◆ 昨晩、風呂屋に行く途中、背後からなにやらお経を唱えるような声が近づいてきた。不気味だ。その声はますます近づいてくる。よく聞くと、「シューリンガーン、シューリンガーン」などと云っている。と、「ちがうわよ、シューリンガンノグーリンダイよ」と女性の声。振り返ると、そこには二台の自転車に乗った夫婦(こどもは荷台)が、なぜだか知らないけれど、「寿限無」のおさらいをしているのだった(なんと楽しい家族だろう!)。 ◆ そこでボクも風呂屋で湯船に浸かりながら、「ジュゲムジュゲム」と始めてみたはいいものの、ゴコウノスリキレ」であえなくダウンした。ムカシは言えたんだけどなあ、全部。 ◆ 「寿限無」くんと知り合いでもないかぎり、その名前をすべて暗記したところでなんの役に立たないだろう。はっきりいえば無意味である。覚えたからって落語家になれるわけでなし、ひとに褒められるわけでなし。なのにどうして覚えようとしたんだろう? ◆ 三代目魚武浜田成夫という名のひとが『駅の名前を全部言えるようなガキにだけは死んでもなりたくない』(角川文庫)というタイトルの詩集を出している。本屋に並んでいるのを見ただけで、実際に読んだことはないので、このタイトルにどんな意味が込められているかはわからないが、「駅の名前を全部言える」ってひとがいるのなら、素直にすごいと思いたい。 「駅の名前を全部言えるようなガキ」にならないためになにか努力が必要だろうか? 「死んでも」などと力まなくても、ただなにもしなければいいだけの話だ。心配しなくても、ひとりでに「駅の名前を全部言える」ようにはなったりはしない。努力が必要なのは、当たり前だが、「駅の名前を全部言える」ようになることの方である。 ◇ 戦時中の少国民が「ジンム・スイゼイ・アンネイ・イトク・コウショウ・コウアン・コウレイ・コウゲン…」と歴代の天皇の名を暗記させられた(身体的記憶)は、四大節(四方拝、紀元節、天長節、明治節)の歌のメロディや、暗い講堂で校長がうやうやしくかかげながら読みあげた教育勅語の陰々滅々たる声音、それをとり出した桐の箱を包んでいたふくさの紫色、御真影と称した天皇の写真が蔵されている洞のごとき扉を開く不気味な手つき、などのイメージと重なって離れない。 ◆ もちろんわたしに歴代天皇の名前を暗記させられたという経験はない。また自発的に覚えようとしたこともなかったけれど、歴代横綱の名なら暗記したことがある。「アカシ・アヤガワ・マルヤマ・タニカゼ・オノガワ・オウノマツ・イナヅマ・・・」に始まって、当時は「ワジマ・キタノウミ」止まりだった。天皇と横綱、歴史を起源にまでさかのぼると、いずれもそこに待っているのは伝説の世界。 |
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