MEMORANDUM

  リヤカーとらさん

◆ 多くのサイトと同様に、ワタシのサイトにも、リンクのページがある。あるけれど、作ったっきりホッタラカシだった。登録したサイトは三つだけ。それも、リンクページを作っている最中に、たまたま目についたサイトを載せただけで(「旅するカエル」を除く)、それっきり。というわけで、それらのサイトを訪れることもあんまりなかったのだが、どうした風の吹き回しか、昨日その三つのうちの一つ、ポプラ社のWebマガジン「ポプラビーチ」を開いて、四方田犬彦の「週刊ドドンパ」を見てみた。そうしたら・・・、

◇ 感動的な話を聞いた。この日本で14歳の少年が43年にわたって山野を放浪し、社会といっさい無縁なまま生き延びていたのである。
www.webpoplar.com/beech/040/index.html

◆ このニュース、朝日新聞(1月30日夕刊)で報道されたそうだから、ご存知の方も多いのだろうが、ワタシはといえば、日刊スポーツしか読まないから、この「感動的な話」をまったく知らなかった。詳細は「週刊ドドンパ」を読んでもらいたいと思うが、

◇ 人間社会に引き戻されて、男は本当に幸福なのだろうか?
 彼は43年をたった一人で生きることで、どのような世界観を手にしたのだろうか。
 わたしはもしできることなら、彼と一度話ができればいいと思う。

◆ と最後に書き記された文章の余韻のうちに、また別なことを思い出した。「彼と一度話ができればいいと思う」、ワタシもそんなひとに出会ったことがある。

◆ いまから1ヶ月ほど前、正確には1月13日の午後9時過ぎ、週に一度の障害者介助の仕事が終わり、いつもはバスに乗る道のりを、その日はなぜだか浅草駅まで歩いて帰った。千束通りに入ったとき、そこで、なにやら奇妙なリヤカーを引く老人に出くわした。リヤカーは縁日の屋台さながら、さまざまな玩具で満載だ。つい惹かれて近寄ってみると、「全国巡り リヤカーとらさん 78才」と書かれた紙製の看板があり、また本人が掲載された全国各地の地方紙が所狭しと貼り付けてある。車の往来が少なくなった時刻ととはいえ、バス通りには変わりがない。そんな千束通りの車道をとらさんは黙々とリヤカーを引いている。ときどき赤信号で、あるいは疲れると一休みしつつ、どこへ向かっているのかわからないけれど、たまたまその方向がワタシの歩く方向と同じだったので、ワタシもまた(疲れてなくても)一休みしつつ、しばらくとらさんと並んで(ワタシはもちろん歩道を)歩いたのだった。歩きながら、ワタシはとらさんの78年間の人生に思いを馳せる。長い人生、リヤカーを引き、全国を巡り、とらさんは一体なにを見、なにを考えたのだろう? 急にとらさんと話がしたくなって、ワタシは自動販売機で缶コーヒーを買った。「コーヒーでもどうです?」、そう云って、とらさんと話をしてみよう。けけど結局、コーヒーを差し出す勇気が出ないまま、とらさんはワタシとは別の道を進み始め・・・。不思議な夜だった。

関連記事:

このページの URL : 
Trackback URL : 

POST A COMMENT




ログイン情報を記憶しますか?

(スタイル用のHTMLタグが使えます)