◇ 21世紀になったって、私は20世紀が大好き ◆ 昨今の頻発する「わけのわからない」殺人事件を新聞で読むにつけ、ノスタルジーに浸されて、そう思うひとがいてもおかしくはないだろう。ああ20世紀の甘酸っぱい記憶。などワタシもまた20世紀に思いをはせながら続きを読むと、 ◇ 果物の中で一番好きかも知れない。 最近、幸水や豊水に押され気味のようなのが寂しい限り。ガンバレ!20世紀!! ◆ なんのことはない、ナシのハナシなのだった。せっかくなので、ナシのハナシを続けると、 ◇ とうとう21世紀。個人的に「20世紀梨」はどうなるか心配だった・・・すんまそん m(__)m ◆ 21世紀になると二十世紀という品種名では時代遅れな気がして売れなくなるのではと心配したのだろうか、とも思ったが、どうもそうではないらしい。というのも、同様の 「心配」 をしていたひとが少なからずいたからで、 ◇ 疑問に思っていたのは、私だけではないはずだ・・・。21世紀になると20世紀なしがどうなるか、期待に胸をふくらませていた人も少なからずいたはずさ。(え?まさか私だけ?) ◆ いや 「あなただけ」 ではない。農協にも多数の質問が寄せられたらしい。 ◇ 二十世紀梨は二十一世紀梨に名称変更をするのか : 県内外より二十世紀梨の名称についてご質問がありますが、現時点ではこの問題について論議されたことはありません。また、二十一世紀梨についてはすでに鳥取大学において、新品種(青梨)として開発され、品種登録されています。以上のことから、生産場面における品種名については区分がなされていますが、梨の販売においての名称については現在のところそのまま「二十世紀梨」として販売することが暗黙の了解事項となっています。 ◆ そういえば、ワタシのもらった2001年の年賀状にも一枚、「二十世紀梨はどうなるのか?」 と添え書きのあるのがあった。ごく単純に21世紀に20世紀ではヘンだと考えてしまうのだろうか? 正直なところ、この疑問の意味がワタシにはわからなかった。 ◆ たとえば、慶応義塾が明治になったからといって、明治義塾になったりはしない。明治大学 (明治法律学校) も大正大学にはならなかったし、大正大学も昭和大学にはならなかったし、昭和大学も平成大学にはならなかった。では平成大学はどうかというと、いまのところ、そんな大学はないので気にする必要はない (帝京平成大学、平成国際大学などというのはある)。 ◆ そもそも 「二十世紀梨」 は 「二十世紀につくられた梨」 という意味ではない。 ◇ 二十世紀梨は。1888(明治21)年に千葉県松戸市のゴミ捨て場に自生していた梨の木が、13才の少年、松戸覚之助によって発見されました。これを松戸少年は、父の経営する果樹園に移植し、大切に育てました。植えて10年目の1898(明治31)年に初めて実を結び、豊円で形が良く薄緑色で美しく、食べるとジューシーで素晴らしい梨であった。最初、紹介された名称は「太白」であったが、その後「新太白」「天慶」となり、1905(明治38)年に種苗商の渡瀬寅次郎により「二十世紀」と命名され、梨苗のカタログに掲載された。後に命名の由来を孫の元外務大臣、小坂善太郎は「祖父は広く世界に目を向け、日本を良い国への夢を持ち二十世紀を支配する果物の一つとの願いを込めて二十世紀と命名したと聞いている」と語っている。 ◆ この「二十世紀」というネーミングは当時としてはかなり斬新なものであったはずで、 ◇ 日本に西暦記号や世紀という概念がまだ無かった時代に、この様な異色の名前をつけたのは、渡瀬寅治郎が我が国初の農学士であり、札幌農学校にて「ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ大志を抱け)」で有名なクラーク博士の教えを受けたからでしょう ◆ ちなみに、二十世紀梨発祥の地の住所は松戸市二十世紀が丘。二十一世紀が丘になったというハナシは聞かない。 |
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