◆ 虫のはなしといえば、フランス文学者で『ファーブル昆虫記』を新たに全訳した奥本大三郎氏のエッセー集がおもしろくて何冊か読んだことがあるが、そのなかに『考える蜚蠊』(福武書店,1993)という一冊があって、その「あとがき」に、 ◇ 少年時代を関西で過ごした私は、ゴキブリという名をずっと知らなかった。あちらではアブラムシという呼名の方が普通だったし、「ゴキブリホイホイ」となどという商品も、もちろんまだなかった。 ◆ とあり、そうそう関西ではアブラムシというんだった、と関西に生まれ育ったわたしはなつかしい言葉に出会って、胸がいっぱいになる(わけないか?)けれど、そのあとに、 ◇ 京都育ちの母などは「ボッカブリ」と呼んでいた。 ◆ と続けて書いてあるのを読んで、京都で生まれ育ったわたしは、はてそんな言葉は初めて聞いたな、と首をかしげ、こっちは京都といっても洛外の山科だからなあ、としょげかえる。それはともかく、アブラムシといえばもっぱらゴキブリのことだった。植物につくアブラムシもやっぱりアブラムシだったけど・・・(どっちもどっちだけど、こっちのアブラムシの方が気持ち悪くないか?)。そういえば、清水国明と原田伸郎の「あのねのね」のヒット曲に「赤とんぼの唄」というのがあった。 ♪ 赤とんぼ とんぼの 羽根を取ったら アブラムシ ◆ この「アブラムシ」はどっちなんだろう? どっちにも似てないような気がするけど、やっぱりゴキブリの方だろうな。『考える蜚蠊』に話を戻すと、やはり「あとがき」に、 ◇ はじめは「雪のシジフォス」というタイトルを考え、装丁の水月奏さんもそのつもりで白い瀟洒なデザインを考えておられたらしい。編集の宮森琴子さんが書名の変更を告げると、電話の向うで、「そ、そうですか」と、水月さんが一瞬絶句したそうである。 ◆ とあって、そりゃそうだろうな、シジフォスと蜚蠊じゃ大違いだものな、とこれまた深く同情した次第。おわかりでしょうが、蜚蠊はゴキブリと読みます。念のため。 |
このページの URL : | |
Trackback URL : |