MEMORANDUM

◆ 高田宏は、旅先でふと偶然に出くわした看板や落書きにこそ旅のエッセンスを感じると書いていた。それには、歩くことが必要であるとも。

◇ 車で走れば短時間に多くの場所へ行き多くのものを見ることができるけれども、あらかじめ予定したものだけしか見ないことになりがちだ。旅がほんとうに旅になるのは、予定外のものに思いがけず出会うところからだ。それには歩くのがいちばんいい。
高田宏『信州すみずみ紀行』(中公文庫,p.118)

◆ 引越屋の日常というのは不思議なもので、ときに仕事をしているのか旅をしているのかわからなくなることがある。といっても、そんなことを思っているのはワタシくらいなもので、せっかく日々ことなる場所へ出かけられるというこのうえない僥倖を手にしているというのに、みな仕事が終わるとすぐに帰りたがる。もったいないと思うが、ひとそれぞれだから、しかたがない。直行直帰のワタシだけ、ひとり散歩をして帰る。あるいは、現場に早めに着いて朝の散歩を楽しむ。そんなとき、さほど遠くでなくても、旅をしている気分になる。

◆ 散歩も旅も、ワタシには区別がつかない。(遠くでなくても)知らない町で出会った看板や落書き。高田宏に倣っていうなら、「旅を旅にしてくれるもの」。たとえば、「椅子店」の看板。たとえば、「ばけもの」の落書き。

◆ と高田宏に倣ってみたが、ちと倣いすぎたようだ。信州で「ノコギリ店」の看板や「やまんば」の落書きに出会えば、山国とつなげることで、それらが旅を旅たらしめるものにもなろうけれど、「椅子店」の看板や「ばけもの」の落書きでは、それらをその場所に結びつけるカギがない(いや、あるのだろうけど、それをさがすには時間がかかる)。旅と散歩の違いはこんなところにあるのかもしれない。だとすれば、ワタシは遠くへ行っても(一般的にいえば、旅をしているときでも)、いつも散歩をしているだけのような気がする。

◆ 高田宏の『信州すみずみ紀行』という本を読んだ。

◇ 角間温泉から千古温泉への歩きでは、さきに書いた「やまんば」の落書きをはじめ、私の旅を旅にしてくれるいろいろなものに出会ったが、鋸の店の看板もその一つだった。
高田宏『信州すみずみ紀行』(中公文庫,p.118)

◆ 旅を旅にしてくれるもの、か。なるほど。それは、たとえば、「ノコギリ店」の看板。

◇  しばらく歩いて、目についたのが、「ノコギリ店」の看板だ。
 ――ふうん、やっぱり山国だなあ。木の暮らしが生きているんだなあ。
 私たちの暮らしのなかで、鋸は今はほとんど使われなくなった。木を伐ったり、木で物をつくるということが稀になったからだ。かつて木でつくった物の多くが今はプラスチックなどで出来ている。木製品でも自分でつくることがなくなった。つくることが少なく、買う世の中になっている。
 しかし、鋸の店があるということは、ここらへんでは今も暮らしのなかに鋸がよく使われているということだろう。つまり、木の暮らしがあるということだ。「ノコギリ店」の看板で、私の気持ちがはずんだ。もうそれだけで、この土地が好きになる。敬意を表したくなってくる。
 この旅の一日目、私はタクシーで、戸石城跡、真田氏館跡、真田本城跡、信綱寺、長谷寺など、真田一族のゆかりの地を能率よく見てまわったのだが、旅というものはやはり自分の足で歩いているときだけ、思いがけないものを見せてくれるものだ。その日タクシーでこの道も通っていたようだが、「ノコギリ店」の看板には気づかなかった。車で走れば短時間に多くの場所へ行き多くのものを見ることができるけれども、あらかじめ予定したものだけしか見ないことになりがちだ。旅がほんとうに旅になるのは、予定外のものに思いがけず出会うところからだ。それには歩くのがいちばんいい。自戒をこめてつくづくそう思った。

