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◆ 閏日、2月29日。おまけの一日。仕事中、肉離れを起こして、今もほとんど歩けない。まったくとんだ 「おまけ」 の日だった。つまらないコトを書いたせいかもしれぬ。 |
◇ ハンバーガーを1個買えば、もう1個がタダに――。BSEによる 「牛肉離れ」 を防ごうと、マクドナルドが、「マック・ハンバーガーDay」 と題した大キャンペーンを張る。 ◆ Google 検索をしていると、こんな記事にぶつかった。ふむふむ、これはお得だ。と思ったが、よく読むと1月のハナシだし、そもそもワタシが調べたいのは 「牛肉離れ」 ではなかった。気を取り直して・・・ ◇ 皆さんは 「肉離れ」 をしたことがありますか?肉離れといってもベジタリアンになることではありませんよ!(サムイ・・・) ◆ たしかにサムイが、肉離れの患部にはサムイのが効くようだ。「捻挫・打撲・肉離れなどの外傷に対して行なう応急処置」 に 「RICE処置」 というのがあって、 ◇ RICEとは ◆ で、ワタシもいま、この 「RICE処置」 をしているところなんである。つまりはヒマなんである。で、検索を続けてると、《北九州市教職員インターネット交流会》 なるサイトを発見したんである。トップページにいきなり 「おはようございます。今日もお仕事がんばりましょう」 と出るのがなんともイヤミなんである。お仕事がんばれねえ、つうの。寝てんだから。で、このサイトに 「若者用語の小事典」 というコーナーがあって、「小中高校生、また自分は若いと思われる方、ナウイ(<---古いなぁ)言葉をおしえてください」 とかいってるんだが、そこにこんな項目があったんである。 ◇ ミートグッバイ:肉離れのこと ◆ ああ、サムイ。肉離れに効きそうだ! |
◆ 一年に一度くらい、とんでもない客に遭遇し、とんでもない徒労感に包まれる日がある。そんな日は酔っ払って忘れることにしているが、ふたたびそんな客に出会ったときにまとめて思い出してしまって、イヤな気分になる。 ◆ 先日、客の衣類を収納したハンガーボックスを開けると、ハンガー (薄いプラスチック製) が3本、柄の部分から折れていて、そこにかかっていたスーツが底に落ちていた。すぐさま、シワになったのでクリーニング代よこせ、とこうである。放っておいてもすぐ折れそうな安物ハンガーにスーツなんか掛けるもんじゃないぞ。そもそも、シワなんてどこにあるんだい? とは口に出せないまま、「では当方でクリーニングいたします」 と云うと、不満そうである。要は現金がほしいということなんだろう。しかもこの客、転勤なので、引越代は会社持ち。いったい何を考えているのか? ◆ 一年前、スーツの客と同じ会社の転勤引越の客もそうだった。もともとキズだらけのタンスを指差して、こんなキズはなかった、新しいのに買い替えるから、代金よこせ、とヒステリックにどなった奥さん。修理します、と云っても聞く耳をもたない。もともと要らないタンスだったんだろう。粗大ゴミで儲けてどうする? ◆ この会社は大手の電気メーカーだ。偏見といえば偏見だろうが、大きな会社の客ほどタチが悪い。互いに引越で儲ける方法など、伝授し合っているのかもしれぬ。いつもそんなことを仕事にしてるんだろう。だが、われわれはあなたの奴隷ではない。 ◆ 三年前、電子ピアノの電源コードが見つからないと文句をつけてきた客がいた。それを梱包したのは自分たちなのに。娘が毎日弾いているものだから、なきゃ困る。即刻持って来い、と云うわりには、その電子ピアノはホコリだらけだった。しようがないので、自腹でコードを購入して、届けると、留守だったので、ポストに入れておいたら、また電話。電源をいれても音が出ないという。またしても出向いて確認すると、おいおい VOLUME がゼロじゃないか! ◆ これ以上書くのも疲れるので止めておく。世の中にはいろんな人がいるものだ。くれぐれもあんまり深入りしないよう。 |
◆ 『週刊文春』 2月26日号から。「家の履歴書」 に太田裕美が出ている。 ◇ 二千坪ある春日部の実家で、 日が暮れるまで野ザルのように遊んでいた。 ◆ 二千坪か。想像もつかないけれど、これは自宅だけではなくて、父が始めた包装パッキンの工場も同じ敷地にあったため。トロッコも走っていたそうな。生まれたのは下町の荒川区で、その当時、父は 「画板の製造業」。画板だよ、画板。いいなあ。 ◇ 三歳で引っ越してしまったので、荒川区東尾久の生家は狭かったという以外、ほとんど憶えていません。都電荒川線の操車場の近く。すぐそばを荒川が流れ、ポンポン船が走っていた。その印象が強かったせいか、子供の頃はずっと、私は海のそばで生まれたと思い込んでいました。 ◆ こんな思い違いも、いいなと思う。 |
