◆ 鷲田清一の同じ文章をふたたび引用。 ◇ この季節(六月)の京都、和菓子と言えば、あの直角三角形のういろうの上に小豆を埋め込んだ水無月を食べるのが習慣である。習慣というよりもむしろ生理と言うべきで、舌がどうしてもそれに焦がれる。北山にある氷室から献上された氷を象ったあのまっ白のういろうを食べないと、梅雨時の鬱からからだが醒めないし、また火照りもなかなか冷めない。七月になればこんどは綜(ちまき)だ。綜は祇園祭という京の夏の祭りにどうしても欠かせない。ういろうを包む笹の香りがほんのり鼻腔を剌して、なんとも心地いい。 ◆ 「水無月」の部分だけで止めておけばいいものを、ついでだと思って、七月の粽(ちまき)まで続けて引用してしまったら、ちょっと困ってしまった。「綜は祇園祭という京の夏の祭りにどうしても欠かせない」とあって、それはたしかにそうだ。けれど、そのあとの「ういろうを包む笹の香りがほんのり鼻腔を剌して、なんとも心地いい」という箇所はどうなのだろう? 祇園祭の粽は食べられるものだったのか? ◇ 祇園祭で、厄除けのお守りとされるのがちまきである。このちまきは私達が想像するものと違い、笹だけでできていて食べられない。 ◆ んじゃなかったのか? もちろん、食べられる粽もあるけれど、それは端午の節句に食べるものじゃなかったのか? ♪ 柱のきずは おととしの ◆ よくわからないので、端午の節句までに調べておこう。 |
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