◇ おりひめバスですか! ひこぼしバスは無いんでしょうか? ◆ とは、もっともな感想で、「ひこぼしバス」はないのか? と、そう思うひとも多いだろうと思う。 ◇ そうですね、なぜ、おりひめなのか意味不明です。群馬で桐生で。何があるんでしょう。 ◆ けれど、彦星はさておき、織姫にかんしては、群馬の桐生には関連する何かは確実にあるので、けして意味不明というわけではない。 ◇ 〔桐生市ホームページ〕 桐生の織物の起こりは古く、奈良時代のはじめには絹織物を朝廷に献上し、江戸時代には「西の西陣、東の桐生」とうたわれ、織物の一大産地となりました。織物産業の繁栄を今に伝える町並みがいたるところに残り、のこぎり屋根の織物工場や土蔵造りの店舗など近代化遺産の宝庫となっています。 ◆ ああ、そういえば、むかし社会科の授業で習ったな、と思い出すひともいるかもしれない。たしかに、桐生の町を歩けば、それだけで「織物産業の繁栄を今に伝える町並みがいたるところに残」されていることに、だれだってその場で気がつく。……はずなのだが、ワタシがそのことをほんとうに実感できたのは、桐生を訪れたあとずいぶんと経ってのこと、家に帰ってからのことだった。写真の整理をしている過程で「おりひめバス」のことが気になって、あれこれ調べだして初めて、ああ、そういえば、桐生は織物の町だったんだな、とあらためて気がついた。なんとも間抜けなハナシだが、ほんとうのことだから仕方がない。 ◇ 〔ぶぎんレポート No.122 2009年5月号:産業文化都市―織都“桐生”のまちづくり(松本あきら)〕 桐生には「おりひめバス」という美しい名前のミニバスを市が運行している。現在7路線、平成8年に完全撤退した東武バスに代わり市民の貴重な足になっているが、毎年1億円近い赤字が出て市も見直しを検討しているという。自治体バスは、民間バスの撤退後、市町村が赤字覚悟で市民の足を確保する対策型タイプと、コンパクトなまちづくりで中心市街地を再生させることを念頭においた政策型タイプに大別される。桐生は、前者のタイプだが、もう少し政策的観点を強めたらどうだろう。 ◆ 「おりひめバス」の名称の由来を調べようと、桐生市役所のホームページを閲覧しているときに、たまたま市役所のの住所が目にはいって、それが、桐生市織姫町1番1号。織姫町! それを見て初めて、ああ、そういうことだったんだな、とようやく合点がいったわけなのだった。ちなみに「おりひめバス」という名称は公募によって決まったそうだ。
◇ 〔桐生市ホームページ〕 当初は隣接する織物工場で働く従業員の浴場として建築され、現在は銭湯として営業している。 ◆ のだそうで、この記述を読むにつけ、そうかそうか、桐生はやっぱり織物の町だったんだな、とあらためて気がつく。
◇ 〔桐生市ホームページ〕 織都桐生に繊維関係の高等教育機関をという願いがかない、大正5年に染織と紡織の二科を専門とする桐生高等染織学校が設置されました。その後、桐生工業専門学校の時代を経て、昭和24年には群馬大学工学部となり現在に至っています。 ◆ この記述を読んで、あらためて、そうだった、桐生は織物の町だった、ということに気がつく。
◇ 〔桐生市ホームページ〕 本町1・2丁目周辺には、木造のほか石造、煉瓦造など、桐生を代表する近代化遺産であるのこぎり屋根の織物工場が点在します。のこぎり屋根は北側の天窓からの柔らかい光が場内の手作業に適しており、また織機の音を拡散できることから、織物工場として明治~昭和初期に数多く建設されました。 ◆ そんなわけだから、この文章を読んで初めて、なるほどなるほど、ノコギリ屋根にする理由がちゃんとあったんだな、と納得し、ほんとうに桐生は織物の町だったんだな、とあらためて理解をする。 ◆ 知らない町をぼけっと散歩をするのが好きで、なにも知らずに町をぶらぶらするのは、それはそれでとても楽しい。それとはべつに、知らない町を訪れたあとで、家に帰ってゆっくりとその町のことを調べるのも、それはそれでまた別の楽しみがある。 |
◆ 「京の七口」という記事を書いたときに、写真を添えたくなって、とくに「京の七口」の写真を撮ったという記憶はなかったけれど、とりあえず探してみると、粟田口の写真を1枚だけ見つけた(下の左)。撮影日は2003年1月5日。カメラはCASIOのEX-S1(124万画素)。京都市立粟田小学校の校門の右端に「粟田口」と記された石柱と解説板が写っている(はず)。それで、その解説板の部分を使おうかと思って拡大してみたが、ご覧の通り(下の右)、まったく使いものにならない。 ![]() ![]() ◆ なもんだから、先月帰省したときに、ふたたび同じ写真を撮ってきた。今回のカメラはCANONのS90(1040万画素)。 ![]() ![]() ◆ さすがに、124万画素と1040万画素の差は歴然で、これなら拡大してもなんとか文字が読める。めでたしめでたし、というわけなのだが、写真をよく見ると、小学校の名称が「粟田小学校」ではなく「白川小学校」になっていた。 ◇ 〔粟田小学校ホームページ〕 平成15年度をもちまして粟田小学校は135年の歴史を閉じます。今までずっと、交流学習を行ってきた有済小学校と統合し、「京都市立白川小学校」として再出発いたします。永年つちかってきた「粟田教育」を新しい学校でも続けていきたいと思います。 ◆ 平成15年といえば、2003年か。ということは、最初の写真を撮ってまもなく粟田小学校はなくなってしまったんだな。 |
