MEMORANDUM
2004年02月


◆ サリックス・バビロニカは Salix babylonica で、シダレヤナギの学名。どうしてこんなことを知っているかというと、宮沢賢治の『ビヂテリアン大祭』という作品に出ていたからで、本筋には何の関係もないけれど、中国人の陳さんが花火のハナシをしている。

◇ 今度のは、私の郷国の名前では、柳雲飛鳥といひます。柳はサリックス、バビロニカ、です。飛鳥は燕です。日本でも、柳と燕を云ひますか。
www.kenji.ne.jp/why/kohon/817vidit.html

◆ サリックス・バビロニカ、こういうステキなコトバを聞くと、もういけない。なにしろ、バビロンである。ハナシが拡がる。たとえば・・・、

◆ ジェーン・バーキンの『バビロンの妖精』(Baby alone in Babylone)。これは、なんとも微妙に美しい歌詞で、泣ける。

◇ フランスのセルジュ・ゲンスブールがブラームスのメロディをそのまま使ってきれいな曲を作った。ジェーン・バーキンの1983年発売のアルバム「バビロンの妖精」のタイトル曲である。歌詞の内容は、ロス・アンジェルスのハイゥエイの夜の光景を描いたものである。バーキンの高い声と、バックに弦も入れた編曲で美しい曲になっています。
www2.odn.ne.jp/~cew54300/brahmssymphony3.htm

「Babylon」というオンライン辞書ソフト(オフラインでも使える)があって、これは便利。調べたい単語をクリックすると、訳語がポップアップウィンドウに表示される。以前は無料だった。

◇ フリーウェアが有料になると知らせれば、ユーザーはおそらく蜘蛛の子を散らすように去っていくと、誰もが思うだろう。だが、実はそうでもないというのが、イスラエルの新興企業バビロン社の感想だ。マウスでクリックするだけで翻訳ができる同社のソフトウェアを有料化するにあたって、「ユーザーの移行率」は20%だった。
www.hotwired.co.jp/news/news/business/story/20020128106.html

◆ もちろん無料に越したことはないけども、購入する価値はあると思う。試しにこの「Babylon」で、Babylon をクリックしてみると、まず「(名)バビロン;アジアのユーフラテス川に栄えた古代都市」とでる。さらに続きを読むと、Easton's Bible Dictionary のところに、

◇ the Greek form of Babel; Semitic form Babilu meaninng The Gate of God.

◆ とある。「ギリシャ語ではバベル。セム語ではバビル。《神の門》の意」。そうだったのか! 超能力少年バビル2世が住んでいた「バビルの塔」、たんに「バベルの塔」のもじりかと思っていたら、セム語だったとは! (そして、イスラエルのバビロン社は現代の「バビルの塔」を目指す?)

◇ 洗濯物を干すとき、私なりのルールがあって同じハンガーの向きじゃないと気持ち悪い。ダンナに干してもらった時はこっそりあとで直したりしてます。
llcafell.s28.xrea.com/mt/archives/000538.html

◇ 私の心の掟の一つが、「どんなに貧しい暮らしをしても、冷蔵庫は部屋の中には置かない。」というのがある。(この他にも、代表的なものは、服を壁にかけない。ハンガーは、同じ向きにかける。ふとんはボーイスカウトたたみをする。などが揚げられる・・・・。)
www.seoulwind.com/sakana/pd200006.html

