MEMORANDUM

  アイルランドの喫煙車

◆ 暑い。読書の秋には、まだ早い。今週の『週刊文春』(9月18日号)の書評ページ(「私の読書日記」)で米原万里が取り上げていた一冊に、『健康帝国ナチス』(ロバート・N・プロクター,草思社)というのがあった。なかなか興味深そうだ。とりあえずメモ。涼しくなったら、読むことにしよう。たぶん忘れているだろうけど・・・。

◇ 枢軸国側のヒトラー、ムッソリーニ、フランコが揃いも揃ってタバコ嫌いだったのに対して、連合国側のチャーチル、スターリン、ルーズベルトがベビー・スモーカーだったことは良く知られている。ベジタリアンでもあったヒトラーの健康志向は強く、タバコは「赤色人種が白人にかけた呪い、白人からアルコールを与えられた復讐である」と述べて、禁煙運動にも熱心だった。(p.127)

◆ 最近は健康増進法が施行されたりして、ますます喫煙者(わたしを含む)の肩身は狭くなる一方で、そんなことならいっそのこと、さっさとJTなんか潰してしまって、タバコの販売自体を止めてしまえばいいのに、などと思ってしまう。あるいは人畜無害なタバコを開発するとか。遺伝子組み換えやなんかの技術を使えば、お茶の子さいさいではないのか、それぐらい。

◆ 一瞬にして変わってしまったものは、記憶に残りやすいけれども(空襲や震災など)、ゆっくりと変わってゆくものは、変わってしまったあとも、そのことにほとんど気づくことがない。むかしは飛行機はもちろん、電車やバスのなかでさえ、タバコの煙は日常の風景だった。むかしといっても、つい昨日のような気もするのだが、いまでは思い出すにも努力がいる。

◆ 十年以上も前のこと、アイルランドを旅行したことがある。移動には鉄道を使った。で、どこ行きだか忘れたが、あるとき列車に乗り、それが喫煙車であることを確かめたうえで、さて一服と思って灰皿を探したももの見当たらない。はてさてと、辺りを見渡すと、床のいたるところに吸殻が落ちているのだった。要するに、喫煙車と禁煙車の違いは灰皿の有無とは何の関係もなかったのである。その車両がたまたまそうだったのかどうかよくわからないけれど、いやはやなんとも、すごい国だと思った。

◆ そのことで「健康」が「増進」されるのかどうかにはかかわりなく、これからも禁煙の空間はますます拡がってゆくだろうし、それを悪いことだとは思わない。ただ喫茶店にだけは、できれば最後まで喫煙席を残しておいてほしいと思う。

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