MEMORANDUM

◆ 湖を「うみ」と読ませる例で、そういえばと思い出したのが、大相撲の「北の湖」。その由来はというと、

〔Wikipedia〕 四股名は故郷壮瞥にある洞爺湖にちなんで師匠の三保ヶ関がつけた。湖を「うみ」と読ませたのは水上勉の小説『湖の琴』(うみのこと)からの着想という。
http://ja.wikipedia.org/wiki/北の湖敏満

◆ 「北の湖」が洞爺湖であろうことは想像がついたけれど、ありゃりゃ、こんなところにも、水上勉が! この『湖の琴』という小説は読んだことがないが、映画化もされているらしい。舞台は余呉湖。

〔Wikipedia〕 余呉湖(よごこ)は、滋賀県長浜市にある湖。「よごのうみ」とも読む。日本最古とされる羽衣伝説の地として知られる。春夏秋はハイキング、冬場はワカサギ釣りで賑わう。
ja.wikipedia.org/wiki/余呉湖

◆ 「よごのうみ」と「も」読む、か。司馬遼太郎に言わせれば、そうではなくて、

◇ 余呉は、余呉湖(よごこ)ではなく、あくまでもよごのうみとよばれるべきものなのである。
司馬遼太郎『街道をゆく4』(朝日学芸文庫,p.276)

◆ ということになる。

◇  いったいに、湖(みずうみ)という日本語は明治以前にはなかったのではないか。LAKE という外来語が入ってきてその翻訳語としてミズウミという日本語ができ、大正期を経て定着したのではないかとおもわれる。われわれが湖とか湖畔とかいう言葉に、歌謡曲的な適度のハイカラさを(たとえば長崎のオランダ坂といったものと同類の感覚を)もつのは、それが伝統的な日本語でなく、翻訳語であるためかもしれない。
『広辞苑』(第二版)の湖の項をひくと、
「水海の意。周囲を陸地でかこまれ、直接海と連絡のない静止した水塊」とある。
 この「静止した水塊」のことを、明治までの日本語では、単にうみとよぶことが多かった。淡海(あわうみ)、淡海(おうみ)とよばれることもあった。

Ibid.,p.275-276

◆ 「湖畔」というコトバの「適度なハイカラさ」は、たとえば、このホテルにも感じることができる(だろうか?)。(大都会の)湖畔で愛しあう二人。

〔道浦俊彦/とっておきの話:ことばの話2877「琵琶湖で海水浴」〕 琵琶湖は「海」ではありませんから、「『海水』浴」は出来ません。強いて言うなら、「湖水浴」ですが、この言葉は、こなれていませんよね。
www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/2801-2900/2876.html

◆ 先にも引用したこの文章、別なことが気になったので、少しだけ。気になったのかのは『カッコ』の位置で、ワタシなら、

◇ 琵琶湖は「海」ではありませんから、「『海』水浴」は出来ません。強いて言うなら、「『湖』水浴」ですが、この言葉は、こなれていませんよね。

◆ と書くだろうと思う。「海水浴」というコトバの成り立ちは、「海水+浴」なのか、「海+水浴」なのか? 「海水を浴びること」なのか、「海で水浴すること」なのか? それによって、海水浴の対義語もそれぞれ異なったものになる。ひとつが「湖水浴」。

◇ 八月最後の日にもかかわらず、海水浴に行って来たのである。海水浴と言っても、本当の海はお盆を過ぎるとクラゲの登場で、到底泳げっこない。泳ぎに行ってきたのは、滋賀県の琵琶湖である。だから正式には海水浴ではなく湖水浴だ。
www2.nkansai.ne.jp/users/otomu/99.8-1.html

◇ それは「海水浴」ならぬ「湖水浴」。滋賀県内には真野浜、わに浜、松の浦、マキノサニービーチ等、20以上のすばらしい水泳場が数多くある。
urara.47club.jp/2010-07-chikyuu/shiga/4785

◇ 始めての海水浴(正しくは湖水浴ですが、何故かみんなこう言います)は琵琶湖。免許を取ったらとりあえず琵琶湖。デートも琵琶湖。とにかく暇だったら琵琶湖。京都の人間にとって琵琶湖はそういう場所です。
pupa.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-1c90.html

