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◆ あまりに雨が降り続いたあとには、空の色が気にかかる。昨日の夕暮れはこんな色だった。 ![]() 10/6 17:41 横浜市青葉区梅が丘 ◆ これはおまけ。 ![]() 9/28 16:45 東京浅草浅草寺 |
◆ 「夕刊フジ」 や 「日刊ゲンダイ」 といった夕刊タブロイド紙はたいてい電車の網棚に置いてあるので、わざわざ購入するには及ばない。帰宅の交通機関でほかに読むものがなにもなくてヒマを持て余しているときには、これが非常に役に立つ。と前置きが(というより言い訳が)長くなったが、先日もこうして 「日刊ゲンダイ」 をバスのなかで読んでいたら、アメリカ大統領選にかんして、《CollegeHumor.com》 というサイトが 「ELECTION ERECTION 2004」 というコーナーを作ってアクセス殺到というような記事が載っていて、おもしろそうなのでのぞいてみると、たしかにおもしろかった。 ◇ 同サイトが先日、女子大学生に身体に自分が支持する大統領候補へのメッセージを書き、デジカメで撮って、画像掲示板にアップしてくれ、と呼びかけたところ、投稿が続出。大人気になっている。 ◆ 今現在、ケリー161票、ブッシュ81票という結果だが、そんなことはどうでもよろしい。 ◇ 投稿画像でシビレるのがアンチブッシュのね~ちゃんたち。bushには陰毛って意味があるんだよね。で、みなさん、毛を剃ってブッシュへの反対、ケリーへの支持を表明している。毛を剃ると当然、「具」とか「身」が見えちゃうんだけど、彼女たちの憂国の情はそんな瑣末なことを軽く超越しているのです。 ◆ というわけで、「コドモは見ちゃだめよ」 画像満載になっていて、こんなのは日本では想像できない。というより、こんなことをやるのはアメリカ以外にはありえないと思われる状況。くれぐれもコドモはアクセスしないように。 |
◆ 先に書いた 「ELECTION ERECTION 2004」 で、たしか 「ANYONE BUT BUSH」 とボディーペインティングした画像を見たような記憶がある。「ブッシュ以外なら誰でも」 という意味で、頭字語 (acronym) が大好きなアメリカ人の手にかかると 「ABB」 と略されることになる。 ![]() ![]() ![]() ◆ 上の画像は 《AmericaStore.com》 でみかけた選挙グッズ。右のは 「爆弾落とすな、ブッシュを落とせ」。どこにでも商売上手なひとはいるもので・・・。さてさて選挙の行方は? いやそれよりも、ムンクの 「叫び」 の行方が気にかかる。 |
◆ ABB (Anyone But Bush) のことを書いていたら、EBTG (Everything But The Girl) のことを思い出した。どちらにも 「~以外」 という意味の but が含まれているという単純な理由なんだけど。 ◇ EBTG はトレイシー・ソーンとベン・ワットの夫婦デュオ。お互い自主制作でレコードを作っていて、それが同じインディー・レーベルから出たことで知り合い、やがて恋に落ち、一緒に音楽をやってるうちに結ばれた二人。 ◇ '82年に結成されたトレイシー・ソーンとベン・ワットによるユニット。都会的センスとある種の倦怠感がよぎるサウンドは、彼ら独特のものである。その代表的な曲が『Driving』である。 ◆ 「Driving」 は好きな曲で、こんな雨の日にはぴったりだ。さて、いままで気にしてこなかったけれど、この 「エヴリシング・バット・ザ・ガール」 というユニット名はどういう意味なんだろう? ◇ バンド名の由来として Nothing but the girl 「何をやっても駄目だけど彼女がいるから」 というバンド名をベンが発案したが Everything but the girl 「何をやっても出来るけど彼女は無理よ」 とトレイシーがクールにアレンジしたというエピソードもありバンド名も音に負けず素敵。 ◆ それぞれたった4つの単語からこれだけの物語が作れるものだろうか? よくわからない。nothing but というのは熟語で only の意味だと教わった記憶もある。それならば、 ◇ この、不思議なグループ名は、Nothing But The Girl ―― ただの女の子に過ぎない ―― をもじったもの ◆ と考えたほうがいいような気もするが、もじったあとの意味はどうなるのか? そんなことなら、 ◇ 二人の通っていた大学の近くにあったお店の名前です。なんでも家具雑貨品を扱っていたらしいですが、今はもうないそうです。 ◆ といった即物的な説のほうが信用できる気もしてくる。などなど、あちこち検索してみたけど結局よくわからないので、そんなことは本人に聞けば早い、などという投げやりな結論にしてしまおうかと思ったとたんに、こんなのを見つけました。 ◇ この名称ですが、昔の冒険もの、海賊もの等で最後の一行としてよく使われたという話を読んだことがあります(違ってたらすいません)。 / < こうして彼はすべてを手にした。ただ彼女を除いては > ◆ これはかなり気に入ったので、ひとまず終わりにすることにして。でも、ホントのところはどうなんでしょう? ◇ I'll come driving fast as wheels can turn |
◇ 職場で向かいの席に座っている人が紐育出張から戻り、天狗印のビーフジャーキーをお土産に持ってきた。ペッパーが大変良く利いていて、なかなか美味。天狗印のビーフジャーキーとマカダミアナッツチョコは「ワタクシ、海外に行ってまいりました」と周知するには大変重宝なアイテムだ。 ◆ ということらしいのだが、ウチの職場ではだれも海外になど行かないので、よく知らない。食べたこともない。 ◇ In 1949, Tengu Company, established as a family business, began manufacturing and selling Japanese-American products such as tsukemo (Japanese pickles) and frozen foods such as gyoza, shumai, etc. / In 1978, Tengu Brand Beef Jerky was introduced.
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◇ Comment dit-on "france-danemark" en japonais ? ◆ 「日本語で、フランス・デンマークを何というのか?」 と書いてある。しばし考えてもよくわからなかったけれど、じっくり眺めてみると、ひとがふたりいるように思えてきた。それで、よくよくページ全体を見直すと、サッカーの特集らしい。ああ、そうか。 ◆ 「COUPE DU MONDE 2002」、2002年の日韓共催ワールドカップ、フランスはデンマークに敗れ、予選敗退したのだった (もちろん、調べたのである)。つまり、これはフランス選手がデンマーク選手に蹴られている図なのでした。なるほど。しかし、理解するのに、こんなに時間がかかっては笑えない 。この漢字の下には、こんなコバナシが・・・ ◇ Dans l'avion, tout va être fait pour leur donner l'illusion de la victoire : l'hôtesse annoncera : ◆ サッカー好きのフランス人には、飛行機に乗っても、「まもなくパリ、シャルル・ド・ゴール空港に着陸いたします」 というアナウンスさえ、「シャルル・ド、ゴ~~~~~~ル」に聞こえてしまう、というハナシ。こちらはわかりやすい。 |
◆ 昨日、久しぶりに献血をした。むかしから献血は大好きだ。病院はキライだが、べつに病気ではないので、なんの心配もいらない。たとえば、注射の針の刺さる瞬間のなんともいえない緊張感。 自分の血が管を通って、自分の外に流れていくのを見ながら、たしかにこの赤い血、これはたしかにワタシのものだった、などと考えるのは楽しい。 ◆ しかし、その楽しみも長くは続かない。ワタシの血管は太く、あっという間に、400mlの血をワタシのカラダから流し出してしまった。となりには30代ぐらいのサラリーマン風の男性がいて、ワタシより先に献血を始めていたが、それをさっさと追い越し、終了してしまった。いやいや、べつに競っているわけでもないのだが、これまた気分がいい。なかなか自分の体から出て行かない自分の血液にいらだっているようでもあるその男性が、ナースにこう言った。 ◇ 「まだ終わらないんですか?」 ◆ そんなことを他人に訊いてどうするのだ。自分の血ではないか。まあ、早く終わったからって、エラクもなんともないのは承知の上で、いつもはナローバンドでネットをしているワタシとしては、ワタシの血管は、まったく 「ブロードバンド」 であるなあ、と妙な感心をし、なんとなく自慢したくなったのである。 |
