◆ 「しばらくお待ちください」という表示をまえにして、さて、どれだけ待てばいいものやら。百秒? 百分? 百時間? あるいは百年? それとも百万年?
◇ かつて「待つ」ことはありふれたことだった。一時間に一台しか来ない列車を待つ、数日後のラブレターの返事を待つ、果物の熟成を待つ、酒の発酵を待つ、相手が自身で気づくまで待つ、謹慎処分の解けるのを待つ、刑期明けを待つ、決定的現場を押さえるために待ち伏せる(かつて容疑者を追って、同じホテルに一年間張り込んだ刑事がいた)。万葉集や古今和歌集をはじめ、待ち遠しさを歌うことが定番であるような歌謡の手管があった。待ちこがれつつ時間潰しをすること、期待しながら不安を抱くこと、そんな背反する想いが「文化」というかたちへと醸成された。喫茶店はそんな「待ち合い」の場所だった。農民や漁師、そしてウェイター(まさに「待ち人」)といった「待つ」ことが仕事であるような職業があった。相撲でも囲碁でも「待った」できないという強迫がひとを苛んだ……。そんな光景もわたしたちの視野から外れつつある。
鷲田清一『「待つ」ということ』(角川選書,p.9)
◆ 列車は1本と数えるのがふつうだと思うけれども、1時間に1本しか来ないようなローカル線なら、その列車は1両(編成?)だったりもするだろうから、1台でもまあいいか。と、いつものように些細なことが気にはなったが、すぐに、万葉集や古今和歌集とは関係なく、歌謡曲にも待つことを歌った歌がいろいろあったなあ、と、アタマがそっちの方へと行ってしまった。
♪ あなたを待つの テニスコート
木立ちの中のこる 白い朝もや
天地真理「恋する夏の日」(作詞:山上路夫、作曲:森田公一)
♪ どれだけ待てばいいのですか
ああ 届かぬ愛を
CHAGE&ASKA「万里の河」(作詞・作曲:飛鳥涼)
♪ 私 待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが 振り向いてくれなくても
あみん「待つわ」(作詞・作曲:岡村孝子)
♪ 霧の中 あの女
いつまでも ほら待っている
五木ひろし「待っている女」(作詞:山口洋子、作曲:藤本卓也)
◆ さいしょの天地真理の歌を「待つことを歌った歌」の範疇にいれるのはむずかしいだろうが、思いついてしまったものはしかたがない。たとえば、ちょっと歌詞を変えて、「♪ あなたを待つの テニスコート / あなたが来るまで いついつまでも」とでもすれば、とても悲しい歌になってはしまうが、「待つことを歌った歌」の資格をじゅうぶんに得ることになるだろう。ついでに、CHAGE&ASKAの歌の「どれだけ待てばいいのですか」も「3分待てばいいのですか」に変えてしまおう。さらに、あみんの歌も「私 待つわ しばらく待つわ」に、五木ひろしのも「しばらく ほら待っている」に変えてしまおう。すると、どうなるか? ああ、すべての歌が台なしだあ! けれど、考えてみると、「しばらく」待つはずだったのが、事情が変わって「いつまでも」待つことになったり、「いつまでも」待つつもりだったのに、気が変わって「しばらく」しか待たなかったりすることは、よくあることだろう。もしかしたら、「しばらく」が百年になることなんてこともあるかもしれない。
◇ 百年たったら帰っておいで 百年たったらその意味わかる
◆ とは寺山修司のコトバだが、この100年というのが、ひとりの人間として待つことのできる最大の数字だろう。人間はせいぜい100年しか待つことができない。だから、弥勒菩薩が帰ってくるのをじっと待つことは難しい。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。
◇ 弥勒菩薩って役立たず? 弥勒菩薩って、お釈迦様が入滅した後、56億7000万年後にこの世に現れ衆生を救済してくれる菩薩様・・・なんでしょ? でも50億年後には太陽が死んでしまって地球も滅びるのよね・・・間に合わないじゃない! 違う?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011570995
◆ そりゃ、そうかも。じゃあ、宇宙戦艦ヤマトにでもすがることにするか。ちなみに、イスカンダル星までの距離は148000光年らしい。どうも、ハナシがへんなふうに逸れてしまう。
◇ 「行っちまったよ」と、マックダンは言った。「海の底へ帰っちまった。奴もいい勉強をしたものさ。この世界じゃ、どんな相手でも、あんまりふかく愛しちゃいかんということをな。海の底の底へ帰って、奴はまた百万年ほど待つだろう。ああ、かわいそうだな! 奴は待つ、ひたすら待つ。人間どもは、このちっぽけな惑星の上で、右往左往する。それでも奴は待つ。ひたすら待つ」
レイ・ブラッドベリ「霧笛」(『太陽の黄金の林檎』所収,小笠原豊樹訳,ハヤカワ文庫,p.22)