MEMORANDUM
2005年05月


◆ 4月28日午前9時、新宿区新宿。ある個人宅の車庫の前にあった貼り紙の文面をそのまま引き写すと、こう書いてある。

◇ 車庫の中へ犬に糞をさせるな。見付つけ次第頭を木刀でカチ割ってやる

◆ 一日の始まりにこういった文章を目にしてしまうのは、あまり気分のいいものではないけれども、そういったこととは関係なしに、はたして木刀でヒトの頭をカチ割れるのだろうかという疑問がふと浮かび、朝っぱらからこんなコトを考えてしまっている自分がすっかりイヤになって、もう忘れようと思った瞬間に、この木刀でカチ割られることになる頭とは、もしかすると 「車庫の中へ犬に糞をさせる」 飼い主の頭ではなく、「飼い主に車庫の中へ糞をさせられる」 犬の頭の方かもしれないと思い至った。もちろん、その両方であるかもしれないが・・・。

◆ ところで、「カチ割る」 の カチっていったいなに?

◇ 「かちわる」ちゅうたら、「叩いて割る」ちゅう意味でっせ!!叩いて割った氷が、何を隠そう「かちわり」でんがな!!今や、甲子園の夏の高校野球の名物でっせ!!ビニール袋に入れて売られてまんねん!!
osaka-ben.hp.infoseek.co.jp/kougishitsu3.htm

◆ 漢字では 「搗ち割る」 と書くらしい。こんな記事も見つけた。

中国女性、ビール瓶で男の頭カチ割る

◆ ともだちが川崎の溝口に住んでいたので、駅近くにある 「雛」 という居酒屋によく飲みに行った。そのともだちが今年4月に札幌に転勤になり、もう行くこともないだろう。・・・と思っていたけれど、先日近くを通ったので写真を撮りに寄った。

◇ 草の戸も住替る代ぞ雛の家  芭蕉

  不安

◆ 世の中には、だれもがあたりまえのように知っているのに、わたしだけが知らされていない、そんなルールが無数にあるような不安を覚えることがままある。そして、そのルールのいくつかは実際に存在しているにちがいない。だからどうということもないのだが・・・。

◆ 今日の仕事中、左目にはいっているはずのコンタクトレンズがはいってないことにふと気がついた。どこで落としたのやらさっぱりわからない。さいわい仕事が早く終わったので、コンタクト屋に行って来た。検査の結果、左目にはいっていたはずのものは、左目用ではなく右目用だった。いつから左右逆にしていたものか。とはいえ両目にたいして違いはないのでとくに支障はないのだが。というわけで、右目にはいっていた左目用のレンズを左目に移し変え、右目用を新調した。想定外の出費で大いに反省すべきところであるが、ちょうど先日コンタクト屋から誕生日セールのハガキが届いていて、そのハガキを持参したら、1500円割引になった。ついているのかいないのか? その判断にちょっと迷っている。

  下宿

◇ ♪ 語り明かせば下宿屋の
  おばさん酒持ってやってくる

   かまやつひろし 「我が良き友よ」(作詞:吉田拓郎)

◆ 今回の福知山線の事故で、同志社をはじめ多くの大学生がその電車に乗り合わせていたということを聞いて、ふと思ったのは、どうして最近の学生は下宿をしたがらないのかということだった。ある犠牲者は、

◇ 龍谷大学理工学部に通い始めてわずか1週間。宝塚市の自宅から滋賀県大津市まで片道2時間。当初は家族は下宿を勧めたが、ギリギリまで考え本人が自宅通学を決めた
『週刊文春』 5月19日号

◆ のだそうだ。もちろん個別の事情がいろいろあるわけだろうから、他人がとやかく口を出すことでないのは承知のうえで、さらには今回の事故とはまったく関係のないことで恐縮しつつ、「大学入学 = 一人暮らし = 親からの自立」 といった等式はもはや成り立たない時代なのだなあ、という感慨をふと抱いた。

