MEMORANDUM
2003年08月


◆ ちょっと前に「Questions」のページで、キライな虫についての質問をしたせいもあって、いろんなひとの日記を見ていても、虫のはなしがあればすぐ目が行ってしまう。これは「すずむし様」と題された文章。

◇ ちゃんと餌をあげているんだから、トモグイするのはやめてください。おねがいします。

◆ スズムシだって、虫のキライなひとにとっては気持ち悪い存在なんだろうけど、このどうしようもなく優しい言葉を読みながら、人間もあまりに密集しすぎれば共食いをし始めるだろうか、と不吉なことを考えてしまった。おそらくそうだろうなと思ってしまう自分が少しイヤになりながら・・・。

◆ リルケの『マルテの手記』が好きで、といっても読み通すわけではなくて、適当にページを開いてところどころを拾い読みするのが常だったが、これまで数種類の翻訳で読んだことがある。先日(06/17)、高円寺の古本屋に旺文社文庫版の『マルテの手記』(星野慎一訳,1969)があったので、買って帰った。当時の定価は170円。旺文社文庫は学生向けということなのか註が多くて意外に役に立つという印象があるけれど、いまはあるのかないのか。それはさておき、この文庫の解説(訳者による)に、

◇ 詩人リルケは祖先にふかい関心を持っていて、少年時代からいろいろな系図を書いてみたほどであった。一般にもリルケ家は古い貴族の名門で、祖先にはスラブの血がまじっているように信じられていた。詩人自身も、それを信じ、誇りとしていた。しかし、詩人の死後六年、フライシュマン教授の研究によって、リルケ家が生粋の古いドイツ農民の出であることが明らかになった。(p.270)

◆ と書いてあって、わたしがリルケの研究者であるわけでもないのだから、貴族だろうが農民だろうが知ったことではないのだけれど、そういえば、伝記的事実についてはこれまでなにも知らなかったにもかかわらず、なんとなく、ただなんとなく、勝手にリルケに貴族的なイメージを重ねていたことに思い至って、いささかうろたえた。

◆ ところで、あなたはこどものころ、親に「おまえは橋の下で拾ってきたんだよ」と言われたことがありませんでしたか?

◆ きのう買った『柳宗民の雑草ノオト』(毎日新聞社,2002)という本を読んでいる。とりあえず、その中からひとつ。

◇ 子供の頃、母が好きでカナリアを飼っていた。近頃は、カナリアを飼う人が少なくなってしまったようだが、その頃は小鳥の中では人気が高く、その美しい鳴き声を楽しむ人が多かった。(p.14)

◆ カナリア、そういえば最近見ないなあ。わたしがこどものころ、家で飼っていたのはセキセイインコだった。ラーメンが好きなピーコちゃんだった。いや、小鳥のはなしではなかった。これは「ハコベ」の項の一節で、カナリアの餌がハコベで、ハコベを採ってくるのが筆者の役目だったそうだ。ピーコちゃんにもハコベをあげてたなあ。それを採ってくるのはだれの役目だったかなあ? また小鳥のはなしになっちまった。

◆ ハコベは学名を Stellaria media というのだそうで、Stellaria とは星のことだ。あのどこにでも生えているハコベ、これまでいくたび踏みつけてきたことだろう。それとは気づかず、それが星だったとはつゆ知らず。

◆ いま「Questions」を見てみたら、虫のほうに「てんとう虫」の項目が追加されていた。コメントには、

◇ あの模様がキモい。

◆ とある。なるほど。で、なんたる偶然かしら、じつは今日テントウムシをみたんです。仕事中に、ふと立ち止まったとき、どこからともなくテントウムシがいっぴき飛んできて、汗まみれのTシャツの胸あたりに張り付いたんです。このテントウムシ、星はいくつあるのかな、と数えようとしたら、あっという間に、ひとつも星を数えないうちに、飛び去ってしまったんです。むむ、さてはあまりにTシャツがあまりに臭かったか。コンチクショウ。というわけで、わたしもテントウムシに一票を投じることにします。

◆ 最近「Questions」という質問コーナーをつくって、あらためて気がついた。わたしは質問することがつくづく好きなのだ。大きくなったら、いろんなことがはっきりと見えてくるだろうという淡い期待もどこへやら、いい歳をして、わからないことはますます増える一方だ。
 以前「教えて!goo」で何度か質問したことがあって、たとえば、そのひとつに「人間が1.36人って変ですか?」なんてのがあった。そもそも、そんな質問をするわたしが変ですか?

