MEMORANDUM

◆ 《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

◇ とおりゃんせの歌などで、「天神(てんじん)さまの細道じゃ」、とかききますが、天神ってどんな神様なのでしょうか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q119025236

◆ こんな回答。

◇ この天神様というのは、菅原道真公のことで、昔から学問の神様として、全国到る所にまつられておられます。

◆ 天神様というと、菅原道真公のこと。そんなの常識、とワタシも思っていた。さいきんまで菅原道真以外にも天神と呼ばれる神がいることを知らなかったから。

◇ たとえば、子供たちの伝承的な遊びとして「通りゃんせ」という遊戯(遊び唄)があるが、そこで「天神様の細道」を通ることができるのは、「この子の七つのお祝い」のためにお宮参り(お札納め)をする善男善女たちであって、オニ(鬼神や疫神)が、その子供たちの腕の「輪」をくぐろうとすると、それをストップさせるという神事を遊戯化したものなのだ。この場合の「天神」は、天満天神というより、「祇園天神(武塔天神)」ような疫神祓いの「天神様」であって、善男善女のふりをしてその輪を抜けようとする疫神や鬼神を防ぎ止める役割を果たしているといえよう。〔下線は筆者〕
川村湊『牛頭天王と蘇民将来伝説 消された異神たち』(作品社,p.215)

◆ 祇園天神とは、牛頭天王のこと。

◆ 《Yahoo!知恵袋》にこんな質問、はないのだが、かってに創作。

◇ 天皇ってどんな神様なのでしょうか?

◆ どんな神様って、天皇は神様ではありません。以前は神様だったらしいけど、いまは人間です。そんなの常識、とこれまた思っていたけれど、「以前は神様だったけどいまは人間の」天皇以外にも天皇と呼ばれる神様はいたのだった。それが、これまた牛頭天王。

江戸時代を通じて「テンノウ」といえば、それは「天王山」や「天王社」の「天王さん」のことであり、皇国日本を統べる万世一系の「天皇」のことではなかった。現在でも天王洲や天王台や天王﨑といった地名が多く残っているが、これらは「天王社」にまつわるものであり、牛頭天王信仰に由来するものであることは明白だ。そうした庶民の「天王信仰」に対して、明治の維新政府は「王政復古」を呼号し、「禁裏様」とか「内裏様」と呼んできた人物を「天皇」と呼ばせるようにし、国教としての皇国神話による国家神道を唱え、現人神(あらひとがみ)としての「天皇信仰」を布教しようとした。この時に「天王」は「天皇」の前に立ち塞がる目障りで、紛らわしい邪教・邪神の頭目のように、彼ら、神道家のたちの目には映ったはずだ。
 牛頭天王の縁起や祭文でも、「天王」と「天皇」とは、しばしば混同して使われており、同一文書のなかでも混用されている場合がある。口承性の強い祭文などにおいて、「テンノウ」の「王」と「皇」の表記の違いにこだわることはなかった。〔下線は筆者〕

川村湊『牛頭天王と蘇民将来伝説 消された異神たち』(作品社,p.128-129)

◆ 大津市和爾で「天皇神社」という名の神社にたまたま出くわしたとき、そのときはまだ「天皇」というと「以前は神様だったけどいまは人間の」天皇のことしかアタマになかったワタシは、その名前のインパクトにかなり驚いたものだった。

◆ この時季、赤い実をつける植物は数多くあって、とてもじゃないけどほとんど区別がつかない。例外はナナカマド、オンコ(イチイ)、ハナミズキなど。画像は「みずき通り」のハナミズキの赤い実。

〔朝日新聞:天声人語(2007/11/20)〕 過日の本欄で、ハナミズキをほめた。春の花、秋の葉、赤い実と年に3回楽しめる多芸ぶりのことだ。引き合いに出した桜を「春の一芸」と書いたところ、「秋の桜も捨てがたい」とのお便りを何通かいただいた。
www.asahi.com/paper/column20071120.html

◆ ワタシも、天声人語子のように、

◇ 先日の「MEMORADUM」で「ミズキ」のことを書いたところ、水木しげるのペンネームの由来についてのお便りをいただいた。

◆ というような文章を書いてみようかと思ったが、いっこうにお便りが来ないので、書こうにも書けない。さしあたり「お便り」に似たもので代用すると、

◇ 神戸市兵庫区水木通に、風呂屋が開業すれば水木湯となり、小学校が開校すれば水木小学校となり、自動車修理工場は水木モータースの看板を掲げ、ふらっとこの町に現れて住みついた武良茂青年は、水木しげるを名乗ることになった。
木下直之『ハリボテの町 通勤篇』(朝日文庫,p.150)