◆ もうひとつが「淡水浴」。「湖水浴」もこなれていないが、「淡水浴」はさらにこなれていないだろう。

◇ 関西出身の私は子供のころ夏は琵琶湖で海水浴ならぬ淡水浴!?
audreyblog.exblog.jp/12112190/

◇ 小さい時は、海水浴といったらだいたい琵琶湖のわに浜やったな。琵琶湖なら淡水浴やね。ワニがおるのと違うかとビクビクしていた。
blog.goo.ne.jp/kyo-otoko/e/8fbe57560f7ae763ff647d0ec03e03e3

◇ 京都人は、海水浴ってゆーたら琵琶湖ですよね。(淡水浴やけど)
fight.blog.eonet.jp/hirokohan/2010/06/post-59b7.html

◆ 「湖水浴」にせよ「淡水浴」にせよ、引用した文章を読んでいると、書き手の脳裏にまっさきに浮かんだコトバが「海水浴」であったことはまず疑いがない。そのあとで「琵琶湖で海水浴? ちょっと変かな?」と考えて、「湖水浴」あるいは「淡水浴」というコトバを作り出す。そんなことなら、面倒だから、「海水浴」でもいいんじゃないかという気がしないでもない。

◇ あんな淋しい駅はどこにもないとさえ思った。江若鉄道が通っていたころ、終着駅の近江今津駅のことだ。若狭の在所へ帰るのに、大津から電車に乗った。三輌ぐらいしかない電車は、湖岸道路に沿うて、畑の中や、松林や、町なかをぬけて北へ北へ走り、今津駅に着くと、そこは終着ゆえ、乗客はみな降りる。といっても、私が愛着したころは、どの車輌にも、五、六人しか客はいなかった。医者へ行ったとみえて片手を三角巾で包んだ若者。眼帯をした娘さん。松葉杖をついた中年女。近在から大津まで出た人たちが帰ってきたのである。殆ど農夫や行商人で、あふれるほど混むのは真夏の海水浴シーズンぐらいだろう。ふだんの日は、今津駅は、自転車が一、二台軒下にたてかけてあるだけで、車など見えもしなかった。
水上勉『停車場有情』(朝日学芸文庫,p.152)

◆ 江若(こうじゃく)鉄道のことを書こうと思ったわけではないが、知らないひとも多いだろうから(ワタシも名前しか知らないが)、ちょっと説明。

〔大津市歴史博物館〕 「江若鉄道」と聞いて、当時の姿をイメージできる方は、おそらく40代以上の方でしょう。江若鉄道は、浜大津から今津までの鉄道で、近江と若狭をつなぐという意味から、それぞれの一字をとって、その名が付けられました。大正10年に三井寺-坂本間が、昭和6年には浜大津-今津間が開通しましたが、若狭まで延伸は実現することなく、昭和44年に廃線、同49年に開業した国鉄(JR)湖西線にその役割を譲り、約50年の歴史を終えました。
www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/060701.html

◆ 水上勉は「電車」と書いているが、江若鉄道は廃線まで電化されることはなかったので、したがって電車は走っていなかった。走っていたのは、汽車だったり、ガソリンカーだったり。それはさておき、そのあとの「あふれるほど混むのは真夏の海水浴シーズンぐらいだろう」という箇所を読んで、思い出したことがある。こどものころ、海がそれほど近くはない京都の山科というところに住んでいたワタシにとって、「海水浴」といえば琵琶湖のことだった。おとなになって、琵琶湖で「海水浴」というのは妙な気がし、「湖水浴」などというコトバもあったのだろうかと記憶を遡ってみたりもしたが、よくわからなかった。「海水浴」と言っていたのは、もしかしてワタシだけだったのだろうか? そのことがちょっと気になっていたので、この水上勉の文章を読んだときに、ワタシだけではなかったんだな、とちょっとほっとした。もちろん、水上勉の「海水浴」が、終着の今津からさらにバスに乗り換え、山を越えてようやくたどり着く若狭湾のことである可能性もないではないが……。

◆ 平成18年7月28日(金)~9月3日(日)、大津市歴史博物館で「ありし日の江若鉄道 -大津・湖西をむすぶ鉄路(みち)-」という企画展があったらしい。この展覧会を見に来たひとたちが「江若鉄道の思い出」をさまざまに語っていて、そのなかに、

