◆ 立川談四楼の文章のつづき。 ◇ 喫茶店でもタバコを喫えない所が増えてきている。一度、静かに伺ったことがある。「タバコを喫い、茶を飲むのが喫茶店だと思うのですが」と。店主は胸を張りましたね。「うちは茶を喫するという意味の喫茶店です」と。なるほど、そういう理屈もあるのかと撤退しましたっけ。 ◆ 「そういう理屈」以外の理屈の可能性をこれまで思いつきもしなかったので、ちょっと驚いた。《Yahoo!知恵袋》に、こんな質問。 ◇ 喫茶店の喫って喫煙の喫って本当ですか? だから、タバコを吸うところなんだっていう人がいますが本当ですか? ◆ そう思い込んでいるひとが少なくないのは本当のようで、 ◇ 大半の方は喫茶店と聞くと煙草も吸える(つまり"喫煙"と"お茶"という意味)と思っていらっしゃるようです。 ◇ やはり喫茶店はタバコを吸えなければならぬ。実を言うと喫茶店とは「茶を喫する店」ではなく「喫煙とお茶の店」だと本気で信じていた時期があったのだ。馬鹿には違いないが馬鹿も客のうち。期待を裏切ってはイカン。 ◇ ニュースでは「喫煙=悪」のような記事ばかりが上がり、喫煙するスペースも少なくなって、肩身の狭い思いを強いられている喫煙者には同情を隠しきれない元喫煙者ですが、最近、「店内全席禁煙」をうたった喫茶店があるのを知り、大きな違和感を感じました。喫茶店とは「たばこを喫する、茶を飲む店」のことではないのか。喫茶店と名乗り、店内を全席禁煙にするとは、小便が漏れそうなときに便所に入ったら手洗い場しかなかったくらいのショックを喫煙者に与えているのではないか、きっとお子様ランチの旗が米国旗になっているくらいひねくれた店だ、と非喫煙者ながら喫煙者の哀れみを興奮気味に想像してしまったのですが、こりゃネタになると「喫する」を広辞苑で調べてみたところ、「飲む」という意味も含まれていたことが判明…。 |
◆ 『週刊文春』の今週号、JT提供の「喫煙室」に、落語家の立川談四楼が「純喫茶」というタイトルでコラムを書いている。 ◇ 純喫茶という名の喫茶店が見当たらない。新宿や池袋などターミナル駅周辺にはあったものだが、一様に小ジャレたカフェやゲーセンに様変わりしている。純喫茶という割にはコーヒーの味は大したことなかったが、前座仲間とよく入り浸った。そう、そこで青くさい芸論を戦わせたのだ。〔下線は筆者〕 ◆ 純喫茶が必ずしもコーヒー専門店というわけではないのだから、「コーヒーの味は大したことなかった」としても、それはしかたのないことだろう。もちろん、うまいに越したことはないが。 ◇ 〔Wikipedia:純喫茶〕 純喫茶(じゅんきっさ)とは、酒類を扱わない、純粋な喫茶店のこと。酒類を扱い、女給(ホステス)による接客を伴う「特殊喫茶」に対しての呼称。〔中略〕 1955年(昭和30年)頃~1975年(昭和50年)頃までは、「純喫茶」と名乗る喫茶店が各地に多数あったが、現在は死語に近い。 ◆ そういえば、中野重治のドッペリ小説『歌のわかれ』に出てくる「ブラジル」。名前からするとコーヒー専門店であるように思われるかもしれないが、この「カッフェー」は純喫茶ではない。登場人物のなかでコーヒーを飲んでいるものなどだれもいない。みな酒を飲んでいる。 ◇ 「よせ、よせ、落第の話なんか……」 ◆ もちろん、ちょびちょび「コーヒーを」飲むひともいないとはかぎらないが……。 |