◆ サガンの続き。日本で彼女の作品を読む男性は少ないのではないかと思う。そうだとして、その一因はタイトルにあるのではという気がする。『悲しみよこんにちは』 はいいとしても、『愛と同じくらい孤独』 『愛は束縛』 『赤いワインに涙が…』 『乱れたベッド 』 『夏に抱かれて』、それから 『愛は遠い明日』。これでは、まるでハーレクインロマンスと区別がつかない。
◇ →正しい意味は、実は 「こびへつらう人」。faire le chien couchant (卑屈にへつらう), c'est un chien couchant (太鼓持ちだ)のように使います。 ◆ 読んでないので、どういうニュアンスで使われているのかはわからないけれど、少なくとも 「愛」 はどこにもない。 |
◇ 21世紀になったって、私は20世紀が大好き ◆ 昨今の頻発する「わけのわからない」殺人事件を新聞で読むにつけ、ノスタルジーに浸されて、そう思うひとがいてもおかしくはないだろう。ああ20世紀の甘酸っぱい記憶。などワタシもまた20世紀に思いをはせながら続きを読むと、 ◇ 果物の中で一番好きかも知れない。 最近、幸水や豊水に押され気味のようなのが寂しい限り。ガンバレ!20世紀!! ◆ なんのことはない、ナシのハナシなのだった。せっかくなので、ナシのハナシを続けると、 ◇ とうとう21世紀。個人的に「20世紀梨」はどうなるか心配だった・・・すんまそん m(__)m ◆ 21世紀になると二十世紀という品種名では時代遅れな気がして売れなくなるのではと心配したのだろうか、とも思ったが、どうもそうではないらしい。というのも、同様の 「心配」 をしていたひとが少なからずいたからで、 ◇ 疑問に思っていたのは、私だけではないはずだ・・・。21世紀になると20世紀なしがどうなるか、期待に胸をふくらませていた人も少なからずいたはずさ。(え?まさか私だけ?) ◆ いや 「あなただけ」 ではない。農協にも多数の質問が寄せられたらしい。 ◇ 二十世紀梨は二十一世紀梨に名称変更をするのか : 県内外より二十世紀梨の名称についてご質問がありますが、現時点ではこの問題について論議されたことはありません。また、二十一世紀梨についてはすでに鳥取大学において、新品種(青梨)として開発され、品種登録されています。以上のことから、生産場面における品種名については区分がなされていますが、梨の販売においての名称については現在のところそのまま「二十世紀梨」として販売することが暗黙の了解事項となっています。 ◆ そういえば、ワタシのもらった2001年の年賀状にも一枚、「二十世紀梨はどうなるのか?」 と添え書きのあるのがあった。ごく単純に21世紀に20世紀ではヘンだと考えてしまうのだろうか? 正直なところ、この疑問の意味がワタシにはわからなかった。 ◆ たとえば、慶応義塾が明治になったからといって、明治義塾になったりはしない。明治大学 (明治法律学校) も大正大学にはならなかったし、大正大学も昭和大学にはならなかったし、昭和大学も平成大学にはならなかった。では平成大学はどうかというと、いまのところ、そんな大学はないので気にする必要はない (帝京平成大学、平成国際大学などというのはある)。 ◆ そもそも 「二十世紀梨」 は 「二十世紀につくられた梨」 という意味ではない。 ◇ 二十世紀梨は。1888(明治21)年に千葉県松戸市のゴミ捨て場に自生していた梨の木が、13才の少年、松戸覚之助によって発見されました。これを松戸少年は、父の経営する果樹園に移植し、大切に育てました。植えて10年目の1898(明治31)年に初めて実を結び、豊円で形が良く薄緑色で美しく、食べるとジューシーで素晴らしい梨であった。最初、紹介された名称は「太白」であったが、その後「新太白」「天慶」となり、1905(明治38)年に種苗商の渡瀬寅次郎により「二十世紀」と命名され、梨苗のカタログに掲載された。後に命名の由来を孫の元外務大臣、小坂善太郎は「祖父は広く世界に目を向け、日本を良い国への夢を持ち二十世紀を支配する果物の一つとの願いを込めて二十世紀と命名したと聞いている」と語っている。 ◆ この「二十世紀」というネーミングは当時としてはかなり斬新なものであったはずで、 ◇ 日本に西暦記号や世紀という概念がまだ無かった時代に、この様な異色の名前をつけたのは、渡瀬寅治郎が我が国初の農学士であり、札幌農学校にて「ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ大志を抱け)」で有名なクラーク博士の教えを受けたからでしょう ◆ ちなみに、二十世紀梨発祥の地の住所は松戸市二十世紀が丘。二十一世紀が丘になったというハナシは聞かない。 |
