MEMORANDUM
2003年07月


◆ 7月1日午後9時16分、台東区千束。バスに乗ろうとバス停に行ったら、犬がいた。犬がいたって別にかまわないけれど、この犬、ムシャムシャ何かを食べていた。よく見てみると、トイレットペーパーだった。とても旨そうに食べていた(尻尾の付け根あたりに見える白いものがその残骸)。で、飼い主に「いつも食べてるんですか?」と聴くと、「そうさ、ヤギみたいなもんだ。野菜はあんまり喰わねえな」だって。そもそも、なんでバス停にトイレットペーパーがあるのかも謎だ。もしかしてこの飼い主がエサとして与えていたのか? ありえないことではないかも。

◆ さてみなさん、犬を飼ったことがないのでよくわからないのですが、犬ってトイレットペーパーが好物だったりするんですか? すごく不思議でした。でもかわいい犬だったなあ・・・。

【03/01/19 14:28 千葉県東葛飾郡関宿町木間ヶ瀬】 引越の仕事で行ったお客さんが飼っていた犬。聞けば 「ピットブル」 という種類だという。アメリカまでわざわざ行って1万ドルで買って来たそうだ。闘犬で試合にも出したりしているらしいが、ちゃんと躾けてあるので人間には従順。でも人間以外には何にでも襲いかかるんだ。てな話を聞きながらも、なかなかカワイイので、撫でたりしていたのだが・・・。

◆ 家に帰ってグーグルで検索してみると、このピットブル、正式名称はアメリカン・ピット・ブル・テリア (American Pit Bull Terrier) というらしい。

◇ 【アメリカンピットブルテリア】19世紀初頭、英国産のブルドッグの一種が米国に渡り、闘犬用に改良された。元来は牧場などで牛追いのために使われていた。成犬で体重25キロ前後、体高約50センチ。犬の中で最も凶暴な部類に入り、闘争本能が強いため、徹底したしつけをしないと人をかむこともあるという。過去、英国やドイツでも幼児がかまれる事件があり、英国では1991年から輸入を禁止、ドイツでは危険犬種に指定されている。
www.zakzak.co.jp/top/t-2003_03/1t2003031915.html

◆ で、日本ではどうかというと、

◇ 佐賀署は21日、飼い犬が人をかみけがをさせたとして、飼い主の佐賀市、無職、****容疑者(67)を重過失傷害の疑いで逮捕した。/ 調べでは、**容疑者は昨年7月31日午後7時45分ごろ、佐賀市本庄町の農道で飼い犬を連れて散歩中にひもを放し、飼い犬が近くを散歩中だったパート従業員の女性(44)にかみついてひじなどに約2週間のけがを負わせた疑い。さらに女性が連れていた飼い犬にもかみつき、約1カ月のけがを負わせた。 / かんだ犬は、アメリカンピットブルテリア。米国で闘犬用に改良された中型犬。現在2歳6カ月で体長約85センチという。
www.mainichi.co.jp/life/pet/news/200305/news_2003052303.html

◇ 沖縄署は28日、放し飼いの闘犬が歩行中の女性の指をかみ切ったとして、飼い主で米軍嘉手納飛行場所属の空軍2等軍曹、ジョセフ・ドレイパー容疑者(26)を重過失傷害容疑で逮捕した。 / 調べでは、同容疑者は沖縄市桃原の自宅で、2歳半の闘犬「ピットブルテリア」を口輪をはめず、鎖にもつながずに飼っていた。このため、同容疑者が門扉を開けたまま寝ていた28日午後2時15分ごろ、闘犬が自宅前の路上を通りかかった事務員の女性(52)の右太ももをかみ、左手親指の先端をかみ切った。女性は全治2カ月の重傷を負った。
www.mainichi.co.jp/life/pet/news/200305/news_2003050109.html

◆ これはいずれも今年の事件。とまあ、なんとも人騒がせな犬なのだが、もちろん悪いのはワンちゃんの方ではない。そもそもピットブルは、

◇ ただ、強くする為、闘犬としての性能、攻撃性のみを重要視して作り替えられた、アメリカのアンダーグラウンドで長い歴史を持った犬種なのです。
www5a.biglobe.ne.jp/~wantail/benkyo/benkyo3.html

