MEMORANDUM

◆ ちょっとまえに紹介した、黒井千次「子供のいる駅」。この短篇ははじめ、『問題小説』1975年9月号に掲載。のち、短篇集『星からの1通話』(講談社)に収録。そのほか、いくつかのアンソロジーにも収録されている。ワタシが読んだのは、カッパノベルス版(鮎川哲也編『急行出雲』)だったが、今回読みなおしてみようと思って、近くの図書館の所蔵を調べたら、阿刀田高編『日本幻想小説傑作集Ⅰ』と加藤幸子編『兎追いし日々』のふたつが見つかって、どちらにしようかと迷ったすえに、両方借りてきた。以下、「子供のいる駅」を含む本の収録作品リスト。こうしたリストをながめているのも愉しい。

◆ (1)黒井千次『星からの1通話』(講談社,1984;講談社文庫,1990)

◇ 「幸せな日々」「朝の出来事」「まじめな人たち」「遙かな電話」「人違い」「独りの部屋」「幸せな夜」「帰る場所」「ある来訪者」「妻の休暇」「水音」「老女と自転車」「盗まれた男」「留守番」「夜の贈り物」「ハッピー・バースデー」「早い知らせ」「雨の日に」「乾いた手」「三度目の?」「ドアの前で」「迷子の行方」「危険な遊び」「禁じられた生活」「待合室の女」「彼の贈り物」「鍵がない…」「遺失物」「淋しい人々」「急ぐ女」「よく効く薬」「妻の自由」「ある反逆」「もういいかい?」「静かな夜」「隠れ傘」「地下に置かれた車」「待っている人」「電話ボックスにて」「終電車にて」「夏の終り」「深夜のたくらみ」「落し主」「おかしな仕事」「なにも知らない」「寒い夜」「ある年男の話」「待つ」「五番テーブル」「走る女」「幸せな血」「別れる女」「百人目」「赤い手帳」「見えない隣人」「あるテープの話」「独り住まい」「長い午後」「画廊の絵」「見えない樹木」「尖った屋根」「字を読む子供」「夜の販売機」「銀色のテープ」「マリの自画像展」「真夜中のニュース」「不幸な誕生日」「真夜中のアンケート」「磨く男」「白い一本の線 」「夢のタネ」「大人遊び」「日曜日の隠れんぼ」「子供のいる駅」

◆ (2)鮎川哲也編『急行出雲 鉄道ミステリー傑作選』(カッパノベルス,1976;光文社文庫,1986)。

◇ 芥川龍之介「西郷隆盛」、江戸川乱歩「一枚の切符」、成田尚「夜行列車」、本田緒生「街角の文字」、覆面作家「夜行列車」、丘美丈二郎「汽車を招く少女」、渡辺啓助「悪魔の下車駅」、鮎川哲也「急行出雲」、高城高「踏切」、小隅黎「磯浜駅にて」、河野典生「機関車、草原に」、森村誠一「剥がされた仮面」、大西赤人「ある崩潰」、黒井千次「子供のいる駅」、夏樹静子「特急夕月」、天城一「急行《さんべ》」

◆ (3)阿刀田高編『日本幻想小説傑作集Ⅰ』(白水Uブックス,1985)。

◇ 筒井康隆「佇むひと」、中島敦「山月記」、五木寛之「白いワニの帝国」、五木寛之「老車の墓場」、小川未明「金の輪」、江戸川乱歩「押絵と旅する男」、安部公房「人魚伝」、小松左京「くだんのはは」、赤江瀑「春泥歌」、神吉拓郎「二ノ橋柳亭」、笹沢左保「老人の予言」、都筑道夫「かくれんぼ」、眉村卓「トロキン」、黒井千次「子供のいる駅」、芥川龍之介「魔術」

