MEMORANDUM
2008年12月


  砂男

◆ 先に引用したアナトール・フランス 「回復期」の一文に、

◇ 熱病の種をまく手も、毎晩やってきて子供たちの目に睡気を催させる、砂をいっぱい握りしめたあの老人の手と同じように、人の目にはとまりません。
アナトール・フランス 「回復期」『少年少女』(三好達治訳,岩波文庫,p.54)

◇ Le bras qui sème la fièvre est invisible comme la main, pleine de sable, du vieillard qui vient, chaque soir, verser le sommeil dans les yeux des enfants.
fr.wikisource.org/wiki/Filles_et_garçons

◆ というのがあったが、「毎晩やってきて子供たちの目に睡気を催させる、砂をいっぱい握りしめたあの老人」というのは、西洋のおとぎ話の登場人物。日本では「砂男」として知られているが、これはドイツ語 Sandmann から。

ザントマン(Sandmann)とは、ドイツの民間伝承に登場する睡魔。/ 英語読みでサンドマン(Sandman)、また砂男ともいう。姿の見えない妖精だが、一般には砂の入った大きな袋を背負った老人の姿であるとされる。/ 彼が背負っている袋の中には眠気を誘う魔法の砂が詰まっており、夜更けになると、ザントマンは人々の目の中に投げ込む。すると、人々は目が開けられなくなり、眠らずにはいられなくなってしまうという。/ 古くからドイツでは、夜更かしをする子供に「ザントマンがやってくるぞ」と脅して寝かしつける習慣があった。/ E.T.A.ホフマンの怪奇小説『砂男』(Der Sandmann)などの題材としても知られる。
ja.wikipedia.org/wiki/ザントマン

◆ フランス語では marchand de sable(砂売り)。堀江敏幸に「砂売りが通る」(『熊の敷石』)という短篇があるらしいので、そのうち読んでみたい。

  睡魔

◆ 「砂男」のつづき。英語の sandman を辞書で調べていたら、こんな例文。

◇ The kids are fighting off the sandman. [=the kids are trying not to fall asleep]
www.learnersdictionary.com/search/sandman

◆ 日本語にすれば、「子どもたちは睡魔と闘っている」。「闘う」からには、相手のことをくわしく知る必要があるだろう。さて、日本の「睡魔」とは、どんな魔物だろうか、と思った。辞書を引くと、

すい‐ま【睡魔】 引きずりこまれるような眠けを魔物にたとえていう語。「―に襲われる」
小学館「大辞泉」

◆ と、これだけ。姿かたちが皆目わからない。これでは闘いようがない。

◆ 「睡魔」のつづき。青森のねぶた、弘前のねぷた、秋田の竿燈。眠り流し。

◇ 暑さの厳しい、しかも農作業の激しい夏期に襲ってくる睡魔を追い払うための行事で村中一団となって、様々な災い、邪悪を水に流して村の外に送り出すものといわれています。
www.city.hirosaki.aomori.jp/kanko/matsuri/natsu1.html

◆ これは「弘前ねぷたまつり」についての記述(弘前市役所)。

◇ 語源は、眠り流し→ねむた流し→ねむた→ねぷた(ねぶた)と、転訛。(佞武多、禰ふた、ともいう。)
Ibid.

◆ 「眠り流し」を辞書で引くと、

ねむりながし【眠り流し】 祓(はらえ)の形代(かたしろ)を流して夏の睡魔を払う行事。東北地方で盛んであるが、各地にみられる。七夕流しの行事として行われることが多い。おねんぶり。ねぶり流し。ねぶと流し。ねむった流し。
三省堂 『大辞林 第二版』

