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◆ サリックス・バビロニカは Salix babylonica で、シダレヤナギの学名。どうしてこんなことを知っているかというと、宮沢賢治の『ビヂテリアン大祭』という作品に出ていたからで、本筋には何の関係もないけれど、中国人の陳さんが花火のハナシをしている。 ◇ 今度のは、私の郷国の名前では、柳雲飛鳥といひます。柳はサリックス、バビロニカ、です。飛鳥は燕です。日本でも、柳と燕を云ひますか。 ◆ サリックス・バビロニカ、こういうステキなコトバを聞くと、もういけない。なにしろ、バビロンである。ハナシが拡がる。たとえば・・・、 ◆ ジェーン・バーキンの『バビロンの妖精』(Baby alone in Babylone)。これは、なんとも微妙に美しい歌詞で、泣ける。 ◇ フランスのセルジュ・ゲンスブールがブラームスのメロディをそのまま使ってきれいな曲を作った。ジェーン・バーキンの1983年発売のアルバム「バビロンの妖精」のタイトル曲である。歌詞の内容は、ロス・アンジェルスのハイゥエイの夜の光景を描いたものである。バーキンの高い声と、バックに弦も入れた編曲で美しい曲になっています。 ◆ 「Babylon」というオンライン辞書ソフト(オフラインでも使える)があって、これは便利。調べたい単語をクリックすると、訳語がポップアップウィンドウに表示される。以前は無料だった。 ◇ フリーウェアが有料になると知らせれば、ユーザーはおそらく蜘蛛の子を散らすように去っていくと、誰もが思うだろう。だが、実はそうでもないというのが、イスラエルの新興企業バビロン社の感想だ。マウスでクリックするだけで翻訳ができる同社のソフトウェアを有料化するにあたって、「ユーザーの移行率」は20%だった。 ◆ もちろん無料に越したことはないけども、購入する価値はあると思う。試しにこの「Babylon」で、Babylon をクリックしてみると、まず「(名)バビロン;アジアのユーフラテス川に栄えた古代都市」とでる。さらに続きを読むと、Easton's Bible Dictionary のところに、 ◇ the Greek form of Babel; Semitic form Babilu meaninng The Gate of God. ◆ とある。「ギリシャ語ではバベル。セム語ではバビル。《神の門》の意」。そうだったのか! 超能力少年バビル2世が住んでいた「バビルの塔」、たんに「バベルの塔」のもじりかと思っていたら、セム語だったとは! (そして、イスラエルのバビロン社は現代の「バビルの塔」を目指す?) |
◇ 洗濯物を干すとき、私なりのルールがあって同じハンガーの向きじゃないと気持ち悪い。ダンナに干してもらった時はこっそりあとで直したりしてます。 ◇ 私の心の掟の一つが、「どんなに貧しい暮らしをしても、冷蔵庫は部屋の中には置かない。」というのがある。(この他にも、代表的なものは、服を壁にかけない。ハンガーは、同じ向きにかける。ふとんはボーイスカウトたたみをする。などが揚げられる・・・・。) ◆ 世の中にはいろんな人がいる。「ボーイスカウトたたみ」というのにも興味をひかれるけれど、それはさておき、あなたの洋服ダンスあるいはクローゼットを確かめてほしい。ハンガーの向きは揃ってますか? ハンガーの向きといっても、引越屋にとって問題になるのは、ハンガーのフックの向きで、これが揃っていないと作業がたいへん面倒になる。ハンガーにかかっている洋服を運ぶには、ハンガーボックスというものに移し変えるのだけれど、ことときフックの向きが揃っていると、一度に何着もの服をバーからはずすことができるわけ。でも、ごくまれに(いやまれでもないか)、フックの向きが、これでもかというくらいデタラメな人がいて、そんなときにはバーからハンガーを一着一着外すはめになる。