◆ (4)加藤幸子編『兎追いし日々』(〈光る話〉の花束7,光文社,1989)。

◇ 谷崎潤一郎「小さな王國」、久生十蘭「母子像」、梅崎春生「遠足」、日野啓三「天窓のあるガレージ」、黒井千次「子供のいる駅」、山田詠美「こぎつねこん」、江國香織「草之丞の話」、加藤幸子「翡翠色のメッセージ」、芥川龍之介「蜜柑」、岡本かの子「鮨」、小川未明「金の輪」、泉鏡花「龍潭譚」、P.ルイス「書庫の幻」(生田耕作訳)、J・ルナール「にんじん(抄)」(岸田國士訳)、M・トウェーン「感心な少年の物語」(鍋島能弘訳)、L・フィリップ「火つけ」(淀野隆三訳)、C・マンスフィールド「パール・バトンが盗まれた話」(黒沢茂訳)、G・グリーン「双生児」(瀬尾裕訳)、W・サローヤン「猫」(吉田ルイ子訳)、R・ブラッドベリ「歓迎と別離」(小笠原豊樹訳)、C・エイケン「ひそかな雪、ひめやかな雪」(河野一郎訳)、L・クレジオ「アザラン」(豊崎光一・佐藤領時訳)

◆ (5)日本ペンクラブ編(西村京太郎選)『鉄路に咲く物語 鉄道小説アンソロジー』(光文社文庫,2005)。

◇ 芥川龍之介「蜜柑」、浅田次郎「青い火花」、綾辻行人「鉄橋」、北村薫「夏の日々」、黒井千次「子供のいる駅」、志賀直哉「灰色の月」、西村京太郎「殺人はサヨナラ列車で」、宮本輝「駅」、村田喜代子「鋼索電車」、山本文緒「ブラック・ティー」、E・ヘミングウェイ「汽車の旅」(高見浩訳)

◆ いま、(3)の白水Uブックスを読んでいる。筒井康隆「佇むひと」や安部公房「人魚伝」などがおもしろい(というか、おそろしい)。そういえば、むかしは、こういったアンソロジーが好きで、よく読んだものだった。

◆ (4)の目次には「L・クレジオ」とあるが、これはないだろう。目次以外では、すべて「ル・クレジオ」と表記されている。

◇  徳山の町の、あれは雑貨屋さんだったかなぁ。棚に樟脳の箱みたいなのが並んでいて、そのレッテルにヒゲもじゃもじゃの鍾馗(しょうき)さんが描かれていたんです。よく見ると、鍾馗さんが手にもっている箱にも小さな鍾馗さんがいて、やっと見えるくらいの箱を手にしている。ということは、その箱にも目に見えないくらい小さな鍾馗さんがいて、もっともっと小さな箱をもってるんじゃないか。そう思ってガラス戸に顔を押しつけるようにして見入ってました。
 箱にじいっと見入っていると、無限に小さくなっていく鍾馗さんの列が見えるような気がしてね。やっぱり世界じゅうがシーンとしてくるような、胸が痛くなるような、不思議な光景でした。

まど・みちお『いわずにおれない』(集英社be文庫,p.79)

◆ 鍾馗の写真ならあるが、まどさんが食い入るように見つめていた樟脳の箱の鍾馗の写真はない(どこかにないだろうか?)。このような無限に連続する視覚的効果をドロステ効果(Droste effect)という。

〔wikipedia:ドロステ効果〕 名前の由来はオランダのドロステ・ココアのパッケージからである。尼僧が持っている盆の上に、ココアの入ったコップと一緒にドロステ・ココアの箱が乗っていて、その箱の絵には、コップとドロステ・ココアの箱が乗った盆を持つ尼僧が描かれている。この絵柄は1904年に始まり、長い間使われ、家庭ではおなじみのものになった。
ja.wikipedia.org/wiki/ドロステ効果

◆ 以下の引用には「レースの帽子をかぶった田舎娘の絵」とあるが、おそらくおなじものだろう。

◇ 「ぼくが無限の観念と初めてぴったり触れ合ったのは、オランダの商標のついた、ぼくの朝食の原料であるココアの箱のおかげだ。この箱の一面に、レースの帽子をかぶった田舎娘の絵が描いてあったのだが、その娘は、左手に同じ絵の描かれた同じ箱をもち、薔薇色の若々しい顔に微笑を浮かべて、その箱を指さしていたのである。同じオランダ娘を数限りなく再現する、この同じ絵の無限の連続を想像しては、ぼくはいつまでも一種の眩量に襲われていた。理論的に言えばだんだん小さくなるばかりで、決して消滅することのない彼女は、からかうような表情でぼくを眺め、彼女自身の描かれた箱と同じココアの箱の上に描かれた、自分自身の肖像をぼくに見せるのだった。」
 ミシェル・レリスの告白の書『成熟の年齢』に出てくる、「無限」と題された、この作者の幼時体験と同じような体験を味わったことのある者は、おそらく私ばかりではあるまい。私は幼年時代、メリー・ミルクというミルクの罐のレッテルに、女の子がメリー・ミルクの罐を抱いている姿の描かれているのを眺めて、そのたびに、レリスの味わったのとそっくり同じ、一種の眩量に似た感じを味わったおぽえがある。キンダー・ブックという絵本の表紙には、子供が小さなキンダー・ブックを見ている絵が描いてあって、その小さなキンダー・ブックには、やはり同じ子供が同じキンダー・ブックを眺めている。これも私には、得も言われぬ不思議な感じをあたえる絵であった。