◇ 若狭への海水浴へは京都から京津電車に乗り、浜大津へ出て、それから江若鉄道にて今津まで、それから国鉄バスで若狭へ到着。まる半日以上はかかったかと思います。
www.rekihaku.otsu.shiga.jp/note/14.html

◆ 若狭に江若鉄道で海水浴に行くひともいたんだな。とすると、水上勉の「海水浴」は、やっぱり、若狭のことだろうか? また、べつなひとは、

◇ 昭和38年-昭和40年頃、家族で夏休みのレクレーションに、小松浜まで、海水浴に連れて行ってもらいました。当時は、車内は冷房設備がなく、1日琵琶湖で泳ぎ楽しんで帰る時、くたくたの体で車内暑かったのを今、54才になる私は、その頃を、ハッキリと覚えています。

◆ これは間違いなく琵琶湖のことだ! その他のひとはどうかというと、

◇ 又真野駅や雄琴温泉駅勤務の時は客といろいろ口けんかをして、水泳客が切符なしで乗車した時もありました。

◇ 昭和の10年前後、柳ヶ崎水泳場で泳いだ想い出なつかしい。浜でさぐると鳥貝などよくとれた。

◇ 機関車の煙と水泳客で鈴なりの乗客の姿も忘れられません。ポアーンとガソリンカーのこだまする懐かしい音も心の底にあり、思い出すといろいろ本当になつかしい鉄道であります。

◇ 京都で生まれ育った私にとって、水泳行の多くは琵琶湖で、江若鉄道のガソリンカーが、自動車中心の時代まで、交通手段だった。

◆ どうやら、「水泳」というのがフツウの言い方であるらしい。「海水浴場」ではなくて「水泳場」、「海水浴客」ではなくて「水泳客」。とはいえ、「海水浴」と言うひとも、それが誤用であるにしても、少なからずいるので、

◇ 小学校、中学校の夏休み当時は学校にプールなどなく、夏休みは歩いて琵琶湖まで海水浴に行くのがほぼ毎日でした。
takasima.shiga-saku.net/e421706.html

◆ と書いているのは、地元のひとだ。

〔道浦俊彦/とっておきの話:ことばの話2877「琵琶湖で海水浴」〕 今日、6月8日の『ズームイン!!SUPER』の関西ローカル部分の放送は、滋賀県大津市の琵琶湖岸からでした。あの遊覧船「ミシガン」からの中継です。今日は「泊まり明け」だったので、会社のテレビでその中継を見ていたら、大田良平アナウンサーが、「いやあ、琵琶湖に来るのは久しぶりです。子供の頃によく海水浴には来たんですけど」とポロッと言ったのを、私は聞き逃しませんでした。「海水浴? いつから琵琶湖で『海水』浴が出来るようになったんだ!?」 でしょ? 琵琶湖は「海」ではありませんから、「『海水』浴」は出来ません。強いて言うなら、「湖水浴」ですが、この言葉は、こなれていませんよね。じゃあどう言えばいいのか? ここはシンプルに、「泳ぎに来た」で良いのではないでしょうか?
www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/2801-2900/2876.html

◆ 琵琶湖は「海」ではないかもしれないが、少なくとも「うみ」の一種ではあるだろう。みずうみ。あわうみ(おうみ)。

◇ 小さい頃、琵琶湖は海だと思っていました。海水浴はいつも琵琶湖でしたが、「うみ」に行くと言っていました。滋賀県の人は、結構高い確率で琵琶湖を「うみ」と呼びます。これは、本当です。
neznet.main.jp/pro.html

◆ そういえば、旧制三高の寮歌のひとつ「琵琶湖周航の歌」の歌い出しは、

♪ われは湖(うみ)の子 さすらいの
「琵琶湖周航の歌」(作詞:小口太郎,作曲:吉田千秋)

◆ だった。琵琶湖での海水浴は、塩でべとつかないので、帰りにシャワーを浴びる必要がないのがいいところ。

  上小

◆ 信州上田をほっつき歩いていると、何度も「上小」という文字に出くわすので、「はてこれはなんだろう」と考えこんでしまうはめになる。「上」はまさか「上州」ではないだろうから、「上田」の「上」でいいのだろう。「上小」で「上田小学校」ということもあるかもしれないが、これでは意味の範囲がかなり狭いので、ほかの可能性として、「上田・小諸」のことだろうかとも思ったりもしたが、どうやら違ったらしい。

