MEMORANDUM

◆ 「大徳寺前の灸しちくやいと」と書かれた看板の「し」の字を見て、あるいは、「しもせやはし」と書かれた橋の銘板の「し」の字(ふたつある)を見て、またあるいは、「食堂しげみつ」と書かれた看板の「し」の字を見て、

◇ いいなあ、この「し」の字は。

◆ と思ったひとも、なかにはいるかもしれない。上に点を打ったような字体の「し」。

◇  それにしても、この「し」の字は懐かしい。
 ほら、「おもてパン屋でうらめしや」のあの「めしや」の「し」の字だと、もってまわった言い方で、今度は小学生の娘には話したら、「めしやって、ごはんだけでるの?」と聞き返された。たまには古典的「めしや」にも連れていかねば。

木下直之『ハリボテの町 通勤篇』(朝日文庫,p.54)

◆ なるほど、この「し」の字はたしかに懐かしい。それと同じく、古典的「めしや」もまた懐かしい。

◆ どこか似ている。

◆ 電気屋の看板に描いてあるのは、(「少年アシベ」のアザラシの)ゴマちゃんだと思った。近づいてよく見ると、ゴマちゃんではなくて、パラボラアンテナの絵だった。

◆ そんなことがあったので、パン屋でクマの顔をしたクリームパンを買ったときに、ちょっと不安になった。ひょっとして、これはクマではないのではないか?

◆ どこが似ている?

◆ 「神社前」というバス停の前に、ちゃんと神社があった。諏訪神社。あたりまえのことかもしれないけれど、ちょっとうれしい。

◆ 「碍子工場前」というバス停の前に、ガイシ工場はもうなかった。ちょっとかなしい。おまけに、このバス停に停まるバスももうない。つまりは、目の前の「碍子工場前」というバス停自体がもう存在していなかった。見たのは、バス停ではなくバス停跡だった。

◆ 「吉井駅前」というバス停は、駅とバス停のあいだにほとんど距離がなかった。あまりに駅に近すぎて、これでは「駅前」というより駅の一部そのものではないか、と思った。

◆ 「◯◯前」という名のバス停と◯◯との距離は、近すぎてもならず遠すぎてもならず、けっこう微妙な感覚に支えられているのだろう。

◆ 「病院前」というバス停は、病院とバス停のあいだにほどよい距離があって、これこそ「◯◯前」と呼ぶにふさわしいバス停だと思った。

◆ 「稲荷前」というバス停はどこにあるのだろう。このバス停で、ひとはバスではなくトトロを待っている。先日見たバス停は「稲荷坂」だった。ネットを使えば、すぐに全国各地の「稲荷前」を探し出すことができるだろうが、そういう無粋なことはしないでおいて、いつかたまたま出会いたい、稲荷前バス停にもトトロにも。

◆ 「みずき」という船がある。近ごろ話題の海上保安庁の巡視船。石垣海上保安部(第十一管区)所属のPS型。名の由来は知らない。《Wikipedia:巡視船》によると、PS型巡視船の船名は山の名から取られることが多いとのことだから、「みずき山」という山がどこかにあるのかもしれないが、よくわからない。ただ、まちがってもハナミズキには由来していないだろうと思う。

〔Wikipedia:びざん型巡視船 (2代)〕 本来、巡視船艇の船名は転属に伴って改名されるが、九州南西海域工作船事件に従事した7番船のみずきはその功績から例外として転属後もその名を留めている。みずきは尖閣諸島中国漁船衝突事件にも従事している。
ja.wikipedia.org/wiki/びざん型巡視船 (2代)

◆ 「九州南西海域工作船事件」当時、「みずき」は福岡海上保安部(第七管区)所属の船だった。

〔Wikipedia:九州南西海域工作船事件〕 九州南西海域工作船事件(きゅうしゅうなんせいかいいきこうさくせんじけん)とは、2001年(平成13年)12月22日に発生した不審船追跡事件のひとつ。不審船は巡視船と交戦の末、自爆し、自沈している。後の調査により北朝鮮の工作船であった事が確定し工作船事件と呼称を変えた。
ja.wikipedia.org/wiki/九州南西海域工作船事件

◆ 正直なところ、こんな事件があったことすら知らなかった(あるいは、知っていたかもしれないが、すぐに忘れてしまった)。ただ、数年前、横浜赤レンガ倉庫あたりをぶらついていたときに、「工作船展示館」と書かれた建物が目に入り、ちょっと気になったので、入って見たことがあった。そのとき、これも正直なところ、入るまえに「工作船」というコトバでイメージできたのは、小学生が学校の授業かなにかで「工作」して作ったおもちゃの船のたぐいでしかなかったから、この展示館に入って北朝鮮の本物の「工作船」を目の当たりにしたときには、かなりたまげた。この展示館の正式名称は《海上保安資料館横浜館》

