MEMORANDUM
2006年05月


◆ 呆(あき)れたのはワタシではない。猫の方だ。ネコがワタシに呆れたのだった。団地の植え込みに猫が一匹のんびりと休日の朝を楽しんでいるのを目ざとく発見したワタシは、いつものように上着のポケットからカメラを取り出し、これ以上近づくと猫が逃げるだろう地点までじわじわ接近し、そうしてカメラの電源を入れる。おや、電源が入らないぞ。うん? あらら、バッテリーが入ってないや。昨夜充電器で充電したまま忘れてきたのだった。というコトに気がついたあたりで、猫の方もどうやらそのコトに気がついたらしい。しばらくはじっとしていたが、ワタシが 「それでは」 と作戦を変更して、カメラをしまい、PHSを取り出したときには、まったくうんざりした顔になっていた。おいおい、オマエがオレの写真を撮ろうとしているようだったから、せっかく協力してやろうと思ったらなんだい、そんなPHSに内蔵の30万画素のへっぽこカメラでオレを撮る気なのか? もうゴメンだね。そう言い残して、猫は去ってしまった。まったく呆れた猫だ。

◆ 「横断旗入」にビニール傘を入れてはいけない。なぜといって、日本語がまだよくわからない、けれども努力して漢字を勉強している、そんな外国からのひとがこれを見ないともかぎらないから。かれは「入」という漢字は、すでに知っている。「入口」の「入」。反対語は「出口」の「出」。なんども「人」と間違えたが、いまではもう大丈夫だ。「横断旗」という漢字の連なりは、初めて見るけれども、入れ物があって、そこに「入」と書いてあるのだから、そのなかには「横断旗」というものを入れるのだろうと、賢明にもかれは考える。そうして、目の前の入れ物ににはビニール傘が入れてあるのだから、わかったぞ、この「横断旗」というのが「カサ」を表す漢字なんだ。でも、何と読むのだろう? そんなことがないともかぎらない。だから、「横断旗入」にビニール傘を入れてはいけない。

◇  日本がバブルに踊っていた頃、東京周辺にはたくさんの外国人労働者がいた。
 私が知り合った青年は、埼玉県川口市の鋳物工場で働いていた。彼は母語のファンティ語はもちろん、母国ガーナの公用語である英語も、隣国の公用語であるフランス語も話せた。ムスリムだから、クルアーン(コーラン)の言葉であるアラビア語も、そのうち日本語も達者になっていった。しかし、日本語の文字はおろか、ローマ字もアラビア文字も読み書きできない、非識字者だった。
 それでも彼は、雑草の逞しさで日本の社会に根を張り、ガーナ人からも日本人からも好かれていたと思う。
 ある日、彼はトラックの助手席に座っていて、窓の外に見えた標識の文字が、何となく気にかかった。ハンドルを握っていた日本人の同僚に、「あれは何と読む?」と尋ねると、シナガワと読むのだと教えられた。そこで彼は、ふだんよく目にするので、書けないけれど読むことだけはできるようになっていた「川口」の「川(カワ)」と、「品川」の「川(ガワ)」は、同じ文字なのではないかということに思いいたった。
 縦棒三本がカワあるいはガワなら、四角形はグチと読むのではないか。それが三つ集まると、シナという文字になるのではないか、という自身の発見を、私は彼から、興奮して聞かされたことがある。
 私には、まったくありふれたことを発見した彼は、その後、寿司屋の湯飲み茶碗に書かれた、魚偏の漢字に関心を示すところまで到達する。しかし、彼はいつか消えてしまった。
 川口に、鋳物工場はめっきり少なくなり、雑草が蔓延っていた跡地もあらかたマンションが建ってしまった。バブルが弾けると、国際労働移動によって日本にやってきていたオーバーステイの外国人にも、ありふれては会うことができなくなった。

草野双人『雑草にも名前がある』(文春新書,p.213-214)

【追記:2010/09/11 06:57】
◆ あるものがあるべきところにあるのを見ると、それはあたりまえのことだけど、それでもちょっとほっとする。

◆ 「三番」という中華料理屋を見かけた。「二番」という店名ならあちこちにありそうだが、三番というのはすこし珍しいような気がした。

◆ 「~で二番目においしい」をキャッチフレーズにした飲食店は数多い。ちょっと検索してみただけでも、「日本で二番目に美味しいメロンパン」「大阪で2番目に美味しいぎょうざの店」「世界で2番目に美味しいソフトクリーム」「ベイエリアで2番目に美味しい店」「北海道で2番目に美味しいすし屋」「京都で二番目に美味しいわらび餅」 「日本で2番目においしい焼きソバ」「日本で2番目においしいトマトケチャップ」「地球上で2番目にうまい店」「草加で二番目においしい店」「日本で二番目にうまい地鶏」などなど。そんな店に行けば、おそらく、「じゃあ、一番おいしいのは?」という質問を今か今かと待ち受けている謙虚なご主人に出会えることだろう。答えは聞くまでもない。