◆ 世の中にはいろんな人がいる。「ボーイスカウトたたみ」というのにも興味をひかれるけれど、それはさておき、あなたの洋服ダンスあるいはクローゼットを確かめてほしい。ハンガーの向きは揃ってますか? ハンガーの向きといっても、引越屋にとって問題になるのは、ハンガーのフックの向きで、これが揃っていないと作業がたいへん面倒になる。ハンガーにかかっている洋服を運ぶには、ハンガーボックスというものに移し変えるのだけれど、ことときフックの向きが揃っていると、一度に何着もの服をバーからはずすことができるわけ。でも、ごくまれに(いやまれでもないか)、フックの向きが、これでもかというくらいデタラメな人がいて、そんなときにはバーからハンガーを一着一着外すはめになる。フックは手前から奥にかけるのが楽だし自然だと思ってたけど、そうでもないのかな。なにはともあれ、ハンガーのフックの向きは統一しておいてもらえると、引越屋にとっては、ひじょうにありがたい。まあ、この作業はたいていお客さんにやってもらうことにしているから、あんまり実害はないんだけどね。

◆ いろいろ言い分もあるのかもしれない。フックの向きが変えられるハンガーはいいとして、クリーニング屋のワイヤーハンガーなんかは向きが変えにくいから、服の向きを合わせると、フックの向きが逆になってしまうとか。服をハンガーにかけるときの向きは、クリーニング屋さんによってバラバラなんだろうか? 世の中にはまだまだわからないことでいっぱいだ。

◆ できることなら、ダンボール箱の作り方を小学校で教えてほしい。大人になってもダンボール箱ひとつ満足に組み立てることのできない人が意外にいるのである。とにかく、テープも貼らずに、底を「井桁」に組むのだけはやめてもらいたい。底が抜け、中身が落ちる。角が引っかかって、積みづらい。テープ代を惜しんでいるとは思えない。ダンボールはそう組み立てるものだと信じてきたのだろう。いったいだれが教えたのだ? 

◆ 以下は天下の「日本通運」が教える「ダンボールの作り方」。これでいい。

ダンボール箱の組み立て方
●ダンボール箱を組み立てる時にダンボール箱の底を井桁に組まないで下さい。井桁に組むと重さでダンボール箱の底が抜けることがあります。

底面にはるテープはI字型に貼れば、強度的に充分です。H字型に貼る必要はありません。貼る時には、箱の両端から3~4・位出し、中心の合わせ目で封をし、手のひらで強くおさえて完全に貼り付けて下さい。

古いダンボール箱を使う場合には、まず古いテープ等をはがして下さい(テープの粘着力が弱くなるためです)。またダンボールが弱くなっている箱は補強のためテープをH字型に貼り、割れ物は入れないようにします。


www.nittsu.co.jp/hikkoshi/guide/61_3-1.html

◆ ついでに、ほかの引越会社のもふたつ。ただテープは十字に貼ることはないと思う。あまり意味がない。一本で十分だ。

 a.「アート引越センター」   b.「ダック引越センター」
●底の組み込み
重たいものを入れた場合、底が抜ける恐れがあります。
●ダンボールの作り方 ダンボールの組みしろを対に折り込み、 中央に十字型にテーピングします。 1本止めや折り組み方式は底抜け することがあり危険です。
a) www.the0123.com/moving/benri/advice1.html
b) www.88888.co.jp/start_f.html

◆ いま「QUESTIONS」で、「好きな樹木は?」というアンケートをやっている。これまでのところ、サクラが圧倒的な一番人気で、これは予期していたこととはいえ、その人気の所以は花の部分にあるのは間違いないので、これでは「好きな花は?」と聞いているのと変わりがない。

◆ そんななか、ナギと回答された方がいる。よく知らないので、まず「goo 辞書(「大辞林 第二版」)」で調べてみた。

◇ マキ科の常緑高木。高さ20メートルに達する。暖地の山中に自生、また庭木とされる。葉は対生し、楕円形で革質、多数の平行脈がある。雌雄異株。五、六月開花。果実は球形で、晩秋、白粉を帯びた青色に熟す。古くから神社の境内に植えられ、熊野神社では神木とされ、その葉に供物を盛る。また、その葉が切れにくいことから、男女間の縁が切れないように、女性が葉を鏡の裏に入れる習俗があった。ナギノキ。力柴。漢名、竹柏。