◆ だから、もちろん「愛犬家」の目から見れば、

◇ 闘犬として使われる場合も人間に対しては、おとなしい性格に変わりはありません。この犬に対する獰猛なイメージは、ピットブルの攻撃力を悪用したアメリカのアウトローたちに原因があります。人に向けて攻撃する犬を意図的に繁殖したため、この犬種の悪い評判が伝わってしまったのです。健全なブリーディングのもとに、温かい愛情を受けて育ったピットブルなら、申し分のない家庭犬になる。
www.alles.or.jp/~pitbull/PITBULL03.htm

◆ と、当然こういった見方になるわけで・・・。闘犬といえば、日本では土佐犬が有名だが、この土佐犬に闘いを挑んだのが、官能小説で有名な川上宗薫氏のピットブルだそうで。これは「日本ピットブル史上」の大きなエピソード。

◇ その頃、官能小説作家の川上宗薫が、私の友人である“I氏”の所へ、ピットブルを連れて、土佐犬の胸を借りたいと言って来たのです。 / ・・・・・・ / その後、川上宗薫は、ピットブルは最強の犬で、土佐犬は相手にならないとの暴言を吐き、文章にも発表していましたから、・・・・・・
www2.tokai.or.jp/insect/pittoburu.html

◇ 故川上宗薫氏を名誉会長として、アメリカンピットブルテリアクラブ・オブ・ジャパンが発足しました。(川上氏の”闘犬記”が出版されたのも、この頃です) 現在、多数の会員と共に、ピットブルの血統の継承と発展のため、活動しています。
www10.plala.or.jp/pitmen/E2.htm

◆ で、この写真の犬 (名前も聞いたのだが失念) に話を戻すと、引越から数日後、会社に飼い主から電話があった。なんでもこの犬が引越のドタバタで行方不明になったとか。ついては「お宅の作業員が写真を撮っていたので、その写真を送ってほしい」とのこと。早速写真をプリントして送ったのだが、その後なんの連絡もない。無事見つかったのだろうか。少なくとも新聞記事になってなければいいのだが・・・。

◇ むかし高校生だった頃,公園にいたら24歳の予備校生だという頭の薄い,気の弱そうな暗い人が話しかけてきて,10分くらい話をしたら“つきあってほしい”と言われたことがある。彼は何を考えていたのだろうか。何かよくわからない世界だった。彼は,一度自分も恋愛というものをしてみたかったのだろう。でも,だいぶまちがっていると思う。どちらかというと“ちかん”だった。
www.minc.ne.jp/~saito-/rep/rep98/soc981217.html

◆ これはある地方の県立短大の学生が書いた社会学のレポートの抜粋。タイトル(授業のテーマ?)は「恋愛したい? 結婚したい?」。この文章を引き写している理由が自分でもいまひとつよくわからないのだが、なんとなく気になった。たとえば、

◇ 「お金がなければ家庭は壊れる」。これは母の口癖で,娘の男を見る目が厳しい。昔はそれに反発してきたが,だんだん成長するに従い,母の言うことも正しいと思えるようになってきた。やはり「愛」とか「ドキドキする」という言葉だけではやっていけないと思う。「世の中,金だ」というように,男もまた「金」ではなかろうか。自分でも嫌な考えだとは思うが,現実は厳しいのである。
www.minc.ne.jp/~saito-/rep/rep98/soc981217.html

◆ なんて文章なら、バカかおまえは!の一言ですんでしまうのだが(失礼!)、とにかく「何かよくわからない世界」ではある。最後の「どちらかというと“ちかん”だった」という一文は、なんだか笑うに笑えない(ような気がする)。

◆ どうでもいいけど、サンマリエの広告、ちょっとデカ過ぎないか? 思わずクリックしてしまったじゃないか! ほかのコトを書こうとしていたのに・・・ おまけにサンマリエを変換したら、秋刀魚理恵になっちゃうし・・・ ところで、「どうでもいいけど」の出だしで、郷ひろみを思い出した方はおられませんかね。

◆ 仕事が早く終わったので、渋谷のマンガ喫茶に来ています(開店記念で最初の30分がなんと50円!)。で、ネットラジオの 'CHANTE FRANCE' を聴きながら、ホームページをいろいろ手直ししているのですが、いまさっきフランス・ギャルの 'IL JOUAIT DU PIANO DEBOUT'、つづいてエルザの 'T'EN VAS PAS'(原田知世もカバーしていた)が流れていたので、しばし手のほうをお休みして聴き入っていました。ネットラジオって、ほんとに便利ですね。曲名は出るし、検索すれば歌詞も見れるし。でも、ウチでの回線はエッジ接続の超ナローバンドなので、ほとんど使い物にならない。やっぱりブロードバンドにしなくちゃなあ・・・。それにしてもフレンチ・ポップスは相変わらずダサい(それが魅力?)。