フックは手前から奥にかけるのが楽だし自然だと思ってたけど、そうでもないのかな。なにはともあれ、ハンガーのフックの向きは統一しておいてもらえると、引越屋にとっては、ひじょうにありがたい。まあ、この作業はたいていお客さんにやってもらうことにしているから、あんまり実害はないんだけどね。 ◆ いろいろ言い分もあるのかもしれない。フックの向きが変えられるハンガーはいいとして、クリーニング屋のワイヤーハンガーなんかは向きが変えにくいから、服の向きを合わせると、フックの向きが逆になってしまうとか。服をハンガーにかけるときの向きは、クリーニング屋さんによってバラバラなんだろうか? 世の中にはまだまだわからないことでいっぱいだ。 |
◆ できることなら、ダンボール箱の作り方を小学校で教えてほしい。大人になってもダンボール箱ひとつ満足に組み立てることのできない人が意外にいるのである。とにかく、テープも貼らずに、底を「井桁」に組むのだけはやめてもらいたい。底が抜け、中身が落ちる。角が引っかかって、積みづらい。テープ代を惜しんでいるとは思えない。ダンボールはそう組み立てるものだと信じてきたのだろう。いったいだれが教えたのだ? ◆ 以下は天下の「日本通運」が教える「ダンボールの作り方」。これでいい。
www.nittsu.co.jp/hikkoshi/guide/61_3-1.html ◆ ついでに、ほかの引越会社のもふたつ。ただテープは十字に貼ることはないと思う。あまり意味がない。一本で十分だ。
b) www.88888.co.jp/start_f.html |
◆ いま「QUESTIONS」で、「好きな樹木は?」というアンケートをやっている。これまでのところ、サクラが圧倒的な一番人気で、これは予期していたこととはいえ、その人気の所以は花の部分にあるのは間違いないので、これでは「好きな花は?」と聞いているのと変わりがない。 ◆ そんななか、ナギと回答された方がいる。よく知らないので、まず「goo 辞書(「大辞林 第二版」)」で調べてみた。 ◇ マキ科の常緑高木。高さ20メートルに達する。暖地の山中に自生、また庭木とされる。葉は対生し、楕円形で革質、多数の平行脈がある。雌雄異株。五、六月開花。果実は球形で、晩秋、白粉を帯びた青色に熟す。古くから神社の境内に植えられ、熊野神社では神木とされ、その葉に供物を盛る。また、その葉が切れにくいことから、男女間の縁が切れないように、女性が葉を鏡の裏に入れる習俗があった。ナギノキ。力柴。漢名、竹柏。 ◆ 熊野神社は全国各地に三千以上もあるそうだが、そのひとつ、横浜市にある師岡熊野神社のホームページを見ると、 ◇ 梛の木、これはもともとが熊野信仰のご神木であります。いわゆるイザナギのナギであります。熊野信仰は海洋族の神様の信仰です。むろん海は凪(なぎ)の状態が一番嬉しい。つまり、ナギをもって海を鎮める、それでナギの木がご神木というわけであります。 ◆ なるほど、イザナギのナギか。たしかに熊野三山のひとつ熊野速玉大社の主祭神は熊野速玉大神で、これはイザナギノミコトのことと云われている。そしてこの熊野速玉大社には日本一のナギがある。 ◇ 参道には平重盛が植えたというナギの老樹がそびえる。幹周り6m、高さ20mもあり、ナギでは日本一といわれ、天然記念物に指定されている。このご神木に海上安全を祈願する漁師も多い。 ◆ 熊野速玉大社の所在地は和歌山県新宮市で、新宮市の「市の木」がナギ。 ◆ そんなこんなで、これからはどこかの熊野神社に寄る機会があったら、ぜひぜひナギを探してみたいと思う。あちこちに巨木があるようだから。これは熊野神社とは関係ないけれど、鎌倉の鶴岡八幡宮のホームページにもナギの記述があって、源実朝の歌が引用されていたので・・・ ◇ 「み熊野のなぎの葉しだり雪降れば神のかけたる四手にぞ有らし」 ◆ 学名は Podocarpus nagi で、日本語のナギがそのまま種小名になっている。