◆ 集英社文庫のサイトの「今月の新刊ちょっと立ち読みコーナー」で見つけた文章を立ち読み。「熱発」について。 ◇ 〔宮子あずさ『ナースな言葉 こっそり教える看護の極意』(集英社文庫)〕 夜勤から日勤への申し送りはすべてが早口で、略語・専門用語の嵐。看護学校の一年生なんかが聞いたって、未知の外国語並み。緊張も手伝って、目本語すら聞き取れず、何を言っているかさっぱりわかりません。「今朝」を「ケサ」でなく「コンチョウ」と言っていたのにも、びびりました。医学用語って、古語なのか? 実際、のぞき見た記録には「顔色不良なり」なんて書いてある場合もあります。 ◆ 「今月の新刊」といっても、もう5年前の本だった。それから、宮子あずさというひとは、若いナースにしては(とかってに想像)、妙に上手い文章を書くひとだなと思って調べたら、1963年生まれ(ワタシより年上だ)で、吉武輝子(このひともよくはしらない)の娘で、すでに本を何十冊も書いているベテランだった。 ◆ 「立ち読み」している本に線を引くのはよくないことだが、あるコトバにたいする感覚をいきいきと明解なコトバで書き表している好例として、つい線を引きたくなった。 |
◇ ドッペ・る [動ラ五]《(ドイツ)doppelt(2倍の、の意)の動詞化》落第する。ダブる。昔、学生の間で用いられた語。 ◆ 以前、「ドッペリ」というハナシを書いたが、そのさいに、「大辞泉」で「ドッペる」を引くと、中野重治の『歌のわかれ』からの引用があったので、読んでみた。読んでみると、「ドッペる」の例文として、この小説からの一文を引いているというのは、なかなか見事な選択であるように思われた。『歌のわかれ』というのは、かんたんに言うと、主人公も友人もみな落第してしまう「ドッペリ小説」なのだった。 ◇ おりゃ考えたんだよ。それゃア、ドッペるときまったから考えたんだけどね。とてもおれにゃ、医者なんかにゃなれないよ。今んとこ文学をやろうと思ってもないけどもね。とにかく、医者にゃア向いてないんだ。 ◆ とは、主人公・片口安吉の友人、鶴来金之助のセリフ。舞台は旧制四高のあった金沢。 ◇ 「ふむ。」と安吉は答えた。彼等は、香林坊の交番前からブラジルの前を通って、いつか桐山に出逢った瀬戸物屋のへんを武蔵ヶ丘の方へ歩いて行った。 ◆ 上は、1年前に仕事で金沢に行ったときの写真。(左)香林坊、(右)旧四高本館。「カッフェー・ブラジル」はどうなったか、しらない。 ◆ どうでもいいけど、このように『歌のわかれ』の文章と自分で撮った写真を組み合わせてしまえば、おそらく十年も経てば、ワタシの記憶の順序は、『歌のわかれ』を読んでから金沢を訪れたことになっているだろうなと思う。デタラメに目にしたものすべてを写真に撮っておくことは、いろいろと役に立つ。より正確を期すなら、『歌のわかれ』を読んだのも、今回がはじめてではない。大学の日本文学の授業で、この作品が取り上げられていたので、そのときに読んでいるはずだが、まるで記憶にない。金沢を訪れたのも、1年前が最初ではない。母方の実家が富山にあったので、帰省の途中になんどがか立ち寄っているはずだ。 ◆ ちなみに、作者の中野重治は四高で二度もドッペったそうだ。 ◇ 〔ウラ・アオゾラブンコ:石堂清倫「学校のころの中野重治」〕 まだ中学生の一九一八年の秋に、中野という人が全国最高の成績で四高に入学したという話をきいた(そのころは官立の大学と高等学校は九月入学で、四月入学にかわつたのは一九二〇年である)。この話はこのごろ当の本人が打消しているから、正確でないのかもしれないが、秀才は一高に集中するという通説にあきたらないわれわれ田舎の生徒には、中野首席説は胸のすくような快挙として、本当のことだと思いたいという「真実性」がある。その有名な優等生が、酒をのむとか文学をやるとかいう噂であり、翌年は一転して落第したので、ますます有名になつた。私が二年あとに高校に入つてみると、その人は長髪を肩まで垂らして闊歩していた。冬になると(なつても?)夏服をきていた。雪の金沢では、こうした挙措や風貌が一種の中野伝説に輪をかけた。多くの人は畏敬の気持をいだいて「中野さん」と呼んでいた。本人がべつに気負つているわけでなかろうけれども、生徒たちには、凡俗をよせつけない人という印象があり、教師のなかにも、彼には一目をおく風があつた。