MEMORANDUM

  星の数ほど

◆ 「平成の寺田屋事件」のつづき。

〔J-CASTニュース:龍馬ファンに衝撃 事件の舞台「寺田屋」に建て替え疑惑(2008/09/05)〕  「週刊ポスト」は2008年9月12日号で、「平成の『寺田屋騒動』」と題し、「寺田屋」が「レプリカ」ではないかという記事を載せている。京都・伏見にある寺田屋は、1866年、坂本龍馬が滞在中に幕吏に暗殺されかけた「寺田屋事件」で有名だ。館内には、襲撃を受けた龍馬が応戦、ピストルを発射した痕だろうと言われる弾痕や、刀痕が残っている。また、入浴中だった寺田屋の女将お登勢の養女・お龍(のちの龍馬の妻)が、龍馬に知らせるため、裸のまま駆け上がったと言われる階段もそのままだ。館内では、「この寺田屋は維新の舞台となった当時の船宿そのままでございます。これが現存することも珍しいことでございますが、この寺田屋の建物の中で歴史が作られたのでございます・・・」という音声解説が流れている。
 ところが同誌は龍馬に関する書籍を元に、寺田屋は1868年の戊辰の兵火(戊辰戦争・鳥羽伏見の戦い)で焼失していて、もとは現在の寺田屋東側にある庭に建っていたと推測する。さらに庭には「寺田屋遺址」と書かれた碑があり、地元の人は「東側の庭になっている別の場所に建っていたと祖父は話していました」と明かしている。にもかかわらず、「当時のまま」を謳うのは「食品偽装ならぬ『観光偽装』」ではないかとしている。

www.j-cast.com/2008/09/05026320.html?p=all

◆ この「疑惑」について、京都市の担当者はこう述べたそうだ。

◇ 「話を聞いたことはありました。しかし民間の建物だったことと、ご存知のように京都には神社、寺、文化財と星の数ほどの観光資源があり、市がすべて調査することはできません。各施設が責任をもって管理していただかないと」
Ibid.

◆ 「星の数ほどの観光資源」か。いや、まったくそうだろう。たとえば、寺田屋の前を通った次の日に訪れた千本釈迦堂にも、本堂の柱に「刀槍のきずあと」があったが、これは応仁の乱(1467~1477)のときにつけられたものだというが、これにたとえ疑惑があったとしても、もはや確かめようもないだろう。

◆ べつに京都にかぎらない。ローマだってそうだ。そうだ、どころではない。ローマの前では、京都なんか青二才だろう。

宮崎 このまえイタリアヘ行ったときに、ホテルの前に古い屋敷がありまして、はいりたくてしょうがないので門番を買収しました。のぞかせてくれ、と。そうしましたら、夜の八時過ぎになると人がいなくなるから、庭だけなら一人五千リラ、屋敷の中に絵があるがこれは一人一万リラだという話なので、のぞかせてもらいました。旅の最後の夜だったのですが、真のイタリア男に会ったという感じでした。忍び込んだ屋敷の天井画がとてもきれいで、これは国宝クラスだと勝手に思ったのですが、他にもいくらでもありそうなんです。ローマというのは奥深いなぁって……(笑)。
堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿『時代の風音』(朝日文芸文庫,p.98-99)

◆ 考えようによっては、「おりょうの風呂桶」だって、それがおりょうが使ったものでないにしても、すでに「それなりに」古いものであるのだろうから、京都でなければ、それなりの歴史的価値をもつことになって、「むかしのくらし」資料館みたいなところに保存されているかもしれない。とそんなことを考えてみたりした。

◆ ところで、大河ドラマの「龍馬伝」で、真木よう子演じるおりょうの入浴シーンというものはあったのだろうか?

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