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◆ たまたまこの2冊の本を同時に読んでいて気になったこと。 ◆ 「十六、七の頃、ルンペンになりたいと思った」 と書いているのは先月46歳の若さで亡くなった杉浦日向子。 ◇ べつに、垢にまみれて、地下道でゴロゴロしたかった訳じゃなく、ただ、働きたくなかったのだ。職のない人をルンペンというのだと思っていた。冬の朝には死んでしまう事や中学生に撲殺されてしまう事などは知らなかった。 ◆ あまりに無邪気な文章だけれども、亡くなってしまえば、それも彼女の持ち味だったのかと思わないでもない。では、こんなのはどうか。 ◇ 「日本国憲法」 の本文の方をパラパラめくっていると、こんなくだりが目にとまった。 / 「第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」 / はたして自分はその 「義務」 を果たしているだろうか。今日は、この原稿を書いただけだが、これが 「勤労」 と言えるのかどうか。 ◆ この小説家が亡くなったというハナシは聞かないので、言いたいことを言うと、こうした文章ははなはだ不愉快である。この人は 『日本国憲法』 をパラパラめくる以前には、ほんとうに憲法27条を知らなかったのではないか、と思わせる。わざとお気楽に書いているのだとしたら、その作為が鼻につく。いずれにしても、無邪気とは言い難い。 ◆ 「勤労の義務」 ということで、ニートのことが気になった。 ◇ 独立行政法人労働政策研究・研修機構 (旧称、日本労働研究機構) の小杉礼子はニートを4種類に類型化している。 ◆ ううん、よくわからない。なんの考えも文章を書き始めると、あれやこれやですぐに深みにはまって身動きがとれなくなる。ふたたび、杉浦日向子に戻って、 ◇ 江戸の街では、昼日中から「いい大人」があちこちでブラブラしている。ブラブラしていても、かみさんがあって、子供なんかもいたりする。あんなのに、なりたいなあと思う。 ◆ ワタシも 「あんなのに」 なりたい。 |
◆ 「東海新報」という地方紙があるのを知った。東海といっても、東海地方の新聞ではない。 ◇ 岩手新報、河北新報などの記者だった鈴木正雄が退職後の昭和33年に創刊。大船渡市は岩手県沿岸でもほぼ最東端に位置することから題号に「東海」の二字を冠した。 // エリアは旧気仙郡の2市1町(大船渡市、陸前高田市、住田町)で、8万弱の人口に2万数千の世帯数と、経営的には決して恵まれた環境ではないが、それでも17,500部という購読者に支えられて、独自の言論を展開している。 ◆ そういえば、石川啄木の (教科書で) 有名な、 ◇ 東海の小島の磯の白砂に ◆ の 「東海」 も諸説あるようだけれども、少なくとも、東海地方ではない。 ◇ 「小島」はもちろん江ノ島なんかではない。そこは北海道の海岸である。啄木の足跡からしてそれは確かであり、現地に歌碑もある。だから、ここに出てくるカニはタラバガニだという説がある。時は明治。乱獲もない時代である。そのころのタラバガニは相当大きかった。巨大なカニと戯れる啄木。砂浜で相撲でもしたのだろうか。 ◆ あはは。おもしろい。おもしろついでに、なぜだかドラえもん。スイカ割りの順番を決めるジャンケンにグーを出してみなに負け、 ◇ 東海の小島の磯の白砂にボク泣きぬれて蟹とジャンケン / さすがドラえもん、グーで勝つためには、いつもチョキをだす蟹を相手にするっきゃないのです。これを見ていたのが、その時たまたま江ノ島に遊びに来ていた啄木です。「ボク」を「我」に、 「ジャンケン」を「戯むる」に添削をいれました。 ◆ とさ。おや、舞台は江ノ島ですね。 |
◆ 今年はセミがあまりうるさくない。去年は夜遅くまで、あるいは朝早くからアパートの近くで鳴いていて、部屋のなかにいるのかと思うぐらいにうるさかったのに。 ◆ 『東海新報』 のコラム 「世迷言」 (2005年07月31日付) から。 ◇ 雑学書にはさまざまな穿った見方も書いてある。こんなのがあった。松尾芭蕉が山形・立石寺で詠んだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」。このセミは何蝉だろうか。ミンミンゼミか、それともアブラゼミかとセミの姿を問うている▼それに対して答えは、ニイニイゼミだという。なぜなのか。芭蕉が立石寺を訪れたのが元禄二年、旧暦の五月二十七日。新暦だとこれが七月十三日ごろに当たる。その時分に山形で鳴くセミはニイニイゼミで、これしかないという推論だ▼ニイニイゼミというのは体長二十~二十五ミリ、黒褐色がかった小さなセミ。