MEMORANDUM

  天龍泉

◆ どうしてなのだろう? 「龍の夫婦」のことを書いたあとすぐに読み始めた文庫本に、また龍がいた。こういう「たまたま」はたいへん好きなのだが、出来すぎていて、ちょっと不安になる。まあいい、これはなにかの吉兆だろう。

◇  戦争中の辰年生まれ。クラスには龍一もいれば辰雄もいた。辰五郎などと威勢のいいのもいた。だいぶ前に引退した相撲の播竜山は郷土(くに)の名前とエトをとったシコ名で、たしか同郷同年生まれだったと思う。不器用な力士で、おっつけ一本槍、ひと場所だけ小結までいったが、根(こん)がなくなるとアッというまに幕下まで転落した。
 名前だけではない。ごく身近なところに多くの龍がいた。水汲みは子供の日課の一つだったが、ポンプの柄のところにうっすらとした絵模様をとって細長い龍がひそんでいた。「水を吐く」の意味をこめてだろうが、ちょっと油断するとすぐに水切れして悲鳴のような音をたてるばかり。毎朝、仏壇に御飯を供えにいくと、蓮の台(うてな)の横手から金箔づくめの龍がにらんでいた。 神社の境内で三角ベースの野球をしているとき、ホームラン性の当りが拝殿の軒端に突き出た龍の頭にぶつかってファールになり、味方をくやしがらせた。その神社の祭礼ともなると、取っておきの引き幕がもち出されたが、金糸銀糸もあざやかな龍があらわれ、ガラス製の目玉をきょろつかせていた。

池内紀『温泉旅日記』(徳間文庫,p.184-185)

◆ すこしは減ったかもしれないが、いまでも多くの龍がいるだろう。播竜山のかわりに朝青龍がいる、いや、もういないのだったか。子供の日課に水汲みはないかもしれないが、神社に行けば、龍が口から勢いよく水を吐き出しているだろう。ほかにはどこにいたっけな? などと考えながら、つづきを読む。

◇ どうしてこんなにもどっさり龍がいるのだろう? ひとつ、温泉にでもつかりながらとくと考えてみたい。
Ibid., p.185

◆ と、これは『温泉旅日記』という本だから、温泉のハナシになるのは仕方がない。ワタシも、急なことだから温泉には行けないけれど、「龍」の名をもつ銭湯に行ってとくと考えてみるのはどうだろう? なかなかいい思いつきなような気がする。善は急げ、ではさっそく出かけよう。目指すは「天龍泉」。なんと立派な名前だろう。そういえば、天龍という力士もいたっけな。プロレスに行っちゃったけど。

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