MEMORANDUM

  造り酒屋の息子

◆ 海老蔵がこんな質問。

◇ 私はいつも親から「成田屋の子なんだから」みたいなことをよく言われます。あと、地域中で「いいとこの子」と言われるんですが、成田屋の子ってそんなすごいことですか? 自分は全くわかりません。教えて下さい。

◆ いや、したらおもしろいな、と思っただけで。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

◇ 私はいつも親から「造り酒屋の子なんだから」みたいなことをよく言われます。あと、地域中で「いいとこの子」と言われるんですが、造り酒屋の子ってそんなすごいことですか? 自分は全くわかりません。教えて下さい。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1031200760

◆ 造り酒屋の息子でワタシが知っていたのは、まず内田百閒(「牛を貰う」)。それから、画家の竹久夢二、植物学者の牧野富太郎。婿養子ではあるが、江戸時代の測量学者・伊能忠敬。と、まあこれくらいだったのだが、おともだちの rororo さんのブログを読んでいたら、

〔忍法火遁の術〕 常滑市に入ったらここの案内看板を見つけたので行ってみました。海を目の前にした小鈴谷というところに「ねのひ」の酒蔵。味噌、醤油でも有名な盛田というのは、実は…

この人の実家だったんですね。
rorobird.exblog.jp/15527093/

◆ とあって、ああ、このひとも造り酒屋の息子だったのか!

〔モリタフーズ株式会社〕 世界のSONY。その創始者である故盛田昭夫氏が、実は造り酒屋の長男として生まれていたことをご存知でしょうか? 昭夫氏は、名古屋の南方、小鈴谷の地に350年以上続く盛田酒造の15代目として生まれ、家業である酒、味噌、醤油の製造を覚えながら育ちました。

◆ あと、政治家にも造り酒屋の息子が多いようで、首相経験者だけでも、岸信介・佐藤栄作兄弟、池田勇人、竹下登らがいる。神一行『閨閥』から関連した記述を抜き出すと、

〔岸信介・佐藤栄作兄弟〕 当時、佐藤家は造り酒屋だった。だが、その家業は兄弟が中学に進む前にこうじを腐らせてしまって倒産している。いわば“武家商法”の放漫経営だったらしいが、
神一行『閨閥 改訂新版』(角川文庫,p.69)

〔池田勇人〕 生家は広島県の銘酒「豊田鶴」の醸造元で、父は吾一郎、母はうめ、その二男五女の末っ子である。
 生家が造り酒屋というのは、当時の政界進出者の一典型で、地元では素封家ということになる。

Ibid.,p.80

〔竹下登〕  竹下の父・勇造は、出雲の素封家竹流家からの婿養子だが、掛合村長、島根県議などを務めた地元の有力者。竹下はその一人息子だった。
 母は唯子という。たいへん進歩的な人だったようで、当時、松江中学の教師をしていたマルキストの福本和夫の影響を強く受け、先祖代々つたわっていた「日の出正宗」という酒の名前を「大衆」という名に変えてしまい、二級酒しか造らせなかったという人である。

Ibid.,p.186

◆ あ、ひとり忘れてた。宇野宗佑。

〔京都新聞(2009/11/20)〕 守山市は20日、故宇野宗佑元首相の生家で、旧中山道守山宿の跡にある造り酒屋「宇野本家」(同市守山1丁目)の土地と建物を取得し、一帯の歴史や文化を巡る歴史回廊ネットワークの拠点とすると発表した。
www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009112000224&genre=I1&area=S00

◆ 首相経験者以外では、たとえば、金丸信。中沢新一の記憶によれば、

◇ 当時売り出し中の政治家のK(この男はのちに副総理にまでのしあがって、日本の政治に巨大な禍根をもたらすことになる)の経営するその葡萄酒工場は、なぜか生暖かい芋滓の匂いのする大量の工場排水を、早朝定時になるといっせいに農業用の水路に流し込むのだった。
中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書,p.111)

◆ あと、谷垣専一(谷垣禎一の父)とか。玄葉光一郎とか。

◆ 《Wikipedia》に「造り酒屋出身の著名人一覧」の項目があったが、現在は削除されている。いまのところ、《goo Wikipedia》では閲覧可能。

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