MEMORANDUM

◆ 木更津にも(行ったことはないが)祇園がある。その名前にダイレクトに反応して、行ってみたいと思うひともいるだろう。

◇ 「木更津には、『祇園』っていう格調高い飲み屋街があるんだよ」とSさんがぼくに言ったのは、もう何年も前のことだ。木更津から内陸へ向かう久留里線の最初の駅が「祇園」という名前で、二〇年ほど前にSさんはそこで楽しい酒を飲んだとのこと。「チントンシャンっていう雰囲気で、もう最高だったぜ」と言う彼の言葉に「そのうち一度行ってみたいね」と話していた旅に、やはり酒飲みのUさんを引き込み、飲んべえ三人の泊まりがけの旅になったのである。
大穂耕一郎『駅前旅館に泊まるローカル線の旅』(ちくま文庫,p.175)

◆ この話は、(大方の)予想通りに展開して、祇園駅にたどり着くと、そこはローカル線の無人駅で、

◇ 「チントンシャン」どころか、赤ちょうちんもどこにあるのかわからない。
Ibid., p.180

◆ これは題名のとおり、「駅前旅館に泊まるローカル線の旅」という紀行文からの引用だが、祇園というコトバにたいするステレオタイプのイメージをそのまま投影した、おそらくは作者の創作だろう。《2ch》の「【びっくり】イメージと実際が違う駅【がっかり】」というスレッドにも、

◇ 祇園(久留里線)
イメージ:平安ロマンあふれる古風な街並み
実際:ただの田舎の無人駅

gimpo.2ch.net/test/read.cgi/train/1219506498/

◆ と、書かれている。

◇ 家庭教師を終え、産寧坂を下りて、月を眺めながら祇園へ向かう道すがらも、お茶屋の二階からはチントンシャンと三味線の音が聞こえ、舞っている芸妓さんらしき影がすだれに映り、遊び興じている笑い声も聞こえてきていた。
柏木健一『祇園は恋し』(文芸社,p.5)

◇ 京都の祇園というと、華麗なお座敷にお偉いさんと芸妓さんがチントンシャンという場面を思い浮かべる方が多いと思います。
shunichi.cocolog-nifty.com/contents/2008/11/post-207e.html

◆ そういえば、大雨で鴨川が雑炊じゃなかった増水しているらしい。

◆ 公園の片隅に、いかにもキノコが生えていそうな「風通しの悪いじめじめした場所」があって、近づくと、やっぱりキノコが生えていた。なんというキノコかしらないけど、裏側から覗いてみると、とってもきれい。

◆ 「2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会で、日本代表の個性的な面々をゲームキャプテンとしてまとめた長谷部 誠選手(26)」がテレビのインタビューで、キノコの話をしたそうだ。

〔FNNニュース〕 大会直前の強化試合で、結果を出せなかった日本代表。浴びせられた多くの批判について、長谷部選手は、「そういう批判は当たり前だと思ってましたけど、ちょうど合宿中に読んだ本で、『キノコは風通りの悪いところに生える』って。僕の好きな、フリードリヒ・ニーチェというドイツの哲学者がいるんですけど、その人が批判とか意見っていうのはね、そういうのがなければ、人間は成長しないって。その言葉を僕は大好きで」と語った。
www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00180076.html

◆ ニーチェを読んでいるとは、さすがにドイツのブンデスリーガの選手だけのことはある、と感心した。読んだのがドイツ語の原書じゃなくても(そりゃそうだろう)、さらには日本語の「超訳」であっても、(まあ)同じこと。長谷部選手が読んだらしい『超訳 ニーチェの言葉』(白取春彦訳,ディスカヴァー・トゥエンティワン)は「40万部を超えるベストセラー」になっているそうだが、まったく知らなかった。キノコの話は、この「超訳」では、

◇ キノコは、風通しの悪いじめじめした場所に生え、繁殖する。同じことが、人間の組織やグループでも起きる。批判と言う風が吹き込まない閉鎖的なところには、必ず腐敗や堕落が生まれ、大きくなっていく。批判は、疑い深くて、意地悪な意見ではない。批判は風だ。頬には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。だから、批判は、どんどん聞いた方がいい。
d21blog.jp/discover/2010/07/post-7e00.html

