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◆ 世の中には、だれもがあたりまえのように知っているのに、わたしだけが知らされていない、そんなルールが無数にあるような不安を覚えることがままある。そして、そのルールのいくつかは実際に存在しているにちがいない。だからどうということもないのだが・・・。 |
◆ 今日の仕事中、左目にはいっているはずのコンタクトレンズがはいってないことにふと気がついた。どこで落としたのやらさっぱりわからない。さいわい仕事が早く終わったので、コンタクト屋に行って来た。検査の結果、左目にはいっていたはずのものは、左目用ではなく右目用だった。いつから左右逆にしていたものか。とはいえ両目にたいして違いはないのでとくに支障はないのだが。というわけで、右目にはいっていた左目用のレンズを左目に移し変え、右目用を新調した。想定外の出費で大いに反省すべきところであるが、ちょうど先日コンタクト屋から誕生日セールのハガキが届いていて、そのハガキを持参したら、1500円割引になった。ついているのかいないのか? その判断にちょっと迷っている。 |
◇ ♪ 語り明かせば下宿屋の ◆ 今回の福知山線の事故で、同志社をはじめ多くの大学生がその電車に乗り合わせていたということを聞いて、ふと思ったのは、どうして最近の学生は下宿をしたがらないのかということだった。ある犠牲者は、 ◇ 龍谷大学理工学部に通い始めてわずか1週間。宝塚市の自宅から滋賀県大津市まで片道2時間。当初は家族は下宿を勧めたが、ギリギリまで考え本人が自宅通学を決めた ◆ のだそうだ。もちろん個別の事情がいろいろあるわけだろうから、他人がとやかく口を出すことでないのは承知のうえで、さらには今回の事故とはまったく関係のないことで恐縮しつつ、「大学入学 = 一人暮らし = 親からの自立」 といった等式はもはや成り立たない時代なのだなあ、という感慨をふと抱いた。 |
◇ ♪ 運がいいとか 悪いとか ◆ 地下鉄事故や航空機事故が起こるたびにそんなことを考えたりする。たとえば、こんなハナシはよく耳にする。 ◇ 飛行機事故でご主人を亡くした人がいる。いつもより遅く仕事場を出て、車に同乗していた秘書は、今日は乗り遅れるだろうなあと思ったそうだ。 / 「ところが信号という信号が、主人のタクシーが近づくとみんな青になったそうです。信じられないほど早く羽田に着いて、ギリギリで間に合ったっていうんです」 ◆ 乗れば死ぬことになる飛行機に間に合うようにタクシーを飛ばしていたとは・・・。その逆のハナシも無数にあるだろうと思う。同じ週刊誌の 「阿川佐和子のこの人に会いたい」 を読むと、竹下景子がこんなことをしゃべっていた (直接的になんの関係があるわけではないけれども)。 ◇ 竹下 うちの夫がものすごく気短なんですよ。だから、出かけるときは大変なんですよ。私が最後に戸締りをして出るんですけど一番のんびりしてるから、夫が 「お母さん、もう飛行機飛んじゃう!」 とか。夫と私では大丈夫と思ってる幅が全然違うんですね。 ◆ ワタシもどちらかというと、竹下の夫タイプで、先日も、わりとのんびり屋さんの友人が飛行機に間に合うようにと勝手にやきもきしていたのだが、そして結果的にはその飛行機は無事目的地に着いたようなので、別に気にする必要はなにもないのだが、もしもその飛行機が事故を起こしていたとしたら、ワタシがせかしさえしなければ、そのひとはそのひとのペースでその飛行機に当然のように乗り遅れ、幸いにも事故を起こすことになる飛行機に乗らずにすんだだろうに、と一生後悔することになっただろう! |
◆ こんなことになっているとはつゆ知らず、先日この温泉に一泊し、これがなかなかいい湯だったけれども、それはさておき、湯守というコトバがいいなと思ったのである。そして、これまた先日、ある本を読んでいたら、 ◇ 京都の 「桜守」 として知られる佐野藤右衛門はこう語っている。 ◆ という文章があって、どう語っているかはこれまたさておき、桜守というコトバがあるんだなと思ったのである。そしたら、あれこれいろんなコトバが浮かんできたのである。これは2001年のニュースだが、 ◇ 歌手で女優の西川峰子さんが、隠岐島・海士(あまちょう)町の男性と結婚。彼女のハートを射止めたのは、後鳥羽上皇の墓守を代々つとめる村上さん。イチローと結婚した福島由美子さん以来の、島根発めでたい芸能ニュースでした。 ◆ 湯守、桜守、墓守、それからなにがあるかな? 子守なんてのもあるけれど、これはちょっとつまらない。では、灯台守。 ◇ 難破して、わが身は怒濤に巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、必死にしがみついた所は、燈台の窓縁である。やれ、嬉しや、たすけを求めて叫ぼうとして、窓の内を見ると、今しも燈台守の夫婦とその幼き女児とが、つつましくも仕合せな夕食の最中である。ああ、いけねえ、と思った。おれの凄惨な一声で、この団欒が滅茶々々になるのだ、と思ったら喉まで出かかった 「助けて!」 の声がほんの一瞬戸惑った。ほんの一瞬である。たちまち、ざぶりと大波が押し寄せ、その内気な遭難者のからだを一呑みにして、沖遠く拉し去った。 ◆ あとは昔のおはなし。 ◇ あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王 ◇ わが髪の雪と磯辺の白波といづれまされり沖つ島守 土佐日記 ◇ 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守 源兼昌 ◇ 今替る新防人が船出する海原の上に波なさきそね 大伴家持 ◆ 新防人は 「にいさきもり」 と読む。防人は 「崎守」 に同じ。 ◆ イモリ (井守) とヤモリ (家守) はまたいずれ。 |