◇ 東洞院綾小路東入ルにある「ノリキコーヒー店」の店の前には、「世界で2番目においしいコーヒー」というキャッチコピーが書かれている。「世界で1番おいしいのは、そりゃやっぱり恋人とか奥さんとか、最愛の人が淹れてくれたコーヒーでしょう?」
blog.kansai.com/takahiro/121

◇ 韓国語では「ソウルソトゥルチェロチャラヌンチッ」、日本語に訳すと「ソウルで二番目においしいお店」。お母さんの作った料理にかなうものはないから、ということでの店名やそうです。
plaza.rakuten.co.jp/megumegu1110/3013

◇ 私たちはマルコ醸造の味噌は世界で2番目に美味しい味噌だと思っています。(何事にも控えめだった三代目の言葉です。)一番美味しいのはやっぱり各ご家庭で仕込まれた味噌。
www.marukojozo.co.jp/

◇ 当店は佐伯で二番目にうまい店です。もちろん一番はお宅の奥様の手料理です。
www.gurupita.com/clients/0002102901/detail

◇ 旭I.C.からの途中「日本で2番目においしいすっぽんラーメン《すっぽん処》」の看板。そこで気になる日本で一番のラーメンは?とご主人に聞くと「恋人や奥さんが作る愛情ラーメン」とのこと。
iwamiyoitoko.com/index-kiji-view.asp?ID=1009-0004

◆ さしあたって中華料理店を始める予定はないけれど、もし自分の店なら、何番にするかなあ。二番はイヤだなあ。六番くらいかなあ。

◆ 荒川区の「五十番」という中華料理屋に行ったことがある。安くて、とんでもなく大盛りで、味はといえば五十番目くらいにおいしかった。そういえば、王貞治の父が経営していたラーメン屋の名前も「五十番」だった。

◇ 子供の頃にマンガで「王貞治物語」を見て王監督のお父様のお店ラーメン屋さんの 「五十番」 という店の名前が子供心に凄く格好良く思った思い出があります。そのころは「~番」とか数字のお店があると店に入ってラーメンを食べていた子供時代(^^)
www.patrasche.net/blog/archives/2006/03/wbc.html

◆ 世界の王さんが店を始めるなら、やっぱり「一番」しかないだろうなあ。

◇ 関東地方は20日、南から湿った空気が流れ込み、久々の晴れ間が広がった。 // 気象庁によると、山梨県大月市の31・3度を最高に、東京都八王子市でも31・1度と真夏日となったほか、東京都心の大手町では午前中から気温が上昇、7月上旬並みの28・1度と、真夏並みの暑さとなった。 // 前日までのぐずついた天気の影響で、各地の湿度も、50%以上と高くなった。 // ただ、夕方には、寒気を伴った気圧の谷が通過し、埼玉県熊谷市で1時間の雨量が50ミリ、最大瞬間風速も27・9メートルを記録するなど、天候の移り変わりが激しい1日となった。 // (2006年5月20日20時54分 読売新聞)
www.yomiuri.co.jp/national/news/20060520i414.htm

◆ まったく20日は、へんな天気の一日だった。午後4時ごろ、あっという間に雲行きが怪しくなった。仕事の移動中のトラックのなか、思いついて、同乗の相棒ふたりに、「いまから何分後に雨が降り出すか賭けをしよう」 と言ったのだが、その2秒後にはポツリポツリと降り出してしまって、賭けどころではなくなってしまった。

◆ トラックのなかにいるかぎりは、夕立も楽しいもので、突然降り出した雨はスコールになって、道行くひとをびしょ濡れにしてしまう。街中が右往左往している。ちょっとばかり 《楽しい雨の日》。雨宿りしてればすぐに止むだろう。寒くもないし、気持のいい雨だ。それにしても、台風並みの雨と風だった。信号待ちでトラックが揺れた。

