MEMORANDUM

「ウサギとカメ」という記事を書いたときに参考にしたサイトに、日本語では区別されないが、英語では別種として区別される動物のリストがある。

●"turtle"「かめ」と "tortoise"「カメ」
●"rabbit"「うさぎ」と "hare"「ウサギ」
●"mouse"「ねずみ」と "rat"「ネズミ」
●"pigeon"「はと」と "dove"「ハト」
●"frog"「かえる」と" toad"「カエル」
●"bee"「はち」と "wasp"「ハチ」
●"dolphin"「いるか」と "porpoise"「イルカ」
●"alligator"「わに」と "crocodile"「ワニ」

ameblo.jp/la-barmaid/entry-10018064153.html

◆ なるほど。これは参考になる。このリストの前後も引用すると、

◇ こんな風に日本語では、似ているという理由だけで、名前がいっしょくたになっているものが結構あり、特に動物などにそれが多い。日本人が生物に興味がないのか、それとも翻訳を監修した人の中に生物学に詳しい人がいなかったのかどちらかにちがいない。〔中略〕 でも、こうやって見ていると、細やかといわれる日本人も、こういった生物上では、かなり鈍いと思える。これもそれもあれも、こんな同じでいいのかという感じだ。イギリスは動物愛護の精神というと世界でも有名だし、生活に森の動物が近くにいることが多いので、一般人のレベルでかなり詳しい人が多い気がする。

◆ これはあまり「なるほど」と思えない。下線部あたりに疑問が残る。とくに「翻訳を監修した人の中に生物学に詳しい人がいなかった」という箇所がよく理解できない。この文章を読んで「なるほど」と思ったと思われるひとのコメントも引用すると、

◇ "swan" を白鳥と訳した人は、"black swan" の存在知らなかったんでしょうね。"black swan" をそのまま、訳すと黒白鳥。"baseball" や "soccer" を野球や蹴球と訳したセンスが欲しかったですね。

◆ これも「なるほど」と思えない。先の「翻訳を監修した人の中に生物学に詳しい人がいなかった」と書くひとと「"swan" を白鳥と訳した人は、"black swan" の存在知らなかったんでしょうね」と書くひとにはともに、まるで日本語のすべてが英語の翻訳から成り立っているかのような思い込みがあるように思える。「baseball」や「soccer」など日本にもともとなかったものなら、新たに対応する日本語が必要になり、そのさいには翻訳者のセンスが問われるということもあるだろうが、「白鳥」は、なにも「swan」の訳語として作り出されたコトバではないので、翻訳者のセンスなど関与のしようがない。英語で「swan」と呼ばれる鳥は、日本に古来から飛来してきていて、日本語ではむかしから「白鳥」と言った。『日葡辞書』(1603)にも出ている(さらに古くは「くぐい(鵠)」と言った)。

◆ 慶応大学の磯野直秀先生によると、室町時代から江戸時代前期に書かれた『お湯殿の上の日記』という資料において、「くぐい」から「はくちょう」へのコトバの移り変わりが見られるという。

〔磯野直秀「博物誌資料としての『お湯殿の上の日記』」(The Hiyoshi review of natural science (40), 33-49, 2006)〕 なお,ハクチョウは古くから「くぐい」(鵠)と呼ばれており,この日記でも最初は一様に「くくい(ゐ)」と記されているが,永禄11年(1568)に初めて「はくてう」の名が登場し,徐々に後者の呼び名が増え,天正15年(1587)頃には「くくい」の表記がほぼ消え去る。もっとも,『看聞御記』では永享7年(1435)頃から「白鳥」の呼び方が珍しくない。
koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=10485