◇ ♪ 運がいいとか 悪いとか
  人はときどき 口にするけど
  そういうことって 確かにあると
  あなたを見てて そう思う

   グレープ 「無縁坂」(作詞:さだまさし)

◆ 地下鉄事故や航空機事故が起こるたびにそんなことを考えたりする。たとえば、こんなハナシはよく耳にする。

◇ 飛行機事故でご主人を亡くした人がいる。いつもより遅く仕事場を出て、車に同乗していた秘書は、今日は乗り遅れるだろうなあと思ったそうだ。 / 「ところが信号という信号が、主人のタクシーが近づくとみんな青になったそうです。信じられないほど早く羽田に着いて、ギリギリで間に合ったっていうんです」
林真理子 「夜ふけのなわとび」(『週刊文春』 5月19日号,p.62)

◆ 乗れば死ぬことになる飛行機に間に合うようにタクシーを飛ばしていたとは・・・。その逆のハナシも無数にあるだろうと思う。同じ週刊誌の 「阿川佐和子のこの人に会いたい」 を読むと、竹下景子がこんなことをしゃべっていた (直接的になんの関係があるわけではないけれども)。

竹下 うちの夫がものすごく気短なんですよ。だから、出かけるときは大変なんですよ。私が最後に戸締りをして出るんですけど一番のんびりしてるから、夫が 「お母さん、もう飛行機飛んじゃう!」 とか。夫と私では大丈夫と思ってる幅が全然違うんですね。
阿川 というと?
竹下 夫は 「もう五分しかない」 と思うのに、私は 「まだ五分あるから大丈夫」 って思うタイプ。でも、夫と一緒のときは乗り遅れたことないから。
阿川 一人のときは?
竹下 「あ~」 って乗るはずの電車見送ったことは何回もあります (笑)。

『週刊文春』 5月19日号,p.140

◆ ワタシもどちらかというと、竹下の夫タイプで、先日も、わりとのんびり屋さんの友人が飛行機に間に合うようにと勝手にやきもきしていたのだが、そして結果的にはその飛行機は無事目的地に着いたようなので、別に気にする必要はなにもないのだが、もしもその飛行機が事故を起こしていたとしたら、ワタシがせかしさえしなければ、そのひとはそのひとのペースでその飛行機に当然のように乗り遅れ、幸いにも事故を起こすことになる飛行機に乗らずにすんだだろうに、と一生後悔することになっただろう!

◇ 開湯千二百年の歴史を誇る奥日光湯元温泉。 / そこで「湯元御三家」の一つとして、代々湯守を務めてきた釜屋旅館が二月、産業再生機構の支援を受けることを表明した。
www.shimotsuke.co.jp/hensyu/kikaku03/asigin/rensai/saisei4/kagyou4.html

◆ こんなことになっているとはつゆ知らず、先日この温泉に一泊し、これがなかなかいい湯だったけれども、それはさておき、湯守というコトバがいいなと思ったのである。そして、これまた先日、ある本を読んでいたら、

◇ 京都の 「桜守」 として知られる佐野藤右衛門はこう語っている。
佐藤俊樹 『桜が創った 「日本」』(岩波新書,p.184)

◆ という文章があって、どう語っているかはこれまたさておき、桜守というコトバがあるんだなと思ったのである。そしたら、あれこれいろんなコトバが浮かんできたのである。これは2001年のニュースだが、

◇ 歌手で女優の西川峰子さんが、隠岐島・海士(あまちょう)町の男性と結婚。彼女のハートを射止めたのは、後鳥羽上皇の墓守を代々つとめる村上さん。イチローと結婚した福島由美子さん以来の、島根発めでたい芸能ニュースでした。