◆ ああ、なるほど、そうでしたか。神戸に水木通という地名があるんですね。ワタシはてっきり「水木しげる」の水木は、かれがいっとき経営していたアパート「水木荘」から取られたのかと思ってました。敷地にミズキが植えられていたから水木荘という名がついたんだろうなとも。そうではなくて、水木通に住んでいたから水木になったんですね。それから、アパートの名も水木通にあるからこそ、水木荘になったんですね。まあ、水木通なんだから、水木荘の近くにもミズキは生えていたかもしれないけれど。じゃあ、ワタシが参照した《Wikipedia》の記述は、ちょっとばかり正確さにかけますね。そう思って、もう一度、引用した《Wikipedia》を読みなおしてみると、

〔Wikipedia:水木しげる〕 ペンネームは、紙芝居作家時代に、当時経営していたアパート「水木荘」から周りに名付けられた。〔中略〕 募金旅行の途中で立ち寄った神戸市兵庫区水木通のアパートで家主に持ちかけられた話に乗り、借金の肩代わりを条件にこのアパート「水木荘」を譲り受け、貸家経営を始める。アパートの住人に紙芝居作家がいたことから、紙芝居の語り手として名人だった鈴木勝丸の阪神画報社に所属し、また加太こうじを紹介され、紙芝居作家として作品を描く。ペンネームの「水木しげる」は、鈴木が本名を覚えてくれず、いつまで経っても「水木さん」「水木さん」と自身を呼ぶため、それに従ってつけた。
ja.wikipedia.org/wiki/水木しげる

◆ あれれ、しっかり「神戸市兵庫区水木通のアパート」とも書いてありました! こりゃ気がつきませんで、失礼しました。ほかの資料も見てみると、

〔神戸新聞:兵庫人 挑む〕 日本漫画界の巨星水木しげる(85)は戦後の神戸で、紙芝居作家から出発した。一九四九年、兵庫区水木通にあったアパートを買い取り、「水木荘」と命名。その経営と画業で身を立てる決意をした。
www.kobe-np.co.jp/info/hyogo_jin/08.shtml

◆ 「水木荘」というのも、水木しげる自身による命名だったのですね。もともと水木荘という名だったのかと思ってました。

◆ そうすると、今度は、この神戸市兵庫区水木通の地名の由来が気になってくるわけですが、ネットでちょっと調べてみましたが、よくわかりません。この水木もひょっとしてハナミズキだったりして? あと、巡視船みずきの由来もあいかわらずわかりません。ご存じの方は、お便りください。

◆ 朝日新聞のコラム「天声人語」では、以前に書いたコラム記事にたいする読者からの「お便り」をもとにして、またあらたなコラム記事が生み出されるということがままある。「天声人語+お便り」で検索してみると、いろいろと見つかる。たとえば、

〔天声人語:1983/08/09〕 騒音時代の今はほぼ絶滅したといわれる水琴窟のことを本欄で書いたら、「わが家の水琴窟は健在です」というお便りをいくつかいただいた。幻の水琴窟が各地に生きていることがわかったのは、大変な収穫だった。

〔天声人語:2003/04/19〕 先日この欄で「地獄絵の合間に一瞬、黄色い花が見えた」とイラク北部での誤爆現場の映像について書いたところ、山口県埋蔵文化財センターの中村徹也所長から「キンポウゲかノボロギクだと思う。いやそうあってほしいと思う」とお便りをいただいた。

〔天声人語:2004/12/12〕 先日、ベートーベンの「運命」にまつわる記憶について書いたところ、幾通かお便りをいただいた。「運命」を竹で演奏する会があるとの便りがあり、出かけた。

〔天声人語:2005/12/03〕 先日のコラムは、幼い子の頭をなでるようなしぐさで「子ども」を表す手話のことから書いた。九州からのお便りに、こんな一節があった。「『愛す』『大切にする』の手話は、円を描いた手の下にもう片方の手をそえます。寒い時、手の甲をこするように」。

〔天声人語:2007/11/20〕 過日の本欄で、ハナミズキをほめた。春の花、秋の葉、赤い実と年に3回楽しめる多芸ぶりのことだ。引き合いに出した桜を「春の一芸」と書いたところ、「秋の桜も捨てがたい」とのお便りを何通かいただいた。

