MEMORANDUM

  他人の 「たまたま」

◆ 献血に行ったら、受付のひとがワタシと同じ誕生日だった、というハナシを書いた。ワタシはこういう 「たまたま」 が大好きだ。とはいえ、自分自身に 「たまたま」 がそうそう起きるわけでもないから、そんなときには、他人の 「たまたま」 を読んだり聞いたりして満足する。

◆ 司馬遼太郎がフランシスコ・ザビエルの足跡をたどって、出生地であるバスクを訪れたときのこと。ザビエルという名前は珍しいものだと思っていたが、そうではないことに気がつく。

◇  「スペインではざらにいますよ」
 と、後刻のことになるが、私どもが食事を終えて宿に帰ったころ、マドリードからきてくれたスペイン通の武部喜文氏が、教えてくれた。このひとの夫人は、スペイン人である。
 「げんに、四歳になる私のこどもが、ハビエル(ザヴィエル)です」

司馬遼太郎 『街道をゆく22 南蛮のみちⅠ』 (朝日文庫, p.145)

◆ おやおや。この名前は 「ざらにいる」 そうだから、たいした 「たまたま」 ではないのかもしれないが、ギリシャでソクラテスさんに出会うほどには、びっくりしてもいいだろうか? あるいは、同じ本に、犬養道子から聞いたハナシとして、フランス・バスクの田舎町のバス停を・・・

◇  「降りたものの、カンドウさんの生家がどこにあるかなど見当もつかないし、ちょっと困った気になっていたら、むこうから老婦人が来たの」
 犬養さんはその老婦人をつかまえてきかざるをえなかった。日本にながくいて近年なくなったひとで、ソーブール・カンドウという神父さんがいましたが、私はそのひとの生家を訪ねようとしています。どこだかご存知でしょうか……。
 「私が、おっしゃるソーブールの姉です」

Ibid., p.201-202

◆ ワタシの日々の生活にもこんな 「たまたま」 がたくさんあればいいなと思う。

関連記事:

このページの URL : 
Trackback URL : 

POST A COMMENT




ログイン情報を記憶しますか?

(スタイル用のHTMLタグが使えます)