◆ 湯守、桜守、墓守、それからなにがあるかな? 子守なんてのもあるけれど、これはちょっとつまらない。では、灯台守。

◇ 難破して、わが身は怒濤に巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、必死にしがみついた所は、燈台の窓縁である。やれ、嬉しや、たすけを求めて叫ぼうとして、窓の内を見ると、今しも燈台守の夫婦とその幼き女児とが、つつましくも仕合せな夕食の最中である。ああ、いけねえ、と思った。おれの凄惨な一声で、この団欒が滅茶々々になるのだ、と思ったら喉まで出かかった 「助けて!」 の声がほんの一瞬戸惑った。ほんの一瞬である。たちまち、ざぶりと大波が押し寄せ、その内気な遭難者のからだを一呑みにして、沖遠く拉し去った。
太宰治 『一つの約束』(青空文庫

◆ あとは昔のおはなし。

◇ あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王

◇ わが髪の雪と磯辺の白波といづれまされり沖つ島守 土佐日記

◇ 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守 源兼昌

◇ 今替る新防人が船出する海原の上に波なさきそね 大伴家持

◆ 新防人は 「にいさきもり」 と読む。防人は 「崎守」 に同じ。

◆ イモリ (井守) とヤモリ (家守) はまたいずれ。

◆ たまにテレビを見ると、バラエティ番組やなんかで、出演者の発言がいちいち字幕スーパーになるのが、目障りでしようがない。いま 『日刊ゲンダイ』 で 「エンタの神様」 プロデューサーの五味一男というひとが 「ヒットの秘密教えます」 という連載をしていて、あいかわらず拾って読んだだけだが、そのなかで友近にふれて、

◇ 滑舌もいいですしね。その点は青木[さやか]も同じで、こういう滑舌がいい場合は、スーパーを入れる必要はありませんね。
5月20日付

◆ などということを言っている。してみると、あのスーパーは滑舌が悪くて、よく聞き取れないおそれのある芸人の場合に表示しているのであるか? それだけとも思えないが、そんなら、そんなやつ最初からテレビに出すなっつうの!

◇ ナントカ銀座というのがどこにでもあるように、仲見世と名のつく商店街は全国いたるところにある。そのなかで百パーセント物品販売業の仲見世は、本家浅草仲見世以外には世田谷三軒茶屋のエコー仲見世だけなのだそうだ(上坂倉次『あさくさ仲見世史話』)。あとは多かれ少なかれ飲食店の占める割合が多い。
種村季弘 『江戸東京《奇想》徘徊記』(朝日新聞社,p.146)

◆ という文章を新幹線のなかで読んだあと、京都に着いてふと気がついた。京都では、銀座でも仲見世でもなく、京極というのだった。

◇ 東京の繁華街『銀座』にあやかって銀座という町名が全国に点在しますように、その京都版としまして寺町京極の他に新京極、松原京極(大宮通~新町の松原通)や西陣京極(千本中立売東入る)、田中京極(元田中駅付近)、山科京極(山科駅の南)などがあります。
web.kyoto-inet.or.jp/people/hi-ga/mushimegane/rens7.htm

◇ 毎年暖かくなると現れるのが、サンダル(ミュールって言うんですか?)を履いたおねーさん方。集団で階段を降りる時のあの、どこかで鐘を鳴らしてるんでは、と思えるような大きな音にはまいってしまう。もう少し静かに歩けんものかねー。
momantai.sakura.ne.jp/sb/log/eid198.html

◆ というわけで、今年もそろそろミュールの季節がやってきた。夏の季語としてミュールを載せた歳時記もそろそろ出ているかもしれない。

◇ 夜遊びのミュールぱたぱた走梅雨 横山きっこ
www.tosp.co.jp/i.asp?I=kikkoDN&P=7

◆ あるいは短歌でも、

カンカンと駅の階段下りる音ミュールの脚も疲れた彼女 藤田拓斗
www.baika.ac.jp/~ja/yamakawa/10pass.htm

◆ ぱたぱた、カンカン、とにかくミュールはうるさい。

◇ 去年は駅の階段などでカンカンパタパタと響くミュールの踵の音に閉口して、あんなに歩きにくいものを履くことはないだろうと思っていたのに今年思いがけず購入しました。
www.eonet.ne.jp/~mywardrobe/stylish.htm

