◆ 「かやく(御)飯」のことを考えていたときに、何度もアタマのなかをよぎっていった人物がいる。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。 ◇ 会社の上司が「わんばんこー」と言います。昔ラジオで誰かが言ってた言葉みたいですけど、何なんですか? 「わんばんこー」って。いやらしい言葉なんですか? ◆ 「わんばんこ」自体は、たんに「こんばんは」の逆さ言葉で、「いやらしい」意味など少しもないが、このコトバをよく口にしていたのがじつに「いやらしい」ひとだった(会社の上司がどうかはしらない)。ラジオで女性のリスナーに「乳頭(にゅうとう)の色は?」などと「いやらしい」質問を繰り返していた。変な時代だった。 ◇ 〔2ch〕 好きな男子の誕生日に彼が好きだった鶴光の「かやくごはん」をプレゼントした女子中学生のわたし・・・・ ◆ ラジオの深夜番組「オールナイトニッポン」で10年以上(1974年4月 - 1985年10月5日)もパーソナリティを務めた笑福亭鶴光が書いた本が、「かやくごはん」。読んだ記憶はさっぱりないのに、書名だけはなぜだかよく覚えている。 ◇ 〔wukipedia:笑福亭鶴光のオールナイトニッポン〕 鶴光がオールナイトニッポンを降板してから既に20年以上の歳月が流れているが、1950年代後半 - 1970年代前半生の世代にとっては鶴光のオールナイトニッポンは、当時まだ性に関する情報媒体が少なかった時代にあっては一種のバイブル的存在であった。その為、この世代の人々にとっては「オールナイトニッポン=鶴光」というイメージが根強い。 ◆ あるいは、鶴光が歌った「うぐいすだにミュージックホール」というコミックソング。「鶯谷」という地名を知ったのもこの歌からで、じっさいに東京に来て、じっさいに山手線に乗って、じっさいに鶯谷という駅があるのを見たときは、妙な懐かしさを感じたものだった。 ◆ その鶴光が、まあなんとタイミングのいいことだろう、『週刊文春』(11月25日号)の「新・家の履歴書」に出ていた。幼少のころ暮らしていたのは、現大阪市平野区の七軒長屋。八畳一間の小さな家に、母と義父との三人で川の字に寝る生活だったそうだ。 ◇ 雨が降ると、大和川のごおーっという水音で家が揺れた。氾濫すれば即死やと思って、手を合わせて祈ったもんです。ときには、上流の奈良県の大和郡山から名産の金魚が何万匹と流れてくることもありました。大水が引くとあちこちに水たまりができて、そこに金魚がわんさかおる。みんなですくって、家の前の盥(たらい)にどばっと入れておく。すると猫が金魚を食べてしまう。ろくなもんやあらしません。まあ、そんなことで猫を怒る人は誰もおりませんでしたが。 |
◆ 以前「電車と汽車」という記事を書いた。都会に住むひとは、ことに女性は、機関車が牽引する客車列車や電化されていないローカル線のディーゼルカーのことまで含めて「電車」と呼ぶ傾向にある。都会にはほとんど電車しか走っていないのだから、それもしかたのないことだろう。 ◇ 空と道と砂漠だけというのが3、4時間続いた頃に、踏み切りで足止めを食らった。トラックやバスが連なり、象までもが順番待ちをしていた。それも、5、6分の話ではなく、正確な通過時間のわからない電車のために20分も待ったのである。踏み切りポイントには、足止めを食らう車目当てにアイスクリーム屋、お菓子屋、果物屋が群がり、さらに混雑を来していた。 ◆ 踏切待ちの車の列に象が並んでいるところなど、いかにもインド的な風景だなあ、と思いつつ、けれども、「電車はディーゼル車」って、なんじゃそりゃ? インドの田舎と日本の都会が微妙に奇妙に交錯する。「屋根の上」に注目すると、こんなニュースも。 ◇ 〔デジタルマガジン(2010/02/19)〕 インドでは当たり前のように行われている電車の屋根の上への乗車。これを乗車と言って良いのか分からないが、今日も多くの人々が屋根の上に乗って移動している。そんな中、インド政府がこれを禁止しようと動き出した。 ◆ これもほんとに「電車」なのかアヤシイものだと思ったが、鉄道死亡事故の原因として最後に「電線に触れての感電死」とあるので、やっぱり「電車」なのか。とはいえ、添付されている画像は「電車」ではなく、ディーゼル機関車が牽引する「客車列車」であったのだが。このニュースの出典は、明示されていないが、これだろうか? 《India moves to ban passengers travelling on top of trains - Telegraph》。 ◇ 〔Telegraph(2010/02/18)〕 Western Railway, one of the government-owned groups that runs Mumbai's local railway network, has pledged that from the end of the month its trains will stop running if "even a single person" is seen travelling on the roof. ◆ The Telegraph の記事によると、「電車の屋根の上への乗車」を厳格に取り締まるというのは、インド全体のことではなくて、ムンバイ(旧ボンベイ)通勤圏にかぎったことのようだ。このあたりは電化されているらしく、もう一度引用すると、 ◇ In Mumbai, brave commuters can often be spotted on top of carriages, sitting cross-legged and serene only feet from electric wires. ◆ ムンバイに通勤するひとのなかには、車両の屋根によじ登って、「頭上の電線のすぐ真下であぐらをかいて静かにすわっている」ひともいるそうだ。うかつに立てば、もちろん感電死(electrocuted)は免れない。最近では、架線が「more powerful」なものになっているらしいから、これに触れれば命がいくつあっても足りないだろう。不注意で、《YouTube》にアップされていたそのような映像も見てしまったが、瞬時に黒こげだ。 ◆ ついでに、「デジタルマガジン」の記事中の「毎週17もの命が」とあるのは、誤訳だろう。The Telegraph の記事では、「17 people died every weekday」とある。「毎週」ではない。「(週末をのぞく)毎日」17人がムンバイ通勤圏の鉄道事故で亡くなっているらしい。いやはや。 |
◆ 大阪の古典的「めしや」の看板に、「かやく御飯」。「かやく飯」ともいう。漢字では「加薬(御)飯」と書く。 ◇ これは東京では混ぜ御飯と言っているもので、ただ違うのは東京の混ぜご飯よりも大阪のかやく飯の方が遥かに旨い上に大阪ではこれを売っている店があってそこで食べられることである。又その混ぜ御飯なるものが今の東京では普通の家庭でもあり付けないものになっているから差し当たり現在の東京でこのかやく飯に相当するものは支那風の炒飯(チャーハン)という所だろうか。全くこの町というのはどこまで落ちて行くのか解らない。 ◆ 『夫婦善哉』にも、当然のように、「かやく飯」が出てくる。 ◇ 夕方、蝶子が出掛けて行くと、柳吉はそわそわと店を早仕舞いして、二ツ井戸の市場の中にある屋台店でかやく飯とおこぜの赤出しを食い、烏貝の酢味噌で酒を飲み、六十五銭の勘定払って安いもんやなと、カフェ「一番」でビールやフルーツをとり、肩入れをしている女給にふんだんにチップをやると、十日分の売上げが飛んでしもうた。 ◆ 「一番」というと、カフェであるよりは中華料理屋であるような気がするが、これはまたべつのハナシになる。それにしても、『夫婦善哉』のような小説を東京を舞台にして書くことはおそらく至難の業だろう。 |
◆ 宇宙飛行士の毛利衛さんは、《Wikipedia》によれば、 ◇ 〔Wikipedia:毛利衛〕 幼い頃はカマキリと水泳が大の苦手で、風呂で溺れそうになったことがある。航空事故に遭遇したこともあるが、死ぬのは怖くないという。 ◆ 毛利さんはさておき、この文章、なんともへなへなでへろへろで、そのうち書き換えられてしまいそうな気もするが、こういった文章も嫌いではない。自分にはとても書けそうもないから、新鮮な感じがして何度も読み返してみる。正直なところ、さっぱりわからない。わからないから、あとは自分で勝手に考える。ワタシなりに要約すると、水泳も航空事故も省いて、 ◇ カマキリは怖いが、死ぬのは怖くない。 ◆ ということになるだろうか。ワタシはカマキリも怖いし、死ぬのも怖い。 ◆ 先日、ハラビロカマキリを見た。このハラビロカマキリというやつ、その広い腹にハリガネムシを抱え込んでいたりするのだから、恐ろしい。それならば、怖いのはカマキリではなくて、ハリガネムシではないか? そうかもしれない。ならば、あのカマキリの眼は怖くはないか? かたときも逸らさずにコチラを睨みつけているあの眼は? かわいいって? ◇ 〔2ch〕 カマキリは昆虫にしては『目が合う』よね? やつら黒目キョロキョロうごかすから、目が合う昆虫ってほとんどいなそうだから感激。 ◇ 〔ザ・むし:昆虫裏日記〕 私は小さい頃、つらいことがあると野原にいってカマキリに話しかけていました。”おわりの会”で袋叩きにあった後などはよく野原に行ったものです。なぜカマキリに話しかけるのかといいますと、彼らはちゃんと私の目を見て話を聞いてくれたからです。彼らは私の「何もわかってくれないんだ、大人は」などのつまらない話にも、そっぽを向くことはありませんでした。