◇ 〔まちBBS:☆長野県の方言~四言目~☆〕 この間、関東の方にもろこし(とうもろこし)と、うり(きゅうり)と言ったら、何で略してるのぉ~w って笑われたんです。もろこしとうりは方言なんですかね? ◇ えっ、「もろこし」って方言だったんですか? 知らなかった。両親の実家が山梨なこともあって、普通に「もろこし」って言ってました。 ◆ 方言といっても、かたちの上ではトウモロコシの語頭のトウを省略しただけに思えるので(語源的な経緯はしらない)、その場合はくだけた俗語として長野・山梨にかぎらず全国的に用いられもするだろう(スナック菓子の「もろこし村」とか「焼きもろこし」とか)。 ◇ 〔ほぼ日刊イトイ新聞-みうらじゅんに訊け! ──この島国 篇:山梨県〕 みうら ぼくは、とうもろこしが好きなことで家では有名です。じゅんはとうもろこしが好きだ、とうもろこしが入っていれば苦手なものも食う、と、評判でした。例えば、ぼくはサラダは好きじゃないですけど、とうもろこしをプラスしてもらえればとうもろこしだと思ってサラダも食べるぐらいとうもろこしが好きです。ですから、とうもろこしを焼いて売っているところでは、当然、買います。前回、富士山の5合目に車で近づいたときもそこでもろこしを焼いてることは、すぐに発見しておりました。
◇ 札幌の大通公園は、トウキビの立ち食い風景の名所のひとつで、紳士淑女でも、だれはばからず、黄金のかぶりつきが見られる。 ◆ さっき引用したみうらじゅんのモロコシ談義がおもしろいので、もう少し。 ◇ みうら ところでぼくは、「1もろこし、ひとり」という考えで、これまでやってきました。1本のもろこしをふたつに割って人に与えるほどの余裕はないです。もろこしは、1本まるまる自分が食う、という考えです。でも、必ず「ちょっと食べさせて」という人がいるでしょ? ぼくは「ちょっと食べさせて」がいちばん嫌いです。だったら1本買えばいいじゃないか、と思うんです。しかしどうやら、特に東京の人は、「ちょっと味見」が好きなようで、ちょっと食べる人、多いです。
しんとして幅広き街(まち)の |
◇ 〔朝日新聞〕 大阪市西区で幼い姉弟が自宅に置き去りにされ死亡し、母親の****容疑者(23)が死体遺棄容疑で逮捕された事件は6日未明に遺体発見から1週間となる。現場マンション前には連日100人以上が訪れ、手を合わせている。〔中略〕 ジュース、お菓子、おにぎり、おもちゃ、絵本、子ども服、「気付かずにごめんなさい」と書いた手紙……。飲み物の多くはストローが挿され、食べ物の箱やふたは開けられている。「幼い子でも飲みやすいように」との思いからだ。マンション前を訪れた人は3日に約150人、4日はさらに増え、5日も正午までに30人以上を数えた。
◆ このニュース記事が気になっていたので、とりあえず記事にしておこうと思って、さいしょに考えたのが、小林秀雄の「人形」というエッセーと並べてみるということだった。作者が急行列車の食堂車のテーブルで相席することになった老夫婦。妻は大きな人形を抱えている。人形は、「背広を着、ネクタイをしめ、外套を羽織って、外套と同じ縞柄の鳥打帽子を被っていた」。 ◇ 妻は、はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き、自分の口に入れる。それを繰返している。 ◆ 飲み物にストローを挿すという行為は、スプーンで人形の口元にスープを運ぶ老婦人の行為と関連がないわけではないだろう。見えない人形。でも、すっきりしないし、とんでもなくあさはかな理解の仕方であるような気がして、記事にするのをやめにした。
◆ この光景を見て、気になっていたニュース記事のストローが挿された飲み物のハナシをまた思い出した。それで、どうせまとまりのない記事を書くのなら、人形のハナシなんかよりは、こちらの金魚すくいをする少女の浴衣の袂のハナシのほうが、たんじゅんでふさわしいような気になった。母親であるというのは偉大なことだ、とあいかわらずほとんど理解できないながらも、そうつぶやきなくなった。 |
◇ 吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやく楽になって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭うがごとく腹内に収めた。
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