◆ 先の引用に「"black swan" をそのまま、訳すと黒白鳥」という箇所があって、これを書いたひとは、それだから「swan」を「白鳥」と訳すのはおかしいと主張しているように読める。たしかに「黒い白鳥」という言い方は変だといえば変だが、これは英語の「black swan」の場合でも、ほとんど同じではないかという気がする。「swan」というコトバ自体に「白」を示す要素はなくても、「swan」といえば「白い鳥」をイメージするのがふつうだろう。日本語で「白いカラス」は変なのか変ではないのか? ちなみに、「black swan」は日本語では「黒白鳥」ではなく「コクチョウ(黒鳥)」と呼ばれているので、とくに問題はないだろう。

◆ 「Belle Paysage ベル・ペサージュ」(美しい風景?)という名のマンションを見かけた。これがフランス語だとすると、アルファベットのほうは、paysage というのは男性名詞なので、belle(ベル)ではなく beau(ボー)であるはずで、「Beau Paysage」とすべきであろうし、カタカナのほうは「ベル・ペサージュ」ではなく「ボー・ページュ」と書かれるべきだろうが、このようなことを書いても仕方がないので、「paysage」についてちょっと調べてみた。

◆ 山梨大学の森田秀二先生によると、paysage の語義の歴史的な変遷は、まずは画家たちが「風景画」の意味で使い始め、それから「風景画に描かれた風景」の意味へと語義が拡張された、という順序になるそうだ。

〔「風景」にあたるフランス語paysageの語源をみてみよう〕 つまり、フランス語では「風景画」を指す語がはじめに生まれ、その後に意味が拡張されて「風景」そのものを指すようになったわけで、まさに現実が絵画を模倣するという転倒が起こったのである。
www.ccn.yamanashi.ac.jp/~morita/Subjects/phenomene/paysage_etymologie.htm

◆ すこしだけややこしいが、「風景(paysage)を描いた絵が風景画(paysage)」と呼ばれるようになったのではなく、「風景画(paysage)に描かれた対象が風景(paysage)」と呼ばれるようになったということで、つまりは、風景画(paysage)が描かれるようになる以前には風景(paysage)という概念は存在していなかった。

◆ 東北大学の五十嵐太郎先生の、マグリットの「風景の魅惑 Les Charmes du Paysage」と題された絵画に対するコメントも別な文脈で同じことを言っているのだろう。

〔『10+1』 No.09:大地を刻む──ランドスケープからランドスクレイプへ(五十嵐太郎)〕 「風景」が額縁を呼びこむのではない。額縁が「風景」を生成するという逆説のあらわれ?
db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/334/

◆ 逃げたリスのその後。

〔AFPBB News〕 【6月28日 AFP】東京都武蔵野市の「井の頭自然文化園(Inokashira Park Zoo)」は28日、台風で飼育施設が破損し逃げ出したリス30匹について、期待を上回る38匹を捕獲したことを明らかにした。
 同園では台風4号に見舞われた前週、強風による倒木でリスの展示施設の金網が破れ、リスが脱出。職員らが「逃亡」したリスの捜索を続けていた。だが逃げたリスは計30匹で、今回、捕獲したのは38匹。
 予想していた数を上回る捕獲結果に、同園は公園に生息していた野生のリスも含まれているとみているが、「正確なところは、わからない」と話している。

afpbb.com/article/life-culture/life/2886828/9186163

◆ 原文はコチラ↓。

◇ TOKYO, June 28, 2012 (AFP) — Japanese zookeepers who lost 30 squirrels after a typhoon damaged their enclosure said Thursday their recovery efforts had exceeded expectations — with 38 animals back in captivity.
 The bushy-tailed rodents made a break for freedom when a tree felled by a typhoon last week cut through netting at Tokyo’s Inokashira Park Zoo.
 But after days of trapping the sharp-toothed creatures, a spokeswoman for the zoo said the haul had been more successful than expected and a total of 38 had been “recaptured”.
 “We still receive about four to five reports a day from witnesses,” said Eri Tsushima. “We will continue setting traps as long as people keep reporting squirrel sightings to us.”
 Most of the animals were caught in the surrounding park area, and Tsushima said keepers would be checking that all of those taken into captivity had the microchips the zoo implanted into its own squirrels.
 She acknowledged that the ranks of recaptured animals could have been swollen by the wild squirrels who live in the park.
 “We simply don’t know yet,” she said.

