◇ あんな淋しい駅はどこにもないとさえ思った。 ◆ と水上勉が書いた江若鉄道の終着駅、近江今津。画像は、《大津市歴史博物館》のサイトから。「昭和44年 福田誠二氏撮影」とある。江若鉄道は1969(昭和44)年11月1日、廃止。5年後の1974(昭和49)年7月20日、国鉄湖西線が開業。 ◇ いま、湖西線が、敦賀から京都へ向かう、特急は今津を無視して走ることもある。人びとは、この本線沿いに、むかし三輛か二輛編成の電車が走り、今津駅という平べったい、小さな駅舎が、木材置場と隣りあってあったけしきを思いだすだろうか。 ◆ 初出の雑誌連載が1978(昭和53)年1月から1979(昭和54)年12月ということなので、「さいきん、といっても去年の冬」というのは、1977年か78年の冬。廃線から10年近く経って、水上勉が再訪したとき、思い出の駅舎はまだ健在だった。 ◇ 湖岸は、若狭の海とちがって、あの汐くささがない。よく北へ帰りそびれて冬ごしをはじめた鴨や雁を、よしの間に見たことがあった。淋しい岸を背中に負うた近江今津の、暗いけしきを私は愛着しているのだが、駅舎がまったく姿を消す日のことを思うと感慨無量となる。 ◆ 「駅舎がまったく姿を消す日のことを思うと感慨無量となる」と書いた水上勉は、2004(平成16)年9月8日、死去。 ◇ 人間の宿命とあわれさを見つめ続けた作家、日本芸術院会員の水上勉(みずかみ・つとむ)さんが8日午前7時16分、肺炎のため長野県東御(とうみ)市の仕事場で死去した。85歳だった。通夜、葬儀、喪主は未定。自宅は公表していない。 ◆ で、廃線から40年あまり経った現在、駅舎はどうなったのかというと、それが驚いたことに、いまなお残っているらしい。機会があれば、ワタシも「駅舎がまったく姿を消す日」までに、見ておきたいと思うけれど、こちらが先に姿を消しているかもしれず、こればかりはなんともいえない。【追記:2010/08/24 14:42】 さっそく見てきた。 |
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