「ジイ、ジイ」と低い声で鳴く。どちらかというとセミの中では地味な存在である。それによってこの立石寺での一句がイメージダウンすることは一つもない。むしろ、一つの見方として話題のタネになる▼同じ芭蕉の一句に「古池や蛙飛びこむ水の音」がある。この句にしても同様で、「この中の蛙は何ガエル?」と問う人が出てくるかもしれない。それについて、ある程度推論の材料が揃えば周囲から一つの答えを見出すことができるかもしれない▼しかし、セミにしてもカエルにしても、あまり無用の詮索は句の本意とするところではあるまい。ある程度ボケるところはボケているから、句が品位を伴って人の胸中にしみ入る。それがどんなセミであろうと、あとは受け手の側次第である。 ◆ あるいは、『芭蕉の誘惑』 という著作もあるそうである嵐山光三郎の国土交通省の 「道と文化を語る懇談会」 での発言。 ◇ 学者間では、あれは茂吉がニイニイゼミだと言ったのに対して、別の学者がアブラゼミだと言ってつまらない論争をしていますけども、そんなのはどっちでもいいんです。 ◆ それから、もうひとつ。 ◇ 芭蕉の耳に響いた静寂の音(サウンド・オヴ・サイレンス)が実際にはどのセミであっても、作品は一人歩きし鑑賞者の解釈に身を委ねるしかない。ミンミンゼミでもクマゼミでも、エゾハルゼミであろうと、解釈は許されるのだ。それをその道の専門家同士がムキになって論争し、果ては勝って快哉を挙げ、負けて悔しがるなど俳句の本質を著しく逸脱している。 ◆ これら三つに共通している論調に、ワタシは承服しかねる。アブラゼミかニイニイゼミかなんて瑣末な問題で、この俳句の本質にはなんの関係もない、というようないかにも正論ぶった意見を吐くひとをワタシは信じない。こうした物言いをするひとはたいてい、実際のセミの声に耳を傾けることもなく、アタマで考えているだけなのだ。観念のセミの鳴き声などワタシは聴いたことがない。 ◆ アブラゼミとニイニイゼミでは大違いではないか、と力んでみても、実際にその区別がつかないひとには、「馬の耳に念仏」 でしかない。アブラゼミとニイニイゼミとミンミンゼミとヒグラシ、それぞれの鳴き声から生じるイメージはずいぶんと異なるものであるというのに。 ◆ けれど、いかなひとでも 「東海の小島の磯の白砂」 で啄木の戯れた蟹がタラバではおかしいと思うのではないか? それともそのような解釈も許されると言うだろうか? 受け手の自由だと? ◆ 虫好きの奥本大三郎が、中村草田男の文章を引いている。 ◇ 斎藤茂吉と小宮豊隆との論戦で、前者はこれをアブラゼミといい、後者はこれをニイニイゼミと主張した。そして実地検証の結果、後者のニイニイゼミ説が正しいということで決着がついたそうであるけれども、草田男は次のように述べている。 ・・・・・・しかし、私は茂吉説に加担するのみならず、あえてこの句を紀行文中から独立せしめ、抽出して、夏の真昼、炎熱灼くが如き真唯中に据えてしまうのである。八歳か九歳の頃、亡父からこの句をきかされた瞬間に、直ちに私はそういう詩界としてハッキリとこの句の隅々までを感得した、のみならず、その後多年、逆に、この句に向って、そういう現実界を体験しつづけてきたからである。今更どうすることもできない――というだけではない、(・・・・・・) 焔々とした炎熱の中で、すさまじい集団で啼きふける油蟬の声であればこそ、斉唱され永続されてゆくうちに、その声は次第に岩の奥底へまで滲透してゆくのである。(「しみ入るかの如き」ではなくて、事実「しみ入る」のである。) この句において、波打ちつづける蟬は、声そのものを活かしているのではない。夏の真昼の極度の「寂(しづ)かさ」を活かしているのである。油蟬の声だからこそ、逆説適薬となって、「寂かさ」を強化するのである。光明と炎熱との最高潮に達した、あのシーンとした微妙な時刻くらいに天国と地上とが合体し、永遠と瞬間とが完全に結婚をとげ得ることは他にあり得ない。まさに「瞬間よ、とどまれ」である。瞬間において、「具体」の中に、「永遠」を射とめること――それが、詩人最高の任務だとすれば、われわれは、この句の前に、ささたる論議をさしひかえるべきではないか。 虫好きで、蟬を注意してよく聴いている者、山に入る者にはよく解る文章であろう。 ◆ なんとも激烈な草田男の文章であるが、わかる気もする。「焔々とした炎熱の中で、すさまじい集団で啼きふける油蟬の声」、そうした圧倒的な蝉時雨のなかにじっと身をおいていると、とつぜん沈黙が訪れることがある。もちろんセミが一斉に鳴き止んだわけではない。あまりの音量に耳が疲れて自動的にその機能を停止したのだろうか? 休むことなく続く単調な音色に耳が慣れて刺激として感じなくなったのだろうか? それともアブラゼミの声にはなにか麻薬的な効果があって、集中力を極度に高めてくれたのだろうか? ところで、 ◇ アブラゼミは,テカテカと油につけたように見えるため油ゼミと名付けたのかと思っていたが,そうではなく,その鳴き方が,油で揚げ物をしているときの音に似ているからだという。そう思って聞くと「ジャージャー」という鳴き声がそう聞こえてくるから面白い。 ◆ ともかく、今日も暑い。遠くで、ミンミンゼミとアブラゼミが鳴いている。 |
