◆ 学歴詐称がバレて泡を食った議員に、 ◇ 「ウソ (つき) は泥棒の始まり。過失かウソか知らないが、ウソの上塗りみたいになる。格好悪いだけですね」 ◆ と、なんとも愛想のないコメントをした官房長官がいたが、柳田國男が、子どものウソを観察して、こんなことを書いている。 ◇ 私の試験に供した五歳の女の児などは、笑って聴いていると止めどなくでたらめを重ねて行ったが、あべこべにこちらがそれを信じたような顔をすると、慌てて 「今のはウソなのよ」 といって念を押した。これがもう少し大きな児になるとうっかり深入してつい 「ウソだッ」 という機会を失うらしいが、そんな場合には内心大いなる不安を感ずるようである。この潮時もしくは加減というようなものは、文字にこそ現わせないが誰にでも測定しうるもので、従うて知りつつその限度を踏み越えて行くところに、そこに善悪の岐路は示されているかと思う。我々は必ずしも今後も無差別に、ウソを礼賛しなければならぬ必要はない。ただもう少し多くの同情をもって、ウソつきが泥坊になって行く経路を、考察してやるのがよかったのである。 |
このページの URL : | |
Trackback URL : |