◆ 秋田には「竿燈まつり」。

◇ 眠り流し(竿燈)は、夏季の睡魔を追う行事ですが、決して「眠り病」を予防する行事ではありません。ある本の竿燈や眠り流しに関する説明のなかに、「夏になると眠気を催し、眠っている間に病魔が体に忍び入り、眠り病になると信じられていた」とあったため、眠り病を予防するための行事と勘違いをしている方やホームページなどにそのまま掲載しているものがあります。おそらく、睡魔と病魔が一緒になって、いつの間にか「眠り病」になったのではないでしょうか。なかには、眠り病を日本脳炎として論じる方も見られますが、かなり飛躍的な見解と考えられ、科学的な根拠は今のところありません。
www.city.akita.akita.jp/city/ed/ak/fm/neburi.htm

◆ 秋田に行っても弘前に行っても、「夏の睡魔」の姿かたちは一向に見えてこない。おそらく、日本の睡魔に姿かたちはないのだろう。

◇ 今年の世相を反映し、話題になった言葉に贈られる「2008ユーキャン新語・流行語大賞」が1日発表され、40歳前後(アラウンド・フォーティー)を表す「アラフォー」と、エド・はるみさんの「グ~!」が年間大賞に選ばれた。
www.yomiuri.co.jp/national/news/20081201-OYT1T00634.htm?from=navr

◆ 今年の流行語大賞。「アラフォー」はさておき、エド・はるみの「グ~!」。

◇ 女優、コンピューターインストラクター、マナー講師など異色の経歴をもつ新人お笑い芸人エド・はるみによるギャグ。フォーマルな出で立ちで両手の親指を突き立て、突然「○○グ~!」と声を上げる。

◆ エド・はるみは、どうやらワタシと同い年で、誕生日も1週間しか違わない。だからといって親近感がわくわけでもないが、「グ~!」については、例によって、わずかばかりの関連でもって前から書きたいと思っていたことがある。

◆ 「○○グ~!」の○○に当てはまるコトバはいろいろあるだろうけれど、英語で「~ing」のかたちを考えれば、手っ取り早く量産できる。

◇ エド・はるみの衣装は昭和チックなスーツが多く、結婚スピーチなどの様々なレッスン講義がエド・はるみの持ちネタ。「レッスンを始めます。レッスン・ワン」と言うフレーズの後、「セッティング」「ショッキング」などの「グ」のついた言葉を連発します。
maruta.be/edoharumis

◆ 英語で「~ing」のつくものといえば、動名詞やら現在分詞やらがあって、おそらく受験英語のサイトに詳しい説明があるだろうと思う。ワタシが前から気になっていたのは、現在分詞でも動名詞でもなくて、もともと名詞であったものが動詞化され、さらに ing をつけたかたちで固定してしまった一連の名詞のこと。

◆ たとえば、タイミング(timing)。これは、名詞 time(時間)が動詞になって(どういう意味かは知らないが)、それを再び名詞化するために、ing をつけ加えて「time すること」を表す timing というかたちをとったものと考えていいのだろう(?)。だとすると、タイムもタイミングもすでにこなれた日本語として流通している現状において、その中間段階の「動詞としての time」だけが日本語としては抜け落ちていることになる。

◆ あるいは、パーキング(parking)。パーク(公園)もパーキング(駐車場)も日本語として理解可能だろうけれど、その間には「駐車する」という意味を持つ動詞としての「park」が介在しているわけだが、そのことはほとんど想起されない。

◆ また、フェンス(fence)とフェンシング(fencing)の間にはどんなつながりが? また、耳(ear)とイアリング(earing)との関係は? などなど。

◆ 「おともだち」の石公さんがこんなことを書いていた。

◇ 以前、個人の日記のWeblogで、非常にクールな文章を書く女性がいた。もちろん、本人を知っているわけではないが、ある日彼女が、その日記の中で「お洋服」という言葉を使った。まあ、「お洋服」という言葉自体は、好きではないが決定的に嫌うような言葉ではない。最初からそういう言葉を使いそうな人がそういう言葉を使うなら、別段驚くにはあたらない。だが、普段とても冷静で、ユニセックスな文体に好感を持って面白くて読んでいた彼女の文章の中でこの単語を見たとき、こちらの相手への勝手な(本当に勝手な)思い入れが覆されてしまった気がして、以来、徐々に幻想が薄らぎ、いつしかRSSリーダーから登録を外してしまった(いやあ、読み手なんて勝手なものだ)。
ishiko.way-nifty.com/ytmlog/2005/06/post_e43c.html

