◆ たまには難しい本も読んでみようと(思ってずいぶん以前に買ったのだが、ずっとほったらかしてあった)、穂積陳重著『復讐と法律』(岩波文庫)を(たまたま部屋で再発見したので、なんとなく斜めに)読んだ。 ◇ ダーウィンは狒々が復讐をなせる事実を記述せり。蜂がその巣を毀つ者を螫し、猛獣・毒蛇がこれを攻撃する者を反噬する如く、劣等動物すらなお復讐性を有する者多し。いわんや人類の如き神経系統の発達したる高等動物は、その生存を危くする反対勢力を除去せんとする感覚は、殆ど本能的に発達し、小児といえども痛感を与えたる玩具に対して怒を発してこれを擲ち、或はこれを毀つことあり。川柳にも「子のあたま打った柱へ尻をやり」といえるが如く、往々無生物をもこれを反撃して怨恨を慰むるは人の常情なり。大人といえども、手を螫したる蜂を殺し、足を噬みたる犬を打ち、指を挟みたる器具を投げてこれを罵る等の事あるが如く、生類が生活に対する危害を報復するは、殆どその本能に出でたるものということを得べく、単に将来の危害を撃退するに止まらず、既に去りたる禍害に対してもこれを反撃し、これに己の受けたる苦痛に類似したる苦痛を与えて、自ら憤怨を慰藉するを常とす。(p.83-84) 〔原文の出典指示部分省略,下線は原文傍点〕 ◆ この箇所を読んで、思い出したのは(情けないことに)、自動販売機のことである。いつだったか、ジュースを買おうと、自動販売機に千円札を突っ込んだら、おつりに500ウォンが出てきたことがあった。だれもいない路上の自動販売機の不手際をだれに訴えればいいのだろう。とりあえず、あたまにきたので、一発蹴りをおみまいしてやったが、そんなことで懲りるようなやつではない。反省させられたのは、むしろわたしの方だった。復讐は失敗に終わり、足の痛みはしばらく続いた。 |
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