MEMORANDUM

◇  アメリカには、合併でどんどん社名が長くなっていく企業がたくさんある。たとえば大手証券会社の『メリルリンチ』。あちらでの正式社名は、Merrill Lynch, Pierce, Fenner & Smith Inc.
 この会社はC・メリルとE・リンチが創業し、初めの社名はメリルリンチ商会だった。
 「その後、別の会社と合併するたびに、新しいのをくっつけたり、あるいは削ったりして、現在の社名に落ち着いたのです」
 と日本メリルリンチの話だ。
〔中略〕
 ところで、正式社名の Merrill と Lynch の間に、コンマがないのに気づきましたか。
 二人の名前なのだからコンマを入れるのが英文法の常識で、実際に Lynch と Pierce の間などにはあるのに、ここだけなぜないのか、アメリカ人たちも長い間不思議に思ってきた。
 その理由はいろいろに説明されているが、もっとも有名で、創業者の一人であるメリル氏自身も笑いながら認めていたエピソードに、こんなのがある。
「メリルリンチ商会ができた当時、当然ながらメリルとリンチの間にはコンマが入っていた。ところが、社名入りの封筒と便箋を作るよう頼まれた印刷屋が、誤ってコンマを落としてしまった。二人は頭を抱えたが、印刷し直す金もない。それでやむなくコンマなしの封筒と便箋を使っているうち、世間もそれが正しい社名なのだと思い込んでしまった」
 ともかくも、その後どんどん社名が長くなっていく間も、メリルとリンチの間にはコンマが入れられなかった。
 現在の同社のトップも、客や取引先も、入れようとは考えない。コンマがない伝統が半世紀以上も続くと、たとえそれが文法上誤りでも、だれも伝統を壊したくはなくなるものなのだ。
 だからカタカナで書くときも「メリル・リンチ」ではなく「メリルリンチ」とするのが正しいのだが、〔後略〕

上前淳一郎『読むクスリ 18』(1992; 文春文庫,pp.30-32)

◆ 英語(に限らないが)をカタカナ表記したときの「・」(中黒)の使用法は難しい。「Merrill, Lynch」は「メリルリンチ」にするわけにはいかないだろうが、「,」=「・」という決まりはないので、「Merrill Lynch」の場合に「メリルリンチ」と書くか「メリル・リンチ」と書くかは、そのひと次第というほかないだろう。

◆ メリルとリンチの間になぜコンマがないのかということについては、ほかにこんな説がある。

◇ On May 12, 1938, Edmund Lynch passed away. Out of respect to his deceased partner, Merrill decided to drop the comma from Merrill, Lynch& Co. and created the name Merrill Lynch.
www.millenniumv.com/

◇ Begun as an investment banking partnership with Edmund Lynch in 1915, the original firm was Merrill Lynch & Co. — omitting the comma was fashionable at the time. Later mergers added new names to the house until it finally sounded, to one wag, like a beer barrel rolling downstairs.
『LIFE』1956年10月22日号,p.45

〔William Safire, ON LANGUAGE; In Nine Little Words - New York Times〕 The omitted comma should always be examined. In the name of Wall Street's Merrill Lynch, Pierce, Fenner & Smith Inc., a comma would ordinarily appear between the Merrill - Charles Merrill - and the Lynch - Edmund Lynch. Why doesn't it? Because in 1941, when the firm that was once Merrill, Lynch & Company joined with Fenner & Beane, together with Edward A. Pierce, the top man, Charles Merrill, wanted the name of his original firm separated from the rest of the ''thundering herd.'' Without the comma, Merrill Lynch remains pristine - the name the firm is known by, followed by the rest of the guys, with Alpheus C. Beane's name later replaced by Winthrop Smith. How do I know this? Charlie Merrill told me in 1949, in my first interview for The New York Herald Tribune syndicate. He also advised me not to ask silly questions about commas in a serious interview, because ''nit-picking never gets you anywhere in life.'' Little did he know.
www.nytimes.com/1989/03/26/magazine/on-language-in-nine-little-words.html

  高梁

◆ いましがた、トイレで読んだ文庫本の一節。

◇ 高梁には数年前の正月にきたことがある。小さいけど本物の城が山の上に建っていて、そこへの石段を登ってゆくと雪まじりの風が渦を巻き、みるみるあたりを白くした。あの時は寒かった。町は武家屋敷や商家がほどよく残って可愛らしいが、山にかかって建ちならんだいくつかの寺院の石垣は壮大だ。寒かったが古い町の正月はしっとりした味があった。
吉田 桂二『なつかしい町並みの旅』(新潮文庫,p.154)