〔天声人語:2009/10/25〕 先ごろの小欄で和紙について書いたところ、多くのお便りをいただいた。神奈川県藤沢市の女性(96)は、お母さんの里が「岐阜の山奥」で、美濃紙を戦争中まですいていたという。

〔天声人語:2010/02/07〕 本欄へのご感想の中には、ただ黙するしかないようなものがある。埋葬地に木を植える「樹木葬」を取り上げた過日の小文にも、そのようなお便りをいただいた。「いつ折れるとも知れない心を老夫婦で支え合いながら、娘のために樹木葬の適地を探しています」。

◆ それがどうした、と言われると返答に困る。べつにどうもしない。

◇ そのうち、ミズキといえば、もっぱらハナミズキのことを指すようになるのかもしれない。いや、もうすでにそうなっているのか?

◆ と、以前の記事(「ミズキ」)に書いたが、「もうすでにそうなっている」ようでもある。神奈川県大和市の大和駅前に「みずき通り」。「みずき通り」の街路樹はハナミズキ。在来種のミズキではない。どうして「はなみずき通り」ではいけなかったのだろう? 都会の風景は、いつもどこかがずれている。かつて「コンクリートジャングル」というコトバもあった。いまはだれも使わないだろう。

コンクリートジャングル ビルの林立する都会を、ジャングルに見立てた語。
小学館「大辞泉」

◆ 「みずき通り」には、街路樹のハナミズキと、それからもう一本、アオキが生えている。ビルの「AOKI」。造花ならぬ「造木」のアオキ。調べてみると、アオキもまたミズキ科の植物なのだった。

〔Wikipedia:ミズキ科〕 ミズキ科(みずきか、Cornaceae)は被子植物の科のひとつで、ミズキ、ハナミズキ、アオキなどを含む。
ja.wikipedia.org/wiki/ミズキ科

♪ 相変らず僕は待っている
  踏切りがあくのを待っている

  井上陽水「あかずの踏切り」(作詞:井上陽水)

◆ 踏切でひとはいったいなにを待っているのだろう。遮断機には「しばらくお待ちください」の文字。踏切でひとは「しばらく」いったいなにを待てばいいのだろう。もう一度、中谷美紀のインドの踏切体験の記述を引用する。

◇  空と道と砂漠だけというのが3、4時間続いた頃に、踏み切りで足止めを食らった。トラックやバスが連なり、象までもが順番待ちをしていた。それも、5、6分の話ではなく、正確な通過時間のわからない電車のために20分も待ったのである。踏み切りポイントには、足止めを食らう車目当てにアイスクリーム屋、お菓子屋、果物屋が群がり、さらに混雑を来していた。
 そして、ようやくきた電車はディーゼル車らしく黒煙を撒き散らしながら通り過ぎ、車両はといえば、乗車率300パーセントのようで、屋根の上にまで乗客が乗っていた!

 中谷美紀『インド旅行記1 北インド編』(幻冬舎文庫,.p.253-254)

◆ さいしょに読んだときには、「電車はディーゼル車」というのが気になっただけだった。ディーゼル車も電車の一部であるかのような書きっぷりに、「これだから、女性は」と、思っただけだった。けれど、読みなおしてみると、彼女の「電車はディーゼル車」という書き方にもある種の「理屈」があるような気がしてきて、それだから困ってしまった。

◆ 見知らぬ土地を旅しているときには、たいていの場合、踏切は唐突に出現する。よほど地図を丹念に見ているひとでなければ、その踏切がどんな鉄道路線であるのかを気にすることはないだろう。なんとなく、不意に踏切に出くわして、それが「開かずの踏切」でもないかぎり、踏切というものは開いているのが常態なので、なんとなくそのまま通りすぎてしまう。たまたま遮断機が下りていたりすると、運が悪かったのだ。しかたがない。しばらく待つことにしよう。

◆ 運悪く踏切で「しらばく」待つはめになった鉄道路線が、たとえば、京王電鉄であれば、相模鉄道であれば、小田急電鉄であれば、そしてそのことを知ってさえいれば、その踏切を通過するのは、電車しかありえないのだから、こころおきなく「電車」を待つことができる。たとえ、それが「正確な通過時間のわからない電車」だとしても、あるいは、そこが「開かずの踏切」であっても、「電車」が通過するのをただ待っていればいい。そのうちに踏切は開くだろう。

♪ 次々と電車がかけぬけてゆく
  ここはあかずの踏切り

  井上陽水「あかずの踏切り」(作詞:井上陽水)