vancouverdesi.com/news/japan-zoo-finds-38-out-of-30-missing-squirrels/

◆ まだまだ増えそうな様子だ。脱走したリスにはマイクロチップが埋め込んであるらしいから、無辜のリスは無事に釈放されるのだろう(か?)。

◆ 見たことはないが、ワタスゲの綿毛がいまあちこちで見頃だそうだ。あちこちの新聞にそう書いてある。

〔朝日新聞(栃木) 2012/06/28〕 日光国立公園内にあり、ラムサール条約登録湿地のひとつでもある奥日光の戦場ケ原で、木道沿いに生えている樹木のズミの枝が人為的に切断されているのが27日わかった。戦場ケ原はズミの花期が終わり、ワタスゲが白い綿状の果実をつけ、湿原一面を彩る時期。地元では、撮影のために枝を払ったとも推察しており、心ない行為に関係者は嘆きの声をあげている。
http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000001206280002

〔東奥日報 2012/06/27〕 県内は27日、高気圧に覆われて晴れ間が広がり気温が上昇、各地で汗ばむ陽気となった。青森市の田代平湿原ではワタスゲの群生が見ごろを迎え、ふわふわした綿帽子が初夏の風に揺れていた。

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2012/20120627202249.asp

〔北海道新聞 2012/06/26〕 後志管内倶知安町のニセコアンヌプリ中腹、標高570メートルにある鏡沼周辺の高層湿原で、カヤツリグサ科の多年草「ワタスゲ」が見ごろを迎え、緑色のじゅうたんに浮かぶ白い綿毛がトレッキング客らの目を楽しませている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/382929.html

〔読売新聞(群馬)2012/06/24〕  片品村の尾瀬国立公園の尾瀬ヶ原で、白いワタスゲが見頃を迎え、緑の湿原にアクセントを加えてハイカーの目を楽しませている。
 ワタスゲの花は黄色で早春に終わり、白い部分は花の咲いた後に出来る2~3センチ程度の「果穂(かすい)」と呼ばれる部分。この時期にタンポポのように湿原に現れる。
 尾瀬ヶ原では、山の鼻―牛首間の木道近くなどに群落が広がり、時折風に吹かれて綿毛を飛ばしている。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20120623-OYT8T01236.htm

〔下野新聞 2012/06/22〕 現在の奥日光は、青葉若葉が生えそろい新緑がまぶしい。戦場ケ原では白ズミの花や、ふわふわした綿帽子のようなワタスゲが真っ盛り。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20120621/810183

〔福島民友 2012/06/13〕  南会津町と昭和村にまたがる国天然記念物「駒止湿原」のワタスゲが間もなく見頃を迎える。高原の遅い初夏の風に穂が揺れ、県内外から訪れる観光客に安らぎを提供している。
 ワタスゲは本州の中、北部の高原湿地に群生するカヤツリグサ科の多年草。楕円(だえん)形の花穂を付け、綿状の白毛を持つ。

http://www.minyu-net.com/flower/summer/120613/summernews1.html

〔北海道新聞 2010/07/01〕 日本最北の高層湿原として知られる上川管内美深町の松山湿原で、初夏の訪れを告げるワタスゲの綿毛が風に揺れている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/239363.html

〔北日本新聞 2009/07/13〕 立山・黒部アルペンルートの弥陀ケ原(1930メートル)で、多年草のワタスゲが真っ白な綿毛を付けている。12日も、登山道脇で風に揺れるかれんな姿をハイカーらが眺めていた。ワタスゲは高山湿地帯に自生する。6月ごろに花を咲かせた後、茎の先端に白い綿毛を付ける。
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20090713/23837.html

〔信濃毎日新聞 2009/06/25〕 山ノ内町志賀高原にある前山湿原で、真っ白なワタスゲの綿穂が見ごろを迎えている。志賀高原ガイド組合によると、5~6月に寒い日が続いたため例年より1週間ほど遅れている。ワタスゲは花が終わると白い綿穂をつける。同湿原では一面に広がる綿穂が風になびいて揺れている。
http://www8.shinmai.co.jp/flower/2009/06/25_010113.php

