◆ 黒井千次といえば、「子供のいる駅」という短篇が忘れられない。その冒頭。 ◇ はじめての一人旅というものは、まだ幼い心と身体にどれほどの緊張と期待と夢を背負わせるものであることか。たとえその旅が、間違って配達された手紙を四つ角の鈴木さんの郵便受けまで届けるための往復であれ、夕暮れの文房具屋への折り紙や画用紙の買物であれ、子供にとってそれが世界に向けてのたった一人の最初の旅であることに変りはない。そしてその旅で、小さな出来事や奇妙な冒険に出会ったからといって、その子供が不幸であったときめることは誰にも許されない。 ◆ はて、ワタシの「はじめての一人旅」はいつどのようなかたちでなされたのだったか? てんで記憶にないところをみると、なにも「小さな出来事や奇妙な冒険」に出会うことがなかったのだろう。さて、小学二年生の少年テルの「はじめての一人旅」は、五つほど先の駅までの往復だった。「小さな出来事」は、帰りの電車を下車した駅で起こった。改札口を前にして、切符を出そうとポケットをさぐるが、見つからない。なんということだろう、母親に「キップを落としちゃだめですよ」「なくしたら、もう駅から出られなくなるんだからね」と念を押されていたというのに、不覚にもその切符をなくしてしまった。どうすればいいのかわからなくなって、テルは駅のホームの片隅にうずくまる。すると、背後からの声。 ◇ 「キップ、なくしたんだろ?」 |
◆ 国語の入試問題といえば、センター試験の前身である共通一次試験で、こんなハナシもあるらしい。 ◇ 芥川賞選考委員の黒井千次が、昔、自分の書いた文章「春の道標」がセンター試験(共通一次)に出たので挑戦したら、自分の文章なのに正解が10問中3つしかなかったので、キレたという話がある。 ◆ 共通一次に黒井千次の小説『春の道標』が出題されたのは、まさにワタシが受験した年で、しかも家の本棚には『春の道標』の単行本があったのだった。しかし、その先の記憶が怪しい。試験の前にこの本を読んでいて、しめしめとほくそ笑んだのだったか、試験の後にこの本が本棚にあることに気がついて、地団駄を踏んだのだったか。たぶん後者だったような気がするが、どちらにしても試験の出来にたいした違いはなかっただろうと思う。さて、どんなハナシだったのか? すっかり忘れてしまって、なにも思い出せない。 ◆ で、ちょっと調べてみると、ああ、ちょっと思い出した。そうそう、「棗(なつめ)」という女の子が出てくるのだった。主人公の高校生、倉沢明史が好きになった女の子が「棗」。わが子に「なつめ」と名づけた父親がいる。 ◇ 名づけの由来はといいますと、黒井千次さんの小説『春の道標』(新潮社刊行・1981年)で主人公・倉沢明史が恋する可憐な日本的少女・染野棗の「棗(なつめ)」からつけました。〔中略〕 この作品を知ったきっかけは、私が高校3年の受験生のころ、現代文の問題集で読解として出題されたことです。その後、ストーリー自体が気になって、絶版となった同書を古本屋さんで探し回り、手に入れて話の続きを読むことができました。 ◆ 試験問題がきっかけで、この小説をあらためて読みたくなったというひとは多いようで、 ◇ 黒井千次『春の道標』。国語のテストで使われてたが、思わずひきこまれ、原文を読みたいと思いつつもう何年たつか。 ◇ 黒井千次の「春の道標」との出会いは大学受験の頃に遡る。共通一次試験、現国の過去問。問題文として切り取られたごくわずかな部分に惹かれた。本屋を廻って文庫本を見つけ出し、読む。受験生だというのに。明史と棗の切ない物語にふるえる。 ◇ 受験勉強で問題集を解いていたときにこの小説に出会いました。ここまで続きが読みたくなったのは初めてです。 ◇ 国語の試験で出た問題の物語に入り込みすぎて、次の日の試験も引きずって受験に失敗した話を先生がしてくれた。その物語は黒井千次の「春の道標」だと。 ◇ 私とこの物語との出会いは、高枚三年生の時の模擬試験であった。本屋をまわってこの一冊の文庫本を買って下宿に帰り、一気に読み終えた。