◆ 雨が止んで、また晴れ間がのぞき始める。まだ日没には間がある。この調子だと、キレイな夕焼けが見られるかもしれない、と思う。仕事が終わって、電車に乗る。ふと窓の外に目をやると、ああ、空には虹が! なんてステキな誕生日プレゼントだろう。もう夕焼けなんてどうでもいい。

◆ こどものころ、家の近くに新幹線が通っているのが自慢だった。駅もないのに。それから、王(貞治)選手と誕生日が同じなのも自慢だった。

◇ 王監督の66歳の誕生日にナインは勝利をプレゼントできなかった。それどころか、先発の寺原を筆頭に投手陣が総崩れで今季最多の14失点。
www.sanspo.com/sokuho/0520sokuho070.html

◆ 運転免許の更新のついでに、献血をした。採血が終わって休憩していると、受付の五十ぐらいの男性職員がワタシの方へとやって来て、「もうすぐ誕生日ですね」 と言いながら、粗品をくれた。それから、

◇ じつはわたしも同じ誕生日なんです。

◆ とつけ加えた。おやおや。「では、王監督とおんなじですね」 とワタシが言うと、にっこり笑った。王監督と誕生日が同じひとは、みんなそのことがひそかな自慢なのだ。つくづく清原でなくてよかったと思う。

◆ 道路にドラえもんの落書き。ドラえもんがふたり(2匹?)。下のには左側に 「今のドラエもん」 とあり、右側の吹き出しに 「はい! どこでもドア!」。上のには 「前のドラエもん」 と書いてあって、ああ、写真では切れてしまっているのがはなはだ残念だが、ちゃんと耳があった。「ドラえもん」 を落書きの作者は 「ドラエもん」 と記しているのはご愛嬌。いまパソコンで変換したら、ちゃんと変換されたけど、「ドラえもん」 まで登録されているいるとはちょっとびっくり。というか、それで初めて 「ドラえもん」 の 「え」 がカタカナではなくひらがなだということに気がついたんだけども。それにしても、道路の落書きを見たのはをひさしぶり。なにしろ今はこんな世の中らしいから。

◇ 近所の子なのですが、よくチョークで、道路に落書きをするのです。その子の家の玄関前の公道(6メーター)に、何色ものチョークを使い、周りの景観を損ねているにも拘わらず、その子の親も、ジジ、ババも注意しません。(チョークを買って与えているのですから。) これって、注意した方がいいのでしょうか?
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2150544

◆ 危ないから(6メートル道路!)、というのならまだしも 「景観を損ねる」 とは、いったいどんな高級住宅街なんだろう、と思ってしまうけど・・・。

◇ 道路にチョークなどでいたずら書きをして遊ぶ。子供の頃誰でもやった遊びだと思う。けんけんぱ、十字架通せん、ひょうたん、お絵かき、などなど・・・ 家の子も100均で買ったチョークで家の前の道路で落書き遊びをしていた。夕方、下に住む大家さんがやってきた。町内で街をきれいにしようって事になってるので、道路には落書きしないでください、って言われた。いまどきって、子供道路で落書き遊びできないのね。じゃあ・・・いったいどこで???
mameyakko.blog9.fc2.com/blog-entry-20.html

◆ 壁にスプレーで落書きされたわけでもあるまいし、こんな大家の店子にはなりたくないものだが、それはさておき、ワタシが気になったのは、チョーク。引用したふたつの文章で、落書きをするのはチョーク。それから 「ドラエもん」 の落書きも、どうもチョークで描かれているようだ。落書きするのにわざわざチョークを買うというのは、ワタシにはちょっとゼイタクな気がする。落書きなんかは、その辺に落ちている石ころでするものでは? すくなくともワタシはそうだった(って時代が違うだけ?)

◆ さっき読んでいた本に、

◇ 子供の頃、蠟石で自分の周りのアスファルトに丸を描いただけで、自分の陣地ができたような気がして嬉しかった。
酒井順子 『観光の哀しみ』 (新潮文庫, p.185)

◆ という箇所があった。けれど、この 「蠟石」 というコトバ、ワタシにはなじみがない。

◇ ぼくも、子供のころは、蝋石や色チョークで家の前の道路いっぱいに落書きしてましたもん^^;
mods.mods.jp/blog/archives/000715.html

◆ この蝋石というのは、どうやら買うものらしい。

◇ 懐かしの蝋石を買いまして、道路に沢山落書き☆たのしかったわぁ(*ΦωΦ)ノ
id10.fm-p.jp/diary/see_diary.php?dir=15&uid=strawberry78&hiduke=20050708