◆ 海上保安庁にとくに関心があるわけではない。しばらく前に流行った『海猿』というテレビドラマも見たことがない。なんの関心もなくても、たまたま写真に撮っていたりもすることがあって、そのことをなんとなく思い出して、その写真を引っだしてみた。巡視艇「まつなみ」。

〔海鷲の末裔〕 「まつなみ」は通常は航路哨戒や警備救難任務を行うPC型巡視艇であるが、国内外のVIPに対する迎賓艇としても使用される。〔中略〕 迎賓艇として使用する為の貴賓室や会議室も設置されている。一見すると大型プレジャーボートの様な外観をしている。
island.geocities.jp/torakyojin88/matsunami.html

◆ 「迎賓艇」というコトバをはじめて知った。

  ミズキ

◆ ミズキという木がある。

◇ 枝をきると水が出るのでこの名があります。冬の枝は赤く色づき、ダンゴ木といって正月のモチかざりにします。あれ地にまっさきに生えます。(ミズキ科)

◆ 水木というひとがいる。たとえば、『ゲゲゲの女房』の夫の水木しげる。これはペンネーム。

〔Wikipedia:水木しげる〕 ペンネームは、紙芝居作家時代に、当時経営していたアパート「水木荘」から周りに名付けられた。〔中略〕 募金旅行の途中で立ち寄った神戸市兵庫区水木通のアパートで家主に持ちかけられた話に乗り、借金の肩代わりを条件にこのアパート「水木荘」を譲り受け、貸家経営を始める。アパートの住人に紙芝居作家がいたことから、紙芝居の語り手として名人だった鈴木勝丸の阪神画報社に所属し、また加太こうじを紹介され、紙芝居作家として作品を描く。ペンネームの「水木しげる」は、鈴木が本名を覚えてくれず、いつまで経っても「水木さん」「水木さん」と自身を呼ぶため、それに従ってつけた。
ja.wikipedia.org/wiki/水木しげる

◆ 本名は武良茂(むらしげる)。この水木荘のそばにミズキが生えていたかどうかは知らない。ついでに、アニメソング歌手・水木一郎の芸名の由来も知らない。

◆ 一青窈の「ハナミズキ」の歌詞に、

♪ 母の日になれば
  ミズキの葉、贈って下さい

  一青窈「ハナミズキ」(作詞:一青窈、作曲:マシコタツロウ)

◆ この「ミズキの葉」というのは、もちろんハナミズキの葉のことだろうが、ハナミズキをミズキと略して呼ぶことには少し抵抗がある。ミズキにすこし悪い気がする。マラソン選手・野口みずきの「みずき」はハナミズキのことであるそうだ。

〔Wikipedia:野口みずき〕 名前の由来は落葉高木のハナミズキから。2004年年末恒例のの第55回NHK紅白歌合戦では特別審査員として出演(一青窈が「ハナミズキ」を歌う際、紅組司会の小野文惠アナウンサーは曲紹介で、野口の名前の由来である事については一言も述べなかったが、間奏部分では画面に野口のアップが映された)。
ja.wikipedia.org/wiki/野口みずき

◆ まあ、「野口はなみずき」では語呂が悪いだろうけど。そのうち、ミズキといえば、もっぱらハナミズキのことを指すようになるのかもしれない。いや、もうすでにそうなっているのか?

◆ さいきんネコの写真を撮ってないな、とふと思ったのが昨日だった。そしたら今日はネコが二匹もお出まし。なんとも愉快愉快。

◆ 2005年7月10日、港区麻布十番。

◆ このときは、まだ麻布十番温泉があった。2008年3月31日に廃業。

日経トレンディネット(2008/03/27)〕 2008年3月31日、都会のど真ん中にある名物温泉、「麻布十番温泉」が約60年の歴史に幕を下ろし静かに姿を消す。施設の老朽化や、従業員の高齢化、客足が最盛期の3割ほどに減ったことなどを理由に3月いっぱいで廃業することが決まったのだ。
 1949年に開業した「麻布十番温泉」は、戦後、間もなく空襲で被害を受けた銭湯を、現在の経営者である平岡久枝さんの父親が買い取り、そもそもは銭湯としてスタートした。ところが、戦後の水道事情の悪さと水不足に困り果て井戸を掘っているうちに、地下500メートルから偶然にも温泉が湧き出した。

◆ たいやきの浪花家総本店。このときは、まだ旧店舗だった。

ZAKZAK(2010/05/07)  たい焼き売り上げ世界一の老舗店「浪花家総本店」(東京・麻布十番)会長で、大ヒット曲「およげ! たいやきくん」のモデルとなった神戸守一(かんべ・もりかず)さんが5日、前立腺がんのため亡くなっていたことが分かった。86歳。
 神戸さんは、たい焼きを初めてこの世に送り出した同店の3代目として、15歳のときから70年以上たい焼きを焼き続けた名物店主。コック帽にちょうネクタイ姿が話題となり、1975年には「およげ-」のモデルになったことから一躍全国区の人気になった。