MEMORANDUM

  長崎のこと、その2

◆ 長崎のことで、当該中学校にカウンセラーが派遣され、担任とともに個別面談を行ったという記事をネットで読んだ。読んだが、正直なところ何をしに来たのかよく理解できない。

◇ 補導された生徒と同じクラスに、精神状態が不安定な生徒が多く、「睡眠不足で頭が痛い」「体がだるい」と訴えた。それでも、面談を受けて落ち着きを取り戻したように見える生徒もいた。
www.asahi.com/special/nagasaki/OSK200307120012.html

◆ 「加害者」のクラスメイトが特にショックを受けるのは当然のことで、そりゃ心理的に不安定にもなるだろうに。それは仕方のないことではないのか? なのに、

◇面談後、友人らと笑ったり、ふざけたりしながら下校する生徒たちの姿を見た教頭は「明るさと笑顔が戻りつつある」。市教委は、カウンセラーによる心のケアの継続を検討している。

◆ 「心のケア」って、いったい何なのだ。事件が起こってからそれほどの時間が経ったわけでもないのに、あっさり「明るさと笑顔」が戻ってしまうことの方がおかしくはないか? 記事は続けて、

◇ 一方、子どもたちを支えるはずの教師も、ショックを受け「全員が悩み、落ち込んでいる」(教頭)という。

◆ これまた当たり前のことではないか? 教師だってショックを受けるだろう。受けない方がよっぽど変だ。そうして、「少年と間近で接していた教師ほど苦しみが深かった」などと、だれが考えてもわかりそうなことが、どうして記事として成立するのだろう?  苦しむべきときには、苦しむほかにどうすればいいのだろう? 苦しみがなくなればいいってものじゃないだろうに。気が楽になる特効薬があるとしても(そんなものはないと思うが)飲むべきではない、とわたしは思っているのだけれど・・・

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