◇ 蝋石って今でも売っているのかな?自分の小さい頃には随分お世話になったな。数十円で舗装した道路に落書きできる。小道を通ってもそれらしき絵は書かれていない。蝋石と石があればみんなで一日遊べたのにね。
www.aurora.dti.ne.jp/~kamin/sol/sol_9904.html

◇ わざわざろうせきを買わなくても、その辺の石でアスファルトに落書きをすることも出来た。でも、ろうせきは一度だけ買ったことがあるのだが、書き味と描写のクッキリさには雲泥の差がある。
homepage2.nifty.com/1b-town/essay/essay16.htm

◆ その辺の石ころと 「雲泥の差」 があるなら、買ってみてもいいか? いや、売ってもいるが、落ちてもいるらしい。それならなにも買うまでなもい。拾えればそれに越したことはない。

◇ 購入するようなものではなく、道ばたや沢などで簡単に拾えるもので、それで道路や塀に落書きしたり、円を描いてケンケンパなどをした思い出があります。
dulldiary.exblog.jp/1757187/

◆ 繰り返すけれども、落書きにチョークも蝋石も使ったことがない。ワタシが使っていたのは、その辺の軟らかい石ころ、それで絵や字が書けるものだから、その石のことを 「書け石」 と呼んでいた・・・(つづく?)

◆ こどものころならだれもが知っているのに、正式な名前も知らないまま、おとなになって忘れてしまう。そんな 「なつかしい雑草」 のひとつにカラスノエンドウがある。あるいはピーピー豆といった方がいいかもしれない。

◇ 子供の頃、この豆を 「ピーピー豆」 と呼んでいた。種を取り、サヤの片方を切って唇にはさみ息を送ると、「ベーベー」 と音がしたもので、何が面白いのか、いつまでも 「ベーベーベーベー」 吹きまくっていた。
www.h3.dion.ne.jp/~abesan/omake39.html

◇ 美味しくもない、っていうかまずいだけのピーピー豆(正式名称知らん)で笛を作るときに捨てる中の豆をもったいないから食べたり。
saeki.blog.shinobi.jp/Date/20060417/1/

◇ この辺では 「ピーピー豆」 と呼んでます。正式名称は存じ上げません。えんどう豆に似てるよね。でも、かなりミニサイズ。
blog.livedoor.jp/becky40/archives/50469198.html

◇ 私が小さい頃は必ずって言って良いほどこの時期は、ピーピー豆遊びをしてたもんだけど、最近の小学生’sは 「ピーピー豆」 という名前は言うけれど、せいぜい 「バッタのえさ」 ぐらいの認識しかない事が発覚。~いやはや、時代の流れを感じました(´ε`;)
diarynote.jp/d/38539/20040415.html

◇ 私はこの植物を“ピーピー笛(もしくはピーピー豆)”と呼んでいました。私が育った地域ではみなそう呼んでいたのですが、最近になって主人にその話をしてみたら、「そんなもの知らない」 と言われました。主人の出身地と私の出身地はそう離れていないのですが(二人とも福岡市内)。
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1314005

◆ ワタシ自身はピーピー豆ではなくカラスノエンドウと呼んでいた記憶があるけれど、なぜだろう? タイトルまで 「ピーピー豆」 にしてしまったが、じつはピーピー豆というコトバを知ったのもついさっき。で、このピーピー豆を先日久しぶりに見た。ひとつだけサヤが黒くなっていた。黒が緑のなかでも目立っていたから、気がついた。そうそう、あれは黒くなるのだった。黒いからカラスノエンドウだという語源説もあるらしいけど、これはどうだかわからない。

◇ カラスの名前はスズメノエンドウなどと比較した大きさを表すことばです。完全に熟すとさやや種が黒いので、カラスノエンドウであると言う説もあります。
/www.tcp-ip.or.jp/~jswc3242/054.html

◆ すくなくとも、

◇ このカラスノエンドウはカラスが好んで食べる野草だと思っていました。
blog.goo.ne.jp/biragoyan/e/5749eaec96bca812de0d60046492e410

◆ ということではないらしい。

◆ ふたたびピーピー豆のハナシ。食べることもあるようだが、飲むこともあるらしい。カラスノエンドウ茶。

◇ 何かを煮出して飲むといえば、紅茶・緑茶をはじめとして、いわゆるお茶がメジャーですが、割と何でもいい気がします。少し前まではミントを煮出して飲んでましたし、春先には大家さんが干したドクダミをくれるので、それを飲んでます。田舎ではカラスノエンドウみたいな植物を焙じて飲むことも多いです。林檎の皮でさえ、乾かせばお茶のような飲み方ができてしまいます。毒でさえなければ、乾かして焙じてしまえば、それなりに飲めるのではないかと。
plaza.rakuten.co.jp/misoji0802/diary/200605100000/