◆ ヘルシンキで世界陸上が行われているらしい。400m障害で為末大が決勝に進出したというニュースを 『日刊スポーツ』 で読んだ。以下、首藤正徳の署名入り記事の一部。 ◇ 6月24日に欧州行脚へ出発する為末を成田空港で見送った。彼のスーツケースの中を見た。Tシャツやジャージーに埋もれた2冊の新書が目に入った。雑誌でも陸上本でもない。ある大物政治家の評伝と株式の専門書だった。その2冊の本に、彼の幅広い好奇心と探究心が凝縮されていた。 ◆ 新書判の専門書なんてのも初耳だが、政治家の評伝と株の本を読む陸上選手か。なんだかなあ。それを 「幅広い好奇心と探究心」 と書く記者も、なんだかなあ。 |
◇ 時計を右の腕に嵌めることに、深い理由があるわけではない。右利きの人は時計は左の腕に嵌めるものである。そうしてそれがなぜかというと、そのほうがずっと合理的だからである、ということを知識として知ったのが、すでに日常的に腕時計をするようになったあとだった、それだけの話である。 ◆ ずいぶん以前から腕時計をしなくなった。今では持ってさえいない。だから、右にするか左にするかで悩む必要もない。なんであれ、装身具が好きではない。締めつけるものはすべてキライである。「時計を右の腕に嵌める」 の 「嵌める」 という字を見ただけで、イヤになる。圧迫される気がする。せめてひらがなで書いてほしいと思う。 ◆ 高校の入学祝いとして腕時計をもらったことがある。そのとき、その腕時計を右腕にしたのだったか、左腕にしたのだったか、まるで記憶がない。左腕だったかもしれない。とすれば、ワタシは左利きだから、それは不合理なことだったのだろうか? |
◆ 引越先に荷物を搬入していると、ダンボール箱を自分で運ぼうとした妻に、すかさず夫がこう言った。 ◇ 金払ってんだから、手伝わなくていいよ。 ◆ その通り、まったくその通り。でも、こんなコトを言う夫を妻はイヤにならないのだろうか? それが気がかり。それにね、まだお金はもらっていないよ、お客さん! |
◆ 「でかした、小泉!」 と言いたい。衆院解散のことである。解散のあおりをうけて廃案になった法案のひとつに、「障害者自立支援法案」 があった。 ◇ 障害者福祉制度の改革を盛り込んだ障害者自立支援法案が、15日の衆院本会議で、与党の賛成多数により可決され、参院へ送られた。 / 障害者の負担増を懸念する民主党など野党が反対の構えを崩していないが、与党は早期成立に意欲を見せており、郵政民営化関連法案の審議の影響による時間切れなどの事態が起きない限り、今国会での成立が確実となった。(2005年7月16日 読売新聞) ◆ ところが、「などの事態」 が起きてしまったわけである。9回裏2アウト逆転ホームラン、とでも言いたい。ほんとは、相手のエラーで同点になって、延長戦にもつれこんだだけなんだろうけど。 ◇ 身体、知的、精神の障害者福祉サービスを一元化し、利用者に費用の一部負担を求める障害者自立支援法案が8日、衆院の解散に伴い廃案となった。7月に衆院を通過し、参院厚生労働委員会で審議中だった。(2005年8月9日 南日本新聞) ◆ こんなこともあるんだなあ。 |
◆ 《asahi.com》 を見ていたら、「150台の都バスがスリランカに譲渡」 というニュースが。 ◇ 津波で被害を受けたスリランカ支援のため、東京都から譲渡された中古バス約150台のうち60台が9日朝から、横浜市の大黒埠頭(ふとう)で貨物船に積み込まれた。同日中に積み終わり出港、今月下旬に同国コロンボへ到着する。 / バスは、東京の排ガス規制に適合しないため廃車予定になっていた。一方、スリランカでは津波被害で公営バス2000台が被災しており、「捨てるぐらいなら譲って」 と、都バスの第二の人生が実現した。
◆ 関係ないけど、アルゼンチンのブエノスアイレスでは東京の地下鉄丸の内線の車輛と名古屋市営地下鉄の車輛が第二の人生を送っているとか。参考:《ブエノスアイレス地下鉄・物語》 |