◆ なるほど。会話ではとくに気にならなくても、「文章の中で」使われると違和感のあるコトバがあって、「お洋服」もその一例かもしれない。ブログというのは、書きことばと話しことばの中間で成立しているようなメディアだから、この「お洋服」にしても、話しことばがたまたま紛れ込んでしまったのものか、本人の書きことばとしての基準をクリアしたうえで書かれたものかを見極めるのは困難なことでもあるだろう。そもそも、語頭に「お」や「ご」のついた「美化語」(というらしい)の使用にかんしては、

◇ 何にでも「お」や「ご」を付ければ良いというものではない。例えば、おしっこ、は構わないが、おトイレ、お玄関、お熱、お咳、お湿布などはおかしいと思う。お便所やお薬も、便所、薬で構わないのではなかろうか。
www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/kotobadukai.html

◆ という意見に一般論としては同意するけれども、「おしっこ」はいいが「おトイレ」はおかしいと思う根拠を、本人のコトバにたいする感覚以外に求めることができるのかどうか?

◆ などということを考えていて、「お便所」というコトバの用例を並べてみると、ちょっとくらくらする。

◇ 3歳の次男です。人見知りや場所見知りもするほうでしたが、今、お便所見知りで困っています。自宅以外のトイレには、入ることさえできません。
oshiete1.goo.ne.jp/qa737507.html

◆ 「場所見知り」というコトバさえ、聞いたことがなかったので、「お便所見知り」というコトバにはかなり驚いたが、さすがに特殊な例だろう。「人見知り」と並べて書いてあるので、意味するところはよくわかるが、「顔見知り」に続けて書いてあれば、どうだったろう?

◇ 昨晩、玄関(外)にお便所コオロギが4匹もいました。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111952146

◆ 「お便所コオロギ」というのは、個人語なのか家族語なのか地域語なのか? ある個人が、便所コオロギとふつうは呼ばれている虫を名指すのに、便所という「下品な」コトバを発音することがためらわれて、「トイレコオロギ」では通じない心配もあるので、てっとりばやく「お」をつけて下品さを和らげたのか? そもそも、家庭内で(とくに母親が)使っていたコトバをまねたものか? それとも、特定の地域では、みなそう呼んでいるのか(その地域の広さは、見当がつかない。知らないだけで、日本の大部分ということもあるかもしれない)? 「公衆お便所」ってのは、どうか?

◇ 花火大会の準備で、ポリプロピレン製公衆お便所が多数設置されてます…。
d.hatena.ne.jp/atte/20080813

◇ お腹の調子が悪く雨の中公衆お便所へ…。
ameblo.jp/dai5221/day-20080916.html

◆ 「公衆お便所」には、もちろん、特殊な意味合いもあって、

◇ 恋多き女、聞こえはいいが、タダの尻軽公衆お便所
music.2ch.net/classical/kako/1034/10344/1034411667.html

◆ 「お便所シャワー」なんてのも。

◇ バウチャーとパスポートを提示し、チェックインも普通に終わりました。今回は3階の315号室。入ってみると、ドアのすぐ左手にいきなりバスルームのドアがあり、換気扇の音がゴーゴーとすごい大きさで聞こえたので「うるさいなぁ~」と中を見てビックリ、「お便所シャワーだ!」 仕切りもなにもなく、トイレの横にシャワーが・・・。
life-is-funny.cocolog-nifty.com/singapura/2008/02/post_bd97.html