〔Chakuwiki〕 上田小県(うえだちいさがた)地方、略して上小(じょうしょう)。上田小諸という考え方もあるが、小諸は佐久地方。「小県=ちいさがた」は難読だ。ドラマ「風林火山」では小県が良く出てきた。「上小」って文字だけ見てたら何かあんまし語呂良くないな。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/長野/上小

〔 Wikipedia〕 上小地域(じょうしょうちいき)は、長野県東信地方の上田市を中心とした地域のことを指す名称で、県を10地域に分けるときに用いられる。上田市と小県郡の頭文字を並べた名称である。上小地方、上田地域、上田地方と呼ばれることもある。旧小県郡の範囲、上田地域広域連合の範囲に一致する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/上小地域

◆ なるほど。都道府県内の地域名というのは意外となじみがないもので、たとえば、東京都にしばらく住んでいても、「三多摩」地域の「三」の意味はいまだに知らないし、「城南」「城東」地域などという言い方も、それが正確にどこを指すのかよくわかっていない。まして、他府県のことになると、泊まった宿で天気予報を見ても、いま自分がどこの地域に属しているのかさえわからないことがよくある。

◆ 信越線の横川駅で、名物駅弁の「峠の釜めし」を買って(軽井沢駅)で食べた。駅弁だから、鉄道の車内で食べるのが一番だが、長野新幹線開通後、横川・軽井沢間は廃線になってしまって、バスしかない。バスで食べるのもなんなので、軽井沢駅で食べたのだが、軽井沢駅にも釜めしは売っていていたので、それなら軽井沢で買えばよかった。食べる前、900円はちょっと高いかとも思ったが、具も豊富、ボリュームもたっぷりで、かなり満足(満腹というべきか)した。というわりに、いま具材を思い出して書こうとすると、鶏肉のほかはなにも思い出せない。情けないが仕方ない。腹が減っていると頭はほとんど働かない。食べたあとには、いつも「美味しかった」という記憶しか残っていないのが(ワタシの場合)常である。写真を見直し、また《峠の釜めし本舗おぎのや》のサイトで確認をして、具材のラインナップを書き出してみると、紅生姜、栗、ごぼう、うずらの卵、鶏肉、椎茸、グリーンピース、杏子、筍。

◇ 貧乏学生だった頃は、この峠の釜飯弁当はすばらしく豪華で、超高級のごちそうだった。ほのかに温かく、ずしりと重味のある釜器を膝の上にのせて、上に乗っている具をひとつずつ箸でつまんで噛みしめるようにあじわう。
 椎茸、タケノコ、皮つきのカシワ、ゴボウ、そしていつも不思議に思っていたのが、ほのかに甘いアンズである。栗はいちばん最後まで大事にとっておいて食べた。
 昭和二十七年といえば、一九五二年である。当時、十九歳だった九州出身の大学生には、過ぎた弁当だったはずだ。あの頃、この釜飯弁当の値段がいくらだったのかは記憶にない。
 しかし、現在でも九百円という値段は、まことに良心的だと思う。そして、中身も、姿も、味も、ほとんど変わってはいない。

五木寛之「流されゆく日々~さらば横川の釜飯弁当4」(『日刊ゲンダイ』連載5333回)

◆ ちなみに、カシワは鶏肉のこと。さすがにプロの作家の記憶力はすばらしいものだと思ったが、「峠の釜めし」の販売開始は昭和33年だそうで、昭和27年にはまだなかったらしい。それはともかく、「栗はいちばん最後」というように、具を食べる順番にこだわりを持つひとは多いようで(ひょっとすると、こちらが多数?)、

◇ ちなみに、大好きな具は、栗!! 最後にデザートとして食べるのが楽しみ(^^♪
homefan.exblog.jp/9324452/

◇ 具はなんといっても、鶏肉をメインにうずら卵を楽しみ、最後に栗で締めたいと思いますぅ~♪
blogs.dion.ne.jp/garnet24/archives/8384095.html#comments

◇ ずっと昔に、列車の中で食べた時のことをいろいろ思い出す。そう、いつも栗は最後に食べたのだった。
gensenkan.blog.so-net.ne.jp/2007-03-31-1