◆ たまにテレビを見ると、バラエティ番組やなんかで、出演者の発言がいちいち字幕スーパーになるのが、目障りでしようがない。いま 『日刊ゲンダイ』 で 「エンタの神様」 プロデューサーの五味一男というひとが 「ヒットの秘密教えます」 という連載をしていて、あいかわらず拾って読んだだけだが、そのなかで友近にふれて、 ◇ 滑舌もいいですしね。その点は青木[さやか]も同じで、こういう滑舌がいい場合は、スーパーを入れる必要はありませんね。 ◆ などということを言っている。してみると、あのスーパーは滑舌が悪くて、よく聞き取れないおそれのある芸人の場合に表示しているのであるか? それだけとも思えないが、そんなら、そんなやつ最初からテレビに出すなっつうの! |
◇ 犬には多くの種類がある。そして、言うまでもないことだが、その総てが犬である。これはかなり思いがけないことだ。しかし、もっと思いがけないのは、その多くの種類の犬を、我々が総て犬と見做すことができるということだ。 ◆ ワタシもつねづね同じ疑問を抱いていた。 ◇ 現在、世界には700~800の犬種があるといわれています。ジャパンケネルクラブでは国際畜犬連盟(FCI)の公認している331犬種を公認し、そのうち176犬種を登録しており、これらの犬種の繁殖の指針とするために犬種(スタンダード)を定め、血統を管理し、ドッグショーを開催しております。 ◆ これほど多くの種類の犬がいるというのに、それぞれの形態がけっして似ているわけではないというのに、セントバーナードとチワワも、ブルドッグもシェパードも、どうしてすべて犬だと思うことができるのだろう? 「ワン」と鳴くからだろうか? まったくもって不思議である。などと思っていたら、おもしろい記述に出くわした。狆 (ちん) のハナシである。 ◇ 古代以来、江戸時代になっても、日本には犬を室内で飼う習慣はなかった。それが狆だけは例外で、室内で飼われていた。そのため、狆は犬とみなされておらず、犬と猫の中間に位置する動物と認識されていたらしい。 ◇ The Japanese do not look on pugs as dogs. They speak of “dogs and pugs” (inu ya chin), as if the latter formed a distinct species. ◆ そんなことがあってもいいだろう。こんなサイト記事も見つけたが、これはどうだろう? ◇ ちんは猫のようでもあり、犬のようでもあり不思議な動物ということになり、猫と犬の中間の動物のようなので、けもの編に中と書いて「狆」という漢字が出来たのです。 |
◆ 山田詠美が作家生活20周年を迎え、その記念に『風味絶佳』という短編集を出版したとか。その内容はというと、 ◇ 阿川 〔・・・〕 鳶職、ごみ収集車の作業員、ガソリンスタンドの店員、引っ越し業者、汚水槽の清掃員、葬儀場の職員と、敬遠されがちな職業に就いている六人にライトを当てて、彼らが全身全霊で愛したり愛されたりするラブストーリーで。 ◆ だそうだ。ワタシは引越屋であるので、すこし複雑な気分になる。「敬遠されがちな職業」 か。これはどういう意味だろう? その職業に就くことが敬遠されがちであるということなのか、それとも、その職業に就いているひとが敬遠されがちであるこということなのか。たぶん、その両方なんだろう。ここで 「敬遠されがちな職業」 という表現を使っているのは、作者自身ではないけれども、さきの引用部分に続けて、 ◇ 山田 前から肉体のスキルを持った人たちにすごく心惹かれていたんで、書きたかったんですよ。 ◆ と言っているから、べつに否定するつもりもないのだろう。「肉体のスキル」 とは、これまた、なんだかよくわからない表現ではあるが、気になるコトバではある。ヒマなときに、あれこれ考えてみることにしよう。 |
◆ 肉体のスキル。引越屋の肉体のスキルとしてまず思い浮かぶのは、重たいものを持ち上げるということで、そのスキルを目の当たりにしたときのお客さんの反応がおもしろい。自分には持てそうにないものを持ち上げているという単純な事実にシンプルに反応するのは女性に多く、 ◇ わあ、すごい。 ◆ とシンプルに驚かれると、こちらも単純にうれしい。それに対して、男性はえてして、 ◇ やっぱり、コツですか? ◆ と言うのである。これはちょっとシンプルではないと思う。うがった見方かもしれないが、このコトバには、そのコツさえ習得すれば自分にもできるはずだという主張がこめられているような気がする。もちろんコツもあるにはあるが、基本的には体力がないとどうしようもない。その単純な事実を認めたくはないひとには、コツというのは便利なコトバだろう。 |