◆ 『週刊文春』の今週号(7月17日号)に、「早大レイプサークル主犯和田真一郎の父親懺悔告白90分」なるインタビュー記事があった。父親は「土建屋の端くれ」だそうだが、

◇ 小六のころに真一郎が「親父のような人生は送りたくない。俺は汗水流すのは嫌いだ」と言ったことがあります。

◆ なんとコメントしたらよいのかよくわからないけれど、とりあえず個人的には、階段を何度も上ったり下りたり、重いものを持ち上げたり、ナチュラルハイになるまで走り回って、そうしてお金までもらえる引越屋という現在の仕事が、いまのところ嫌いではない。あとは宿題。

◆ 先日、唐突に思いついて、公園の遊具についての質問コーナーを作ってしまいました。ついでに「フォーラム」コーナーも追加してみました。実はこのフォーラム、しばらく前に思いついて作っていたのですが、使い道が自分でもいまひとつはっきりしなかったので、最近はお蔵入りにしていたものです。質問コーナーの番外編として活用できればいいなと思って復活しました。で、そのタイトルの「たまたまたまご」のこと。

◇ 今日、ホームページに掲示板を設置して、「たまたまたまご」と名づけました。別に掲示板にタイトルなんて必要ないのですが、なにかのコーナーにこの名前をつけたいと前から思っていたので、忘れないうちにと掲示板のタイトルに早速採用した次第。名づけたあとで、やっぱり「たまたまたまご」ってなんだろうと頭をひねっています。
 これは去年の話です。ときどきお手伝いに行っている障害者の授産施設「つばさ福祉工房」で、その日は近くの上野公園に散歩にでかけたのでした。その道すがら、今年成人式を迎えた女性のSさんが、「たまたまって、たまご?」って唐突に言ったんです。正確には、たまたまボクが近くにいて、職員のTさんに話しかけるのを偶然耳にしただけなんですが、あとでTさんに聴いても特に脈絡はなかったそうなので、ふと思いついたんでしょう。でも、そのときのSさんの言い方のなんてチャーミングだったこと!
 「たまたまって、たまご?」。うーん、たまたまはたまごかな? どうだろうな。その言葉を声には出さず、舌の上で何度も転がしていると、なんだか幸せな気分になってきます。だから、今度そう尋ねられたら、「そう、たまたまってのは、たまごだよ」と答えるつもりでいるのですが、本人はもう忘れているだろうなあ。

◆ と、これは以前書いた(03/02/20)自分の文章ですが、これも現在お蔵入りになっている「ことばのおと」というコーナーに載せていたもので・・・(とにかく根気がない!)
 自分で何かを選ぶということが苦手なわたしとしては、「たまたま」(偶然)が与えてくれる可能性に期待して日々を送っていたりするわけで、そんな身には「たまたま」こそがすべてのことの源泉(「たまご」)であってほしい、と切なる願いを込めつつ・・・(あしたはどこにゆくのかなあ!)

◆ 長崎のことで、また忘れていた疑問を思い出した。

◇ 殺人事件の場合、被害者の遺族の方が犯人を「極刑に処してほしい」と発言されている場面をテレビなどでよくみかけますが、実際の判決でこのような遺族の心情は多少なりとも考慮されることがあるのでしょうか。あるとすれば、たとえば被害者が身寄りのない人だった場合との間に、判決に差が出るということになると思いますが、その点については問題がないのでしょうか。
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=253467

◆ 相も変わらず、わからないままでいる。

◆ 長崎のことで、当該中学校にカウンセラーが派遣され、担任とともに個別面談を行ったという記事をネットで読んだ。読んだが、正直なところ何をしに来たのかよく理解できない。

◇ 補導された生徒と同じクラスに、精神状態が不安定な生徒が多く、「睡眠不足で頭が痛い」「体がだるい」と訴えた。それでも、面談を受けて落ち着きを取り戻したように見える生徒もいた。
www.asahi.com/special/nagasaki/OSK200307120012.html

◆ 「加害者」のクラスメイトが特にショックを受けるのは当然のことで、そりゃ心理的に不安定にもなるだろうに。それは仕方のないことではないのか? なのに、

◇面談後、友人らと笑ったり、ふざけたりしながら下校する生徒たちの姿を見た教頭は「明るさと笑顔が戻りつつある」。市教委は、カウンセラーによる心のケアの継続を検討している。

