MEMORANDUM

  淋しい駅

◇ あんな淋しい駅はどこにもないとさえ思った。
水上勉「湖西線近江今津駅―駅舎が姿を消す日」(『停車場有情』所収,朝日学芸文庫,p.152)

◆ と水上勉が書いた江若鉄道の終着駅、近江今津。画像は、《大津市歴史博物館》のサイトから。「昭和44年 福田誠二氏撮影」とある。江若鉄道は1969(昭和44)年11月1日、廃止。5年後の1974(昭和49)年7月20日、国鉄湖西線が開業。

◇  いま、湖西線が、敦賀から京都へ向かう、特急は今津を無視して走ることもある。人びとは、この本線沿いに、むかし三輛か二輛編成の電車が走り、今津駅という平べったい、小さな駅舎が、木材置場と隣りあってあったけしきを思いだすだろうか。
 さいきん、といっても去年の冬、車で若狭へぬける時、「かん六」できつねうどんを喰って、古い駅を見にいった。まだ広場がのこっていた。そこで子供があそんでいた。廃駅の建物は一部残っていて、そこへ風呂敷に扇子の骨をつつんで通りかかる老婆に出あった。そうだった。ここは京扇子の骨をつくる農家が多いのだった。

Ibid., p.155

◆ 初出の雑誌連載が1978(昭和53)年1月から1979(昭和54)年12月ということなので、「さいきん、といっても去年の冬」というのは、1977年か78年の冬。廃線から10年近く経って、水上勉が再訪したとき、思い出の駅舎はまだ健在だった。

◇ 湖岸は、若狭の海とちがって、あの汐くささがない。よく北へ帰りそびれて冬ごしをはじめた鴨や雁を、よしの間に見たことがあった。淋しい岸を背中に負うた近江今津の、暗いけしきを私は愛着しているのだが、駅舎がまったく姿を消す日のことを思うと感慨無量となる。
Ibid., p.156

◆ 「駅舎がまったく姿を消す日のことを思うと感慨無量となる」と書いた水上勉は、2004(平成16)年9月8日、死去。

◇ 人間の宿命とあわれさを見つめ続けた作家、日本芸術院会員の水上勉(みずかみ・つとむ)さんが8日午前7時16分、肺炎のため長野県東御(とうみ)市の仕事場で死去した。85歳だった。通夜、葬儀、喪主は未定。自宅は公表していない。
www.asahi.com/book/news/TKY200409080197.html

◆ で、廃線から40年あまり経った現在、駅舎はどうなったのかというと、それが驚いたことに、いまなお残っているらしい。機会があれば、ワタシも「駅舎がまったく姿を消す日」までに、見ておきたいと思うけれど、こちらが先に姿を消しているかもしれず、こればかりはなんともいえない。【追記:2010/08/24 14:42】 さっそく見てきた。

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