〔下野新聞 2009/06/17〕 奥日光の戦場ケ原で、群生するワタスゲの白い綿毛が見ごろを迎えた。初夏の高原の風に揺れ、ハイカーらの目を楽しませている。
http://www.shimotsuke.co.jp/town/tourism/plants/news/20090617/161217

〔福島民友 2009/06/14〕 北塩原村のデコ平湿原でさわやかな風を受け真っ白なを付けたワタスゲなどの花々が見ごろを迎え、高原に初夏の訪れを告げている。
http://www.minyu-net.com/news/topic/0614/topic2.html

〔福島民報 2009/06/13〕 南会津町と昭和村に広がる国の天然記念物の駒止湿原では、ワタスゲが見ごろを迎えている。南会津町側入り口の大谷地では、綿毛のようなふわふわとした純白の果穂が風に揺られ、訪れたハイカーの目を楽しませている。
http://www.minpo.jp/pub/topics/hanakikou/2009/06/post_61.html

〔東奥日報 2008/06/17〕 高原を吹き抜ける風に、フワフワと揺れる白くかわいらしい綿毛−。八甲田の田代湿原に高山植物のワタスゲが一面に広がり、日に日に緑色を深める湿原と、鮮やかなコントラストを描いている。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2008/20080617144442.asp

◆ 気がつくと、2008年にまで遡ってしまっていたが、さすがに新聞だけあって、「綿胞子」などという記述はなかった。どうでもいいが、福島民友はキティちゃんも読んでるらしい。

◆ 「PhotoDiary」のトップページの一番下に、ランダムで10枚の写真(のサムネイル)が出るようになっているのだが、さっき見たら、その10枚のうちの2枚が「ウサギ」と「カメ」だった。

◆ 「ウサギとカメ」といえば、イソップ童話などで有名だが、このハナシ、英語では「The Hare and the Tortoise」と言う。ウサギが hare でカメが tortoise。あるブログにこんなことが書いてあった。

◇ 有名なイソップの寓話である、「うさぎとかめ」のことを英語では、"The Hare and the Tortoise" と言う。日本では、「うさぎ」のことを英語で、"rabbit"(ラビット)と認識している人が大半なので、"hare"(ヘア)? それは何?と思う人が多いのじゃないだろうか。日本語のタイトルを見てわかるとおり、それも「うさぎ」と日本語では訳されている。私が思うに、最初に英語を日本語にした人が、「どちらも耳が長い」「ぱっと見た感じがそっくり」、こんな風に思って、"hare"(ヘア)も "rabbit"(ラビット)も、「うさぎ」ということにしよう。こんな感じだったのではないかと思われる。ちなみに"hare"(ヘア)という言葉を辞書で引くと、「野うさぎ」と書かれている。"rabbit"(ラビット)だって、野にいくらでもいるので、それだけ見たって何がちがうかさっぱりわかるわけもなく、結局日本人の頭の中では、どちらもいっしょの動物ということで、収まってしまう。"What's the difference between a hare and a rabbit?" (「うさぎとウサギの差は何なの?」)なんて欧米人に聞けば、きっと、「えっ?ぜんぜん違う動物なのに、いっしょだと思っていたの?」と、こういう感覚でいっぱいになると思う。
ameblo.jp/la-barmaid/entry-10018064153.html

◆ えっ? ワタシには、「欧米人」が「こういう感覚でいっぱいになる」とは思えない。「rabbit」と「hare」は、どうみたって「ぜんぜん違う動物」ではない。かなり似ている。