Ibid., p.117-118

◆ 旅を旅にしてくれるもの。それは、あるいは、「やまんば」の落書き。

◇ 国道に出てしまうと、とばしてゆく自動車の往来にひやひやしたのだが、電柱の一本にスプレーで書かれている落書きに私は目をみはった。「やまんば」と大きく落書きされていた。真田の里の暴走族あたりが書いたのかと思うが、「やまんば」とは! 平地の町では考えられない、山国の落書きだった。さすが、猿飛佐助の里だ。
Ibid., p.113

◆ ワタシが同じ道を歩いて、「やまんば」の落書きや「ノコギリ店」の看板を目にしたとしても、それらをことさらに山国と結びつけて考えるかどうかはわらないけれども、「旅がほんとうに旅になるのは、予定外のものに思いがけず出会うところからだ。それには歩くのがいちばんいい」という箇所にはまったく同意する。

◆ 去年の11月15日、こんな葉っぱを拾った。調べてみると、ナンキンハゼの葉っぱだった。これは間違いない。というのも、

〔このきなんのき〕 関西には多いらしいけど、私の住む川崎市でも街路樹になっています。東名川崎ICのすぐ近く、「黒川-尻手」道路の両側です。私の好きなポイントです。葉っぱの紅葉もきれいだし、実も可愛いです。
www.ne.jp/asahi/blue/woods/back0211/692/692.html

◆ という文章を読んだからで、ワタシが拾ったのが、まさしく「東名川崎ICのすぐ近く、『黒川-尻手』道路」だった。この「『黒川-尻手』道路」、これは尻手(しって)と黒川(くろかわ)を結ぶ(予定の)道路のことだから、黒川尻手でも尻手黒川でも同じことだが、ふつうは、尻手黒川道路(あるいは、尻手黒川線)と呼ばれている。尻が頭にあるのが、気になるひともいるかもしれない。

◆ で、この尻手黒川道路を、「シッテク」と略すひとがいるのをさいきん知った。ついでに、これも調べてみると、

〔まちBBS:★☆☆宮前平知ってる?尻手黒川線とか解る?☆☆★★ その13〕 282:皆さんは尻手黒川線を略して呼ぶときなんていいますか? 私は「しっくろ」ですが。
284:地元民が略しているのは聞いたことが無いね。そういえば、第三京浜を川崎、横浜の人間は「第三」って言うが、他の地域では「三京(さんけい)」って言うねぇ。
285:尻グロ。
286:尻手黒川は“尻手”、第三京浜は“第三”。周りの友達もだいたいそう呼んでます。以上、20年以上川崎市民ですた。
288:某全国規模引越しでバイトしているが、尻手黒川は「しっくろ」第三京浜は「さんけい」と言ってますよ。ちなみに溝口は「のくち」これは普通か。。。
289:「しってく」って呼んでます。
290:うちは「黒川線」「第三」「ノクチ」かな。

mimizun.com/machi/machi/kana/1079796788.html

◆ と、ひとそれぞれで、「シッテク」はいまのところ、「ノクチ」(溝口)ほどの一般性を獲得するには至っていないようだけれども、せっかく覚えたので、タイトルに使ってみた。

  うご

◆ ひらがなで「うご」。うご? うごうご? ウゴウゴルーガ? うこん? うんこ? うど? うろ? アタマのなかに怪しげなコトバがぞろぞろうごめいて、ああ、羽後か!、きっと羽後のことなんだろうな、と思い至るまでにしばらく時間がかかった。では「酔っとこ」というのは、なんだろう? 羽後の方言? ひょっとして、ひょっとこ? なワケはないんだけど、朝の九時ではどうにも確かめようがない。