◆ これは、シンガポールのホテルの話。そういえば、香港の重慶大厦(チョンキンマンション)の安宿にも、この「お便所シャワー」があった。

◆ お洋服のハナシが、なぜだがお便所のハナシになってしまった。あとは、お便所でじっくり考えてから・・・。

◆ 前回「お便所」のハナシで、「お便所見知り」というコトバに驚いたということを書いたが、

◇ フィンランド人は、見知らぬ人にはフレンドリーではない。多くは人見知りだ。
群ようこ 『かもめ食堂』(幻冬舎文庫,p.8)

◆ というような文章を読んでも、「人見知り」の意味が「顔見知り」と少し重なって、瞬時には了解できなかった(そんなのはワタシだけ?)。で、「見知り」について、ちょっと調べてみたが、とくにおもしろい内容はなかったので、フィンランド人のハナシにする。

◆ フィンランド大使館一等書記官のユハ・ニエミさんが、《かもめ食堂から見えるフィンランドの暮らし》と題する講演のなかで、フィンランド人の特性を5つ挙げていて、これがなかなかおもしろい。

特性第一:目新しいものに対するちょっとした警戒心も、結局、好奇心には負けてしまう。 「かもめ食堂」では、3人のフィンランド人女性が窓の外から食堂を覗いている場面がありますが、正にこの特性を捉えています。初めは、子どものように興味津々、でも、相手に気づかれて ちょっとイラつく、そして最後には、両手を広げて受け入れる・・・。全体的にいえば、90年代はじめにフィンランドが情報化社会にすばやく移行できた背景にも、この強い好奇心と新しいものを積極的に取り入れるという姿勢 があったとも言えるでしょう。
特性2:時にイライラさせるほど、謙虚で自己主張しない フィンランドでは、控えめであることを美徳とします。例をあげますと、食事に招待されたフィンランド人は、なかなか一番最初に食事の席につこうとはしないです。はじめは、関心のない素振りをみせながら、内心では、「もう一度、二度、三度言ってくれれば・・・」と思うのです。何度かいわれて、「それほどまで言うのならば」といって席につきたいのです。
特性3:謙遜家 例えば、新品の腕時計をほめられると、素直に喜びを表現せず、たいていこう言います。「たいした時計じゃないんです。もう、狂い始めたようだし、いや、まだちゃんと動いているとしても、そのうちおかしくなるでしょう。やっぱり駄目な物を買ちゃったんです。」
特性4:沈黙が少しも気にならない - 話すことがなければ口を開く必要はない 「かもめ食堂」でも、寡黙なフィンランド人がたくさん登場しました。皆さん、これって、アメリカ人などと正反対だと思いませんか? むしろ日本人と似ているじゃないんですか?
特性5:強い感情をあまり外で表さない あるフィンランド人夫婦の話がいい例だと思います。「何故、愛しているって言ってくれないの」と、結婚10年目の妻が夫に訴えます。「結婚したときに言ったじゃないか。状況が変われば、すぐに言うよ」と夫は冷静に答える。映画でも、ついてない泥棒や学生のヤルッコ君まで、登場人物の多くは「寡黙の男」なのです。

www.finland.or.jp/netcomm/news/showarticle.asp?intNWSAID=54564&LAN=JA

◆ なるほど。特に最後の小咄がおもしろい。あたりまえだが、世界はアメリカ人ばかりではない。「愛しているよ」などと、どうしてシラフで言えようか? と、これはまたべつなハナシで。

◆ ずいぶん以前に「かどや」のハナシを書いた。そのつづき。といって、つけたすことはほとんどないので、同じことを繰り返す。四つ角には、「かどや」があるといい。

◇ 渋高に通っていた時分、良く利用していた四つ角近くの蕎麦屋「かどや」って健在なんでしょうか?
mimizun.com/machi/log/machi/kanto/read.pl?BBS=kanto&KEY=1020905435

◆ 「四つ角近く」の「近く」がやや気になるが、見なかったことにして、「四つ角の蕎麦屋かどや」はまだあるだろうか? 板橋区上板橋の「かどや豆腐店」は? 足立区足立の「珈琲&スナックかど」は? 蕨市中央の「肉のかどや」は?

