MEMORANDUM

  京の七口

◆ ご当地検定といえば、「京都検定」(京都・観光文化検定)が有名で、2004年に行われた第1回3級(いちばん下のランク)の問題をチラリと見てみると、

◇ 問題98:京都駅前のシンボルとなっている、京都タワーが竣工したのはいつか。
(ア)昭和36年 (イ)昭和39年 (ウ)昭和42年 (エ)昭和45年
問題99:かつて洛中の周囲に設けられた「京の七口」のうち、東海道の出入口として適当なものはどれか。
(ア)丹波口 (イ)粟田口 (ウ)大原口 (エ)鞍馬口

www10.plala.or.jp/chinujyou/kyotokentei1kai3kyuu.html

◆ 問題98、これは、ワタシにとって、「アナタが生まれたのはいつか」と問われているのと同じ。京都タワーの竣工は、1964(昭和39)年。問題99、「東海道の出入口」とあるので、これは粟田口しかない。「京の七口」というコトバを知らなくても、正解できる。じっさいワタシが「京の七口」というコトバを知ったのは、(忘れていたのでなければ)つい先日のことだった。

◇ 「京に七口あり」
 という。白河口とか鞍馬口とか、あるいは丹波口、鳥羽口、粟田口といった用い方で、京都ではいまでも地名としてつかわれている。平安京は防御しにくい山城盆地におかれたが、それでも七口をふさげばなんとか侵入軍をふせげた。歴史上、身近な例として会津盆地がある。会津盆地に入るためにはいくつかの口を経ねばならない。明治戊辰の乱で孤立した会津藩は、この口々に塁塞をつくって新政府軍をふせごうとし、口の防衛戦では「滝沢口」の戦いがもっともよく知られている。

司馬遼太郎『街道をゆく3』(朝日学芸文庫,p.151-152)

◆ と、ワタシが「京の七口」というコトバを知った文章を引き写していると、読んだときには気にならなかったが、「白河口」なんてあったっけ、これは(京には白川という川があるから)「白川口」の誤植じゃないのか、という気がしてきて、《Wikipedia》を見てみると、

◇ 京の七口(きょうのななくち)とは、京(京都)につながる街道の代表的な出入口の総称として用いられる。七口として示される出入口の場所および名称は史料によっても異なり、定まっていない。
ja.wikipedia.org/wiki/京の七口

◆ とあり、「現代において七口の一つとよく称される代表的な口」として挙げられているのは、「鞍馬口」「大原口」「荒神口、今道の下口」「粟田口、三条口」「伏見口、五条口」「竹田口」「東寺口、鳥羽口」「丹波口」「長坂口、清蔵口」で、「白河口」も「白川口」も見あたらない。どうも、この「白河口」というのは、京都とは関係がなくて、戊辰戦争時の「白河口の戦い」で知られる福島県白河市の白河口のことであるようだ。どうして、この白河口が京の七口に紛れ込んだのか。ちなみに「白川口」のほうも、京都にはないようだが、岐阜県に高山本線の駅名として白川口というのがある。駅名といえば、山陰本線の駅に丹波口があって、これは京の七口のひとつ(だった)。

◇ 丹波口の駅で乗り降りする客の誰もは、みな島原のこの遊郭を歩くのだった。律儀なつとめ人も、学校の子らも、この土地にうまれて、列車を利用する者は、みな、遊郭のけしきを見ながら歩いたのだ。
 日本の国鉄駅で、遊郭を駅前通りとする駅はおそらく、この丹波口くらいではなかろうか。

水上勉『停車場有情』(朝日学芸文庫,p.31)

◆ この「遊郭を駅前通りとする駅」も、いまはない。

〔wikipedia〕 1976年(昭和51年)3月16日 - 高架駅化・北へ500メートル移転。
ja.wikipedia.org/wiki/丹波口駅

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