澁澤龍彦『胡桃の中の世界』(『澁澤龍彦全集15』所収,河出書房新社,p.203-204)

◆ 残念ながら、ワタシは、「鍾馗・樟脳」も「ドロステ・ココア」も「メリー・ミルク」も「キンダー・ブック」も見たことはないが、同種の眩量(めまい)に似た感覚なら味わったことがある。母親の三面鏡に頭をさしいれ、左右の鏡を閉じて、合わせ鏡をして遊んだ記憶ならたしかにある。

◇ たとえば、夕焼けの地平線に向かって電信柱が遠近法で並んでいたりするのを見て、涙がこぼれそうになるのは私だけじゃないですよね。子どもも大人も、誰だって心が震えずにおれません。それは、なぜなのか……。
まど・みちお『いわずにおれない』(集英社be文庫,p.81)

◆ 「私だけじゃないですよね」と書くことのできる「まど」さんがうらやましい。ワタシだって、こころの奥底では、いつもそうつぶやいているのだ。しかし、それを声に出して言う勇気がない。たとえば、電車の「まど」から、きれいな夕焼けが見えたときには、おなじ車両に乗り合わせたおおぜいの人たちと、かくも美しい世界をともに祝福したくなる。そうして、車内を見回したりもするのだが、ワタシのほかはだれも外を見ていたりはしない。

〔NHKスペシャル:ふしぎがり~まど・みちお 百歳の詩~〕 “最後の本物の詩人”と評されるまど・みちおさんが、平成21年11月16日、100歳の誕生日を迎えた。まどさんは、「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」「一ねんせいになったら」など戦後を代表する童謡の作詞をする一方で“誰でもわかることばで、誰もが見過ごしているいのちの不思議”を詩に表現し続け、1994年には児童文学のノーベル賞と言われる国際アンデルセン賞・作家賞を日本人として初めて受賞した。
www.nhk.or.jp/special/onair/100103.html

◆ 100歳!

◆ 上の引用の「NHKスペシャル」は残念ながら見ていないが、そのタイトルの「ふしぎがり」ということばが気にかかる。もちろん、「寒がり」「目立ちたがり」「恥ずかしがり」の「がり」だろうが、この「がり」は「狩り」だと考えることもできて、そうすると「不思議狩り」。

◆ 「トイレの神様」という歌が流行っているそうなので、ワタシもそれに触発されて、作ってみた(詩のみ)。小3のころからなぜだかおじいちゃんと暮らしてた少年の歌。タイトルは「風呂場の妖怪」。

♪ 風呂場には それは気持ちの悪い
  妖怪さんが出るんやで
  だけど毎日 キレイにしとったら さすがの妖怪の
  垢なめさんも よう出られへんのやで

◆ 売れんかな?

◇ また誰もいない夜とか、人がみな寝静まったあと、風呂桶や風呂場の垢をなめにくる妖怪を「垢なめ」とよんでいる。夜中にこっそりとこうした妖怪が来ては気持ちが悪いので、風呂桶をきれいに洗っておくように心がけたという。この垢なめの正体も見たものはないが、垢なめのアカから赤い顔をしていると人は想像して語り伝えた。
岩井宏実『暮しの中の妖怪たち』(河出文庫,p.139)

◆ 龍が出た池内紀『温泉旅日記』のあとに読んだのが、山口瞳『温泉へ行こう』。どちらもブックオフの105円本。さすがに龍は出てこないようだ。そのかわり、

◇ 僕は、当時野球部の選手であって、激しい運動に耐えていたから、中房から合戦小屋までなんか屁の河童、道中の苦しさなんか記憶に価するものではなかったのだ。
山口瞳『温泉へ行こう』(新潮文庫,p.47)