◆ これをワタシがさらに超訳すると、

◇ キノコは、人間社会における腐敗や堕落と同義語であるような、悪い菌であるので、徹底的に排除しなければならない。

◆ これがキノコではなくてカビと訳してあったなら、とくになにも思わないのだが、どうしてだか、キノコがこのように悪者として描写されているときにはいつも軽い反発を覚える。あんなにおいしいのに。ワタシが好んで食べているのが、「腐敗や堕落」だとは。とほほ。

◆ ちなみに、ニーチェのドイツ語原文は『人間的な、あまりにも人間的な』(Menschliches, Allzumenschliches)中のこれ。

◇ 468. Unschuldige Corruption. - In allen Instituten, in welche nicht die scharfe Luft der öffentlichen Kritik hineinweht, wächst eine unschuldige Corruption auf, wie ein Pilz (also zum Beispiel in gelehrten Körperschaften und Senaten).
www.gutenberg.org/cache/epub/7207/pg7207.html

◆ 風はルフトハンザ航空の「Luft」で、キノコは「Pilz」か。あとはしらない。「足のキノコ」(Fusspilz)は水虫。ドイツ生活者による「お口にキノコ」というブログ記事がおもしろい。

〔朝日新聞:天声人語(2010年6月29日)〕 東京の声欄に、少年(12)の投書「バスに乗ったらトンデモ乗客」があった。都下町田市。バスが5分遅れで停留所に着く。少年が母親と乗り込むと、男の客が女性運転士を怒鳴り上げたそうだ。
 遅れに立腹したか、座っても車体をけとばし、手すりに足を乗せる。信号では「黄色なんだから突き進め!」。当然、車内は「とても怖い感じ」になった。降り際には、運転士の名を確かめるそぶりも見せたという。
 〔中略〕
 乗務員は客を選べず、客も隣人を選べない。とりわけストレスの発火点が低い都会では、車内のトラブルは茶飯事だ。大抵の大人は、険悪への感度を鈍らせる知恵を備えている。音楽や携帯電話で耳と目を「開店休業」にするのも一つだろう。
 攻撃と防御がせめぎ合う都市のくらし。とんでもない客に当たった運転士や駅員も気の毒だが、居合わせた子どもはたまらない。耳目が無防備だから、とんがる空気に丸裸でさらされてしまう。怒声と鈍感が並走する車内で、ちいさな心が震えている。

 www.asahi.com/paper/column20100629.html

◆ この文章の「大抵の大人は、険悪への感度を鈍らせる知恵を備えている」というところで、電車やバスの車内でのイヤホンやヘッドホンは偽装された耳栓だったのか、と妙に感心してしまった。耳栓では露骨すぎるからと、音楽を聞きているふりをして耳を塞ぐということか。音楽も聞けてこれは一石二鳥。たいした知恵だ。ワタシも「大抵の大人」を見習ってそうしたいところだが、ワタシは耳栓の類が苦手で ―― いや、苦手なのは耳栓にかぎらない。衣服はしかたがないが、それ以外のものは、「腕時計」も含めて、なにも身につけたくない。――、ガマンがきかずにすぐに外してしまうことになるだろう。同じガマンをするなら、「とんがる空気に丸裸でさらされて」いるほうがまだマシだ。

◆ 携帯電話はどうかというと、これは使っている(ニュースを読んだり、メールをしたり)。しかし、耳と目では事情がだいぶ異なって、携帯電話が険悪への有効な防御になるとはとても思えない。では、アイマスクでもするか?