◆ 熊野神社は全国各地に三千以上もあるそうだが、そのひとつ、横浜市にある師岡熊野神社のホームページを見ると、

◇ 梛の木、これはもともとが熊野信仰のご神木であります。いわゆるイザナギのナギであります。熊野信仰は海洋族の神様の信仰です。むろん海は凪(なぎ)の状態が一番嬉しい。つまり、ナギをもって海を鎮める、それでナギの木がご神木というわけであります。
www.kumanojinja.or.jp/yurai.html

◆ なるほど、イザナギのナギか。たしかに熊野三山のひとつ熊野速玉大社の主祭神は熊野速玉大神で、これはイザナギノミコトのことと云われている。そしてこの熊野速玉大社には日本一のナギがある。

◇ 参道には平重盛が植えたというナギの老樹がそびえる。幹周り6m、高さ20mもあり、ナギでは日本一といわれ、天然記念物に指定されている。このご神木に海上安全を祈願する漁師も多い。
www.kiinagashima.com/home/kodou/k4/s2/hayatama.html

◆ 熊野速玉大社の所在地は和歌山県新宮市で、新宮市の「市の木」がナギ。

◆ そんなこんなで、これからはどこかの熊野神社に寄る機会があったら、ぜひぜひナギを探してみたいと思う。あちこちに巨木があるようだから。これは熊野神社とは関係ないけれど、鎌倉の鶴岡八幡宮のホームページにもナギの記述があって、源実朝の歌が引用されていたので・・・

◇ 「み熊野のなぎの葉しだり雪降れば神のかけたる四手にぞ有らし」
www.hachimangu.or.jp/about/nature/index.html

◆ 学名は Podocarpus nagi で、日本語のナギがそのまま種小名になっている。また日本語ナギの由来はというと、

◇ 和名は、葉の形がミズアオイ科のコナギ(古名ナギ)に似ているためとされる。 / 古くから神社に植えられ神木ともされる。アレロパシー(他感作用:特定の植物が出す物質が他の植物に及ぼす作用)があり、奈良の春日大社ではナギの優占林が見られる。
www.native-vision.com/06book/book05.htm

◆ アレロパシーとはなんぞや、ということが気になって、またハナシが終わらなくなりそうな・・・。

◇ ナギは、他の植物の生育を抑制する働きをもつナギラクトンという化学物質を分泌するそうです。 / 葉の丈夫さや他の植物の生育を抑制する力をもつことからナギの葉は魔除けのお守りにされるようになったのかもしれません。
www.mikumano.net/meguri/singu.html

◇ 奈良の春日大社の近くにはナギの純林があるそうですが、他の植物の侵入を防いだのも、シカの食害を防げたのも、ナギラクトンという化学物質の影響だそうです。
www.yamaiki.com/sawagurumi/column002.htm

◇ このナギが、春日山原始林を侵略中だ。照葉樹などを駆逐し、ナギが優占しつつある。ナギはナギラクトンという物質を放出し、ほかの植物の生育を阻害するからだ。
homepage2.nifty.com/tankenka/sub2-7.html

◆ 熊野神社のみならず、春日大社もまたナギが御神木だったとは!

◆ 多くのサイトと同様に、ワタシのサイトにも、リンクのページがある。あるけれど、作ったっきりホッタラカシだった。登録したサイトは三つだけ。それも、リンクページを作っている最中に、たまたま目についたサイトを載せただけで(「旅するカエル」を除く)、それっきり。というわけで、それらのサイトを訪れることもあんまりなかったのだが、どうした風の吹き回しか、昨日その三つのうちの一つ、ポプラ社のWebマガジン「ポプラビーチ」を開いて、四方田犬彦の「週刊ドドンパ」を見てみた。そうしたら・・・、

◇ 感動的な話を聞いた。この日本で14歳の少年が43年にわたって山野を放浪し、社会といっさい無縁なまま生き延びていたのである。
www.webpoplar.com/beech/040/index.html

