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  龍の夫婦

◆ 横須賀市大津町。「坂本龍馬の妻 おりょうさんの街 横須賀大津」と書かれた幟を見て、はじめて坂本龍馬の妻の名を知った、と書けばおそらく笑われるだろうから書かない。坂本龍馬の妻が「龍」であったことは、NHKの大河ドラマなどで繰り返し取り上げられていることもあって、ほとんどのひとにとっては、「そんなの常識」であるだろう。《Wikipedia》によると、

〔Wikipedia:楢崎龍〕  楢崎 龍(ならさき りょう、天保12年6月6日(1841年7月23日) - 明治39年(1906年)1月15日)は江戸時代末期から明治時代の女性。名は一般にお龍(おりょう)と呼ばれることが多い。
 中川宮の侍医であった父が死んで困窮していた頃に坂本龍馬と出会い妻となる。薩長同盟成立直後の寺田屋遭難では彼女の機転により龍馬は危機を脱した。龍馬の負傷療養のため鹿児島周辺の温泉を二人で巡り、これは日本初の新婚旅行とされる。龍馬の暗殺後は各地を流転の後に大道商人・西村松兵衛と再婚して西村ツルを名乗る。晩年は落魄し、貧窮の内に没した。

ja.wikipedia.org/wiki/楢崎龍

〔Wikipedia:楢崎龍〕 墓は横須賀市大津の信楽寺(しんぎょうじ)にある。長く墓碑を建てることができなかったが、田中光顕や香川敬三の援助を受けてお龍の死の8年後の大正3年(1914年)8月に妹の中沢光枝が施主、西村松兵衛らが賛助人となりこの墓を建立し、墓碑には夫の西村松兵衛の名ではなく「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれている。
ja.wikipedia.org/wiki/楢崎龍

◆ 坂本龍馬は姉宛の手紙でおりょうのことにふれ、「名は龍と申し、私に似ており候」と書いているそうだが、ワタシが興味を覚えたのも単純にこのことだった。龍馬とお龍、夫婦の名が似ている。龍の夫婦。

◆ 龍の夫婦といえば、もうひと組知っている。フランス文学者の澁澤龍彦(本名は龍雄)とその妻、龍子(りゅうこ)

◇ 龍雄(本名)と龍子。二人とも名前に龍の字がついているのは、辰年生まれだからです。一回りちがいの辰年です。埴谷雄高さんからいただいた葉書に、「ふたり龍がそろうと(中日)ドラゴンズですね」とありました。
澁澤龍子『澁澤龍彦との日々』(白水社,p.20)

◆ そういえば、ワタシも辰年生まれだった。たまには「Saturnian」を「Taturnian」に変えてみようか。

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