◆ 屁の河童。龍ではなくて河童が出てきた。ああ、そうだった。龍のまえには河童が気になっていたんだった。

◇ 河童ほど人々に親しまれ、もてはやされている妖怪はない。女児の断髪を「お河童」といい、泳ぎ上手のものを「河童」という。少しも気にかけないこと、平気なことを「屁の河童」という。寿司の中にも「河童巻き」というのがある。あれやこれや日常生活のなかで「河童」という言葉はよく使われているし、「祇園さんまでに池に入ると河童に肝を技かれてしまうぞ」といわれ、いろいろの河童噺が夏の季節感を盛り上げる。かつては河童の見世物もあったし、夏祭りに男児が河童の面をつけて遊び回る風もあった。
岩井宏実『暮しの中の妖怪たち』(河出文庫,p.35)

◆ 屁のかっぱ、おかっぱ、かっぱ巻き。それから、また「祇園さん」。河童は牛頭天王とどんなかかわりがあるのだろう? などなど、あれやこれやをすべて気にしていたら、キリがないから、とりあえず、「屁の河童」について。

へ‐の‐かっぱ【屁の河童】 なんとも思わないこと。するのがたやすいこと。「こんな仕事は―だ」
小学館「大辞泉」

〔日本語俗語辞書〕 屁の河童は木っ端の火(こっぱのひ)という慣用句からきている。木端(木の屑)の燃える火は火持ちしないことから、たわいもないこと・はかないことを木っ端の火といった。これが訛って河童の屁となり、更に転じて屁の河童となった。
zokugo-dict.com/29he/henokappa.htm

〔日本辞典〕 「屁の河童」は、「木っ端の火(こっぱのひ)」が訛って、「河童の屁」となり、さらに反転したもので、「河童」「屁」は当て字。「木っ端の火(こっぱのひ)」は、木っ端は簡単に火がつくことから、転じて、取るに足りないこと、簡単にやってのけることという意味が生じた。他に、河童の屁は、水中でするため勢いがないことからとする説もある。
www.nihonjiten.com/data/254405.html

◆ 「『河童』『屁』は当て字」という部分は疑問だけれど、まあ、そういうことなんだろう。それ以外は、とくに問題なさそう。つまりは、へのかっぱ。あさめしまえ。さあ、朝飯を食おう。

  天龍泉

◆ どうしてなのだろう? 「龍の夫婦」のことを書いたあとすぐに読み始めた文庫本に、また龍がいた。こういう「たまたま」はたいへん好きなのだが、出来すぎていて、ちょっと不安になる。まあいい、これはなにかの吉兆だろう。

◇  戦争中の辰年生まれ。クラスには龍一もいれば辰雄もいた。辰五郎などと威勢のいいのもいた。だいぶ前に引退した相撲の播竜山は郷土(くに)の名前とエトをとったシコ名で、たしか同郷同年生まれだったと思う。不器用な力士で、おっつけ一本槍、ひと場所だけ小結までいったが、根(こん)がなくなるとアッというまに幕下まで転落した。
 名前だけではない。ごく身近なところに多くの龍がいた。水汲みは子供の日課の一つだったが、ポンプの柄のところにうっすらとした絵模様をとって細長い龍がひそんでいた。「水を吐く」の意味をこめてだろうが、ちょっと油断するとすぐに水切れして悲鳴のような音をたてるばかり。毎朝、仏壇に御飯を供えにいくと、蓮の台(うてな)の横手から金箔づくめの龍がにらんでいた。 神社の境内で三角ベースの野球をしているとき、ホームラン性の当りが拝殿の軒端に突き出た龍の頭にぶつかってファールになり、味方をくやしがらせた。その神社の祭礼ともなると、取っておきの引き幕がもち出されたが、金糸銀糸もあざやかな龍があらわれ、ガラス製の目玉をきょろつかせていた。

池内紀『温泉旅日記』(徳間文庫,p.184-185)

◆ すこしは減ったかもしれないが、いまでも多くの龍がいるだろう。播竜山のかわりに朝青龍がいる、いや、もういないのだったか。子供の日課に水汲みはないかもしれないが、神社に行けば、龍が口から勢いよく水を吐き出しているだろう。ほかにはどこにいたっけな? などと考えながら、つづきを読む。