◆ 以下の引用は、萩の 「魚の干物などを売る店」 の店頭でのエピソード。

◇  店の女性たちは、おしゃべりの花を咲かせながら、店の前で何か植物を干している。この地ではピーピー豆と呼ぶそうだが、近づいてよく見るとカラスノエンドウだった。何に使うのか尋ねると、天日で乾燥させたあと、お茶のようにお湯を注いで飲むのだという。
 「それ、雑草でしょう。おいしいんですか?」
 と怪訝に思って訊いたら、笑われた。
 「都会っ子なんだねえ」

草野双人 『雑草にも名前がある』 (文春新書, p.63)

◆ で、ハナシは 「都会っ子」 に移る。ワタシにも似たようなエピソードがあったのを思い出した。ずいぶん前だが、いちど小笠原諸島の母島に行き、民宿に泊まったときのこと。長期滞在の工事関係者をのぞいて、ワタシのほかには観光客はだれもいなかった。二泊して、父島に戻る日の朝、出立しようとして、「お世話になりました」 と宿のおばさんにお礼を述べると、見たこともないなにか大きな植物を差し出す。サトウキビだった。

◇ 「これ、どうやって食べるんですか?」
 「都会っ子なんだねえ。ただかじればいいのよ」

◆ なるほど。都会っ子はなんにも知らない。宿を出て、サトウキビをかじりながら、港まで歩いた。たしかに甘かった。

◆ 鶴見駅の近くの 「立喰そば ういーん」。立ち食い蕎麦屋の屋号が 「ういーん」。「ういーん」 だろうが 「きゃいーん」 だろうが、店主の勝手で、ウィーン市当局から抗議が届くわけでもないだろうから、大きなお世話だが、ちょっと気になる。

◇ なお、ちょっと変わった店名だが、暖簾に書いてあるのは 「ういーん」 で、食券(懐かしのプラ板券)には 「ウィーン」 と書いてある。店主がオーストリア好きなのだろうか。たぬきなし、天330円。
ashraf.hp.infoseek.co.jp/kanagawa.htm

◆ ワタシはこの 「ういーん」 の前を素通りしただけなので、味がうまいかどうかも店主がオーストリア好きかどうかもわからないが、

◇ 一書に曰く、かつてこの地には 「喫茶ウイーン」 という店がありおりはべり、ある日突然喫茶店を廃業して立喰そば屋に新装開店することにしたそうな。そば屋がカタカナ店名ではおかしかろうってんで、ひらがなの店名にして今に至る。らしい。納得。
blog.so-net.ne.jp/kenkichi/2005-05-14-1

◆ なるほど。まあ、そんなところだろう。ワタシも納得。これで、またひとつ気がかりが減った。

◆ 去年に引き続き、JRAの 「メインキャラクター」 とやらはSMAPの中居くんで、ダービーの表彰式にも登場してたようだが、SMAPのファンではない大多数の競馬好きにとっては、われわれのハズレ馬券が有名芸能人のギャラに化けるのはあまり気持ちのいいものでないだろう。数年前には、同じSMAPのキムタクが 「メインキャラクター」 を務めていた。

◇ そういえば、不評を買ったJRAのテレビコマーシャルがあった。かの有名広告代理店が作ったと聞く。何という名だったか、たしかキムチのかけらとタクワンのかけらを飯粒でくっつけたような名のタレント、それを使ったものだった。おそらくは高額の契約のもとで作られた。それが近年上昇してきた競馬のイメージをさらによくしたかどうかは、きわめて疑わしい。馬券を購入できないことになっている未成年者と学生の評判は知らないが、JRA関係者にもいい評判は入ってこないという。少なくとも、一介の競馬好きの筆者にとっては不愉快だった。そのタレントがGⅠレースの表彰式にしゃしゃり出てきたときには、不愉快で危うく酗(さかがり)にまで達しそうになり、
柳瀬尚紀 『広辞苑を読む』 (文春新書, p.65-66)