ペタンパタン…、音は様々ですが、最近は真冬でも音が絶えない摩訶不思議とも思える光景。
www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200406/2004061500180.htm

◇ ミュールをはいた女の子。ぺたぺたかつかつ、足音の汚い人が増えた。
lts.coco.co.jp/masa/writings/wr01a.htm

◇ ミュールのカツーンという音を聞くと、「あったま悪そうな音だなー」と思ってしまいます。だらしない歩き方をしているように思えるからでしょうね。
www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200405/2004053100025.htm

◇ ミュールの原型は便所サンダルです。カラコロ、走ればカツーンと音がするのは当たり前。
www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200305/2003052900045.htm

◇ ミュールで階段を下りるときバコバコ音鳴らして降りる人いませんか。いますよねー。
hitoriyogr.exblog.jp/1756287

◆ と、ミュールの音色はさまざまだが、これを音楽のように聴きでもしなければ、とてもやり過ごせるものではない。

◇ 季節が暖かくなってくると、聞こえてくるのが、駅のホームで「パカンパカン」と高らかに鳴り響き、まるでパーカッションのようなミュールの音。ミュールを履いた若い女性が3人くらい同時に階段を下りてると「パカンパカパカンパカパカパカン…」もはやこれは夏の風物詩のようで、この音を聞くと夏を感じます。
www.point.ne.jp/contents/shittoku/fashion/fash27.html

◆ かといって、ここまで美化するのはどうか?

◇ ミュールの音には筆舌に尽くしがたい美しさがありますよ。明瞭で光りそのものといった……。
www.pipers.co.jp/kijilib/sax-01.html

◆ と思ったら、おっと、これは「サックスの神様」マルセル・ミュールのことだった。

◆ 5月21日、福生市福生。八高線沿いの公園で一休みしていたら、踏切の方から少年の声が、

◇ 「おい、デブ。おまえはなあ・・・」

◆ と言った。なにごとかと思って声の方向に目をやると、踏切の真ん中で、野球のユニフォームを着た自転車の少年がふたり、なにやら口ゲンカの真っ最中だった。ひとりはたしかにデブだった。

◆ 5月23日、台東区千束。国際通りを歩いていると、向こうから少年たちが10人くらいぞろぞろ歩いてくるのが見えた。すれ違いざまに、そのなかのひとりが(またしてもデブだったのだが)、べつのひとりにこう言うのが聞こえた。

◇ 「みんなでたこ焼き屋に行ってから、みんなでおまえんちに行くからな」

◆ そう言われた相手の答えに思わず、笑ってしまった。

◇ 「え~、オレんちでケンカすんの? 公園でやってくんない?」

◆ まったく、その通り。自分ちでケンカをおっ始められたらたまったものではない。はたからはみんなでなかよく歩いているように見えたのだけれど、なにやらいざこざがあったらしく、まずはケンカの前にたこ焼きで腹ごしらえをするつもりらしかった。つづけて、デブは、

◇ 「口だけのつもりだけど、オレもぶち切れたらどうなるかわからないしな・・・」

◆ ワタシはそのたこ焼き屋の場所が知りたかったが、仕事があるのであきらめた。

◆ どちらの少年たちも小学校の中学年だったろうか。ガキのケンカもなかなか味わい深い。

◇ 犬には多くの種類がある。そして、言うまでもないことだが、その総てが犬である。これはかなり思いがけないことだ。しかし、もっと思いがけないのは、その多くの種類の犬を、我々が総て犬と見做すことができるということだ。
別役実 『けものづくし』(平凡社ライブラリー,p.94)