◆ カメといえば、「ロンサム・ジョージ」死亡のニュース。

〔毎日新聞 2012年06月25日 東京夕刊〕  南米ガラパゴス諸島(エクアドル)で乱獲から唯一生き残り、「ロンサム・ジョージ」(孤独なジョージ、写真は08年11月、平田明浩撮影)の愛称で知られるガラパゴスゾウガメの亜種が24日早朝(日本時間24日夜)死んだ。飼育されていた同諸島サンタクルス島の飼育・繁殖センターで職員が確認した。推定100歳以上だが、死因は不明。
 ガラパゴスゾウガメは世界自然遺産に登録された同諸島固有の世界最大級のリクガメ。19〜20世紀、船乗りの食料として乱獲され、15の固有亜種中4亜種が絶滅した。ジョージは71年、同諸島北部ピンタ島で見つかったオスで、絶滅したと考えられていた固有亜種「ピンタゾウガメ」の最後の生き残りとされ、野生生物の保護運動の象徴になった。ジョージの死でこの亜種が絶滅した可能性が非常に高くなった。

mainichi.jp/feature/news/20120625dde041040012000c.html

◆ ロンサム・ジョージは「リクガメ」(tortoise)で「ウミガメ」(turtle)ではないが、カメであることには変わりはない。英語でコトバが違う(「tortoise」と「turtle」)からといって、英語の話者がこのふたつを「ぜんぜん違う動物」だと思っているとは思えない。スペイン語では、日本語同様、「tortoise」と「turtle」を区別しない。

〔Wikipedia:Turtle〕 Some languages do not have this problem, as all of these are referred to by the same name. For example, in Spanish, the word "tortuga" is used for turtles, tortoises and terrapins, though the type they belong to is usually specified and added to the name, as "marina" for sea turtles, "de río", for freshwater species and "terrestre" for tortoises.
en.wikipedia.org/wiki/Turtle

  町工場

◆ 『田宮模型の仕事』を読んでいると、こんな文章。

◇  さて、いちばんの問題は金型屋です。木製模型を作っていたわが社にとっては、まったく付き合いのない分野でした。どこで金型を作っているのかを、調べることからはじめました。これまた付き合いのなかったプラスチックの材料屋さんに飛びこみ、業界のようすを訊(き)き、その人のコネで東京の金型工場を訪ねることにしました。工場といっても、いわゆる町工場(まちこうば)です。床は土間で、機械が置いてあるところだけコンクリートで固めていました。
「戦艦武蔵」の図面とアメリカ製のキットを見本として見せ、「なんとか引き受けてもらえないでしょうか」とお願いしましたが、「ウチは今、手いっぱいだから」と、ていよく断られてしまいました。たしかに金型屋は大忙しの時代でした。プラスチック製品の需要が急激に高まっており、どこの金型屋も引っぱりだこだったのです。
〔中略〕
 会いに行くたびに金型屋がリッチになっていくのが、よくわかりました。腕時計にしろライターにしろ、舶来の高級品を身につけるようになっていったのです。ある日訪ねてみると、工場の前にピカピカのキャデラックがとまっていました。親方が出てきて「よおっ」と、うれしそうに手をふっています。
「いいだろう、この車」と、あれこれ自慢話を聞かされたあと、「じゃあな」と女連れで出かけてしまいました。職人に「親方はどこに行ったんですか」と聞くと、「ゴルフ場だよ」。
 もう、こうなってくると、金型屋はまじめに働かなくなります。どんどん遊びをおぼえ、電話しても連絡がつきません。競輪の日なんて絶対にいません。
 そのころ、発注していた金型屋は七、八軒ありましたが、いいかげんにやっていたところは、今はもう存在していません。新しい工作機械の導入が遅れて、時代の波に押し流されたのです。

田宮俊作『田宮模型の仕事』(文春文庫,p.50 et p.93)