◆ このニュース、朝日新聞(1月30日夕刊)で報道されたそうだから、ご存知の方も多いのだろうが、ワタシはといえば、日刊スポーツしか読まないから、この「感動的な話」をまったく知らなかった。詳細は「週刊ドドンパ」を読んでもらいたいと思うが、

◇ 人間社会に引き戻されて、男は本当に幸福なのだろうか?
 彼は43年をたった一人で生きることで、どのような世界観を手にしたのだろうか。
 わたしはもしできることなら、彼と一度話ができればいいと思う。

◆ と最後に書き記された文章の余韻のうちに、また別なことを思い出した。「彼と一度話ができればいいと思う」、ワタシもそんなひとに出会ったことがある。

◆ いまから1ヶ月ほど前、正確には1月13日の午後9時過ぎ、週に一度の障害者介助の仕事が終わり、いつもはバスに乗る道のりを、その日はなぜだか浅草駅まで歩いて帰った。千束通りに入ったとき、そこで、なにやら奇妙なリヤカーを引く老人に出くわした。リヤカーは縁日の屋台さながら、さまざまな玩具で満載だ。つい惹かれて近寄ってみると、「全国巡り リヤカーとらさん 78才」と書かれた紙製の看板があり、また本人が掲載された全国各地の地方紙が所狭しと貼り付けてある。車の往来が少なくなった時刻ととはいえ、バス通りには変わりがない。そんな千束通りの車道をとらさんは黙々とリヤカーを引いている。ときどき赤信号で、あるいは疲れると一休みしつつ、どこへ向かっているのかわからないけれど、たまたまその方向がワタシの歩く方向と同じだったので、ワタシもまた(疲れてなくても)一休みしつつ、しばらくとらさんと並んで(ワタシはもちろん歩道を)歩いたのだった。歩きながら、ワタシはとらさんの78年間の人生に思いを馳せる。長い人生、リヤカーを引き、全国を巡り、とらさんは一体なにを見、なにを考えたのだろう? 急にとらさんと話がしたくなって、ワタシは自動販売機で缶コーヒーを買った。「コーヒーでもどうです?」、そう云って、とらさんと話をしてみよう。けけど結局、コーヒーを差し出す勇気が出ないまま、とらさんはワタシとは別の道を進み始め・・・。不思議な夜だった。

◆ 1月5日、目黒区でこんな花を見た。「この花は何という花でしょうか? あるマンションに植えてあって、ちょうど掃除のおばさんがいたので、教えてもらったのだけど、忘れてしまいました。御存知の方はいらっしゃらないでしょうか?」とココで尋ねたら、すぐに北海道の「クマさん」が教えてくださいました。この花はシコンノボタンです。そうそう、掃除のおばさんは「ノボタン」と答えたのでした。だから、頭のなかで「シコン野牡丹」と翻訳できたのですが、そうでなかったら、「紫紺のボタン」と変換していたかもしれません。

◆ 花の写真は色が難しい。デジカメで撮っているので、一応モニターの色を現物の色と見比べて確認するのだけど、家に帰って、じっくり見てみると、もう自信がない。とくにこの「紫紺」系の色は記憶があいまいになる。脳にカラーコードを埋め込みたくなる。

◆ このシコンノボタン、ブラジル原産らしい。

◇ 雄しべと葯(やく・雄しべの先端部分)がクモの足のようなのでブラジリアン・スパイダー・フラワーの別名がついている。
www.ne.jp/asahi/ei/green/7107/77222.html

◆ で、学名は Tibouchina urvilleana

◇ 種の形容語ウルヴィレアナは、海軍士官で探検家のデュモン・デュルヴィユDumont d'Urville(1790-1842)の名にちなむ。属名ティボウキナTibouchinaはギアナにおける現地名に由来する。
www010.upp.so-net.ne.jp/pha/flo0211nobotan.htm