◆ ワタシもつねづね同じ疑問を抱いていた。

◇ 現在、世界には700~800の犬種があるといわれています。ジャパンケネルクラブでは国際畜犬連盟(FCI)の公認している331犬種を公認し、そのうち176犬種を登録しており、これらの犬種の繁殖の指針とするために犬種(スタンダード)を定め、血統を管理し、ドッグショーを開催しております。
www.jkc.or.jp/world_dog/

◆ これほど多くの種類の犬がいるというのに、それぞれの形態がけっして似ているわけではないというのに、セントバーナードとチワワも、ブルドッグもシェパードも、どうしてすべて犬だと思うことができるのだろう? 「ワン」と鳴くからだろうか? まったくもって不思議である。などと思っていたら、おもしろい記述に出くわした。狆 (ちん) のハナシである。

◇ 古代以来、江戸時代になっても、日本には犬を室内で飼う習慣はなかった。それが狆だけは例外で、室内で飼われていた。そのため、狆は犬とみなされておらず、犬と猫の中間に位置する動物と認識されていたらしい。
谷口研吾 『犬の日本史』(PHP新書,p.91)

◇ The Japanese do not look on pugs as dogs. They speak of “dogs and pugs” (inu ya chin), as if the latter formed a distinct species.
Basil Hall Chamberlain, Japanese Things, (Tuttle, p.401)

◆ そんなことがあってもいいだろう。こんなサイト記事も見つけたが、これはどうだろう?

◇ ちんは猫のようでもあり、犬のようでもあり不思議な動物ということになり、猫と犬の中間の動物のようなので、けもの編に中と書いて「狆」という漢字が出来たのです。
www5a.biglobe.ne.jp/~nobon/tinkanji.htm

◆ 開催中の愛知万博のパビリオンのなかに、よくはしらないが、アンデス共同館やらワンダーサーカス電力館やら長久手愛知県館やら国際熱帯木材機関館やらに混じって、なにかの間違いで、浅草世界館があったら、どんなにおもしろいことだろう。

◆ 山田詠美が作家生活20周年を迎え、その記念に『風味絶佳』という短編集を出版したとか。その内容はというと、

阿川 〔・・・〕 鳶職、ごみ収集車の作業員、ガソリンスタンドの店員、引っ越し業者、汚水槽の清掃員、葬儀場の職員と、敬遠されがちな職業に就いている六人にライトを当てて、彼らが全身全霊で愛したり愛されたりするラブストーリーで。
『週刊文春』 5月26日号 (「阿川佐和子のこの人に会いたい」,p.128)

◆ だそうだ。ワタシは引越屋であるので、すこし複雑な気分になる。「敬遠されがちな職業」 か。これはどういう意味だろう? その職業に就くことが敬遠されがちであるということなのか、それとも、その職業に就いているひとが敬遠されがちであるこということなのか。たぶん、その両方なんだろう。ここで 「敬遠されがちな職業」 という表現を使っているのは、作者自身ではないけれども、さきの引用部分に続けて、

山田 前から肉体のスキルを持った人たちにすごく心惹かれていたんで、書きたかったんですよ。

◆ と言っているから、べつに否定するつもりもないのだろう。「肉体のスキル」 とは、これまた、なんだかよくわからない表現ではあるが、気になるコトバではある。ヒマなときに、あれこれ考えてみることにしよう。

◆ 肉体のスキル。引越屋の肉体のスキルとしてまず思い浮かぶのは、重たいものを持ち上げるということで、そのスキルを目の当たりにしたときのお客さんの反応がおもしろい。自分には持てそうにないものを持ち上げているという単純な事実にシンプルに反応するのは女性に多く、

◇ わあ、すごい。

◆ とシンプルに驚かれると、こちらも単純にうれしい。それに対して、男性はえてして、

◇ やっぱり、コツですか?