◆ そういえば、以前は、

◇ 学生生徒又は未成年者は、勝馬投票券を購入し、又は譲り受けてはならない。

◆ という競馬法第28条により、成年学生の馬券購入が禁止されていたが、法律改正で、2005年から、「学生生徒又は」 の文言が削られた。

◆ そういえば、1997年に川崎競馬場で中居くんを見かけたことがある。「最後の恋」 というTBSのドラマのロケだったらしい。「中居正広、常盤貴子がおくる切ないラブストーリー」 だそうで、医大生役の中居くんと常磐貴子とが初めてのデートで行ったのが(川崎)競馬場。当時は間違いなく競馬法違反である。

◇ 鉄道を中心に車や航空機などさまざまな乗り物を展示し、幅広い世代に親しまれてきた交通博物館(東京都千代田区神田須田町)が14日、老朽化などを理由に閉館し、70年の歴史に幕を閉じた。
www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20060514-31956.html

◆ 交通博物館が閉館になるというので、その前に一度と思い、5月11日にちょっと見に行った。東京育ちじゃないから、こどものころによく行ったというような思い出はなにもない。こども連れが多かったが、どうも楽しんでいるのはもっぱら父親のほうであるようだった。

◆ さて、その帰りのバスのなか。シルバーシートに座ったおばあさんふたりが、会話を始める。顔見知りでもないのに、気楽に話ができるのは、きまっておばあさんたちだ。ほかの乗客はみなおしだまっている。静かな車内のことで、会話の内容もすべて聞こえる。最初ははずんでいた会話も、ひとりがグチばかり言うようになると、もうひとりの口数は減って、相槌を打つのもつらそうな気配。相手は気にせず、しゃべり続ける。新宿にいるホームレスみたいにはないたくないわね、云々。延々とグチを言い続け、降りるバス停が近づくと、ブザーを押して、降りていった。「さよなら」 というコトバをつかの間の話し相手に残して。

◆ この 「さよなら」 というコトバが妙に新鮮だった。この前 「さよなら」 と言ったのは、いつだったろう? 小学校のころには、下校のときに、みんなで 「せんせい、さよなら。みなさん、さよなら」 と言い合って帰ったものだったが、そのあとの記憶がない。友だちと別れるときは、「じゃあ、また」 とか 「じゃあね」 とか、同僚なら 「おつかれ」 とか。目上のひとと別れるときは、「失礼します」 か。恋人と(永遠に)別れるときにも、「さよなら」 と言った記憶はない(言われた記憶はあるが・・・)。こんな基本的な日本語なのに、流行歌の歌詞のなか以外には、意外と耳にすることがない。ふつうの会社社会ではどうなのだろう? あまり縁がないのでわからない。ついでに 「バイバイ」 のいうのは、いまのこどもたちでも言っているだろうか?

◆ 献血に行ったら、受付のひとがワタシと同じ誕生日だった、というハナシを書いた。ワタシはこういう 「たまたま」 が大好きだ。とはいえ、自分自身に 「たまたま」 がそうそう起きるわけでもないから、そんなときには、他人の 「たまたま」 を読んだり聞いたりして満足する。

◆ 司馬遼太郎がフランシスコ・ザビエルの足跡をたどって、出生地であるバスクを訪れたときのこと。ザビエルという名前は珍しいものだと思っていたが、そうではないことに気がつく。

◇  「スペインではざらにいますよ」
 と、後刻のことになるが、私どもが食事を終えて宿に帰ったころ、マドリードからきてくれたスペイン通の武部喜文氏が、教えてくれた。このひとの夫人は、スペイン人である。
 「げんに、四歳になる私のこどもが、ハビエル(ザヴィエル)です」

司馬遼太郎 『街道をゆく22 南蛮のみちⅠ』 (朝日文庫, p.145)

◆ おやおや。この名前は 「ざらにいる」 そうだから、たいした 「たまたま」 ではないのかもしれないが、ギリシャでソクラテスさんに出会うほどには、びっくりしてもいいだろうか? あるいは、同じ本に、犬養道子から聞いたハナシとして、フランス・バスクの田舎町のバス停を・・・

◇  「降りたものの、カンドウさんの生家がどこにあるかなど見当もつかないし、ちょっと困った気になっていたら、むこうから老婦人が来たの」
 犬養さんはその老婦人をつかまえてきかざるをえなかった。日本にながくいて近年なくなったひとで、ソーブール・カンドウという神父さんがいましたが、私はそのひとの生家を訪ねようとしています。どこだかご存知でしょうか……。
 「私が、おっしゃるソーブールの姉です」

Ibid., p.201-202

◆ ワタシの日々の生活にもこんな 「たまたま」 がたくさんあればいいなと思う。