おまけに五年も在学したから、普通の人の何倍も知名度がたかく、金沢以外の中学校でも中野は有名人であつた。 ◆ 以下は、中野重治とは関係なく、「ドッペる」にかんする蛇足的引用。 ◇ 〔北大用語集〕 ドッペる…留年すること。語源はドイツ語のドッペンゲンガーらしい。自分と同じ人に会う=同じ経験を二回する=留年するという意味らしい。ドッペる人のことをドッペラーという。 ◆ 「ドッペる」の語源は、もちろん「ドイツ語のドッペンゲンガー」ではないが、そのあとのこじつけ気味の「理屈」がややおもしろい。自信なさげな「らしい」の繰り返し(つまりドッペリ)も悪くはない。願わくば、この学生が「ドッペラー」になっておられないことを。あるいは、二度ドッペって、中野重治のような「有名人」になっておられることを。 |
◆ 海老蔵がこんな質問。 ◇ 私はいつも親から「成田屋の子なんだから」みたいなことをよく言われます。あと、地域中で「いいとこの子」と言われるんですが、成田屋の子ってそんなすごいことですか? 自分は全くわかりません。教えて下さい。 ◆ いや、したらおもしろいな、と思っただけで。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。 ◇ 私はいつも親から「造り酒屋の子なんだから」みたいなことをよく言われます。あと、地域中で「いいとこの子」と言われるんですが、造り酒屋の子ってそんなすごいことですか? 自分は全くわかりません。教えて下さい。 ◆ 造り酒屋の息子でワタシが知っていたのは、まず内田百閒(「牛を貰う」)。それから、画家の竹久夢二、植物学者の牧野富太郎。婿養子ではあるが、江戸時代の測量学者・伊能忠敬。と、まあこれくらいだったのだが、おともだちの rororo さんのブログを読んでいたら、 ◇ 〔忍法火遁の術〕 常滑市に入ったらここの案内看板を見つけたので行ってみました。海を目の前にした小鈴谷というところに「ねのひ」の酒蔵。味噌、醤油でも有名な盛田というのは、実は… この人の実家だったんですね。 ◆ とあって、ああ、このひとも造り酒屋の息子だったのか! ◇ 〔モリタフーズ株式会社〕 世界のSONY。その創始者である故盛田昭夫氏が、実は造り酒屋の長男として生まれていたことをご存知でしょうか? 昭夫氏は、名古屋の南方、小鈴谷の地に350年以上続く盛田酒造の15代目として生まれ、家業である酒、味噌、醤油の製造を覚えながら育ちました。 ◇ 〔岸信介・佐藤栄作兄弟〕 当時、佐藤家は造り酒屋だった。だが、その家業は兄弟が中学に進む前にこうじを腐らせてしまって倒産している。いわば“武家商法”の放漫経営だったらしいが、 ◇ 〔池田勇人〕 生家は広島県の銘酒「豊田鶴」の醸造元で、父は吾一郎、母はうめ、その二男五女の末っ子である。 ◇ 〔竹下登〕 竹下の父・勇造は、出雲の素封家竹流家からの婿養子だが、掛合村長、島根県議などを務めた地元の有力者。竹下はその一人息子だった。 ◆ あ、ひとり忘れてた。宇野宗佑。 ◇ 〔京都新聞(2009/11/20)〕 守山市は20日、故宇野宗佑元首相の生家で、旧中山道守山宿の跡にある造り酒屋「宇野本家」(同市守山1丁目)の土地と建物を取得し、一帯の歴史や文化を巡る歴史回廊ネットワークの拠点とすると発表した。 ◆ 首相経験者以外では、たとえば、金丸信。中沢新一の記憶によれば、 ◇ 当時売り出し中の政治家のK(この男はのちに副総理にまでのしあがって、日本の政治に巨大な禍根をもたらすことになる)の経営するその葡萄酒工場は、なぜか生暖かい芋滓の匂いのする大量の工場排水を、早朝定時になるといっせいに農業用の水路に流し込むのだった。 ◆ あと、谷垣専一(谷垣禎一の父)とか。玄葉光一郎とか。 ◆ 《Wikipedia》に「造り酒屋出身の著名人一覧」の項目があったが、現在は削除されている。いまのところ、《goo Wikipedia》では閲覧可能。 |