◆ 台東区千束の「ラーメンかどや」は健在だが、この「かどや」はカドの部分に入口がないのが、ちょっと残念。やっぱり、四つ角の「かどや」は、(敷地がもったいなくても)カドを切り取った「面取りした」かたちの建物であってほしい。

◆ いま、ふと気になったが、「銀座コージーコーナー」というのは、四つ角にあるのだろうか?

◆ 四つ角の「かどや」が、その屋号のゆえにあちこちで消滅しつつある、なんてことはないだろうけど、「かどや」という単純な命名にはどこかしかノスタルジックな響きがあって、

◇ その角には、かどや(名前そのまんま)という、ばーちゃんと、じーちゃんが、やっている、野菜やら、苗やら、売っているお店が、ある。
www1.ezbbs.net/cgi/reply?id=kero2&dd=06&re=3411

◆ というふうに、老夫婦が店を切り盛りしているといった印象がある。

◇ 母屋と離れた場所にあって、お化け屋敷みたいに恐ろしかったあの勉強部屋(家)は、もうない。《母屋》とわたしが呼んでた、小学や中学の友だちだったらみんな知ってた《エンドー帽子店》も、もうない。あの辺は区画整理で姿を変えてしまって、《かどや》も、もうあの角にはない。あの通りにあった《今村おもちゃ屋》も、《池元仏壇》も、散髪屋さんの《つばめ》もない。だから、父が夜中に釣りから戻って車を停めた駐車場(そこではよくゴム跳びをした)も、父がパンツ一丁になって水浴びをした井戸水の流れる洗い場もない。そうして、父さえも、もういない。
nonoetbobo.blogspot.com/2008/08/blog-post_13.html

◆ つくづくブログというのは不思議な世界だなと思う。「かどや」をキーワードにするだけで、それまでまったく縁のなかったひとの人生をかいま見ることができたりする。「今村おもちゃ屋」も、「池元仏壇」も、「散髪屋さんのつばめ」も、もちろん知らない。けれど、四つ角の「かどや」とともに、いまはもうないその風景をおぼろげながら思い出せそうな気もするのだ。

◆ このネコがどうだかはしらないが、ネコが飼い主にお土産を持ち帰るというハナシはよく聞く。

◇ うちのにゃんこ(めす・避妊済・4歳)は、財布をくわえて帰ってきたことがあります。現金が2万円ぐらい入ってました。警察に届けると、半年後には持ち主不明で、いただけました。
piza.2ch.net/log/pet/kako/942/942489020.html

◆ なんてお土産なら大歓迎だろうが、たいていはありがた迷惑のものばかり・・・

◇ 私の枕元は、毎朝のようにおみやげ。やもり、とかげ、へび、夏の間はセミまでばたばたしてました。ザリガニを取ってきたときには、一体どうやってとったのか首をかしげたものです。
Ibid.

◇ うちの猫も仕留めた獲物をよく玄関前に置くよ。鳥とかリスとか昆虫とかいろいろ。「おまえもやるなー。」と褒めてやるととっても自慢げな表情をする。
bbs60.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/cat/1220798908/

◆ 《発言小町》の「猫ちゃんが捕まえてきてビックリした生き物は何ですか?」というトピックには、日本の自然がメジロ押しで、

◇ 昨日、うちの猫ちゃんは青い色をした獲物をくわえて帰ってきました。なんと清流の宝石と云われる野鳥「カワセミ」の雄でした。鮮やかな瑠璃色で、すぐに逃がしてあげましたが。
komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/0820/143320.htm?o=0&p=0

◆ に始まって、キジ、イタチ、コウモリ、ゴキブリ、ニワトリ、錦鯉、新巻鮭、おにぎり、干物一袋、隣の家のインコ・・・。

◇ 子供の頃、大事にして可愛がっていた手乗り文鳥を近所の家のネコに殺されました。
Ibid.