◆ しかし、それがどんな鉄道路線なのかわからない場合には、いったいなにを待てばいいのだろう。まあ、「踏切が開くのを」待つ、あるいは「時間が過ぎるのを」待つ、とでも書いておけばいいのかもしれない。けれど、「(線路の上を通過する)◯◯を」待つと書きたくなってしまったひとは、ちょっと困るのではないだろうか。まだ来ない「◯◯」のことをなんと書けばよいのか。無難なのは「列車」だろうが、英語の「train」ほどの一般性はないように思える。

◆ ハナシが逸れるが、「赤信号の横断歩道で待っているものはなにか」ということを考えると、これも人によって2種類の回答に分かれるだろう。「信号が青に変わるのを」待っているひとと「通過する車の波が途切れるのを」待っているひと。後者のタイプのひとは、信号が青に変わらなくても、車の波が途切れれば、すたすたと横断歩道を渡り始めてしまうだろう。

◆ ハナシを戻すと、中谷美紀がインドの踏切で、まだ見ぬ「◯◯」が通過するのを20分も待って、ようやくやってきた「◯◯」は「ディーゼル車」だった、という体験をしたとき、その「◯◯」のところを「電車」と書いてしまうことは十分に理解できる。日本の踏切で待っているとき、通過するのはいつも「電車」だったから、踏切というものは「電車」が通過するのを待つところなのだから、このインドの踏切でもやはり「電車」が通過するのだろう。そう思って待っていたら、不意打ちのように「電車」でないものが通過した。あれは「ディーゼル車」というものだろうか。

◆ そういうことはワタシにもある。踏切待ちをしていたら、やってきたのは「蒸気機関車」だった。このときの状況を正確に文章で表現することはむずかしい。ワタシはその踏切が属する鉄道がなんなのか知らなかった。ただ「踏切が開くのを」待っていたような気もするし、「電車かなにか」が通過するのを待っていたのような気もする。すくなくとも、「電車かなにか」に「蒸気機関車」は含まれてはいなかっただろう。まったくの想定外。ワタシが日記をつけていれば、

◇ ある踏切で、電車が通過するのを待っていたら、通過した「電車は蒸気機関車」だった。

◆ と、そう書いていたかもしれない。こんな動画を見つけた。

〔らばQ〕 ごく普通の踏切を待つ車。当然ながら、ごく普通に電車が通り過ぎると予想される場面ですが、何やら様子がおかしいんです…。〔中略〕 たしか電車と言うのは電動機の力で走るから電車と呼ぶ気がするのですが、人力で動いている場合は何と呼ぶのでしょうね
labaq.com/archives/51404534.html

◆ 踏切というのは、おもしろい場所だ。ときとして予期せぬものがやってくる。少なくともその可能性はいつもある。

◆ 『夫婦善哉』の主人公、柳吉は「どもり」癖がある。あるいは「吃音症」と書くべきだろうか。

◇ 「ど、ど、ど、どや、うまいやろが、こ、こ、こ、こんなうまいもんどこイ行ったかて食べられへんぜ」

◇ 「自由軒(ここ)のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」

◇ 「こ、こ、ここの善哉(ぜんざい)はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫(だゆう)ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛(やまもり)にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」

◆ 柳吉はんは、どんぐり食うたん違うか? 「どんぐりを食べるとどもりになる」と子どものころによく聞かされたものだが。

◇ 「ボク、どんぐり食うたん違うか」
 雑木林の中で、おっちゃんが不意に言った。
〔中略〕
「そんなことないけど……なんで?」
 少年はきょとんとして訊き返す。どんぐりが食べられるなんて知らなかった。
 おっちゃんは少し困った顔になって、「どどをくるやろ、ボク」と言う。
 どどをくる――初めて聞く言葉だったが、「どど」の響きに、背中がひやっとした。
〔中略〕
「どもるという意味や、おっちゃんらはどどをくる、言うとったけどな」
 予感どおりだった。少年はうつむいた。頬が熱くなるのがわかった。苦手な「カ」行や「タ」行で始まる言葉はつかわないようにしてしゃべっていたのに、隠しきれなかった。
「どんぐりを食うたら、どどをくるようになるんや、ほんまかどうか知らんけど、おっちゃんらは、こまい頃からそない聞いとってん。そやから、ボクも、どんぐり食うてもうたんやろか、て」

重松清『きよしこ』(新潮文庫,p.99-100)