◇ 私はオバサンであるうえに、音楽にはまったく興味がないため、倉木麻衣がどんな歌を歌っているのかさえ、まったく知らない。ただ、ダウンタウンの浜ちゃんに 「宇多田ヒカルのパクリ」 と言われて抗議した事件だけは知っていて、彼女には悪いがそれ以来、倉木麻衣の名前を聞くと、「ああ、パクリの人・・・・・・」 と思ってしまうのである。 ◆ ヒマツブシに本を読んでいて、思い出したことがある。引越の仕事中のこと。明大前から女性のお客さんを同乗して引越先の渋谷へと向かう途中、東大駒場の裏通りを走っていると、そのお客さんがあるマンションを指差して、「あのマンション・・・」 となにかを言いかけた。そのつづきは聞かなくてもわかる。「そう、あのマンションから・・・」 とワタシ。この時点でいいたいことはお互いにわかってしまったので、その先はなくてもいいのだが、「ええと、誰だっけ? 飛び降り自殺したのは?」。以前、そのマンションで芸能人の飛び降り自殺があり、地元ではしばらく話題になっていた。その自殺者の名前がふたりともトッサにはでてこない。しばらく思い出そうと努力したけれど、結局思い出せずに、ワタシは 「AV女優のひとだったよね?」 と言ってしまった。「AV女優だったっけ?」 とお客さん。たしかに、その自殺した女性は日活ロマンポルノの 『セ-ラ-服色情飼育』 という作品でデビューしたのだから、必ずしもワタシの言ったことは間違いではないのだけれど、そのコトバが、なんだか故人を冒瀆した気がして、後味が悪かった。ヒマツブシに本を読んでいて、そんなことを思い出したのである。
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◆ いつだったか、読んだ本のなかから引越にかんする記述を抜き出してアンソロジーでも作ればおもしかろうと思ったことがあった。このようにアイデアだけはいろいろ思いつくのだが、最近は本を読むこともめっきり少なくなったので、実現には永遠に近い時間がかかる。とはいえ、ひとつだけ見つけたので、将来のための資料として記録しておくことにする。 ◇ なにしろ移動距離はわずか二キロ。そうなれば人海戦術だと心に決める。わたしの家から運び出す物といっても、本が数千冊と、アフリカなどの各地の仮面や彫刻、壺などの小物が少々、それでほぼ終わりである。家具らしいものがない家庭だ。ただ大型の冷蔵庫と、愛用の特大オーブン、このふたつだけは小型トラックで運ばなければならない。近所のデンキ屋さんと豆屋の息子さんが、「仕事の後には車が空くので手伝いましょう」 とこの分は受け持ってくれることとなる。日頃から親しくしている近所の美容院のすてきなおねえさん達が、やはり仕事の後に家に来て、台所や食器などをすっかり洗い清め、部屋を掃除してくれる。 / 運転の腕の確かな友人がトラックを借りて来て、一度に大量の本を運んでくれた。しかし、その残りは、親しい友人が数人で、二週間ほど毎日ひまを見つけては小物を風呂敷などに包み、戦後の街を往来したカツギ屋風に次々と新居に運び入れてくれる。その作業姿は日没の後ならば、まさに夜逃げと変わるところがない。 ◆ ところで、いま思い出したのだが、大学の図書館で受付のバイトをしていたころに、『日本の名随筆』 というシリーズ本をよく借りては読んでいた。「旅」 やら 「珈琲」 やらのテーマ別に編まれたアンソロジーは全部で200巻にもおよぶから、ひょっとすると、「引越」 の巻もあったやもしれぬと調べてみると、案の定ありました。『日本の名随筆 別巻24 引越』(中村武志編,作品社,1993)。出版社のサイトにその目次があったので参考までに。 ◇ 【目次】 ◆ もしかしたら読んだことがあるかもしれないが、記憶がない。当時は引越屋になろうとは思いもしなかったから。 |
◆ 名人の引越をしたこともある。いま日本に何人の名人がいるのかしらないが、すくなくとも将棋の世界にはひとりしかいないはずである。若い名人は学生が住むようなワンルームマンションに住んでいて、身なりも家財道具も学生のそれと変わるところはなかった。ただ将棋盤があったので、将棋が趣味なのかと思い、ほかにもいろいろと将棋関係のものが出てくると、趣味ではなくて、将棋関係の仕事をしているとかと思い直し、日本将棋連盟の書類を見つけるにおよんで、もしかするとプロの棋士かもしれぬと考えた。 ◇ -- お客さん、将棋やってるんですか? ◆ そのあと、実家に立ち寄り、荷物の一部を運んだ。お母さんがおられたので、「息子さんは将棋をやっておられるのですか?」 と訊くと、「ええ、このあいだ名人になったんです」 と極めて明解な答え。ああ、名人に「将棋やってるんですか?」 はないよな、と深く反省したしだい。 |