◆ d'Urville は、「デュルヴィユ」ではなく「デュルヴィル」と読むのだと思うけれど、それはともかく、このフランス人はかなり名の知れた探険家だ。

◇ デュモン・デュルヴィルは、ミロのヴィーナスの発見者(正確には、発見の報告者)として、フランスでは著名な航海者で、その名をパリの16区の通りにも残している。世界周遊航海を3回行ない、南極探検も試みているが、琉球や日本には、全く来ていない。
www.asahi-net.or.jp/~dr4t-ogw/sayuri/acta.htm

◆ 日本には昭和基地があるように、フランスには「デュモン・デュルヴィル基地」(Base Dumont d’Urville)がある。それから、南極といえば、ペンギンで・・・

◇ アデリーは、このペンギンが発見された南極のアデリーランドという地名からとった。アデリーランドは、フランスの探検家デュモン・デュルヴィルが、自分の奥さんの名前、アデリーにちなんでつけたもの。
stu.clas.kitasato-u.ac.jp/~z02054/page2.html

◆ ああ、南極はいま真夏だろうか? そしてブラジルは? いつか行ってみたい。

◆ 撮りためた写真を眺めていると、似たような構図の写真が何枚もあることに気づくことがある。撮るときにははっきりと意識していなくても、好みの構図というものは確実にあるらしくて、並べて見て初めて、ああこういう風景が好きだったんだな、と思い知らされる。こうした体験には新鮮なものがあって、だからこそ写真を毎日撮り続けているのかもしれない。

◆ さて、この2枚の写真もワタシ好みの風景であるらしい。街角の家だが、その角の角度が重要なのだろう。十字路ではいけない、三叉路であること。あるいは、直角ではいけない、鋭角であること。鋭角の土地に建てられた家の不安定さに魅力を感じるのだろうか? 不吉な気もする。そうして、こうした家が一番好ましく思えるのは、夜だ。

◆ 先日、銭湯ポスターのことを調べているときに、《横尾忠則オフィシャルサイト》 を訪問してみたのだが、新作のページ 「RECENT WORKS」 を見て、驚いた。そこで見た油彩画の構図は、どれもワタシの 「好みの風景」 そのものだった。まるでデジャヴュのように、なつかしい風景たち。で、どこかにその秘密を解く鍵が隠されていないかと思い、サイト内をあちこち探索していると、「YOKOO's VISION」 という日記のページがあって、その 「2004年1月17日」 のところに、

◇ 今や散歩が生活の中心になろうとしている。とはいうものの散歩自体が目的で、健康管理を目的するウォーカー派ではない。あくまでもぼくは散歩派である。芸術が遊びであるように散歩も遊びだ。散歩三昧である。芸術と生活は一致するものだから、どこかで芸術と散歩は一致しているはずだ。Y字路ばかり描いているのも散歩と無関係ではなさそうだ。 www.tadanoriyokoo.com/vision/2004/01.htm

◆ という記述を見つけた。散歩、か。

[2006/12/13 修正]

◆ なにもない風景。そこに住むひともまた。
二度と行きたくない街がある。たとえば・・・

◆ 記憶に残らないのは、残したくないからだろう。

◆ どうせ四年に一度の「おまけの一日」なら、いっそのこと、ホントにおまけの一日にしてしまうのはどうだろう? 曜日もないことにしてみるとか。日曜日ではなく、無曜日、曜日なし。そんな風にしてみたら、世の中はどのように変わるだろうか? 今日あったことはなかったことにして、新聞も発行しないとか。いろいろな社会のしがらみや、世過ぎの肩書きなんかとも無関係な一日。子育てで疲れているひとも、今日だけはだれの親でもないことにするとか。金策に苦労の絶えない経営者も、今日だけは借金の利息はつかないことにするとか。そんな日が四年に一度くらいあってもいい。

◆ 2月29日は、エイプリル・フールと並んでワタシのお気に入りの一日。

◆ 男性・女性という分類のほかに両性具有というものあるけれど、それよりは無性というカテゴリーに惹かれる。