◆ ある日、だれもいない神社の境内で、なにかの台座のうえに集められた沢山(ぎょうさん)の、ど、ど、ど、どんぐりを見ていたら、ど、ど、どどをくる少年の、困ったような顔がふっと浮かんですぐ消えた。

◆ またある日、会社の事務所で書きものをしていたら、近くにいた事務員のおばはんが、「あんた、ぎっちょ?」と言った、「うちの子も小さいころにぎっちょで、なおそうとしたら、どもりになっちゃって、あわてたわ」。

  つるこ

◆ 鶴光のことを調べていたら、こんな記述。

〔Wikipedia:笑福亭鶴光〕 なお、「鶴光」の正式な読み方は「つるこう」ではなく「つるこ」である。笑福亭一門の由緒名である「光鶴」も、2代目の弟弟子である笑福亭鶴瓶も、それぞれ「こうかく」「つるべぇ(またはべぃ)」としばしば誤読されるが、正しくは「こかく」「つるべ」である)。これは大阪弁では「がっこ(学校)」「せんせ(先生)」など、母音の発音を省略する傾向があることによる。
ja.wikipedia.org/wiki/笑福亭鶴光

◆ あっ? 「つるこう」ではなく「つるこ」? 「つるべ」はともかく「つるこ」だったとは。知らんかった。

「関東煮」の記事を書いたときも、「かんとだき」という読みが多少気になった。この場合は、「煮る」と「炊く」の関係についても考えなければいけなくなるので、面倒なので放っておいたが、さしあたりそれを省いても、「関東」を「かんとう」ではなく「かんと」と書くことがかなり一般化していることが、ちょっと新鮮な驚きだった。「関東」を「かんとう」、あるいは、「鶴光」を「つるこう」と書いても、それはあくまでも文字としての「ふりがな」であって、そのことが、じっさいの会話で「かんと」「つるこ」と発音されることを妨げるわけではないし、「鶴光」のじっさいの発音が「つるこー」であろうが「つるこ」であろうが、その違いのせいで意思の疎通ができなくなるということはあまりないのだから、この場合の「つるこう」という「ふりがな」は、いわば最大公約数的な妥協案にすぎないので、それをことさらに「つるこ」と厳密に書くほどのこともないのではないか、そう思っていたのだが、そういうものでもないらしい。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

〔Yahoo!知恵袋〕 大阪弁をしゃべる人はメールや作文も大阪弁なんですか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313070618

◆ 「言文一致」というコトバがある。話しコトバと書きコトバを一致させるという意味だが、思い起こすと、京都に住んでいた子どものころ、(ワタシの友だちの書く)作文や手紙などの文章は、わりと「言文一致」に近かった。方言そのままに書くことができるという地域はそうないのではないかと思う。

〔道浦俊彦/とっておきの話〕 「コーヒー」ではなく「コーヒ」なのです。大阪人は語尾の長音を省略することが確かに多いので「コーヒ」はそれほど不思議ではないのですが、その店に3枚あったメニュー看板のうち、2枚が「アイスコーヒ」で、1枚だけが「アイスコーヒー」となっていました。良く見ると、明らかに「アイスコーヒー」の方が拙(つたな)い字なのです。「ははあ、1枚は若い人が書いたので“アイスコーヒー”と“ー”が語尾にも入っていて、残りの2枚は達筆な年配の人が書いたので「コーヒ」と「ー」がないのだな」と想像しました。
www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/0101-0200/0141.html

◆ 画像は金沢で見かけた「コーヒ」。メニューに「コーヒ」とあっても、「コーヒー」の発音で注文して困ることはないだろう。また逆に、メニューに「コーヒー」とあっても、「コーヒ」の発音で注文して困ることはないだろう。その程度の違いなんてどうでもいい。そのように思ってしまうワタシは、「書き言葉」と「話し言葉」の現実に存在するバイリンガル的環境を、ただなんとなく気がつかないふりをして、それがあたかも「ひとつの言葉」のように思い込んで生きてきただけなのかもしれない。たとえば、「鶴瓶」。

〔Yahoo!知恵袋〕 なぜか関東の人は「つるべい(またはつるべえ)」と言いますね。いつも違和感があります。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129695387

◆ ワタシにはとくに違和感はない。だから、表記も実際の発音も「つるべ」でも「つるべい」でも「つるべえ」でも、あまり気にならない。そのことにはさまざまなメリットとデメリットがあって、どちらがトータルとして望ましいのかよくわからない。ただ、違和感のあるひとは、断固として、「つるべ」と表記すべきだろうし、またすでにそうしているだろう。