◆ 龍が出た池内紀『温泉旅日記』のあとに読んだのが、山口瞳『温泉へ行こう』。どちらもブックオフの105円本。さすがに龍は出てこないようだ。そのかわり、 ◇ 僕は、当時野球部の選手であって、激しい運動に耐えていたから、中房から合戦小屋までなんか屁の河童、道中の苦しさなんか記憶に価するものではなかったのだ。
◇ 河童ほど人々に親しまれ、もてはやされている妖怪はない。女児の断髪を「お河童」といい、泳ぎ上手のものを「河童」という。少しも気にかけないこと、平気なことを「屁の河童」という。寿司の中にも「河童巻き」というのがある。あれやこれや日常生活のなかで「河童」という言葉はよく使われているし、「祇園さんまでに池に入ると河童に肝を技かれてしまうぞ」といわれ、いろいろの河童噺が夏の季節感を盛り上げる。かつては河童の見世物もあったし、夏祭りに男児が河童の面をつけて遊び回る風もあった。 ◆ 屁のかっぱ、おかっぱ、かっぱ巻き。それから、また「祇園さん」。河童は牛頭天王とどんなかかわりがあるのだろう? などなど、あれやこれやをすべて気にしていたら、キリがないから、とりあえず、「屁の河童」について。 ◇ へ‐の‐かっぱ【屁の河童】 なんとも思わないこと。するのがたやすいこと。「こんな仕事は―だ」 ◇ 〔日本語俗語辞書〕 屁の河童は木っ端の火(こっぱのひ)という慣用句からきている。木端(木の屑)の燃える火は火持ちしないことから、たわいもないこと・はかないことを木っ端の火といった。これが訛って河童の屁となり、更に転じて屁の河童となった。 ◇ 〔日本辞典〕 「屁の河童」は、「木っ端の火(こっぱのひ)」が訛って、「河童の屁」となり、さらに反転したもので、「河童」「屁」は当て字。「木っ端の火(こっぱのひ)」は、木っ端は簡単に火がつくことから、転じて、取るに足りないこと、簡単にやってのけることという意味が生じた。他に、河童の屁は、水中でするため勢いがないことからとする説もある。 ◆ 「『河童』『屁』は当て字」という部分は疑問だけれど、まあ、そういうことなんだろう。それ以外は、とくに問題なさそう。つまりは、へのかっぱ。あさめしまえ。さあ、朝飯を食おう。 |
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