◆ ああ、そういえば、ワタシも小学校の高学年のころに一度だけ訪れたことがある。たかはし。当時は、城めぐりにはまっていたのだった。とはいえ、高梁の城(備中松山城)は、子どもには少々地味過ぎたようように思う。夏の盛りに汗をかきつつ山を登った覚えはあるが、山上の城自体の記憶があまりない。疲れきって城見物どころではなかったのだろう。調べると、バス停から徒歩約20分とあるので、いま考えるとたいした山登りでもなさそうだが、あるいは駅から歩いたのかもしれない。

◆ で、この続きをどう書いていいのやらよくわからないのだが、とりあえず忘れないうちに書いておくと、高梁という町は岡山県にあって、京都の子どもがひとりで行くようなところではない。いうまでもなく、親と行ったのだ。父親といっしょだった。そのあたりまえのことに思いが至ったのは、四十年たったいまがおそらくはじめてだ。そのときの旅の記憶に父の姿はほとんど出てこない。もしかすると、別行動をしていたのだろうか? なんとも薄情だが、なにも思い出せない。子どものためとはいえ、自分に関心のない城めぐりなどにどのような思いで同行していたのだろう? すこしは楽しかっただろうか? 親になった経験がないので、そのあたりの心情は察することもおぼつかないが、こんなこと書いているついでに、せっかくだから、四十年分の感謝を述べておきたい。お父さん、いろんなことをこれまでどうもありがとう。父は高齢ながら、幸いなことに、まだまだ元気だ。高梁のことなども機会があればそのうち聞いてみたい。写真もどこかにあるだろう。そもそもあの日は、ほんとうに暑かったのだろうか?

◇ 「やればできる子」という表現がある。言うまでもなく、これはできない子を慰めるための気休めである。
www.suzaku-s.net/2007/09/yareba-dekiruko.html

◆ そうだったのか、とこの歳になってから気がつくのは、さすがに世間知らずというものだろうか? ふだんは努力をしない子どもが、たまたま努力をしてやってみたら、ちゃんとできた。それに対して母親が、「やればできるじゃない!」という意味で、それの子ども向けの優しい言い方として、「〇〇ちゃんは、やればできる子ね」という風に使う。そういうものかと思っていたが、そうではないらしい。

◆ 《発言小町》に「やればできる子は痛い子?(駄)」というトピがあったので、こわごわレスを読んてみた。

* 親が、できない我が子をかばう言葉です。
* 親バカで子供が学校なり指導者から切り捨てられそうなとき、言い訳として使う、と思いますが。
*「やらないからできない子」を悪く言わない様にオブラートに包んだ言葉だと思ってます。
* それはつまり「やることができない子」です。以前TVで塾の先生ができない子供の親に対する常套句だと言っていました。
*「出来ない子」のことです。
*「やればできる子」って、結局「今はできてない子」ですよね?

◆ と、冒頭の引用と同じ意見が多く並ぶ。それにまじって、こんなのも。

◇ 私はそんな言葉を聞いたことが無かったのですが、ある男性と付き合ったときに、男性が自分自身をそう言ってました。「やれば出来る子だったんだけど」 その人は、高卒、転職多しで普通なら出会わなかったんですが、友達の勧めでつきあって失敗でした。その言葉は、自分の慰めに使う言葉だと思ってます。

◆ ああ、こわ。それはともかく、ワタシは「やればできるじゃない!」と「やればできる子」はほぼ同義だと思っていたが、どうやら、「やればできる子」という名詞的表現を用いると、「やればできるじゃない!」という動詞的表現がもつ柔軟性が失われて、イメージが固定化されるもののようである。その結果、「やればできる子」は、「後進国」を「発展途上国」と言い換えるような、なにやらPC語(politically correct words)めいた、表と裏の意味が存在するコトバになってしまったのではないかと思う。

◆ と、やればできるオヤジのワタシは、いまやらなければならないことをいつものように先延ばしにしつつ、考えたのだった。

  未嘗

◇ 元来僕は何ごとにも執着の乏しい性質である。就中蒐集と云ふことには小学校に通かよつてゐた頃、昆虫の標本を集めた以外に未嘗熱中したことはない。従つてマツチの商標は勿論もちろん、油壺でも、看板でも、乃至古今の名家の書画でも必死に集めてゐる諸君子には敬意に近いものを感じてゐる。時には多少の嫌悪を交へた驚嘆に近いものを感じてゐる。
芥川龍之介「蒐書」(青空文庫

