MEMORANDUM

  ドロステ効果

◇  徳山の町の、あれは雑貨屋さんだったかなぁ。棚に樟脳の箱みたいなのが並んでいて、そのレッテルにヒゲもじゃもじゃの鍾馗(しょうき)さんが描かれていたんです。よく見ると、鍾馗さんが手にもっている箱にも小さな鍾馗さんがいて、やっと見えるくらいの箱を手にしている。ということは、その箱にも目に見えないくらい小さな鍾馗さんがいて、もっともっと小さな箱をもってるんじゃないか。そう思ってガラス戸に顔を押しつけるようにして見入ってました。
 箱にじいっと見入っていると、無限に小さくなっていく鍾馗さんの列が見えるような気がしてね。やっぱり世界じゅうがシーンとしてくるような、胸が痛くなるような、不思議な光景でした。

まど・みちお『いわずにおれない』(集英社be文庫,p.79)

◆ 鍾馗の写真ならあるが、まどさんが食い入るように見つめていた樟脳の箱の鍾馗の写真はない(どこかにないだろうか?)。このような無限に連続する視覚的効果をドロステ効果(Droste effect)という。

〔wikipedia:ドロステ効果〕 名前の由来はオランダのドロステ・ココアのパッケージからである。尼僧が持っている盆の上に、ココアの入ったコップと一緒にドロステ・ココアの箱が乗っていて、その箱の絵には、コップとドロステ・ココアの箱が乗った盆を持つ尼僧が描かれている。この絵柄は1904年に始まり、長い間使われ、家庭ではおなじみのものになった。
ja.wikipedia.org/wiki/ドロステ効果

◆ 以下の引用には「レースの帽子をかぶった田舎娘の絵」とあるが、おそらくおなじものだろう。

◇ 「ぼくが無限の観念と初めてぴったり触れ合ったのは、オランダの商標のついた、ぼくの朝食の原料であるココアの箱のおかげだ。この箱の一面に、レースの帽子をかぶった田舎娘の絵が描いてあったのだが、その娘は、左手に同じ絵の描かれた同じ箱をもち、薔薇色の若々しい顔に微笑を浮かべて、その箱を指さしていたのである。同じオランダ娘を数限りなく再現する、この同じ絵の無限の連続を想像しては、ぼくはいつまでも一種の眩量に襲われていた。理論的に言えばだんだん小さくなるばかりで、決して消滅することのない彼女は、からかうような表情でぼくを眺め、彼女自身の描かれた箱と同じココアの箱の上に描かれた、自分自身の肖像をぼくに見せるのだった。」
 ミシェル・レリスの告白の書『成熟の年齢』に出てくる、「無限」と題された、この作者の幼時体験と同じような体験を味わったことのある者は、おそらく私ばかりではあるまい。私は幼年時代、メリー・ミルクというミルクの罐のレッテルに、女の子がメリー・ミルクの罐を抱いている姿の描かれているのを眺めて、そのたびに、レリスの味わったのとそっくり同じ、一種の眩量に似た感じを味わったおぽえがある。キンダー・ブックという絵本の表紙には、子供が小さなキンダー・ブックを見ている絵が描いてあって、その小さなキンダー・ブックには、やはり同じ子供が同じキンダー・ブックを眺めている。これも私には、得も言われぬ不思議な感じをあたえる絵であった。

澁澤龍彦『胡桃の中の世界』(『澁澤龍彦全集15』所収,河出書房新社,p.203-204)

◆ 残念ながら、ワタシは、「鍾馗・樟脳」も「ドロステ・ココア」も「メリー・ミルク」も「キンダー・ブック」も見たことはないが、同種の眩量(めまい)に似た感覚なら味わったことがある。母親の三面鏡に頭をさしいれ、左右の鏡を閉じて、合わせ鏡をして遊んだ記憶ならたしかにある。

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