◆ まだ11月だというのに、街ははやクリスマスの装いだ、というような書き出しでこのハナシを書こうと思っているうちに、気がついたら、クリスマスをとうに過ぎ、年も明け、もう一月も終わろうとしている。というわけで、時期はずれの「きよしこの夜」。 ◇ ――星の光る夜、きよしこは我が家にやってくる。すくい飲みをする子は、「みはは」という笑い声で胸をいっぱいにして、もう眠ってしまった。糸が安いから―― ◆ 重松清の小説にしたがって、「きよしこの夜」の歌詞を書きだせば、 ♪ きよしこの夜 星は光り ◆ ということになるが、「御母の胸に」が「馬槽(まぶね)の中に」、「いと易く」が「夢やすく」になっているヴァージョンもある。 ◆ これは小説のなかのハナシだからいいとしても、こんなカン違いをするひとは実際には少ないのではないか。そう思った。メロディー通りに歌えば、自然に「きよし、この夜」になるだろう。それをわざわざ「きよしこ、の夜」なんて変な区切り方にしなくてもいいんじゃないか。そう思ったのだが、けっこういるようなのだ。「きよしこ、の夜」派が。 ◇ 〔教えて!goo〕 「きよしこの夜」を「きよしこ」の「夜」だと思っていました・・・幼少の頃「こ」がつけばなんでも名前だと思っていました ◇ 〔コトノハ:「清し、この夜」を「きよしこの、夜」だと勘違いしててキヨシコってなんや?と疑問だった〕 「さらに勘違いして、『キヨヒコの夜』だと思ってました。」「『きよしこ』って何だよ、って思ってた」「中学生頃まで思ってた」「きよしこさんて誰だろうと思ってました」「今の今までそう思ってたのにそのキヨシコの意味まで疑問に思わなかったアタシって(…)」「キリストの兄弟かなんかだと思ってた」「思ってた思ってた。つい最近知った。」「漢字で見るまで勘違いしてた」「思ってた!!小学校で楽譜配られてタイトル見るまで知らなかった」「NEW HORIZONで初めて知った。ずっと間違えてた。」「辞書で『きよしこ』を探した」「キヨシコって変な名前だよなとか思ってた」「歌詞を読む方から入ったから。きよし子」「はい。知ったのは結構大きくなってからw」 ◆ 1925(大正14)年生まれの阪田寛夫も、「きよしこの夜」の歌詞をカン違いしていたハナシを書いている。ただし、阪田がこの歌を覚えた昭和のはじめごろは、歌詞がいまとは異なっていて、 ◇ 「また逢う日まで」の繰返しの入る別れの歌や、クリスマスに歌われる「清しこの夜」は、キリスト教徒以外にも知られるようになっていたが、どの歌も大体は明治にできた漢語まじりの堅い訳詩であった。 ◆ 「きのしこ、の夜」より「光りて、りきぬ」のほうが、カン違いの可能性としては高そうに思える。また、「しりけり」で「尻を蹴る」というのも、子どもならいかにもやりそうなことだろう。 ◆ カン違いの多いクリスマス・キャロルに、もうひとつ「もろびとこぞりて」を挙げることができるだろう。 ♪ 諸人(もろびと)こぞりて 迎えまつれ ◆ 出だしからして難しい。「もろびと」に「こぞりて」、コトバの区切りは間違えないにしても、子どものアタマにはなんのことやら、さっぱりわからない。きわめつけが「主は来ませり」の部分。 ◇ 私はこの『主は来ませり』の部分をカタカナで『シュワキ マセリ』と歌っておりました。切るところも全然違う…。で、私はこの言葉をいったい何と勘違いしていたかというと、「エコエコアザラク」とか、「コノウラミハラサデオクベキカ」とか、「マハールターマラ フーランパ」などの、呪文と勘違いしていたのです。あ、別に悪い意味で考えていたわけではなく、ただ単に何か意味のある呪文なのかな~と。 ◇ その歌わされた歌の中に「もろびとこぞりき」というものがありました。この歌を当時かなり不思議だと思った覚えがあります。だいたいこの題名からしてさっぱり意味が分からない。しかも歌詞のサビの部分が「シュワキマセリ~、シュワキマセリ~、シュワァ、シュワァキマセリ♪」というものでシュワキマセリって何だ?と、さらにわからない。これは間違いなく日本語ではなく、この部分だけは向こうの方の言葉で、合いの手というかかけ声の一種だと最近まで思っていました。 ◇ 諸人(もろびと)こぞりて~♪の賛美歌の「シュワキマセリ」が「主は来ませり」だったとはじめて知りました。「シュワキマセリ」というのはなんというか「ビビデバビテブー」みたいなおまじないというかそんなものかと思っていたですの。 ◇ 私は昔『諸人こぞりて』の歌で『主は来ませり、主は来ませり』と言う歌詞を『シュワッキマセリ、シュワッキマセリ』と神様を呼ぶ時の呪文だと思っていた。会社に入って友達とその話をしていたら、横で聞いてた後輩が『え!それって神様が出てくる時の音じゃなかったんですか!?』と驚いていた。ウルトラマンじゃあるまいし・・・ ◇ 歌は「主はきませり」で練習のとき「シュワキマーセリ シュワキマセリ シュワーシュワーキマセリ」とサイダーのような歌だと話したものです。 ◇ あー、でも「主は来ませり」はヘブライ語だとずっと思ってました。それこそ、般若心経の「羯諦羯諦波羅羯諦」みたいなもんだと。 ◆ カン違いとしては、こちらのほうがわかりやすくておもしろい気がする。 |
◇ き-の-こ (名) 菌〔木ノ子ノ義カ〕 ◆ キノコは「木の子」。だったら、キノコの子は「木の子の子」になって、ということは、「きのこのこ」は木の孫になるのかな? でも、「木の孫」っていったいなにかな? ◆ ケヤキにキノコが生えていた。「けや木」に「木の子」が生えていた。「けや木」に生えた「木の子」は「けや木の子」? このケヤキの子はなんという名前かな? ◆ 「けや木」というレストランがあった。けや木の「けや」ってなにかな? 大槻さんに聞いてみよう。 ◇ けや-き (名) 欅〔良材ナレバ、貴(ケヤ)ケキ木ノ意カト云〕 ◆ 「やな木」というレストランはまだ見たことがないけど、やな木の「やな」ってなにかな? 大槻さんに聞いてみよう。 ◇ やな-ぎ (名) 欅〔彌長木ノ意カト云、或云、梁木ノ義、水邊ニ多ケレバイフト、或云、矢之木ノ轉、(又矢木(ヤギ))古ヘ、矢ニ作レバイフト、共ニイカガ〕 ◆ あはは、「共ニイカガ」だって。なんだか政治家みたいだな。語源というのは、いつでも、とってもむずかしい。 ◆ 「ケヤキの木」とか「ヤナギの木」っていう言い方は、「けや木の木」とか「やな木の木」ってことだから、ちょっとだけヘンかもしれない。 ◇ 〔毎日jp(新潟):「ボトナムは知っている」 北朝鮮帰還事業50年(1) 植樹の日に生まれて(2009年12月09日)〕 新潟市中央区のショッピングエリア・万代シテイから新潟港へと続く国道113号沿いに、柳の木が約2キロにわたって立ち並ぶ。 ◆ 以前、この新聞記事を引用したとき(「ボトナム通り」)に、そのことがちょっとだけ気になったのを思い出した。 ◆ ヤナギが樹木の名前だということを知らないひとは少ないだろうから、「柳の木」の「木」は余分だろうと思う。でも、ケヤキは知らないひともいるだろうから、「ケヤキの木」と書くのが親切である場合もあるかもしれない。葉の落ちた冬のケヤキの樹影はとてもキレイだ。そのシルエットを模して「欅」という漢字が作られたというハナシもある。 |