◆ 「就中」「未嘗」「乃至」はそれぞれ、「なかんずく」「いまだかつて」「ないし」と読むというようなコトは漢文の授業で習ったはずだが、いまではひらがなで書くので、読めなくても仕方がない。「未」には否定の意味が込められているので、「いまだ~ない」と否定文中で使う。例文を見てみよう。

◇  これと反対に、私は未だかつて男でも女でも、紀子さまを好きだという人に会ったことがない。あの喋り方に、どうしても異和感を持つというのだ。そして女性たちは最後に、
「好きで皇室に入った方なんですもの、何でもうまく立ちまわるわよね」
 と意地の悪いひと言をつけ加える。あれだけ両陛下に仕え、男児も出産され、嫁として非のうちどころのない紀子さまに、案外世評は冷たいのはどういうことか。
 皇室に適応することが出来ず、病を得た女性の人間的苦悩に、共感と好意を抱くが、うまく適応出来た女性に、人々はそっけない。これは興味深い現象だ。

「週刊文春」2013年1月3日10日新年特大号

◆ ワタシは、これと反対に、未だかつて男でも女でも、紀子さまを嫌いだという人に会ったことがない。そもそも皇室のついての世間話をしたことがない。いったい「世評」というのはどこで作られるものであろうか。

◆ 油壺のハナシでも書いたほうがおもしろかったかと思う。あ、上の引用の著者を書き忘れた。

◇ 私は未だかつて、林真理子を好きだという人に会ったことがない

  素振り

◆ エッセイストの酒井順子が、「エアセックス選手権」(正式名は「エアデート選手権」)なるものの動画を見て、エアセックス(及びエア自体)の考察をしている。

◇  見終わった後、私が最も強く感じたのは、「セックス」という行為がいかに滑稽であるか、ということなのでした。エアディープキスをしている人の、舌の動きとか。エア前戯をしている人の、指の振動の速さとか。そしてエア挿入をしている人の、腰の振りとか。真面目にやればやるほど、それらは見ている側にしみじみとした恥ずかしさを覚えさせる。コント系のエアセックスに行く人は、おそらくリアリティーを追求した時の恥ずかしさに、耐えられない人なのではないかと思われます。
 その手の行為は、リアルセックスの現場においては、誰もが行っていることです。ただ、そこにセックスの当事者ではない他人の視線が介在した途端、それらは真剣な行為から滑稽な行為に転ずる。「見るとやるとでは大違い」ではなく、「やると見るとでは大違い」なのが、セックスなのでしょう。
 何事においても、素振りという行為は、どことなく滑稽なものです。私は中学時代に卓球部に所属しておりましたが、一年生の時にイヤというほどやらされた素振りは、常に「何やってんだかなー、私」という感想を伴うものでした。おじさんがついやってしまうゴルフの素振りにしても、グリップを確認する視緑が真剣であればあるほど周囲の矢笑を買うし、相撲を一人でやろうものなら、まさに一人相撲になってしまうのです。
 スポーツですらそうなのですから、ましてセックスをや。二人でやるべきものを一人でする時の哀しみがエアセックスからは伝わってきますが、だからこそ、「セックスは二人でやってナンボ」というセックスの基本を、理解することができる。

酒井順子『ほのエロ日記』(角川文庫,pp.166-167)

◆ 素振りを出してくるあたりがおもしろい。たしかに、卓球の素振りというものには、「何やってんだかなー」感が漂う。まあ、ゴルフもそうだろう。しかし野球はどうだろうか? あれはあれで完結したもののような感じもする。なにが違うのだろう。

◆ とそう書いて、よく考えると、素振りといっても、実際のスポーツ用具(ラケット、クラブ、バット)を使用して行うものと、代用品(傘、ほうき)を使用して行うもの、あるいは、なにも用いないで文字通りエアで行うものの3種類に分類しておく必要があるかもしれない。そのうえで、卓球の場合は、ラケットを使用して行なっても素振りというものには「何やってんだかなー」感が漂うのはなぜか? ゴルフの場合は、微妙か。傘でやれば、「何やってんだかなー」感がかなり漂うだろうが、実際のクラブを持てばそうでもないような気もする。野球もそうだろう。おそらく、振り切るかどうかという動作の違いあたりが関係しているのではないかと思うが、どうだろうか。

◆ プロ野球で、ピッチャーとバッターの両方で成功した選手がこれまでいなかったわけではない。解説でおなじみの関根潤三がそうだった(そうだ)。たまたま週刊文春の書評で山崎努が関根潤三の著書(『いいかげんがちょうどいい』)を取り上げていたので、そのことを知った。