◆ 町工場に金型屋。さいきん読んだもう一冊にも、町工場に金型屋。

◇  うちは小さな町工場だった。幼い私の遊び場は工場(こうば)だった。
 房総で漁師の六男として生まれた祖父は十四歳で上京し、東京じゅうの町工場を転々としながら仕事を覚え、現在実家のある場所で独立した。その工場を長男である父が受け継いだ。私が小さい頃、つまり日本が高度経済成長に沸いていた頃には数人の工員のお兄さんたちが工場の二階に下宿していたが、一九八一年からは完全に父一人となり、そして一九九七年に閉鎖した。
 業種は、町工場界隈の語彙でいうところの「金型屋(かながたや)」。様々な工業部品の金型を作ったり、あるいは旋盤やフライスでネジを加工する仕事を請け負っていた。工場は、子供にとってはおもちや箱のようなものだった。年子の姉や私は機械に触ることは許されなかったが、切り終わったネジにテープを巻いたり、それを古新聞で包んで木箱に詰めて数を数えたり、また放金粉(ほうきんこ)(旋盤で金属を削った時に出る金属の粉)を吹き飛ばすための空気銃で遊んだり、おびただしい数の、ピンク色の納品書の裏におえかきをしたり、意味もわからずに「納品」「請求」「決済」などのハンコをそこらじゅうにペタペタ押して遊んだ。
〔中略〕
 父の目には、世の中のすべての物体が金型という視点で映っているらしい。居間でお茶を飲んでいる時、父はよくクッキーの缶を開けてプラスチックの箱を中から取り出しては、一人でプラスチック容器をひっくり返したり、容器の裏の突起に見入っている。お菓子におまけがついていれば目はらんらんと輝き、「こりゃあすごい手間だ」「ずいぶん不良も出しただろうな」と感嘆し、頭の中ですでに金型の設計図を描いている。
〔中略〕
 一人プラスチック容器をしみじみ見つめるそんな父を、私は羨ましいと思う時がある。傍から見たら、道を歩きながら、クッキーを食べながら、電車に乗りながら、目に入る物すべての金型を想像しているただのへんなおじさんだろう。しかし父は金型というドアから、社会の仕組みを見ている。金型から生まれた物すべてに愛着を持っている。そんな揺るぎないドアを持っていることが、私には羨ましい。

星野博美『銭湯の女神』(文春文庫,pp.44-46)

◆ 2冊の本から長々と引用したが、金型屋はさておいて、とりあえずは、以下の各1行だけでもよかった。

1) 工場といっても、いわゆる町工場(まちこうば)です。
2) うちは小さな町工場だった。幼い私の遊び場は工場(こうば)だった。

◆ それぞれ1箇所、原文にルビ(縦書きで漢字の右側に添えるふりがなのこと。引用文ではカッコで示した)がふってあるのが気になった。では、その前のルビのふってない「工場」「町工場」はなんと読めばいいのか? 1の「工場」は「こうじょう」と読むのだろう。2の「町工場」は「まちこうば」だろうと思うが、そうすると、どうしてこちらにはルビがないのか? 理由はわからないでもない。ルビをふったひと(いったいだれ?)が、「町工場」は「まちこうば」と読むのが一般的だが、「工場」は「こうじょう」と読むひとも多いだろうから、この場合は「こうじょう」ではなくて、「こうば」と読んでほしいと考え、わざわざルビをふったのだろう。

◆ 出版業界のならわしに詳しくないので、よくわからないけれども、なんとなく、こうしたルビは原作者ではなくて、校正者が(読者の便宜をはかるために)ふっているような感じがする。こうしたルビには、校正者が原作者に「これはこの読み方でいいんですよね? だとすれば、この場合は、べつな読み方をする読者もいると考えられるので、念のため、ルビをふっておきますがいいですか?」といったやりとりの跡が、なんとなく(気のせいかもしれないが)感じられて、読んでいると(ちょっとだけ)違和感がすることがある。

◆ この箇所にルビがなかった場合はどうなるだろう? まず確実に言えるのは、ルビがなければ、こんな記事を書いてはいないうことで、「工場」の読みが「こうじょう」か「こうば」のどちかなのかと考えもしないで、読み飛ばしていたことだろう。黙読の場合は、そのようなことが可能で、いまあらためて、音読ではない「黙読」の不思議さに思いいたったというわけなのだった。

