MEMORANDUM

  ドッペリ

◆ 新潟市内に「ドッペリ坂」というのがある。ドンペリではなく、ドッペリ。説明板によると、

◇  かつてこの坂の上には、旧制新潟高等学校(1919年)やその後の新潟大学がありました。
 “六花寮”という学生寮が正面にあり、大志を抱き、青春を謳歌する弊衣破帽の学生達が、古町などの繁華街を通う近道としてこの坂をさかんに利用していました。
 あまり坂を往来し、遊びの度がすぎると落第するぞという戒めの意から、ドイツ語のドッペルン(doppeln:二重にするという意)と洒落て「ドッペリ坂」と名づけられました。ちなみにこの坂の階段は、及第点の60点に1つ足りない59段でつくられています。

◆ 英語による説明もあるので、ついでに。

◇ The Dopperi Zaka means the "faillure slope" which comes from a German word, doppeln : double. Niigata University used to be located at the top of the slope and its dormitory "Rikka Ryo" was just at the edge. This slope was a short cut for students to go downtown to Furumachi. Those who used the slope too often would be in danger of falling their examinations. The number of the stairs are 59 which is one point shy of the 60 points needed for a passing grade. So they named it "Dopperi Zaka".

◆ この説明は(日本語も英語も)すこし誤解を招くかもしれない。順序としては、まず先に落第・留年を意味するドイツ語由来の「ドッペリ」という学生スラングがあった。ついで、この坂が「繁華街」(古町は花街として有名)に通じていることから、自然発生的に学生のあいだで「ドッペリ坂」と呼ばれるようになった(ということなのだろう)。よくは知らないが、階段の数が「及第点の60点に1つ足りない59段」であるのは、後年この坂を整備するさいに、あえてそうなるように作ったからで、当時からそうだったわけではない(だろう、と推察)。「ドッペリ」というコトバが使われていたのはなにも新潟にかぎらない。全国各地の旧制高校で、この俗語は使われていた。たとえば、旧制松本高校の学生だった北杜夫も、卒業直後に松本を再訪したときの印象を、こう書いている。

◇ 懐かしい町はひとしお小さく、家々の軒も低まってしまったよう見えた。むかし小料理屋が並んでいたため落第(ドッペリ)横町と名づけられた小路、唯一の大通りである縄手、浅間の風呂、どこもかしこもどうしようもない痛切な懐かしさにつながっていた。
北杜夫『どくとるマンボウ青春記 改版』(中公文庫,p.180)

◆ ドッペリ坂にドッペリ横町。探せばほかにもいろいろとあるだろう。――と思って探したら、あった。旧制四高(金沢)にドッペリ松。

〔北國新聞(2009/08/04) 「大槻伝蔵の生首」など旧制四高に伝わる怪談を、同校の寄宿舎「時習(じしゅう)寮」で新寮生を迎えた際、上級生が披露していた怪談会が7日、金沢市の石川四高記念文化交流館で約60年ぶりに復活する。演じるのは旧制四高の後身である金大生ら7人。学生らは当時の寮生活に思いをはせ、熱心にけいこに励んでいる。〔中略〕 本番では、旧制四高の敷地に「加賀騒動」の中心人物大槻伝蔵の屋敷があったことから、伝蔵の没落を見守ったとされる「ドッペリ松」の近くで伝蔵の生首を見たという話など、現存する原稿12話のうち7話を、学生が黒装束で披露する。
www.hokkoku.co.jp/subpage/OD20090804501.htm

◆ ドッペリ坂にドッペリ横町にドッペリ松。この「ドッペリ」には動詞もあって、その「ドッペる」は辞書にも載っている。

ドッペ・る [動ラ五]《(ドイツ)doppelt(2倍の、の意)の動詞化》落第する。ダブる。昔、学生の間で用いられた語。
小学館「大辞泉」

ドッペ・る (動ラ五) 〔補説〕 ドイツ語 doppeln(二倍にする、の意)から作った学生語 落第する。留年する。ダブる。
三省堂「大辞林」

◆ いまの学生なら、ドイツ語ではなく英語で「ダブる」というところだろう。進級試験に落第した結果、原級に留まり、同じ学年を二度繰り返すことが、ドッペる(ダブる、留年する)。いや、いまは「ダブる」でさえ使わないのかも。

◇ 東大の定期試験は優・良・可・不可の4段階で評価される。不可とは落第のことで、いまの東大生は不可をとることを「不可る」という。しかし戦前から戦後まもなくの学生は、「不可る」ではなく「ドッペる」といった。ドイツ語のdoppelt/doppeln(英語でいうダブル)にかけているのだ。だったら英語のダブルをつかって「ダブる」といえばいいものを、わざわざ彼らはドイツ語っぽくしたのだった、落第したくせに(笑)
blog.livedoor.jp/todai_guidance/archives/51635356.html

◆ でも「不可る」とはなんだか語感がイマイチ。それに、「優・良・可・不可」というのはあくまでも個別の科目試験にかんするコトバであって、進級に直接むすびつくわけではないから、「ドッペる」のように留年するという意味では使えないだろう。『どくとるマンボウ青春記』から、もうひとつ。松本での寮生活。

◇ 西寮では「コックリさん」が流行した。紙にイロハを書き、一本の箸を何人かで持って、
「コックリさま、コックリさま、お出でになりましたでしょうか。学期末の試験では誰と誰が落第(ドッペ)るでしょうか、お教え願います」
 などと真剣にやっている光景は、どうしても尋常なものとはいえなかった。
 挙句の果て、その下級生はうつろな顔をしてこう報告した。
「まず◯◯さんがドッペります。総務委員長がそれでは、あとは軒並総討死ですな」

北杜夫『どくとるマンボウ青春記 改版』(中公文庫,p.110)

◆ コックリさん! これなら旧制高校の学生にかぎらず、懐かしく思い出すひとも多いだろう。はたして今の子どももやっているのかどうか。

◆ ドイツ語はさっぱりなので、ドッペリ(あるいは、ドッペる)の由来が doppelt なんだか doppeln なんだかよくわからないけれども、獨協医科大学ドイツ語学教室の先生(寺門伸)の「語学エッセイ(31):「ダブル」と doppelt」を読んだりもした。

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