  河童

◇ 河童を知らない日本人はいない。外国人でも、日本に留学した経験のあるひとならば、かならず河童の洗礼をうける。およそ目本にいてこれを知らないひとは、まずいないといえる。
大野芳『河童よ、きみは誰なのだ』(中公新書,まえがき)

◆ 断言されると、不安になる。ワタシは日本人で日本にいるけれど、はたして河童を知っているのかどうか。とりあえず、芥川龍之介の『河童』を読んだことがあるので、これを「Kappa」と発音することだけは知っているが、そのあとは、ほとんどなにも知らない。

「風呂桶」のハナシを書いた次の日に、こんな文章に出くわすのは、とってもウレシイことだ。

◇  おひろお婆さんはひどくおっとりした老婆であった。自分の夫がおかのお婆さんという二号さんと同じ村の同じ宇に住んでいるのを黙って許していたくらいであるから、おっとりしていない筈はなかった。従って、このおひろお婆さんは、血は通っていないが、私にとっては正式の曽祖母であった。私が小学校へ上がって間もなく六十七歳で他界したが、本家でも、親戚でも、それから村の人たちも、何となくこのおひろお婆さんという女性を特別な眼で見ていた。沼津藩の家老であった五十川(いかがわ)という家の娘に生れ、十何歳かの時潔のもとに嫁いで来たが、嫁入支度の中に朱塗りの風呂桶と薙刀(なぎなた)がはいっていたことが、最初に村人を驚かせた。風呂桶は納屋に仕舞われ、薙刀は本家の二階の座敷の長押(なげし)に掛けられ、そしてそのまま、おひろお婆さんの長い生涯を通じて、この二つの物はその位置を移動することはなかった。
 おひろお婆さんが二番目に村人を驚かせたことは、嫁には来たが、何の料理もつくれないことであった。そして彼女は、それを少しも改めることなく一生を過した。台所では湯を沸かす以外、何もしなかった。

井上靖『幼き日のこと・青春放浪』(新潮文庫,p.61-62)

◆「 おひろお婆さん」の嫁入支度のなかにあったという「朱塗りの風呂桶」。さて、この風呂桶は、

ふろおけ【風呂桶】 [1] 木を桶状に組んで作った湯舟。浴槽。[2] 浴場などで用いる小さな桶。
三省堂「大辞林」

◆ どちらの意味?

◆ たとえば、銭湯でよくみるケロリンの桶。

〔内外薬品:ケロリン桶の由来〕 東京オリンピックの前年(昭和38年)に、内外薬品に睦和商事の営業スタッフ(現社長)から「湯桶にケロリンの広告を出しませんか?」と持ち掛けられたのがキッカケ。衛生上の問題から、銭湯の湯桶が木から合成樹脂に切り替えられる時期、「風呂桶を使った広告は多くの人が目にするはず」ということで話がまとまり、東京温泉(東京駅八重洲口)に置いたのが最初です。
www.naigai-ph.co.jp/special/fanclub/yurai/

◆ このケロリンの桶も風呂桶であるなら、「朱塗り」の桶は、「朱塗り」であることによって、いまではかなりの高級品であると判断されるだろうから、いまなら驚く村人もなかにはいるだろう。この朱塗りの桶が小さな湯桶ではなく、そこでひとが入浴する大きな桶のことであるなら、当時の村人が驚くのも無理はない。

◆ これはよく行く銭湯の下駄箱の写真。たまたまではない。いつものように、4と13が空いている。4か13。さてどちらを取るべきか? どちらのほうがより不幸せにならずにすむのだろう? というようなことを、スノコの上で靴を脱ぎ、その靴を片手に持って、下駄箱の空いているどこかの箱に入れようとしている、まさにその瞬間に、チラリとでも考えてるのかどうか? これがよく自分でもわからない。結果としては、4の箱を選択していることが多い気がする。このことはなにを意味しているのだろう? たぶんなんにも意味してないと思うのだけど、ちょっとだけ気にかかる。