◆ 「お魚くわえたドラ猫」を裸足で追いかけるサザエさんなら陽気かもしれないが、笑ってばかりはいられない。

◆ で、ネコはどうして飼い主にお土産を持ってくるのかというと、これまた《発言小町》に「猫が獲物を見せにくる理由」というトピックがあって、

◇ 『見て~。スゴイの捕れたよ~っ』ってコト? 『おひとつどうぞ』ってコト? 『狩りも出来ないおまえに、オレ様がお手本見せてやるニャ~っ』てことですかね? 猫の気持ちがわかりません。
komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0825/200478.htm?o=0&p=0

◆ ネコもいろいろだろうから、さまざまな理由があるのかもしれない。あるいはひょっとすると、

◇ Bring you dead animals. This isn't a gift. It's a warning.
www.catswhothrowupgrass.com/kill.php

◆ お土産なんかじゃなくて、警告のしるしかもしれない。「警告」って? くわしくは、《ネコがあなたを殺そうとしているサイン - GIGAZINE》で。

◆ 「お便所」から「お電話」へ。

(課長に)課長、○○商事から電話です。
⇒ 電話で聞こえないからといって、先方(顧客)の名前に敬称「さん」をつけないのは失礼。また、相手からの電話なので、「お」をつける。
良 →「課長、○○商事さんからお電話です

itp.ne.jp/contents/business/tool/keigo.html

◆ というのが一般的なビジネスマナーらしいけれども、電話に「お」をつけるかどうかの区別が、マナーの問題ではなしに、ひどく重要な意味をもっていたことが、かつて、携帯電話が普及する以前に、ある特定の場所で、あった。

◇ 電話といえば、「おお電話、お電話、電話」の区別はまだありますか? 意外なやつへの「お電話」は盛り上ったもんです。〔一部改変〕
8047.teacup.com/shisoryo/bbs

◇ 私がいたころの、電話の呼び出し「電話です」「お電話です」「おお電話です」の区別はもはや継承されていないんでしょうね。
www.ne.jp/asahi/mitaka/club/kabe.htm

◆ おわかりだろうか?

◇ 電話といえば、あの頃、寮に電話がかかってくると寮内放送で呼び出しがかかった。なんてことのない男からの電話は「電話です」と放送され、女の子からの電話は「お電話です」と放送された。親からの電話は「大電話です」となっていた。
ameblo.jp/votoms2007/entry-10166136382.html

◇ このとき、(A)かけてきた相手が男性の場合には『……電話です』、(B)かけてきた相手が女性の場合には『……お電話です』、(C)かけてきた相手が親の場合には『……おお電話です』、というのがきまりだ。それによって、場合によっては居留守を使うこともできる。いっぺんぐらい『お電話』に居留守を使うような男になってみたかったものだが、
www.eurus.dti.ne.jp/~thy/DAYNIGHT/daynight23.html

◇ 寮にかかってくる電話は電話当番が受けて全館放送で呼び出すシステムでした。その際、男性からの電話は「○○さんに電話です」と普通に言うのに対し、女性からの電話は「○○さんにお電話です」と言って区別するのが習わしでした。この中で、明らかに母君と思われる年配の女性の電話に限っては「○○さんに大(おお)電話です」と言って単なる「お電話」と区別することもよくありました。人によっては「お電話」には出るけれど「電話」には出たくないとか、「お電話」「電話」には出るけれど「大電話」には出られない、といった事情があり(←本当か)、まことに行き届いた取り決めだったのです。「お電話」の数が多いとなにやら誇らしげに寮生活を送ることができるし「お電話」が全く来ないと肩身の狭い思いをすることにもなるわけです。
www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/7654/taiken.htm#o