◆ と言うのである。これはちょっとシンプルではないと思う。うがった見方かもしれないが、このコトバには、そのコツさえ習得すれば自分にもできるはずだという主張がこめられているような気がする。もちろんコツもあるにはあるが、基本的には体力がないとどうしようもない。その単純な事実を認めたくはないひとには、コツというのは便利なコトバだろう。

◆ レッサーパンダが立ち上がっているようである。それで思い出した。香港の動物園でレッサーパンダの檻に「小熊猫」と書かれているのを見たときに、初めて「レッサー」が英語の lesser(little の比較級)であること、すなわち「より小さいほうの」という意味であることに気がついたのだった。

◇ ジャイアントパンダが1870(1869年3月かも)年に発見されるまで、「パンダ」は現在でいうところの「レッサーパンダ」の事を指していました。しかし、レッサーパンダの方が小さいという理由で、lesser(小さい方の)Pandaというふうに変えられてしまいました。
www.popncall.com/jp/

◆ 以下3つ、参考まで。

◇ Its Western name is taken from a Himalayan language, possibly Nepalese, but its meaning is uncertain. One theory is that "panda" is an anglicisation of "poonya", which means "eater of bamboo". The Red Panda is also commonly known as the Wah because of its distinctive cry.
en.wikipedia.org/wiki/Red_panda

◇ The name "panda" as used in the West was originally applied to the Red Panda, to which it is distantly related. The shared name appears to derive from their common bamboo diet. Until its relation to the Red Panda was discovered in 1901, the Giant Panda was known as Mottled Bear (Ailuropus melanoleucus) or Parti-coloured Bear.
en.wikipedia.org/wiki/Giant_Panda

◇ 1835, from Fr., apparently from Nepalese name of a raccoon-like mammal (lesser panda) found there. First reference to the Giant Panda is from 1901; since its discovers in 1869 by Fr. missionary Armand David (1826-1900) it had been known as parti-colored bear, but the name was changed after the zoological relationship to the red panda was established.
www.etymonline.com/index.php?search=panda

◆ レッサーパンダでもうひとつ思い出すこと。

◇ これに包丁を持たせれば、そのままレッサーパンダ帽の男になるわけで
news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1116756873/

〔Sankei Web〕 二〇〇一年、浅草の路上で白昼、女子短大生が包丁でめった突きにされて殺害された。レッサーパンダ帽を被った犯人には「高機能自閉症」と診断されるのにふさわしい障害があった。第一審公判は三年余にわたり、被告に無期懲役の判決が下った。
www.sankei.co.jp/news/050523/boo010.htm

◆ 最後の引用は、佐藤幹夫『自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』(洋泉社,2005.3)にたいする小浜逸郎の書評から。

◆ 5月28日、江戸川区南葛西。街には愉しみが満ちている。たとえば、たまたま通りかかったアパートやマンションの名称の由来を想像してみるのも、ワタシには楽しいヒマツブシのひとつで、先日みつけたのがこの「フォンテーヌ・キヨ」。でもこれはつぶす時間がほとんどなかった。答えがその下に書いてある。「小泉清治」。フォンテーヌはフランス語の fontaine で、泉のこと。英語でいえば fountain。イタリア語でいえば fontana。有名なトレビの泉は "Fontana di Trevi"。トリビアの泉はなんと翻訳するのか? 外国にフォンタナさんやフォンテーヌさんがいるように、日本には、泉さんや大泉さんや小泉さんがいる。ここの大家さんの場合、小泉だから "Petite Fontaine" にすればなおよかったかもしれない。それよりなんでフランス語にするの、清治さん?

◆ 「フォンテーヌ・キヨ」のとなりのマンションが、この「OURS INN」だった。となりがフランス語だったものだから、ついこれもフランス語かと思ってしまった。ours はフランス語でウルスと読んで熊のことで、マンションのくせに熊旅館とは・・・、と考えているうち、すぐにこれがフランス語であるはずがなく、たんに英語の ours であることに気がついたけれども、熊旅館のイメージはしばらくのあいだワタシをとりこにしたのだった。