◆ 「横断旗入」にビニール傘を入れてはいけない。なぜといって、日本語がまだよくわからない、けれども努力して漢字を勉強している、そんな外国からのひとがこれを見ないともかぎらないから。かれは「入」という漢字は、すでに知っている。「入口」の「入」。反対語は「出口」の「出」。なんども「人」と間違えたが、いまではもう大丈夫だ。「横断旗」という漢字の連なりは、初めて見るけれども、入れ物があって、そこに「入」と書いてあるのだから、そのなかには「横断旗」というものを入れるのだろうと、賢明にもかれは考える。そうして、目の前の入れ物ににはビニール傘が入れてあるのだから、わかったぞ、この「横断旗」というのが「カサ」を表す漢字なんだ。でも、何と読むのだろう? そんなことがないともかぎらない。だから、「横断旗入」にビニール傘を入れてはいけない。
◇ 日本がバブルに踊っていた頃、東京周辺にはたくさんの外国人労働者がいた。
私が知り合った青年は、埼玉県川口市の鋳物工場で働いていた。彼は母語のファンティ語はもちろん、母国ガーナの公用語である英語も、隣国の公用語であるフランス語も話せた。ムスリムだから、クルアーン(コーラン)の言葉であるアラビア語も、そのうち日本語も達者になっていった。しかし、日本語の文字はおろか、ローマ字もアラビア文字も読み書きできない、非識字者だった。
それでも彼は、雑草の逞しさで日本の社会に根を張り、ガーナ人からも日本人からも好かれていたと思う。
ある日、彼はトラックの助手席に座っていて、窓の外に見えた標識の文字が、何となく気にかかった。ハンドルを握っていた日本人の同僚に、「あれは何と読む?」と尋ねると、シナガワと読むのだと教えられた。そこで彼は、ふだんよく目にするので、書けないけれど読むことだけはできるようになっていた「川口」の「川(カワ)」と、「品川」の「川(ガワ)」は、同じ文字なのではないかということに思いいたった。
縦棒三本がカワあるいはガワなら、四角形はグチと読むのではないか。それが三つ集まると、シナという文字になるのではないか、という自身の発見を、私は彼から、興奮して聞かされたことがある。
私には、まったくありふれたことを発見した彼は、その後、寿司屋の湯飲み茶碗に書かれた、魚偏の漢字に関心を示すところまで到達する。しかし、彼はいつか消えてしまった。
川口に、鋳物工場はめっきり少なくなり、雑草が蔓延っていた跡地もあらかたマンションが建ってしまった。バブルが弾けると、国際労働移動によって日本にやってきていたオーバーステイの外国人にも、ありふれては会うことができなくなった。
草野双人『雑草にも名前がある』(文春新書,p.213-214)
【追記:2010/09/11 06:57】
◆ あるものがあるべきところにあるのを見ると、それはあたりまえのことだけど、それでもちょっとほっとする。