◇  ぼくはいわゆるプロじゃなかったんだな。野球は楽しみでやるもので、どこでもできりゃいいと思ってた。
 三〇歳のとき、打者転向を決めた。わけ? 投手に飽きたから。今日でピッチャーやめて明日からバッターでいきますって。生意気だよねぇ。あんなことよく言えたもんだ。許した監督もすごいね。だいたいバッターっていうのは一試合に一本くらい打ってりゃ三割前後いくわけですよ。それくらいに考えてれば気楽でしょうに。そんなに悩みなさんなって。みんな悩むのが好きなのかねぇ。
 自慢じゃないけど、ぼくは練習が好きだった。あれこれ試せるから。試合はおもしろかねぇや。負けちゃいけねえって、目標やゴールをきめられてるみたいで、性に合わない。

「週刊文春」2013年1月17日号

◆ この文章は、どこからどこまでが直接の引用なのかがよくわからない書き方になっているが、気分のいい文章だ。とくに「練習が好き」だったというのがいい。読み間違えることはないと思うが、ふつうの「練習好き」というとはわけが違う。スポーツが原因で人が死んだりする世の中はどこか間違っている。努力などほどほどにしたほうがいい。《Wikipedia》によると、

〔Wikipedia〕 投手・野手両方で実績を残した数少ない選手である。史上唯一、投手・野手の両方でオールスターゲームに出場した(投手としてファン投票で1回。外野手としてファン投票で1回、監督推薦で3回出場)。また、2リーグ制以後では唯一の防御率ベストテン入り、打率ベストテン入りの双方を達成。さらに、通算50勝、1000本安打の双方の達成は2リーグ制以後唯一であり、1リーグ時代を含めても他に中日ドラゴンズなどで活躍した西沢道夫しか達成していない記録である。
ja.wikipedia.org/wiki/関根潤三

◆ 書評の続き。

◇ 解説の最初のあいさつで、ぼく「よろしくどうぞ」つていうんだってね。変だよねえ、「どうぞよろしく」なんでしょ。でも、もうこのまま通すだけ。そうやって無意識に出る言葉やしゃべり方がぼくのスタイルなんでしょう。

◆ 「よろしくどうぞ」と言うひとは、関根にかぎらず、ことのほか多いと思う。

◆ 放哉の代打で、大谷くんが出てきて、「野球をしても一人」と言った。

◆ 大谷くんというのは、日本ハムに入団した新人選手で、ピッチャーとバッターの両立を目指したいという珍しいやつだ。毎試合先発して四番を打つというのはさすがに無理だろうが、先発しない日はDHで打つくらいのことは可能な気もするがどうなんだろう。もちろん、そう甘いもんじゃないだろうけど、少なくとも、サッカーのゴールキーパーが得点王を目指すよりは簡単だろう。

◆ 「野球をしても一人」にハナシを戻すと、野球というのは9人対9人でやるスポーツということになっているが、極限までつきつめれば、ピッチャーとバッターが1対1で勝負をするスポーツということになるだろう。で、大谷くんのピッチャーとバッターの両立ということを考えたときに、実際のところ、ピッチャーの大谷くんとバッターの大谷くんとではどちらがスゴイのだろうかという疑問がわいて、これは実際に対戦すれば、すぐに結論が出ることだ。大谷くんが投げた球を大谷くんがホームランすれば、バッターの大谷くんのほうがスゴイわけだし、空振りすればピッチャーの大谷くんのほうがスゴイということになる。ピッチャーの大谷くんが投げるとすぐにバッターボックスまで走っていってすかさずその球を打つというのも不可能ではないだろうが、これはバッターの大谷くんのほうが、時速160キロで走らねばならず息が切れて非常に不利だ。超山なりのボールを投げればそれほど急がずとも十分間に合うだろうが、これでは真剣勝負にならない。より現実的なのは、ありとあらゆるデータを入力した超高性能ピッチングマシーンの大谷くんが投げて生身の大谷くんが打つことだろう。これは、生身の大谷くんが投げて超高性能バッティングマシーンの大谷くんが打つよりずいぶん簡単だろうと思う。オスプレイを買うくらいの開発費をかければある程度のものができるのではないか(よく知らないけど)。ぜひ見てみたいものである。そして、大谷くんのコメントを聞いてみたいものである。超高性能ピッチングマシーンの大谷くん相手に三振を喫したら、大谷くんはバッターをあきらめるだろうか? ホームランを打ったら、ピッチャーをあきらめるだろうか? ともあれ、成功を祈る。