◆ 「心のケア」って、いったい何なのだ。事件が起こってからそれほどの時間が経ったわけでもないのに、あっさり「明るさと笑顔」が戻ってしまうことの方がおかしくはないか? 記事は続けて、

◇ 一方、子どもたちを支えるはずの教師も、ショックを受け「全員が悩み、落ち込んでいる」(教頭)という。

◆ これまた当たり前のことではないか? 教師だってショックを受けるだろう。受けない方がよっぽど変だ。そうして、「少年と間近で接していた教師ほど苦しみが深かった」などと、だれが考えてもわかりそうなことが、どうして記事として成立するのだろう?  苦しむべきときには、苦しむほかにどうすればいいのだろう? 苦しみがなくなればいいってものじゃないだろうに。気が楽になる特効薬があるとしても(そんなものはないと思うが)飲むべきではない、とわたしは思っているのだけれど・・・

◆ 法事のおりに実家に立ち寄ったら、五輪真弓ののCD(二枚組みのベスト盤)があるのが目にはいった。七十過ぎの親父が最近買ったもので、そのなかに「落日のテーマ」があった。

◇ 私にとって『僕たちの失敗』と言ったら、その昔、NHKの夜の銀河テレビ小説で荻島真一と酒井和歌子が演じていたドラマの「僕たちの失敗」であって、そのドラマのテーマ曲=五輪真弓の「落日のテーマ」なのだから。
♪どこまでも 果てを 知らない 空の 彼方に 迷いの 心を 投げ捨てた♪

www.geocities.jp/mhryk/200303.html

◆ そうそう、あれはたしかに「夜の銀河テレビ小説」だった。連続ドラマの『僕たちの失敗』。当時(さて、いつのころだったのか?)、ドラマに感動し、また挿入歌にも感動し・・・。とはいえ、筋書きは今ではすっかり忘れてしまって、いったい何に感動していたのやら・・・。それでも「落日のテーマ」を聴くと、今も少々気持ちが揺れる。

◆ 前向きに生きようと思う。
  でも、どっちが前だかわかんないんだ!

◆ いろんな人の日記をあれこれ巡ると、「アジサイがきれいです」とか「ホタルを見に行きました」とか、季節ネタも数多くあって、そういった文章を読むと思わず心が和んだりもする。この季節ネタで最近よくみかけるのが、ゴキブリで、これはアジサイやホタルを話題にしているのとはもちろん趣きが百パーセント異なり、とにかくキライ、コワイ、ダメのオンパレードで、とたんに語彙が貧困になる。日記ではないけれど、以前《教えて!goo》でこんな質問があった。

◇ ゴキブリが苦手で、正直言うと、怖いぐらいです..(>_<)
 どうにか克服できる良い方法は無いでしょうか..
 真面目に悩んでいます(>_<)

oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=323725

◆ 「真面目に悩んで」いるというので、わたしも「真面目に」回答しましたね。

◇ 質問された **** さんはおそらく女性のかたなのでしょうね。概して、女性のかたには虫全般が嫌いなひとが多いように思いますが、ゴキブリだって昆虫の一種、昆虫採集を気取るわけにはいかないでしょうが、とりあえず、Google やなんかで「ゴキブリ」を検索し「ゴキブリサイト」をいくつか見てみて(けっこうたくさんあります)、ゴキブリにかんする知識を多少なりとも身につけてみてはいかがですか。そうすると、ゴキブリにもいろんな種類があって、「あら、わたしの苦手だったのは、チャバネゴキブリだったのね。ヤマトゴキブリなら多少はましかも?」なんてことがわかって、こんどは珍しいゴキブリをみつけると、にんまりしたりするようになるかも(ならないか)。
 そういえば、北海道にはゴキブリはいないということになっていて(最近はけっこういますが)、北海道出身の女性が東京ではじめてゴキブリをみたときに、怖がりもせず「あれなんていう虫?」ときいたという話もあります。
 ご健闘をお祈りします。

◆ でも、どうも違うみたいでした。ほかの回答をみると、退治する方法がいろいろ書いてありましたから・・・。まあ、ゴキブリはわたしだって好きではないけど、虫という虫が嫌いだというひとも世の中には多いようで、