◇ 素朴な疑問ですが、
(1)みなさんは、たとえば「A国では女性一人当たり1.36人の子供を産む」とか「B市の1平方キロ当たりの人口は19.38人である」といった表現に違和感を感じたことがありますか。わたしの友達はひどく違和感を感じるというのです。平均だとわかっていても、人間を0.2人などと数えるのは絶対おかしいというのです。
(2)0歳児という表現もありますが、これまたこの友人に言わせると、おかしいということなるようです。なんだかまだ生まれてないみたいじゃない、というのです。みなさんはどう思いますか。

◆ だが、そんな友達がどこにいたというのだろう? もちろん、いやしないので、

◇ わたしなりに考えると、変な話になっちゃいますが、たとえば、りんご1.5個だとそんなに違和感ないと思うんです。りんごはどこを切っても同じですから。それにりんごは切られるものですから。それが人間になると、1.25人のその0.25の部分は頭なのか足なのか、それになんだか人間が切り刻まれてるみたいな言い方でイヤだ、とそんな風に感じるひともいるのかな(といっても、わたしの友人もどこまで本気かよくわからないのですが)と思ったのです。そうして、そういう言葉の感じ方はちょっとチャーミングだなと。なんだかとっても優しい気がしませんか。
 
◆ こりゃもうバレバレで、その友人とはわたし自身なのだった。こんなわたしですから、これからも「Questions」で変な質問をし続けるかと思いますが、末永くご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

◆ 台風一過、今日は家族みんなで海に行きました。と書くと、まるで日記みたいだけれど、
  台風一家、今日は家族みんなで日本に行きました。と書いても・・・、やっぱり日記みたいだ。

◆ 昨日、ログのひとことに「台風一家。兄弟多し。」と書いておいたら、ひとりだけ笑ってくれた。「( ̄m ̄)ププッ」。  

◇ 告白!私は、大学生になるまで / 「台風一過」を「台風一家」だと思っていた。 / TBSアナウンサー 岡田泰典
www.tbs.co.jp/newsi_sp/comoesta/010827.html

◇ 台風一家だと思っていました。つまり台風の様に騒がしい家族。盆と正月にやってくる、親戚の家族が、まさに台風一家でした。
www1.odn.ne.jp/~cay36680/kan/kan001.htm

◇ 「毎日毎日台風のように家の中が大騒ぎしている」家庭のことだと思っていた。 / 「寺内貫太郎一家」ってTV番組の影響だろうな。 / いつもいつも小林亜星に殴られていた西城秀樹。 / 「ジュリ~~」って腰を振っていた樹々きりん。
humancreater.tripod.co.jp/nikki.html

◆ 樹木希林もあのころはまだ悠木千帆だったかなあ、など懐かしく「あのころ」を思い出しながら、それでも「台風一家」だとカン違いしていたひとがこんなにいるなんてどうも信じられない。けれど、

◇ かつて、「台風一過」って、どんな「一家」だろうと / 思っていた私。 / 小林亜星扮する父ちゃんが、ちゃぶ台をひっくり返し、 / 西城秀樹扮する息子と殴り合いになる・・・ / おお!これこそ台風一家!と、 / 寺内貫太郎一家を見て、一人カンドー。 // 今でも、台風一過と聞くと、小林亜星が目に浮かぶ。
www.capricomcafe.com/sec2han/bakuso006.html

◆ よくわかりませんが、台風一家とはどうやら寺内貫太郎一家のことのようで・・・。

◆ たまたま買った『文藝春秋』の9月号に、今年上半期の芥川賞受賞作が掲載されていた。吉村萬壱氏の『ハリガネムシ』である。近頃すっかり虫づいているので、ハリガネムシとはさてどんな虫だろうと読み始め、あっという間に読了して、瞬時にここでハリガネムシについて書くのは得策ではないとの結論に達した。これを書くと、このサイトに今後二度とは来てくれないひとが確実にひとりかふたり、あるいはもっと。ハリガネムシとはそんなムシだ。

◆ というわけで、ハリガネムシというムシ(といっても普通の意味での虫ではないが)のことを書くのは止めにしたが、この小説を読んで別のことを思い出した。

◇ 「音楽音楽」と言うのでラジオを点けると巨大な音が鳴り、暫くするとドンッドンッと床下から突き上げるような音がした。「下の住人が箒で突っついてるだよ」とサチコはここに何年も住んでいるような顔で平然と言い、私はこの女の世慣れた態度にいたく感動した。(p.418)

◆ 場面は夜、高校教師の主人公が住むアパートの二階(だと思う)の部屋。サチコというのは主人公のところに転がりこんで来たソープ嬢。と解説はここまでにして、あとは自分の話。