◆ 仕事帰りにふらりと狭山市駅前の居酒屋に入る。すわったのはカウンター席で、両隣が若いカップルというのがいささか肩身が狭いが、ビールは旨い。ジョッキを3杯ほど飲み干したころ、右隣のカップルの会話が聞くともなしに聞こえてきて、男性がこう言った。

◇ 「もうすぐ祇園かあ」

◆ なるほど、そういえば、もうすぐ祇園さんだ。してみると、この男も京都生まれなのだろうか。つづきの会話がよく聞こえなかったので、確かめようがないが、ワタシのように雅な雰囲気をまったく漂わせてはいないので、たぶん違うのだろう。


◆ おそらく、このあたりにも「祇園祭」があるのだろう。なぜといって、この居酒屋の住所ががまさに「狭山市祇園」だったから。そういえば、居酒屋に入る直前に通りかかった白山神社で、祭のビラが貼ってあるのを見かけた。それが祇園祭のビラだったのかもしれないが、そこまでは記憶していない。

◆ 家に帰って、白山神社を撮った写真を確かめると、その祭のビラが小さく写っていた。小さな字は判読できないので、大きな字だけをつなげると、

◇ 八雲神社の大御輿が巡行します。7月11日(日)雨天決行。八幡神社

◆ 白山神社に八幡神社が作った八雲神社のビラか。京都の祇園祭は八坂神社の祭礼だが、八坂に八幡に八雲、どれも末広がりで縁起がいいが、祇園祭となにか関係があるのだろうか。いや、じつのところ、祇園祭については、ほとんどなにも知らない。続きは調べてからしか書けない。

◆ ある小説の一節。

◇ 清宮は、いつも肩にかけているバッグを大事そうに抱え、誰もいない舞台の両袖に置かれた、ビアズレーのサロメに目を注いでいる。
村松友視『海猫屋の客』(朝日文庫,p.78)

◆ 舞台の両袖に置かれたものを二つ同時に見るのははなかなか難しいだろうと思うけれど、それはさておき、ビアズレーのサロメ。誰もいない舞台の両袖に置かれた、ビアズレーのサロメ。「私にヨカナーンの首をくださいまし」と繰り返すサロメの声が、聞こえそうな気がする。舞台の両袖に置かれているのは、ひょっとしてヨカナーンの首ではないのか? 左右に均衡を保って配置されたヨカナーンの首ふたつ。もちろん、そんなことはありえない。じつのところ、いったい舞台の両袖にはなにが置かれているのか?

◇ (そろそろ、ストーブの季節がはじまるか……)
 海猫屋のマスターは、店の奥の舞台の両袖の、ビアズレーの絵のある行燈(あんどん)をつけながら、そんなことを呟いた。

Ibid., p.230

◆ 舞台の両袖にあるのは行燈で、どうやらその行燈の笠に、ワイルドの戯曲『サロメ』のためにビアズレーが描いた挿絵が刷り込まれているようだ。

◇  海猫屋の店内は、元々のレンガの質感を残した上に、新しく内装がほどこされている。店の入口近くにカウンターがあり、その内側は狭く細ながい調理場、外側には数個の椅子が並らべてある。常連はそこへ腰かけるが、ふつうの客はそこから一段下ったテーブル席へ着く。
 客席の奥がやや高い舞台になっていて、両袖に行燈が置いてある。その行燈に貼った紙に描かれているのはビアズレーのサロメ、誰もいないうす暗い舞台に、奇妙なムードを添えている。その舞台の上で何が演じられるのかと訝る客たちにも、壁に貼った大きなポスターでだいたいの想像はつく。いくつかのボスターの中で、もっとも重みをおかれているのは、時が経って煤けたのか、はじめから古色蒼然たる趣きをからめたのか判然としない青白いポスターだ。「北方舞踏派 結成記念公演」、そこに記された大きく武骨な文字が店内に為体の知れぬ妖しい匂いをかもし出している。

Ibid., p.7

◆ 「誰もいないうす暗い舞台に、奇妙なムードを添えている」のは、こんな絵だろうか? それを確かめたくなって、小説の「舞台」である小樽の海猫屋にネット旅行してみることに。まずは、当の《海猫屋》のサイトから。

◇ 1986年には、作家の村松友視氏が海猫屋を題材に小説を書いています。「海猫屋の客」というタイトルで朝日新聞社から出版されました。のちに文庫本にも、なっています。しかし、小説に描かれたような雰囲気やイメージは、今の海猫屋には、ありません。かって、この場所で演じられていた暗黒舞踏の「北方舞踏派」や「鈴蘭党」は、小樽を去り、海猫屋の舞踏の舞台としての価値は薄れていきました。そして、1990年には、店内を大幅に改装し、ワインと無国籍な創作料理の店として生まれ変わることになりました。1階は、バーカウンター、2階は、照明を抑えた空間に自然木の広いテーブル。とても落ち着けるスペースです。
www.uminekoya.com/contents/info.html

◆ どうやら、舞台はもうないようだ。舞台がないとなると、その両袖にあった行燈はどこに?