◇ どうしてこんなにもどっさり龍がいるのだろう? ひとつ、温泉にでもつかりながらとくと考えてみたい。
Ibid., p.185

◆ と、これは『温泉旅日記』という本だから、温泉のハナシになるのは仕方がない。ワタシも、急なことだから温泉には行けないけれど、「龍」の名をもつ銭湯に行ってとくと考えてみるのはどうだろう? なかなかいい思いつきなような気がする。善は急げ、ではさっそく出かけよう。目指すは「天龍泉」。なんと立派な名前だろう。そういえば、天龍という力士もいたっけな。プロレスに行っちゃったけど。

◆ 「平成の寺田屋事件」のつづき。

〔J-CASTニュース:龍馬ファンに衝撃 事件の舞台「寺田屋」に建て替え疑惑(2008/09/05)〕  「週刊ポスト」は2008年9月12日号で、「平成の『寺田屋騒動』」と題し、「寺田屋」が「レプリカ」ではないかという記事を載せている。京都・伏見にある寺田屋は、1866年、坂本龍馬が滞在中に幕吏に暗殺されかけた「寺田屋事件」で有名だ。館内には、襲撃を受けた龍馬が応戦、ピストルを発射した痕だろうと言われる弾痕や、刀痕が残っている。また、入浴中だった寺田屋の女将お登勢の養女・お龍(のちの龍馬の妻)が、龍馬に知らせるため、裸のまま駆け上がったと言われる階段もそのままだ。館内では、「この寺田屋は維新の舞台となった当時の船宿そのままでございます。これが現存することも珍しいことでございますが、この寺田屋の建物の中で歴史が作られたのでございます・・・」という音声解説が流れている。
 ところが同誌は龍馬に関する書籍を元に、寺田屋は1868年の戊辰の兵火(戊辰戦争・鳥羽伏見の戦い)で焼失していて、もとは現在の寺田屋東側にある庭に建っていたと推測する。さらに庭には「寺田屋遺址」と書かれた碑があり、地元の人は「東側の庭になっている別の場所に建っていたと祖父は話していました」と明かしている。にもかかわらず、「当時のまま」を謳うのは「食品偽装ならぬ『観光偽装』」ではないかとしている。

www.j-cast.com/2008/09/05026320.html?p=all

◆ この「疑惑」について、京都市の担当者はこう述べたそうだ。

◇ 「話を聞いたことはありました。しかし民間の建物だったことと、ご存知のように京都には神社、寺、文化財と星の数ほどの観光資源があり、市がすべて調査することはできません。各施設が責任をもって管理していただかないと」
Ibid.

◆ 「星の数ほどの観光資源」か。いや、まったくそうだろう。たとえば、寺田屋の前を通った次の日に訪れた千本釈迦堂にも、本堂の柱に「刀槍のきずあと」があったが、これは応仁の乱(1467~1477)のときにつけられたものだというが、これにたとえ疑惑があったとしても、もはや確かめようもないだろう。

◆ べつに京都にかぎらない。ローマだってそうだ。そうだ、どころではない。ローマの前では、京都なんか青二才だろう。

宮崎 このまえイタリアヘ行ったときに、ホテルの前に古い屋敷がありまして、はいりたくてしょうがないので門番を買収しました。のぞかせてくれ、と。そうしましたら、夜の八時過ぎになると人がいなくなるから、庭だけなら一人五千リラ、屋敷の中に絵があるがこれは一人一万リラだという話なので、のぞかせてもらいました。旅の最後の夜だったのですが、真のイタリア男に会ったという感じでした。忍び込んだ屋敷の天井画がとてもきれいで、これは国宝クラスだと勝手に思ったのですが、他にもいくらでもありそうなんです。ローマというのは奥深いなぁって……(笑)。
堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿『時代の風音』(朝日文芸文庫,p.98-99)

◆ 考えようによっては、「おりょうの風呂桶」だって、それがおりょうが使ったものでないにしても、すでに「それなりに」古いものであるのだろうから、京都でなければ、それなりの歴史的価値をもつことになって、「むかしのくらし」資料館みたいなところに保存されているかもしれない。とそんなことを考えてみたりした。

◆ ところで、大河ドラマの「龍馬伝」で、真木よう子演じるおりょうの入浴シーンというものはあったのだろうか?