◆ わたしは二階建てアパートの一階に住んでいる。ナントカ荘という屋号に恥じない安普請のボロアパートで、当然ながら、壁も床も天井も限りなく薄い。ので、暗黙の了解として、住人はみな押し黙って生活している。のだが、数年前に越してきたのが音楽好きの若者で、アコースティックギターなんぞを弾きながらオリジナルの歌の練習なんぞを繰り返すもんだから、こちらは少々ノイローゼ気味になった。そんなある日、相変わらず、未完成の音をもちろん予告もなくしかも間歇的に聞かされる事に耐えられなくなり、手頃な箒がなかったので、手許にあった「突っ張り棒」で思い切り天井を突っついた。ドンッドンッ。すると効果テキメン、とたんに音は鳴り止んだ。しばらくして、二階からすごい勢いで駆け下りてくる足音、続いてわたしの部屋のドアを激しくノックする音。わざわざ謝りに来たのだなと考え、ドアを開けると、いきなり顔を殴られた。
 その若者の言い分は、ちゃんと二階の部屋まで来て迷惑である旨を伝えてくれればよかったのだ、いきなりのドンッドンッではびっくりするじゃないか、というものだった。なるほど。その若者も知らぬ間に引っ越していって今はいない。ついでながら彼の作る歌は悪くはなかった。もしかすると、いまごろどこかでデビューしているかもしれない。

◆ 引き続き、『文藝春秋』(9月号)から。作家の田辺聖子が連載のなかで母のことを書いている。なんでも彼女の母は岡山から大阪に嫁いだそうだが、結婚後ほどなく、「昼寝ができない」ほどの忙しい大阪での忙しい生活に疲れて、実家に休養しに帰ったことがあるという。

◇ 母は寝たいだけ寝、田舎の涼風で肌を清め、庭の井戸の水を飲み、自家の田の米を食べてたちまち元気を取り戻した。そうして機嫌よく、〈ほんなら去(い)にますらあ〉と手を振って実家をあとにした。(p.259)

◆ 岡山弁はよく知らないけれど、なにかに疲れたときは安らげるところでしばし休んでから、そうして「ほんならいにますらあ」と言ってみれば、なんだか元気が出そうじゃないか?

◆ またまた、『文藝春秋』(9月号)から。どこぞの社長が書いていた。

◇ 海外旅行ではニコンにカラーフィルムを入れて持ち歩くのだが、東京を歩くときはライカに白黒フィルムかなと思う。わが街の風景を心象どおりに撮るためには、ギラつく有名企業の屋上広告塔や電柱に張られた風俗客引きビラなど、他の先進国では全くありえない汚物を省略したいからだ。(p.464)

◆ やっぱりこんなひともいるんだなあということの単なる記録として。ちなみにわたしのデジカメはカシオだ。どうだ、マイッタカ?

◆ 「Questions」の「世界で一番キライな虫は?」でセミは現在のところ、第4位。案外嫌いなひとが多いんだね。何年も地下世界で生きてきて、やっと陽の光を浴びたと思ったら、みんながキライ、キライ、キライって云うもんだから。

◇ ジージージー!

◆ ああ、セミの悲鳴が聞こえるようだ。

◆ 遊具のウンテイのことを書こうと思っていろいろ検索していたら、「石川テレビ」のサイトで、

◇ 先月、小学1年生が遊具に挟まって死亡した事故で、金沢市は、きょう事故原因の遊具を撤去しました。この事故は、先月24日、金沢市諸江町の公園で小学1年の男子児童が「雲梯」の上で足を滑らせ、首とランドセルを鉄の棒の間にはさんで、死亡したものです。金沢市は、今月1日、遊具の安全性について検討する委員会で話し合った結果、亡くなった児童の家族の心情を考え、この公園の「雲梯」の撤去を決めました。きょうは、作業の前に市の職員と遊具の設置業者の合わせて8人が、現場で黙とうした後、遊具の「うんてい」部分だけを撤去しました。金沢市ではあす再び会合を開いて、他の公園の「うんてい」について、使用禁止を解除するかどうかを決める予定です。
www.ishikawa-tv.com/news_database/0210/200210031910.html

◆ というニュース記事を目にした。事故は2002年9月24日のことらしい。そうして、よく知らなかったのだが、類似の事故が小学校や公園で多発していて、「危険な」遊具が次々と撤去されているという。ウンテイは、「Questions」の「公園の遊具」でもリストアップすらされていないところをみると、とくに撤去されても悲しむひとは少ないのかもしれないが・・・。

◆ 続いて、ある個人サイトで「百年後の公園」という「Short Story」を読んだ。危険防止のため公園の遊具が次々となくなっていく話だ。

◇ 公園がある。緑の芝生の上にはなにもない。誰もいない。
ww3.tiki.ne.jp/~i_minazuki/ss/ss-100y-01.html

◆ という一文でこの話は終わる。短いテキストなのでぜひご一読を。