不思議なくらい主人公明史に感情移入した。明史と同じく、どきどきしたり、不安になったり、絶望したり、喜んだりできた。失恋で終わるこの物語を読み終ったあとの、何か心にぽっかりと穴があいてしまったような虚脱感は、今でもはっきりと心に記憶されている。 ◇ 〔Yahoo!知恵袋〕 資料を間違えて捨ててしまったので書名のわからなくなってしまった本があります。進研ゼミ高校講座の小説文として何度か文章が引用されていました。主な登場人物が「棗(なつめ)」という名前の女の子と、彼女と付き合っている男の子(名前は忘れてしまいました)、それと棗の婚約者(素性は覚えていません)です。 ◆ 実家にまだ『春の道標』はあるだろうか? |
◆ 知らなかったが、鷲田清一の現在の肩書きは「大阪大学総長」であるらしい。かれが大学組織のトップの職にあるということも知らなかったが、大阪大学のトップの呼称が「学長」ではなく「総長」であることも知らなかったので、ちょっと気になった。国立大学(法人)で、「総長」を用いるのは東京大学だけだというハナシを聞いた記憶があるのだが(京都大学もだったか?)、思い違いだったろうか? 大阪ということで、東京への対抗意識の表れなのかとも思ったり。たとえば、かつての「大阪警視庁」のように。 ◇ 〔asahi.com(朝日新聞社):【戦後に5年実在!】「大阪警視庁」ホンマやで - 関西〕 「戦後しばらく大阪警視庁があった覚えがあります。どんな経緯で『警視庁』は東京だけになったんですか」。編集部に妙な投稿が届いた。大阪にも警視庁? そんなアホな。でも、投稿主の井上勉さん(72)によると、小学校時代、住んでいた姫路から国鉄で大阪に行くと、車体に「警視庁」とあるパトカーが駅前にいてカッコイイと思ったという。「橋下知事がしきりに『大阪都』や言うてるでしょ。ほんで思い出しまして」 ◆ 調べてみると、東大、京大、阪学にかぎらず、 ◇ 〔愛知教育大学:学長トピックス 2008年6月号〕 なぜか、旧7帝大の学長は、別格らしく、総長と呼びます。 ◆ ということのようで、はてさて、これはいつからのことなのか? こんなハナシもある。 ◇ 〔5号館のつぶやき(2005/01/27)〕 北大の学長が総長と呼ばれるようになったのは、それほど昔の話ではありません。それまでは学長と呼ばれていたものが、当時のH学長が東大や京大では学長のことを総長と呼んでいるので、(「自分もそう呼ばれたい」とまで言ったかどうかは定かではありませんが)同じ旧帝大の北海道大学でも学長のことを総長と呼ぶことにしたいと提案し、あっさり決まってしまいました |
◆ 鷲田清一の同じ文章をふたたび引用。 ◇ この季節(六月)の京都、和菓子と言えば、あの直角三角形のういろうの上に小豆を埋め込んだ水無月を食べるのが習慣である。習慣というよりもむしろ生理と言うべきで、舌がどうしてもそれに焦がれる。北山にある氷室から献上された氷を象ったあのまっ白のういろうを食べないと、梅雨時の鬱からからだが醒めないし、また火照りもなかなか冷めない。七月になればこんどは綜(ちまき)だ。綜は祇園祭という京の夏の祭りにどうしても欠かせない。ういろうを包む笹の香りがほんのり鼻腔を剌して、なんとも心地いい。 ◆ 「水無月」の部分だけで止めておけばいいものを、ついでだと思って、七月の粽(ちまき)まで続けて引用してしまったら、ちょっと困ってしまった。「綜は祇園祭という京の夏の祭りにどうしても欠かせない」とあって、それはたしかにそうだ。けれど、そのあとの「ういろうを包む笹の香りがほんのり鼻腔を剌して、なんとも心地いい」という箇所はどうなのだろう? 祇園祭の粽は食べられるものだったのか? ◇ 祇園祭で、厄除けのお守りとされるのがちまきである。このちまきは私達が想像するものと違い、笹だけでできていて食べられない。 ◆ んじゃなかったのか? もちろん、食べられる粽もあるけれど、それは端午の節句に食べるものじゃなかったのか? ♪ 柱のきずは おととしの ◆ よくわからないので、端午の節句までに調べておこう。 |