MEMORANDUM

  中野重治のドッペリ小説

ドッペ・る [動ラ五]《(ドイツ)doppelt(2倍の、の意)の動詞化》落第する。ダブる。昔、学生の間で用いられた語。
「それゃあ―・るときまったから考えたんだけどね」〈中野重治・歌のわかれ〉

小学館「大辞泉」

◆ 以前、「ドッペリ」というハナシを書いたが、そのさいに、「大辞泉」で「ドッペる」を引くと、中野重治の『歌のわかれ』からの引用があったので、読んでみた。読んでみると、「ドッペる」の例文として、この小説からの一文を引いているというのは、なかなか見事な選択であるように思われた。『歌のわかれ』というのは、かんたんに言うと、主人公も友人もみな落第してしまう「ドッペリ小説」なのだった。

◇ おりゃ考えたんだよ。それゃア、ドッペるときまったから考えたんだけどね。とてもおれにゃ、医者なんかにゃなれないよ。今んとこ文学をやろうと思ってもないけどもね。とにかく、医者にゃア向いてないんだ。
中野重治『歌のわかれ』(『村の家・おじさんの話・歌のわかれ』所収,講談社文芸文庫,p.210-211)

◆ とは、主人公・片口安吉の友人、鶴来金之助のセリフ。舞台は旧制四高のあった金沢。

◇ 「ふむ。」と安吉は答えた。彼等は、香林坊の交番前からブラジルの前を通って、いつか桐山に出逢った瀬戸物屋のへんを武蔵ヶ丘の方へ歩いて行った。
Ibid., p.211

◆ 上は、1年前に仕事で金沢に行ったときの写真。(左)香林坊、(右)旧四高本館。「カッフェー・ブラジル」はどうなったか、しらない。

◆ どうでもいいけど、このように『歌のわかれ』の文章と自分で撮った写真を組み合わせてしまえば、おそらく十年も経てば、ワタシの記憶の順序は、『歌のわかれ』を読んでから金沢を訪れたことになっているだろうなと思う。デタラメに目にしたものすべてを写真に撮っておくことは、いろいろと役に立つ。より正確を期すなら、『歌のわかれ』を読んだのも、今回がはじめてではない。大学の日本文学の授業で、この作品が取り上げられていたので、そのときに読んでいるはずだが、まるで記憶にない。金沢を訪れたのも、1年前が最初ではない。母方の実家が富山にあったので、帰省の途中になんどがか立ち寄っているはずだ。

◆ ちなみに、作者の中野重治は四高で二度もドッペったそうだ。

〔ウラ・アオゾラブンコ:石堂清倫「学校のころの中野重治」〕 まだ中学生の一九一八年の秋に、中野という人が全国最高の成績で四高に入学したという話をきいた(そのころは官立の大学と高等学校は九月入学で、四月入学にかわつたのは一九二〇年である)。この話はこのごろ当の本人が打消しているから、正確でないのかもしれないが、秀才は一高に集中するという通説にあきたらないわれわれ田舎の生徒には、中野首席説は胸のすくような快挙として、本当のことだと思いたいという「真実性」がある。その有名な優等生が、酒をのむとか文学をやるとかいう噂であり、翌年は一転して落第したので、ますます有名になつた。私が二年あとに高校に入つてみると、その人は長髪を肩まで垂らして闊歩していた。冬になると(なつても?)夏服をきていた。雪の金沢では、こうした挙措や風貌が一種の中野伝説に輪をかけた。多くの人は畏敬の気持をいだいて「中野さん」と呼んでいた。本人がべつに気負つているわけでなかろうけれども、生徒たちには、凡俗をよせつけない人という印象があり、教師のなかにも、彼には一目をおく風があつた。おまけに五年も在学したから、普通の人の何倍も知名度がたかく、金沢以外の中学校でも中野は有名人であつた。
uraaozora.jpn.org/nakano.html

◆ 以下は、中野重治とは関係なく、「ドッペる」にかんする蛇足的引用。

〔北大用語集〕 ドッペる…留年すること。語源はドイツ語のドッペンゲンガーらしい。自分と同じ人に会う=同じ経験を二回する=留年するという意味らしい。ドッペる人のことをドッペラーという。
www3.plala.or.jp/shotaro/hokudai/hu-words.htm

◆ 「ドッペる」の語源は、もちろん「ドイツ語のドッペンゲンガー」ではないが、そのあとのこじつけ気味の「理屈」がややおもしろい。自信なさげな「らしい」の繰り返し(つまりドッペリ)も悪くはない。願わくば、この学生が「ドッペラー」になっておられないことを。あるいは、二度ドッペって、中野重治のような「有名人」になっておられることを。

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