◇ 急な階段を上り2階に行くと、分厚い木製のテーブルが2つあり、ハロゲンランプが手元だけを照らす暗闇。部屋の隅には行灯が置かれ、よく見るとビアズレのサロメがぼんやりと浮かんでいる。
blog.murablo.jp/syo-ryu/kiji/151118.html

◇ 小説の舞台にもなったらしい「海猫屋」。その2階の角々にあるランプ。近づいて造りをみてみたら…。ビアズリーの画集かなんかを拡大コピーして、ガラスの行灯に内側からコーティング…でした。
blog.goo.ne.jp/m-malena/e/f84f4f0670bad19dfd0467aef7ad786b

◆ どうやら、行燈は舞台からは姿を消したものの、二階に引越してまだ健在らしい。画像はないかと探してみたら、こんなのが見つかった。ほかにも行燈の写真を載せているブログがいくつかあったが、この二枚の絵しか写っていなかった。行燈の笠の形が四角だとすると、行燈ふたつで八枚の絵があってもよさそうなものだが、とにかく他の絵は見あたらない。二枚とはいえ、ビアズレーのサロメを目にすることができたのだから、このネット旅行もその目的を果たした、そう書いてこの記事を締めくくりたい。……のだが、そうはいかない事情がある。というのも、この二枚の絵は、残念ながら、『サロメ』の挿絵ではないのだ。左の絵の右上に「LYSISTRATA」の文字。これはアリストパネスの『女の平和』のために描かれた挿絵。右の絵もまた同じ。

◆ ああ、ビアズレーのサロメはどこに?

◇ あんな淋しい駅はどこにもないとさえ思った。
水上勉「湖西線近江今津駅―駅舎が姿を消す日」(『停車場有情』所収,朝日学芸文庫,p.152)

◆ と水上勉が書いた江若鉄道の終着駅、近江今津。画像は、《大津市歴史博物館》のサイトから。「昭和44年 福田誠二氏撮影」とある。江若鉄道は1969(昭和44)年11月1日、廃止。5年後の1974(昭和49)年7月20日、国鉄湖西線が開業。

◇  いま、湖西線が、敦賀から京都へ向かう、特急は今津を無視して走ることもある。人びとは、この本線沿いに、むかし三輛か二輛編成の電車が走り、今津駅という平べったい、小さな駅舎が、木材置場と隣りあってあったけしきを思いだすだろうか。
 さいきん、といっても去年の冬、車で若狭へぬける時、「かん六」できつねうどんを喰って、古い駅を見にいった。まだ広場がのこっていた。そこで子供があそんでいた。廃駅の建物は一部残っていて、そこへ風呂敷に扇子の骨をつつんで通りかかる老婆に出あった。そうだった。ここは京扇子の骨をつくる農家が多いのだった。

Ibid., p.155

◆ 初出の雑誌連載が1978(昭和53)年1月から1979(昭和54)年12月ということなので、「さいきん、といっても去年の冬」というのは、1977年か78年の冬。廃線から10年近く経って、水上勉が再訪したとき、思い出の駅舎はまだ健在だった。

◇ 湖岸は、若狭の海とちがって、あの汐くささがない。よく北へ帰りそびれて冬ごしをはじめた鴨や雁を、よしの間に見たことがあった。淋しい岸を背中に負うた近江今津の、暗いけしきを私は愛着しているのだが、駅舎がまったく姿を消す日のことを思うと感慨無量となる。
Ibid., p.156

◆ 「駅舎がまったく姿を消す日のことを思うと感慨無量となる」と書いた水上勉は、2004(平成16)年9月8日、死去。

◇ 人間の宿命とあわれさを見つめ続けた作家、日本芸術院会員の水上勉(みずかみ・つとむ)さんが8日午前7時16分、肺炎のため長野県東御(とうみ)市の仕事場で死去した。85歳だった。通夜、葬儀、喪主は未定。自宅は公表していない。
www.asahi.com/book/news/TKY200409080197.html