◇ 私は好物を最後に残しておくタイプなのですが、釜めしの場合は最後は うずらのたまご→栗→あんず の順番で締めくくるのが通例で、今回も同じ締め方をしました。
blogs.yahoo.co.jp/toyosushinonome/42984446.html

〔後藤藍オフィシャルブログ〕 鶏肉、しいたけ、ごぼう、竹の子、栗、杏が入っていてうまーく均等に少しづつ食べたのですが、最後を栗にするか杏にするかすごい迷いました( ̄▽ ̄;)結果、杏が最後!昔から好きな物は最後派で、小さい頃よくよそ見した瞬間おねぇちゃんに食べられて泣いてたなぁといつも思い出します(^_^;)食べ物の恨みってやつですね!特に杏は大好物だから今では杏だけは絶対にお姉ちゃんあげませんV(^^)V
gotoai.jugem.jp/?eid=128

◆ ワタシはというと、食べた順番さえもはや憶えていない。いやはや。これからは、もう少しアタマを使いながら食事をしたいものだと反省しきり。

◆ 長野県小諸市。小諸城大手門。左、2003年11月5日。右、2010年6月12日。この2枚の写真のあいだに、「平成の大修理」(2004年12月~2008年3月)があったそうで、外観が大きく変わっている。大手門でもらった教育委員会発行のパンフレットによると、

◇ 大手門は、明治時代に料亭や小諸義塾の仮塾舎として利用されたため、中二階や間仕切壁などの造作がなされていました。そこで、今回の保存修理工事では明治の改造を取り去り、小諸城の入り口にあたる城門の大手門としての豪壮な構えを誇っていた享保五年(1720年)改造時の姿に復原し、あわせて東西両石垣の孕み出しがあり危険なため、建物の解体にあわせて積替えを行いました。

◆ つまり、この門からは明治の記憶がすっかり消し去られてしまったというわけ。復元工事以前のこの門はこんな感じ。

◇ 大手門は、説明書が無ければ3階建ての民宿にしか見えないような状態で、1階が部屋になっていて、とても外敵を対象にした門には見えませんでした。
www1.ocn.ne.jp/~oomi/kosiro.html

◆ ワタシはどちらかというと「民宿」の方に惹かれるタイプで、こんな民宿があるなら、ぜひとも泊まってみたい。外見は立派でも見るだけの建物はつまらない。復元工事後、大手門の内部はおきまりの資料展示室になっていた。

◆ 長野県小諸市。さかい果物土産品店。左、2003年11月5日。右、2010年6月12日。こちらはほとんど変化なし。ただ右隣の建物の屋上看板から「アイフル」の文字が消えていることが時代の流れを物語る。

〔アイフル〕 アイフル(AIFUL)の社名は、愛情「Affection」と努力「Improvement」をもって仕事に臨み、お客様の信頼「Faithfulness」に応える、約束「Unity」と活気「Liveliness」に満ちた会社を意味しています。
www.ir-aiful.com/japanese/faq04.cfm#faq-9

◆ どうでもいいけど、アイフルさん、「Unity」に「約束」なんて意味はないよ。

◆ 電車のなかで本を読むと、こんなこともある。

◇ やっと交番から逃れて切符を買ってる時、お前はどこへ行くのだ、僕はとよ四季と云う所にかじ屋があるので、其処へ働きに行くんですと云ったらば、駅の人が、柏で降りて、野田線に乗りかえるんだと云って、野田線からとよ四季へ行かれると云われました。「夕飯はまだ食べてないのか。よし腹がへってるだろう」袋そっくりせんべいを貰って僕は記者の中で食べました。とよ四季でかじ屋へ行く道がわからないので、やっと教えて貰って行って見れば違うかじやで、方々聞いてもわからないので、仕方がないからこの辺で使って貰おうと思っても、誰も使う人は居ないのでした。「とよ四季じゃ人を使う家は無いから、柏へ行って使って貰えよ」と云われて駅へ行ったら、駅の人に、「お前はどこへ行くのだ」と聞かれたので、僕はその通り話をして、金は持って居ないので、ただ切符を貰って有りがたく思いました。(昭和十六年・十九歳)
池内紀編 『山下清の放浪日記』(五月書房,p.30)

◆ 野田線。この文章を読んだのが、たまたま東武野田線の電車のなかだった。