◇ 県内各地で「北国(ほっこく)」と冠した新聞名や銀行名などに出会うが、それを他県人がときに「きたぐに」と読み、寒い雪国を連想する。しかし、そのイメージほどに本県の海岸部は寒くないし、積雪量も多くない。 ![]() ![]() ◆ これは石川県のことで、北國新聞や北國銀行を始めとして、すべて「ほっこく」と読む。ホテルではホテルグランドワン北国というのが金沢にあるが、これも「ほっこく」。 ◆ 《Web永浜商店》というサイトに「ご当地の踏み絵」という県民度チェックのコーナーがあって、そのなかの「石川人チェック!」でも、 ◇「北国」を「ほっこく」と読む。 ◆ という項目がある。 ◇ 前にオークションで落札者さんに北国銀行口座をお知らせしたら「キタグニじゃなくてホッコク銀行なんですね。ATMで表示されなくて一瞬驚きました」ってメールで言われてハッと気付いた。そうか、普通はキタグニって読むんだね。 ◆ この「石川人チェック!」は、ほかにも、 ◇ キンダイと言えば、金沢大学だ。結婚式といえば「透明トラック」だ。富山、福井と一緒にされると腹が立つ。醤油ソフトクリームが好きだ。黒川仏壇店のCMのおばあちゃんや子供たちが今何歳なのか気になる。なんにでも金箔を入れてしまいがち。 ◆ といった項目が並んでおり、よくわからないけど、楽しい。他の県のも今度見てみよう。 |
◇ 東京商船大学と東京水産大学が統合、名称も新たに 「東京海洋大学」 として出発。 旧東京商船大学は海洋工学部 (越中島キャンパス)、旧東京水産大学は海洋科学部 (品川キャンパス) の2学部構成となった。 // 神戸大学と神戸商船大学が統合。 統合に伴い、新 「神戸大学」 に海事科学部、及び自然科学研究科 (大学院) 海事科学専攻を設置。 ◆ いずれも2003年10月のことらしい。知らない間に 「商船大学」 は日本から消滅していたのだった。長崎にはなかったっけな、と思って Google 検索すると、こんなのが。 ◇ 決勝レース ◆ 「第46回西日本新人カッター競技大会」 の結果ということだが、ヒットしたのはこの1件のみ。どうやらこれも神戸商船大学の間違いらしく、長崎商船大学は蜃気楼の彼方に消えてしまった。 |
◇ みなさんも子どものころに経験したことがあると思うのですが、天井の木目や壁のシミが人間の顔に見えてしかたがない、気持ちが悪くてしかたがない、というようなことがあります。 ◇ 人間は顔が好きだ。大好きだ。見たり描いたり批評したり。 / 既存の顔だけじゃ飽き足らないのか、顔じゃないところにまで顔を見る。 / 天井のしみ、木のふし、石のくぼみ。月のクレーターまで。 ◆ 眠れない夜、天井のシミを見るともなしに見ていると、そこに突然なにかが出現して、不安になって、ますます眠れなくなる、なんてことが子どものころあったよね、とハナシかけて、キョトンとされたこと数回。あなたは? |
◆ 学歴詐称がバレて泡を食った議員に、 ◇ 「ウソ (つき) は泥棒の始まり。過失かウソか知らないが、ウソの上塗りみたいになる。格好悪いだけですね」 ◆ と、なんとも愛想のないコメントをした官房長官がいたが、柳田國男が、子どものウソを観察して、こんなことを書いている。 ◇ 私の試験に供した五歳の女の児などは、笑って聴いていると止めどなくでたらめを重ねて行ったが、あべこべにこちらがそれを信じたような顔をすると、慌てて 「今のはウソなのよ」 といって念を押した。これがもう少し大きな児になるとうっかり深入してつい 「ウソだッ」 という機会を失うらしいが、そんな場合には内心大いなる不安を感ずるようである。この潮時もしくは加減というようなものは、文字にこそ現わせないが誰にでも測定しうるもので、従うて知りつつその限度を踏み越えて行くところに、そこに善悪の岐路は示されているかと思う。我々は必ずしも今後も無差別に、ウソを礼賛しなければならぬ必要はない。ただもう少し多くの同情をもって、ウソつきが泥坊になって行く経路を、考察してやるのがよかったのである。 |