◇ 電話を取り、アナウンスで寮生を呼び出す際、普通の電話の場合は“電話”、女性からの電話は“お電話”、実家からの電話は“長距離電話”と区別している。
uforyou.exblog.jp/1729522/

◆ 大学の男子学生寮の(思い出)話である。最後のは、「おお電話」が「長距離電話」。これは、ちょっとおもしろ味に欠ける。

◆ なにを書くにも、時間がかかる。

◆ 台東区下谷の小野照崎神社の絵馬を見て、まずは、ウソ(鷽)のことでもを書こうかと思ったのである。なにしろ、小野照崎神社というのは、

◇ 小野篁を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。
ja.wikipedia.org/wiki/小野照崎神社

◆ ということなので、菅原道真といえば天神様で、天神様といえば、「ウソ替え(神事)」が有名だから、絵馬の図柄の筆に乗っている小鳥はウソだろうと思ってしまったのである。しかし、よく見ると文鳥だった。こんなことなら、小野篁(おののたかむら)のことでも書いておけばよかったのだが、せっかくなので、ウソの話を続けよう。「ウソ替え」とはなにか?

◇ 鷽替え(うそかえ)とは、主に菅原道真を祭神とする神社(天満宮)において行われる神事である。鷽(ウソ)が嘘(うそ)に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘とし、本年は吉となることを祈念して行われる。
ja.wikipedia.org/wiki/鷽替え

◆ 九州の大宰府天満宮をはじめ、京都の北野天満宮、東京の湯島天神など、天満宮(天神)と名のつくところなら全国各地のどこででも行われているのだろう。以下は東京の湯島天神のページから。

◇ 古来より、天神さまゆかりの鳥として親しまれている「鷽」(うそ)は、首からほおにかけて美しい紅色で頭と尾が黒く、背や腹はネズミ色の小鳥です。平素私達が知らず知らずのうちに使う「嘘」を、天神さまの「まこと」に替えていただき、正しい幸運を招く意味から初天神の一月二十五日に、この鷽鳥を木彫りにした「鷽」を新しい「鷽」と取り替える神事が「鷽替え神事」です。

◆ 「首からほおにかけて美しい紅色で頭と尾が黒く、背や腹はネズミ色」なのがウソ。

◆ 以下は久留米の北野天満宮のページから。

◇ 天神様(菅原道真公)は、「うそ」を云わぬ誠の人でありました。それにひきかえ常人は日ごろ時々「うそ」を云って暮らしています。そこで1日だけでも天神様にあやかって誠の心になるようにと、暗闇の中で「木で作ったウソ鳥」を取り替える行事が「うそかえまつり」の起こりです。 「うそ」と天神様の結び付きと申しますのは、蜂の大群に襲われそうになった道真公をウソの鳥が救ったという伝説がありますまた、ウソ鳥の「鷽」の字が学問の「学」の字に似ていることから学問の神様に縁深い鳥とも言われています。
www.kitano.or.jp/tenmanguu/tenmanguutop.htm

◆ 「鷽」と「学」の漢字が似ているというのは、「学」の旧字の「學」を示しておかなければわかりにくいだろう。

◆ というようなことを書こうと思って準備したのだが、絵馬の鳥はウソではなくて文鳥だったのだから、どうしよう? 文鳥も天神様と関連があるのだろうか? 「文」の鳥だから? それとも、いつのまにか、ウソが文鳥にすりかわってしまったのか? もっと調べれば、おもしろい事実もみつかるだろうけど、もう疲れちゃった。

◇ この『鷽替え神事』で使われるウソ像は、神社によってさまざまですが、東京台東区の亀戸天神のそれは、頬ではなくクチバシが赤く見え、まさに文鳥そのものの姿をしています!
www.cam.hi-ho.ne.jp/bun2/mondai/mondai23.htm

