MEMORANDUM

  粟田口の写真

「京の七口」という記事を書いたときに、写真を添えたくなって、とくに「京の七口」の写真を撮ったという記憶はなかったけれど、とりあえず探してみると、粟田口の写真を1枚だけ見つけた(下の左)。撮影日は2003年1月5日。カメラはCASIOのEX-S1(124万画素)。京都市立粟田小学校の校門の右端に「粟田口」と記された石柱と解説板が写っている(はず)。それで、その解説板の部分を使おうかと思って拡大してみたが、ご覧の通り(下の右)、まったく使いものにならない。

◆ なもんだから、先月帰省したときに、ふたたび同じ写真を撮ってきた。今回のカメラはCANONのS90(1040万画素)。

◆ さすがに、124万画素と1040万画素の差は歴然で、これなら拡大してもなんとか文字が読める。めでたしめでたし、というわけなのだが、写真をよく見ると、小学校の名称が「粟田小学校」ではなく「白川小学校」になっていた。

〔粟田小学校ホームページ〕 平成15年度をもちまして粟田小学校は135年の歴史を閉じます。今までずっと、交流学習を行ってきた有済小学校と統合し、「京都市立白川小学校」として再出発いたします。永年つちかってきた「粟田教育」を新しい学校でも続けていきたいと思います。
www.edu.city.kyoto.jp/hp/awata-s/awasira/sirakawa.htm

◆ 平成15年といえば、2003年か。ということは、最初の写真を撮ってまもなく粟田小学校はなくなってしまったんだな。

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