◇ ニョーボにとって、たいていの昆虫はゴキブリ扱いである。(^^;)
カブトムシ→角付きゴキブリ
クワガタ→大あごゴキブリ
蝶・蛾→派手ゴキブリ
コオロギ・鈴虫→鳴きゴキブリ
ホタル→光ゴキブリ

members.jcom.home.ne.jp/theshadowcity/Samejima37.html

◆「虫」「キライ」で検索すると、うんさりするほどヒットする。そのなかで見かけた《虫同盟》というサイトの書き込みには、

◇ 「虫 絶対(ノ≧ロ)ノ<嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌」「この世に虫ほど恐ろしくて嫌いなものは居ません!」「虫大嫌いです☆蝶々やトンボでさえ許せねぇ!!笑」「虫きらいぃぃぃ。特に家の中に出没するあのちっこいアリが許せないのっ!」「虫は本気で勘弁してください(泣)」「虫という部類に入るのは全部ダメ。蝶々ですら驚くほど早いスピードで逃げます。」「虫嫌い!網戸とかにはりついてて足の付け根とか見えたら吐きそうになる!!(ぇ)」「虫だいっきらいです!!見るのも嫌です。もうこの世からきえてほしいです!」「虫見たら死んじゃいます!!(爆」「飛ぶ虫が大嫌いです。虫を目の前にすると、動けなくなってしまいます。」「虫大っ嫌いです!日光行った時は、とんぼがもぅ。。。」「蛾がだめすぎです!キモチワルイ、本当に。寒気がするんです(泣」
www1.odn.ne.jp/~cby89520/mushi.htm

◆ きりがないのでこの辺で止めておきます。それにしても、もし「虫」という字の代わりに自分の名前があったとしたら、たまらないだろうなあ・・・。これはイジメじゃないかなあ・・・。虫くんたちに深く同情する次第です。

◆ 虫のはなしといえば、フランス文学者で『ファーブル昆虫記』を新たに全訳した奥本大三郎氏のエッセー集がおもしろくて何冊か読んだことがあるが、そのなかに『考える蜚蠊』(福武書店,1993)という一冊があって、その「あとがき」に、

◇ 少年時代を関西で過ごした私は、ゴキブリという名をずっと知らなかった。あちらではアブラムシという呼名の方が普通だったし、「ゴキブリホイホイ」となどという商品も、もちろんまだなかった。

◆ とあり、そうそう関西ではアブラムシというんだった、と関西に生まれ育ったわたしはなつかしい言葉に出会って、胸がいっぱいになる(わけないか?)けれど、そのあとに、

◇ 京都育ちの母などは「ボッカブリ」と呼んでいた。

◆ と続けて書いてあるのを読んで、京都で生まれ育ったわたしは、はてそんな言葉は初めて聞いたな、と首をかしげ、こっちは京都といっても洛外の山科だからなあ、としょげかえる。それはともかく、アブラムシといえばもっぱらゴキブリのことだった。植物につくアブラムシもやっぱりアブラムシだったけど・・・(どっちもどっちだけど、こっちのアブラムシの方が気持ち悪くないか?)。そういえば、清水国明と原田伸郎の「あのねのね」のヒット曲に「赤とんぼの唄」というのがあった。

♪ 赤とんぼ とんぼの 羽根を取ったら アブラムシ
  アブラムシ アブラムシの 足を取ったら 柿の種

◆ この「アブラムシ」はどっちなんだろう? どっちにも似てないような気がするけど、やっぱりゴキブリの方だろうな。『考える蜚蠊』に話を戻すと、やはり「あとがき」に、

◇ はじめは「雪のシジフォス」というタイトルを考え、装丁の水月奏さんもそのつもりで白い瀟洒なデザインを考えておられたらしい。編集の宮森琴子さんが書名の変更を告げると、電話の向うで、「そ、そうですか」と、水月さんが一瞬絶句したそうである。

◆ とあって、そりゃそうだろうな、シジフォスと蜚蠊じゃ大違いだものな、とこれまた深く同情した次第。おわかりでしょうが、蜚蠊はゴキブリと読みます。念のため。

◆ 今朝そとに出ると、七月だというのに、秋の風が吹いていた。
 北海道に暮らし始めた年の七月にも同じことを思った。もう秋か!
 ときたま、そんなことがある。

◆ ゴルフは好きではない。というよりキライなのだが、先日電車のなかでスポーツ新聞の読むところがなくなって、ゴルフのページを読んでいたら、細川某がアルバトロスを決めたという記事があって、

◇ ・・・・・・副賞の「サトウのご飯200パック」を「わあ、子供がこのごはん大好きなんだ。ほんと、うれしいよ」と大喜びしていた。
『日刊スポーツ』7月28日付

◆ これぞ、まさしくアホウドリというところか。