◆ 『週刊文春』 2月26日号から。「家の履歴書」 に太田裕美が出ている。 ◇ 二千坪ある春日部の実家で、 日が暮れるまで野ザルのように遊んでいた。 ◆ 二千坪か。想像もつかないけれど、これは自宅だけではなくて、父が始めた包装パッキンの工場も同じ敷地にあったため。トロッコも走っていたそうな。生まれたのは下町の荒川区で、その当時、父は 「画板の製造業」。画板だよ、画板。いいなあ。 ◇ 三歳で引っ越してしまったので、荒川区東尾久の生家は狭かったという以外、ほとんど憶えていません。都電荒川線の操車場の近く。すぐそばを荒川が流れ、ポンポン船が走っていた。その印象が強かったせいか、子供の頃はずっと、私は海のそばで生まれたと思い込んでいました。 ◆ こんな思い違いも、いいなと思う。 |
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