また日本語ナギの由来はというと、 ◇ 和名は、葉の形がミズアオイ科のコナギ(古名ナギ)に似ているためとされる。 / 古くから神社に植えられ神木ともされる。アレロパシー(他感作用:特定の植物が出す物質が他の植物に及ぼす作用)があり、奈良の春日大社ではナギの優占林が見られる。 ◆ アレロパシーとはなんぞや、ということが気になって、またハナシが終わらなくなりそうな・・・。 ◇ ナギは、他の植物の生育を抑制する働きをもつナギラクトンという化学物質を分泌するそうです。 / 葉の丈夫さや他の植物の生育を抑制する力をもつことからナギの葉は魔除けのお守りにされるようになったのかもしれません。 ◇ 奈良の春日大社の近くにはナギの純林があるそうですが、他の植物の侵入を防いだのも、シカの食害を防げたのも、ナギラクトンという化学物質の影響だそうです。 ◇ このナギが、春日山原始林を侵略中だ。照葉樹などを駆逐し、ナギが優占しつつある。ナギはナギラクトンという物質を放出し、ほかの植物の生育を阻害するからだ。 ◆ 熊野神社のみならず、春日大社もまたナギが御神木だったとは! |
◆ 撮りためた写真を眺めていると、似たような構図の写真が何枚もあることに気づくことがある。撮るときにははっきりと意識していなくても、好みの構図というものは確実にあるらしくて、並べて見て初めて、ああこういう風景が好きだったんだな、と思い知らされる。こうした体験には新鮮なものがあって、だからこそ写真を毎日撮り続けているのかもしれない。 ![]() ![]() ◆ さて、この2枚の写真もワタシ好みの風景であるらしい。街角の家だが、その角の角度が重要なのだろう。十字路ではいけない、三叉路であること。あるいは、直角ではいけない、鋭角であること。鋭角の土地に建てられた家の不安定さに魅力を感じるのだろうか? 不吉な気もする。そうして、こうした家が一番好ましく思えるのは、夜だ。 ◆ 先日、銭湯ポスターのことを調べているときに、《横尾忠則オフィシャルサイト》 を訪問してみたのだが、新作のページ 「RECENT WORKS」 を見て、驚いた。そこで見た油彩画の構図は、どれもワタシの 「好みの風景」 そのものだった。まるでデジャヴュのように、なつかしい風景たち。で、どこかにその秘密を解く鍵が隠されていないかと思い、サイト内をあちこち探索していると、「YOKOO's VISION」 という日記のページがあって、その 「2004年1月17日」 のところに、 ◇ 今や散歩が生活の中心になろうとしている。とはいうものの散歩自体が目的で、健康管理を目的するウォーカー派ではない。あくまでもぼくは散歩派である。芸術が遊びであるように散歩も遊びだ。散歩三昧である。芸術と生活は一致するものだから、どこかで芸術と散歩は一致しているはずだ。Y字路ばかり描いているのも散歩と無関係ではなさそうだ。 www.tadanoriyokoo.com/vision/2004/01.htm ◆ という記述を見つけた。散歩、か。 [2006/12/13 修正] |
◆ どうせ四年に一度の「おまけの一日」なら、いっそのこと、ホントにおまけの一日にしてしまうのはどうだろう? 曜日もないことにしてみるとか。日曜日ではなく、無曜日、曜日なし。そんな風にしてみたら、世の中はどのように変わるだろうか? 今日あったことはなかったことにして、新聞も発行しないとか。いろいろな社会のしがらみや、世過ぎの肩書きなんかとも無関係な一日。子育てで疲れているひとも、今日だけはだれの親でもないことにするとか。金策に苦労の絶えない経営者も、今日だけは借金の利息はつかないことにするとか。そんな日が四年に一度くらいあってもいい。 ◆ 2月29日は、エイプリル・フールと並んでワタシのお気に入りの一日。 ◆ 男性・女性という分類のほかに両性具有というものあるけれど、それよりは無性というカテゴリーに惹かれる。 |