◇ 何度も引いている話だが、『どくとるマンボウ青春記』の中に、北杜夫がトーマス・マンに心酔していたころに、仙台の街を歩いていて「ぎくり」として立ち止まるという話がある。どうして「ぎくり」としたのか知ろうとしてあたりを見回すと、酒屋に「トマトソース」という看板がかかっていた、という話である。 ◆ という文章を読んだので、『どくとるマンボウ青春記』も読んでみた。 ◇ あるときは、仙台の東一番丁の大通りを歩いていて、だしぬけにぎくりとして立止った。なぜ自分がぎくりとしたのか、瞬間わからなかったが、周囲を見まわしてみて、その理由が判明した。すぐ前の店に、こういう貼紙か看板が出ていたのである――「トマトソース」 ◆ 看板(か貼紙)の「トマトソース」という文字を、とっさに「トーマス・マン」と読んでしまっていた、というこのエピソードは、たいへんに興味深いので(そのうち)じっくり考えることにして、とりあえず気になってしまったのは、些細なことだが、この「トマトソース」の看板があった場所のこと。内田樹は「酒屋」と書いているが、北杜夫本人は「すぐ前の店」としか書いていない。べつなところではっきり「酒屋」と書いているのかもしれないが、おそらくは、内田樹が、トマトソースを売っているのは酒屋であろうと「ごく自然に」判断し、「すぐ前の店」を説明的に補完して「酒屋」と書いたのだろうと思う。 ◆ ワタシはトマトソースを酒屋で買ったことがない(スーパーで買う)。ソースも醤油も買ったことがない(スーパーで買う)。そもそも酒以外のものを買った記憶がない(スーパーで買う)。いやあるかな。つまみとかお菓子とか。あとはなにが売っているのだったっけ? というような具合なので、もし内田樹の文章を読まずに北杜夫の文章を先に読んでいたら、「トマトソース」の看板が掲げてあった「すぐ前の店」は「すぐ前の店」のままで、それが何屋か気にすることもなく、それが「酒屋」であることに気がつきもしなかっただろう。 ◆ 《Wikipedia》の「酒屋」の項を読むと、 ◇ 明治時代以降は、町中で諸方面の商品を扱うよろずや的な要素を高めていき、人々の生活と切っても切り離せない存在となった。酒屋の若い店員が各家庭に御用聞きといって、その日に必要な食料や日用品を注文を聞いて回り、あとから宅配するというサービスも一般的に行なわれていた。 ◆ そうそう、酒屋にもいろいろあるけれど、酒屋といえばそんなイメージ。昔ながらの酒屋さん。とはいえ、ワタシにはほとんどなじみがない。 ♪ 角の酒屋のオヤジともすっかり ◆ 酒屋のオヤジか。この歌詞の酒屋の屋号が「かどや」であれば、なおいい。 ◆ 冒頭の内田樹の文章は、本人のブログ《内田樹の研究室:朝の読書》でも読める。 |
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