◆ ウソで思い出したのが、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」。♪ライ・ラ・ライ・・・

◇ もちろん、どれもこれも名曲なのですが、私は彼らの曲の中では、長年(かなり)「ボクサー」が一番好きなのです。1969年の曲。都会に出てきた若者の語りのような内容で、ボクサーの生き方を人生に例えているような歌詞。一番印象的な ♪ライラライ ライラ ライライライラライ~♪ の部分は、スキャットではなく「嘘、嘘、嘘~」という歌詞になっているんですよね。
ameblo.jp/nobworld/entry-10056813187.html

◇ 『ボクサー』のラストのライイラライ…はいつきいてもたまらんね。悲壮な気分になる。嘘・嘘・嘘・嘘・嘘・嘘!世の中なんて全部ウソ。う~ん青い。若者らしい反抗。永遠の青春の叫び、S&G。
unkar.jp/read/bubble6.2ch.net/natsumeloe/1175584258

◇ 笑い飛ばすように「ライ、ラ、ライ」と何度も繰り返すのだが、「嘘で、嘘で、嘘で…」と無理矢理訳してしまったレコードの公式訳はそうとう罪が深いと思う。
ameblo.jp/musiker/theme-10002745552.html

◇ サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」で、歌詞に続いてリフレインされる「ライ・ラ・ライ」というフレーズ(これ自体に意味はないはず)を「Lie」と解釈して、「嘘で、嘘で、嘘で…」と訳してあったケース。そこまで訳さなくても…、と、へなへなと脱力してしまう。だいたい意味が通じんでしょうが。
www15t.sakura.ne.jp/~andy/omoidashiwarai/kasi-card.htm

◇ この歌の掛け声は 'Lie-la-lie' であり、ジャケットの訳は「嘘で、嘘で、嘘で」となっている。ダウンしてもダウンしても立ち上がらなければならないから、'lie' はジャケットの「嘘」ではなく、この場合は「もう横になったままでいたい」、さらには「死にたい」のニュアンスから「横になっていたい」ではいけないか、
www.yasuda-u.ac.jp/eibun/message/message-0407/frameleft.html

◇ ライラライは、ララララライ(藤崎マーケット、芸人)と一緒だと思ってました(笑)悲しい歌詞だったのですね。ほんとに暖かい社会になって欲しいですね^^
blogs.yahoo.co.jp/rocky1010akio/26212742.html

◇ サイモン&ガーファンクルのヒット曲「ボクサー」には「ライ・ラ・ライ…」というコーラスがありますが、これは"lie"(嘘)という言葉を連想させます。それが曲の内容にはぴったりなのですが、実際は「歌詞が思いつかなかったから」という話が伝わっています。日本でも谷村新司という人の「チャンピオン」という曲に同じコーラスがありますが、まぁパクリとは言わずにオマージュと言っておきましょう。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110329266?

◇ また歌に何度も出てくる Lie la lie というリフは詞が思い浮かばないので入れた苦肉の策だそうで、これを歌うたびに恥ずかしい気がしたそうです。このリフはとても印象的で効果的なだけにこれは意外な告白でした。このリフの lie は文字通りなら「うそをつく;横になる」という動詞ですが、ラララみたいに歌詞代りに使っている意味のない言葉でしょう。
www.eigo21.com/03/pops/51.htm

◇ The chorus of the song is wordless, consisting of a repeated chant of "lie-la-lie". Simon stated that this was due to a lapse on his part: "I didn't have any words! Then people said it was 'lie' but I didn't really mean that. That it was a lie. But, it's not a failure of songwriting, because people like that and they put enough meaning into it, and the rest of the song has enough power and emotion, I guess, to make it go, so it's all right. But for me, every time I sing that part... [softly], I'm a little embarrassed."
en.wikipedia.org/wiki/The_Boxer