◆ ひまに任せてネットめぐりをしていたら、「Favorite planet?」(お気に入りの惑星は?) というアンケートをしているサイトが複数あったので、その結果を拾い上げると、 Earth 35% Earth 39% Saturn 37% ◆ どこもたいして回答が多くはないけれど、Saturn が人気なのは、ちょっとウレシイ。 ◇ I voted for Saturn. It's such a beautiful planet to view especially through a telescope. The rings are wonderful. ◆ と書いているのは、Roger Herzler さんで、そのメールアドレスは「stargazer@*****.com」と、これまたいい。というわけで、I voted for Saturn, too! |
◇ アスファルトには,地表にしん(滲)出した原油が長年月のうちに軽質分を失い,風雨にさらされ,酸化されてできた天然アスファルト(natural asphalt)と石油精製によって生産されるアスファルト(petroleum asphalt)とがあるが,我が国では前者は生産も輸入も皆無なため,アスファルトといえば一般に石油アスファルトを指す。また,アスファルトはビチューメン(bitumen)ともいう。 ◆ なんとはなしに、アスファルトのことを Google で調べていたら、「アスファルトを掘り返して青い麦の種を蒔こう」という変わった名をもつサイトがあるようで、これはいったいなんだろうと思ったので、さらに調べてみると、どうやらTMネットワークの「OPEN YOUR HEART」という曲の歌詞から採ったらしい。 ♪ ガラスの都会の 夜明けにもたれて ◆ なんともスゴイ詞である。批評は差し控えたい。 |
◆ 平成16年1月27日(火)19時00分、多治見市役所3階会議室にて開かれた「第2回多治見市緑化樹木選定基準検討委員会」の議事録が公開されている。ある委員の発言。 ◇ もう学生運動など起きないだろうから、アスファルトやコンクリート舗装などやめて敷石にしたらどうですかね。 ◆ 若い世代にとって、この発言の趣旨を理解するには、多少の知識が要る。 ◇ 1970年代に、東京中の街路樹がバタバタと枯れてしまったことがある。 / 時は折しも「光化学スモッグ」が話題になり始めていた頃でもあり、「原因は排気ガスか?!」と騒がれた。しかし原因は違った。 / 当時は学生運動真っ盛りの頃で、銀座、新宿、新橋、お茶の水といった駅周辺では、連日、デモ隊と機動隊の市街戦が繰り広げられていた。機動隊のガス銃、放水車、「国家権力」に対して、デモ隊の武器は「国家権力に対する暴力は、権力を持たない者の正当防衛である」という都合のいい解釈と、ゲバ棒、こけ脅かしだけの火炎ビン、そして主力は投石であった。 / 当時東京の歩道は、25センチ角、厚さ3~4㎝の敷石が敷き詰められていた。 // デモ隊の投石用の石はこの敷石であった。デモ隊と機動隊が交差点でにらみ合うと、デモ隊に同行していた救隊がバールで敷石を剥がし始め、真ん中をコツンと叩くと全く程良い大きさの石ができる。投石用の石は現地調達だったのだ。 / 「これではたまらん!」と権力は敷石を全部剥がしてしまい、(剥がした敷石は東京湾の埋め立てに使った)アスファルトに変えてしまった。(お金のない自治体は交差点を中心に10メートルだけ、アスファルトにした) / 新宿を始めとするターミナル駅構内も線路のバラストが撤去され、アスファルト化されるという徹底ぶりだ。 ◆ 作家の北方謙三もこんな発言をしている。 ◇ 今だったら絵空事だけれども、あのときは明確にリアリティーを持っていた。僕はいまだに若いやつらに、「あんたら全共闘やって、日本のどこを変えたんだ」と言われて、「歩道を変えたんだよ」と。昔、歩道は四角い踏み石だったんですが、それを引っぱがしてババンと割って機動隊に投げた。一番引っぱがしたのは、お茶の水の明治大学辺り。この辺が日本で一番最初に歩道が全部アスファルトに変わったはずです。あれは俺たちが変えた。それで今の若いやつらに「お前、公園の砂利一つ変えたことがあるか」って(笑)。 ◆ なぜ最後に笑っているのかはよくわからいけれど、ともかく当時はこんな調子だったらしい。より正確に時代の雰囲気をつかむには、四方田犬彦の『ハイスクール1968』(新潮社,2004)がオススメ。と書きつつ、ワタシはまだ読んでいないのだが、その一部(?)が WEB 上で(なぜだか)読める。その箇所の書き出しはこうである。 ◇ 1969年の始まりを告げたのは、奥崎謙三による天皇パチンコ玉狙撃事件だった。かつて日本軍兵士としてニューギニア戦線へ赴き、九死に一生の生還を果たしたこの四十八歳のバッテリー商は、裕仁が戦争責任を回避し、戦友たちの死が蔑如(ないがしろ)にされていることに強い怒りを感じていた。彼は新年の一般参賀のおりに、みずから作ったゴムパチンコで三発の玉を天皇にむかって撃ち、その場で自首した。わたしは翌日の新聞でそれを知って、すごいことをやる男がいるものだと驚嘆した。 ◆ おもしろいので、もう少し。 ◇ 1969年の一学期は、このようにして慌ただしく過ぎようとしていた。東大では一応授業が再開された。大学生は全国でついに百六十万人近くにまでになった。カルメン・マキが歌う「時には母のない子のように」の人気が一段落すると、今度は新谷のり子の「フランシーヌの場合」がラジオからひっきりなしに聴こえてきた。五月革命ののちに絶望して焼身自殺をしたパリの女子大生を歌ったというこの曲は、フランス語のナレーションを含みながらも、まったくの日本製のポップスだった。 ◆ 日本語で「五月革命」とやや大げさに呼ばれているのが、1968年5月に始まるフランスの学生運動で、敷石剥がしはこちらが本家である。その影響は今日のマラソン界にも及んでいて、これはパリのマラソンコースのハナシ。 ◇ パリのアスファルトの下は、御影石の石畳。60年代学生運動が盛んのとき、学生は石畳を掘り起こして武器にした。そこでパリ市が石畳の上にアスファルトを流した。 だから、このコースはアスファルトの上を走るが硬く脚にくる。 ◆ 再び四方田犬彦に戻って、 ◇ 一年前にパリで起きた五月革命について当時、高校生のわたしは、ほとんど具体的なことを知ることがなかった。ただ偶然にその場にいあわせた五木寛之が直後に発表した『デラシネの旗』という短編小説と、竹内書店から刊行された『壁は語る』という、パリの壁の落書を集めた書物、それにこの「フランシーヌの場合」だけがわずかな手掛かりだった。 ◆ この『壁は語る』に収録された落書きには有名になったものも多い。 ◇ 「禁止ヲ禁止スル(defense de defendre)」という六十八年の五月革命の有名になった落書きが示すように、「想像力が権力をとる」反乱はここでは<公共のシニファン>を乗っ取り逸脱させることから開始する。 ◆ などなど。なかでも一番有名なのが、 ◇ 舗石をはぐと、その下は砂浜だ Sous les paves la plague ◆ いま東京のアスファルトを剥がしてみても、その下に、おそらく砂浜はないだろう。 |
◆ 「休息」と「体臭」。字が似てる。意味は似てない。 ◇ 飯場のような体臭ムンムンの作業場で、筋骨隆隆の男たちが休息時にタバコしている姿にはなぜかあこがれすら感じる。男の労働にはタバコが似合うのだ。 ◆ 「休息」と「体臭」がいっしょに出てくる文章を読めば、少しは頭がこんがらがるかと思ったけれど、そうでもない。「体息」と「休臭」ってのも考えてみたけれど、あんまりおもしろくない。要するに、それだけのハナシです。 |
◆ どうやら二種類の紙芝居があるらしい。「goo 辞書」によれば、 ◇ (1)物語などの場面を何枚かの絵にして箱形の枠に入れ、順に見せながら説明する絵話の一種。1931年(昭和6)頃に始まり、集まった児童に飴(あめ)などを売った。のち教育用にも使われた。 ◆ いま現在、紙芝居といえば、一番目のことを指すだろう。この二番目の紙芝居はなじみが薄い。けれど、どんなものかと説明を受ければ、あああれか、ということになる。 ◇ 紙芝居の前身は、江戸時代の「写し絵」から発展した紙人形による芝居の「立ち絵」でした。「立ち絵」は、竹串のついた小さなうちわのような厚紙の表裏に絵を描き、木製の舞台の中で一人で演じた芝居です。紙による芝居ということから「紙芝居」と呼ばれ、明治から昭和の初期にかけて盛り場などの小屋で演じられた庶民の娯楽のひとつでした。 ◆ こどものころに自分で作って遊んでいたような一種の人形劇のことだ。 ◇ この紙芝居は、祭礼や縁日などにテント小屋で興行され、客はもちろん子供、出し物は怪談もの、侠客ものなどだったが、一番人気があったのは「西遊記」や「孫悟空」であったということです。 / 大正時代の子供達は、縁日の夜、アセチレンランプの匂いをかぎながら、「孫悟空」の大活躍に胸を躍らせていました。 ◆ この「立ち絵」の紙芝居、今日ではペープサートと呼ばれているらしい。 ◇ paper puppet theater (ペーパーパペットシアター)を詰めて名づけた造語です。 / 日本で生まれ、育った「紙人形劇」で、紙人形劇→(英語風に)ペーパーパペットシアター→「ペープサート」となりました。 / 二枚の画用紙に登場人物を描き、画の周りをウチワ型に切り抜き、二枚の紙の中心に竹串をはさみ張り合わせ、表裏表裏とクルクル返して演じる「ウチワ式平面人形劇」です。 ◆ 海外にも竹串はあるのかな、とふと思ったけれど、どうやらストローを使うようだ。以下ののサイトで、かわいいペープサートの絵が見れる。 ◇ http://www.enchantedlearning.com/crafts/puppets/styrostraw/ ◆ そうそう、紙芝居といえば、保育園のときに一番好きだった紙芝居は、赤痢のお話だ。赤痢菌がいかにもバイキンクンのような格好をして登場する。きちんと手を洗おうとかいった教育的配慮に満ち満ちた内容だったと思うけれど、なぜだかその紙芝居が一番好きで、紙芝居当番のときには、いつもその紙芝居ばかりを選んでいた。 |
躓いて転んだときに ずいぶん以前のことだが、 拾わなければよかったと |
◆ 東京都公衆浴場業生活衛生同業組合が発行している『1010』という情報誌があって、都内の銭湯に行けば置いてあるので、もらって帰って読んだりする。第66号(2004.2)の読者欄にこんな投稿が掲載されていた。江戸川区の55歳の方である。 ◇ 子供のころは母親と一緒に女風呂によく入っていました。しかし、あるとき同級生の女の子と浴室で出会ったのです。初めて気まずい感覚を味わいました。頭がのぼせたのは湯気のせいだけではありません。たしか、小学校4年だったと思います。そのときが、最後の女風呂でした。その後は、男風呂に入るようになりましたが、今でも彼女の裸体が目に浮かぶことがあります。 |
◆ 疲れた夜のバスのなかで、眠りながら考えているのは、たとえばこんなことだ。 |
◆ ベストセラーはそのうち古本屋で大量に出回る運命にあるので、定価で買うのはバカらしい。だから、養老孟司の『バカの壁』も買わずにいるのだが、ちょっと気になったので、本屋でパラパラとページをめくってみた。要するに少し立ち読みをした。 ◇ でも実際に最後まで読んでみると、この本、そんなにやさしい本ではない。 ◆ という感想に、最後まで(というかほとんど)読んでいないのに、同感したい。こんな本を200万人もの日本人が読んでいるとはトウテイ信じられない。買っただけかもしれない。まあ立ち読みの分際でなにもわかるわけはないけれど。 ◆ で、立ち読みしたページに、ピーター・バラカンの言葉が引いてあった。 ◇ 「日本人は、常識を雑学のことだと思っているんじゃないですかね」(p17) ◆ (↑の引用部分の正確さは保障の限りではありません。この言葉が気になったひとも多いと見えて、ネット上でも、この箇所を引用しているサイトが複数あった。そのうちのもっとも正確な引用でありそうなものを安直にコピペした次第。そのうち古本屋で買ったら確認します。) ◆ なかなか言えそうで言えない言葉である。さすがはピーター・バラカン。で、唐突で恐縮だが、思い出したのが、ちびまる子ちゃんの「おどるポンポコリン」の歌詞。 ◇ いつだって忘れない エジソンは偉い人 そんなの常識 タッタタラリラ~ ◆ 作詞はもちろん、さくらももこ。こんな歌詞もなかなか書けないと思うが、つまりは、そういうことなんだろう。日本人の「常識」とは「エジソンは偉い人」ということなのである。 ◇ 小田急が混んでいることは、「エジソンは偉い人」と同じくらい関東の民衆に認識された事実である。 ◇ このオレに酒で挑戦する事ほど愚かな事はないと本当のオレの事を知ってる奴ならエジソンは偉い人ってくらい当たり前な事なんですけどね。 ◆ なにをしたかはどうでもよくって、とにかく偉い人とさえ憶えておけば困ることはないだろう。 ◆ いま「猫なで声は誰の声?」というアンケートをやっていて、そのなかのコメントにも「そんなの常識」って漢字のコメントがあって、思わず苦笑した。『バカの壁』が読みたくなるのは、こんなときだ。 ◆ フランス人の女の子のベビーシッターをしていたことがある。「おどるポンポコリン」が流行っていたころで、保育園の帰り道、思い出したように立ち止まっては、「おどるポンポコリン」の歌を踊りながら、覚えたての日本語で歌っていた。ああ懐かしい。 |