◆ 「牧場」は「ぼくじょう」あるいは「まきば」? 「市場」は「いちば」あるいは「しじょう」? 黙読の場合に、読者はいちいちその解答を要求されはしないけれども、いったん考え始めると、これはそれぞれなかなか難しい問題だろうと思う(ので、とりあえず、いちいち考えない)。

◆ ワタシは仕事がら日本中の都市を訪れるが、先月、静岡市駿河区小鹿を訪れたときに、赤と青の四角の地に白く抜かれた二つの星が並んだマークを目にした。これはもちろんプラモデルのタミヤのロゴだ。帰ってから調べてみると、ワタシが見たのはタミヤの「第二物流センター」だったようだ。タミヤは本社も工場も静岡市駿河区にある。ちなみに、小鹿は「こじか」ではなく「おしか」と読むらしい(参考:《田宮模型歴史研究室:住所の変更》)。

◆ 出会いというのは奇妙なもので(と書いてしまい、消すのも面倒なのでそのままにしておくが、なにもたいしたハナシではない)、静岡市駿河区小鹿にあるタミヤの第二物流センターの二つ星のロゴを見た数日後、ブックオフで『田宮模型の仕事』という文庫本を目にしたので、買って(105円)帰って読んだ。読んでから、すでに読んでいたことに気がついた(以前に同じくブックオフで同じく105円で買っていたのだった)。とはいえ、気がついたのは、読んだ記憶があるということだけで、内容はきれいさっぱり忘れていたのだが。この本の解説に、

◇ 私は仕事がら世界中の都市を訪れるが、その世界の街で、あの星がふたつ並んだマークを眼にする。赤と青の四角の地に白く抜かれた二つの星。そのマークを見ると、その看板が掛けられた店が何を売っている店なのか一瞬にしてわかる。考えてみると、これはすごいことである。例えば、コカーコーラの看板も世界中で見掛ける。しかし、そこはコークを売っているキオスクかもしれないし、レストランかもしれない。看板はその店が何の店なのかまでは表しはしない。しかし、タミヤの星のマークが見えたら、そこはホビーショップ以外の何ものでもないのである。この星のマークは、もはやタミヤ一社のロゴでなく、プラモデルを含むホビー業界そのもののシンボルなのだ。知らない街でホビーショップをさがすときは、とにかくあの二つの星をさがせばよいのである。世界広しといえども、一社のロゴマークが業界そのもののシンボルになる、そんな会社はタミヤ以外ないのではなかろうか。
田宮俊作『田宮模型の仕事』(文春文庫,リチャード・クーによる解説,pp.316-317)

◆ と書いてあって、たしかに、考えてみると、これはすごいことである。

◆ 『田宮模型の仕事』は、講談社インターナショナルから英訳(Master Modeler: Creating the TamiyaStyle)も出版されているようで、その案内文には、こうあった。

◇ The blue and red star logo of Tamiya is now recognized internationally as the mark of model kits of unrivalled quality and precision.
books.google.co.uk/books/about/Master_Modeler.html?id=T7RXfpXNORMC

◆ 静岡といえば、お茶が有名だが、それに劣らず、「模型の町」でもあるらしい(その多くはタミヤによっているとおもわれるが)。

〔静岡ホビースクエア〕 静岡の模型の歴史は戦前の木製模型時代から遡れば半世紀以上の歴史があります。今や静岡の模型の出荷額は全国シェアの大半を占めるに至り、その歴史の長さと圧倒的なシェアから、静岡は「模型の世界首都」として世界中の模型ファンが集まる街へと成長しています。静岡が誇る模型の魅力と優れた地場産業をより多くの人に伝えたい。より多くの人に静岡のホビーを楽しんでほしい。そんな願いを込めて、2011年、新たなホビーの情報発信基地「静岡ホビースクエア」が誕生しました。
hobbysquare.jp/concept/

◆ 写真は模型のタミヤの近くにあった「おちゃのタミヤ」。一族だろうか?