◆ で、廃線から40年あまり経った現在、駅舎はどうなったのかというと、それが驚いたことに、いまなお残っているらしい。機会があれば、ワタシも「駅舎がまったく姿を消す日」までに、見ておきたいと思うけれど、こちらが先に姿を消しているかもしれず、こればかりはなんともいえない。【追記:2010/08/24 14:42】 さっそく見てきた。

〔朝日新聞〕 大相撲の賭博問題で、NHKは6日、名古屋場所の中継放送をテレビ、ラジオとも行わないことを決めた。再発防止に向けた日本相撲協会の取り組みが不十分で、中継をすれば受信料を支払う視聴者の理解が得られないと判断した。一方で相撲ファンに配慮し、幕内の取組を紹介するダイジェスト番組を午後6時台に20分間放送する。
www.asahi.com/national/update/0706/TKY201007060426.html

◆ ゴタゴタ続きの大相撲。2年前、露鵬・白露山の大麻問題で北の湖親方が日本相撲協会の理事長を引責辞任。そのあとを引き継いだ武蔵川親方(元横綱・三重ノ海)はただいま体調不良で静養中とか。北の湖と三重ノ海。

〔東京新聞:筆洗(2010年6月28日)〕  大鵬時代からの大相撲ファンで、テレビ中継はずっと見てきた。忘れがたい勝負がいくつかある。全盛期の横綱北の湖に勝てなかった大関三重ノ海が仕掛けた奇襲はその一つだ。
 立ち合った瞬間、三重ノ海は横綱の目の前で両手をパチンとたたいた。相手をひるませ、有利な体勢に持ち込もうという作戦は、その名も「猫だまし」。しかし、北の湖にはまったく通じなかった。
 大関を陥落しながら、横綱になった三重ノ海は前さばきがうまく、速攻が魅力だった。親方としても多くの弟子を育て、不祥事で辞任した北の湖前理事長の後を引き継いだが、野球賭博をめぐる対応はあまりにもお粗末すぎた。

www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2010062802000054.html

◆ 三重ノ海は三重県松阪市の出身だそうで、「三重ノ海」とは伊勢湾だろうか? 三重の海の伊勢湾と北の湖の洞爺湖では、もちろん伊勢湾のほうが大きいのだろうが、海よりも湖のほうが巨大であるようなイメージはなかなか消せない。

◆ 「武蔵川」という川はどんな川だろうと思って調べてみたが(といってもウィキペディアを見ただけだが)、よくわからない。

〔Wikipedia〕 武蔵川(むさしがわ)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、初代・武蔵川が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。
ja.wikipedia.org/wiki/武蔵川

◆ その代わりといってはなんだが、こんなハナシはどうだろう。

◇  私の知人で、英語が上手なためにときどき無料通訳をたのまれるという家庭婦人がいる。あるとき京都の小型タクシーに、カイロ大学の総長さんと医学部長さんを詰めこんで、彼女が助手席に乗って、三条大橋にさしかかった。
「この橋の下を流れるのが、日本でもっともエレガントな川といわれております鴨川であります」
 というと、後ろの座席の大男二人は車がゆれるほどに犇(ひしめ)きあって大笑いし、やがてミセス・コバヤシはすばらしいユーモリストだ、と激賞してくれた。ミセス・コバヤシはしばらくその意味がわがらなかったが、やがて、自分が鴨川のことを river といったために獲ちえた褒辞であることがわかった。大男たちの river の概念はナイル河で出来あがっており、海のように大きい。river ! river ! と大男たちは叫び、車が三条大橋を渡りきるまで笑い続けていたという。

司馬遼太郎『街道をゆく 1』(朝日学芸文庫,p36-37)

◆ いつの日か、「ナイル河」(どのような漢字をあてるのがよいのだろう)などという大男のエジプト人力士が大相撲の土俵に上がっていたりはしないか。そのとき、偶然のように「鴨川」というひょろひょろの日本人力士がいたなら、ぜひともそちらを応援したいものだ。