると,約15%の男性が,トイレで小用をたすときに座っているそうですが,これも家庭におけるマナーの一つでしょうか. ◆ このアンケートの詳細については「男性のトイレスタイルアンケート」 をどうぞ。とりあえず、いまのところ、わたしは一人暮らしなので、自分の始末は自分でつけているわけですが・・・。 |