彼らの大きな複眼の中の黒い瞳は、常に私のほうを見ていてくれたのです。 ◆ あのいつでも目が合うカマキリのちいさな「瞳」は、じつは、「偽瞳孔」(pseudopupil)というものだそうで、よくよく考えれば(よくよく考えなくても)、昆虫の眼は複眼なので、ヒトのような「黒目」などあるはずもない。なんのことはない、こちらがカマキリの眼を見れば、かならず「目が会う」仕組みになっているだけのことなのだった(詳しい説明は別なサイトを探してください)。ハラビロカマキリのことを、 ◇ 〔も吉の昆虫記〕 ハラホロヒレハレに似た語感の昆虫である。 ◆ と書いているひともいるが、語感というのはひとそれぞれで、ワタシからすれば、ハラビロならぬハラグロカマキリということになるだろう。まんまとだましやがって! とはいえ、「人の目を見て話す」ことが苦手なワタシにとってはうらやましくもあり。いっそ、カマキリになってしまおうか。死ぬのは怖いが、生まれ変わるのは怖くないかも。 ◆ ところで、毛利さんは、カマキリのどこが苦手だったんだんだろう? |
◇ 〔松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇〕 父が叫んだ、「電気のヒューズがとんだぞ」。ぼくは飛行士のヒューズさんがどこかへ飛んでいったのかと思ったものだ。 ◆ このヒューズさんはどこへ飛んでいったのだろう? なんとなく宇宙のような気がした。ヒューズという宇宙飛行士はいなかったっけ? 調べてみたけど、見つからない。いたと思ったんだけどな、宇宙飛行士のヒューズさん。しばらくして、ヒューズさんを宇宙飛行士だと思い込んだわけを見つけた、と思った。 ◇ 〔mainichi-msn(2007/07/12)〕 「こちらヒューストン」「すべて順調」など、人類で初めて月面着陸に成功した米アポロ11号の実況中継の名調子で知られた同時通訳者、西山千(にしやま・せん)さんが2日、老衰のため死去した。95歳。 ◆ ああ、「ヒューストンさん」だったか。アポロ11号が月に着陸したのは、1969年7月。多くの日本人が白黒テレビの前にくぎづけになった(のだろう)。 ◇ 〔JIROの独断的日記ココログ版〕 NHKに「あの、英語を日本語にする機械は何というのか教えてくれ」と、問い合わせが相次いだ。 ◇ 〔戻っておいで 私の時間〕 3人の宇宙飛行士を乗せたアポロ11号が、初めて月に着陸したのは、アメリカ時間7月20日夕刻。日本では早朝だったので、リアルタイムは夢の中でしたが、アームストロング船長が降り立つ瞬間は見ました。交信時の「ピー」という音が耳に残っています。その音は ゲバゲバ90分 に使われていたので、覚えている方も多いことでしょう。 ◇ 〔富樫鉄火の吹奏楽曲でたどる世界史 第52回〕 西山さんが同時通訳したアームストロング船長の月面第一声は「この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」というものだった。西山さんは、この名文句を日本語に翻訳したことでも一躍有名になった。 ◇ 〔K's Memo-Random〕 40年前は本当にリアルタイムで映像を見ていましたが、交信時のあのピー音(Beep)が今でも耳に残っています。アマチュア無線でも、しばらくはスタンバイピーとしてはやっていました。 ◆ ワタシはというと、当時5歳だったが、あまり記憶がない。家にテレビはあったのかなあ? 翌70年の大阪万博には行ったが、月の石は見なかった。さて、なんのハナシをしているのだったか。どうもアタマのヒューズが飛んで、月まで行ってしまったらしい。無事に帰って来られるだろうか。 ◇ アポロ こちら、アポロ獣一……どうぞ。 ◆ この「十二単衣の君」を演じていたのが野田秀樹だった。 |
◆ 「消えゆく関西たべもの言葉」というニュースの見出し。妙に語呂がいい。漢字とひらがなのバランスもいい。内容はというと、 ◇ 〔asahi.com:「煮抜き、お造り、関東炊き…消えゆく関西たべもの言葉」(2010/02/08)〕 煮抜き、五目ずし、関東炊(かんとだ)き……。「食」に関する関西ことばが日常生活から急速に姿を消している。武庫川女子大学言語文化研究所(兵庫県西宮市)の岸本千秋助手(44)の調査でわかった。「まずい」を意味する「もみない・あじない」は絶滅寸前だ。 ◆ 京都出身の46歳男性の場合(ワタシのことだが)。「なんば」「ばらずし・五目ずし」「煮抜き」「かしわ」「お造り」は、むかしはよく使った。「ごんぼ」「関東炊き」「もみない・あじない」は、むかしからほとんど使ったことがない。いまはどれも使わない。 ◆ 「ごんぼ」といえば、これも『夫婦善哉』の冒頭に出てくる。「おっさん、はよ牛蒡(ごんぼ)揚げてんかいナ」という子どもたちの声。 ◇ 年中借金取が出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった。路地の入り口で牛蒡(ごぼう)、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、紅生姜、鯣、鰯など一銭天婦羅を揚げて商っている種吉は借金取の姿が見えると、下向いてにわかに饂飩粉をこねる真似した。近所の小供たちも、「おっさん、はよ牛蒡(ごんぼ)揚げてんかいナ」と待てしばしがなく、「よっしゃ、今揚げたアるぜ」というものの擂鉢の底をごしごしやるだけで、水洟の落ちたのも気付かなかった。 ◆ 「鯣」は「するめ」と読むらしい。「待(ま)て暫(しば)しがない」は、「しばらくの間も待つことができない。せっかちである。短気である」(大辞林)の意だそう。 ◆ 《全国大阪弁普及協会》には、「関西たべもの言葉」がわんさか載っている。なかには、「消えゆく」コトバもあるだろうし、逆に全国に広まったコトバもあるだろう。京都出身の46歳男性がなつかしく感じたのは、「こうこ、おこうこ(たくあん)」「ぼんち揚げ(歌舞伎揚げ)」「やきめし(炒めご飯、チャーハン)「きずし(しめサバ)」、など。「かんとだき」の項の解説を読むと、 ◇ 「関東煮」と書く。ダイコン、ちくわ、あつあげ、がんも、ゴボウ天、ゆで卵、里芋、こんにゃく、牛すじ肉、巾着、鯨の舌などを出汁醤油味で煮込んだ鍋料理。ちくわぶやはんぺんは存在そのものを知らない。 ◆ 「ちくわぶ」か、いまだに慣れない。 |
◆ 大阪の食堂の看板。「釜めし」の「し」の字に点はないが、かわりに「関東煮」がある。カントダキと読む(カントウニと言う地域もある)。 ◇ その関西ではおでんのことを関東煮と言っていることでもおでんがもとは関東のものだったことは明かで、そういう考証をしなくても確かに昔は東京におでん屋というものがあった。併し、東京がどこのどういう性質の町か解らなくなり、そこに住む得体が知れない人間がおでんのような安くて旨いものを喜ばなくなった現在では歴史の上ではどうだろうとおでんを食べに関西まで行かなければならない。 ◇ 〔おでん屋「たこ梅」:おでんの歴史〕 関西では、昭和40年ころまで、おでんを普通に「関東煮(かんとだき)」と呼んでおりました。いまでも、「関東煮」とおっしゃる年配の方は、多いようです。 ◆ 直前の引用は、大阪日本橋の関東煮の名店「たこ梅」のサイトから。関東煮の語源については、こんな説もあるそうで、 ◇ 〔おでん屋「たこ梅」:おでんの歴史〕 広東(中国の地方)の人たちが食べていた鍋から生まれた煮込み料理なので広東煮(かんとんだき)と言い、それを縮めて「かんとだき」になったと「たこ梅」で言い伝えられています ◆ この《たこ梅》は、関東煮とともに「たこ甘露煮」が名物で、織田作之助の『夫婦善哉』にもその名が出てくる。 ◇ 柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真(ほんま)にうまいもん食いたかったら、「一ぺん俺の後へ随(つ)いて……」行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津(こうづ)の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼、粕饅頭から、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁(ころじる)、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮(かんとだき)、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわば下手(げて)もの料理ばかりであった。芸者を連れて行くべき店の構えでもなかったから、はじめは蝶子も択(よ)りによってこんな所へと思ったが、「ど、ど、ど、どや、うまいやろが、こ、こ、こ、こんなうまいもんどこイ行ったかて食べられへんぜ」という講釈を聞きながら食うと、なるほどうまかった。 ◆ 「たこ梅」は吉田健一の『舌鼓ところどころ』にも出てくる。 ◇ 道頓堀の、湊町駅の方から行けば、大分歩いてから左側、高津神社の方からならばすこし歩いて直ぐ右側にたこ梅というおでん屋がある。 ◆ この「湊町駅」は、現在のJR難波駅。 ◇ 〔おでん屋「たこ梅」:「たこ梅」の歩み〕 この頃、作家の織田作之助さんや開高健さん、池波正太郎さん、吉田健一さんなどが、よくお店においでになり、その小説や随筆にしばしば「たこ梅」が登場いたします。 ◆ 「関東煮」のハナシがなんだか「たこ梅」のハナシばかりになってしまった。機会があれば、一度行ってみたい。 |