◇ 「やればできる子」という表現がある。言うまでもなく、これはできない子を慰めるための気休めである。 ◆ そうだったのか、とこの歳になってから気がつくのは、さすがに世間知らずというものだろうか? ふだんは努力をしない子どもが、たまたま努力をしてやってみたら、ちゃんとできた。それに対して母親が、「やればできるじゃない!」という意味で、それの子ども向けの優しい言い方として、「〇〇ちゃんは、やればできる子ね」という風に使う。そういうものかと思っていたが、そうではないらしい。 ◆ 《発言小町》に「やればできる子は痛い子?(駄)」というトピがあったので、こわごわレスを読んてみた。 * 親が、できない我が子をかばう言葉です。 ◆ と、冒頭の引用と同じ意見が多く並ぶ。それにまじって、こんなのも。 ◇ 私はそんな言葉を聞いたことが無かったのですが、ある男性と付き合ったときに、男性が自分自身をそう言ってました。「やれば出来る子だったんだけど」 その人は、高卒、転職多しで普通なら出会わなかったんですが、友達の勧めでつきあって失敗でした。その言葉は、自分の慰めに使う言葉だと思ってます。 ◆ ああ、こわ。それはともかく、ワタシは「やればできるじゃない!」と「やればできる子」はほぼ同義だと思っていたが、どうやら、「やればできる子」という名詞的表現を用いると、「やればできるじゃない!」という動詞的表現がもつ柔軟性が失われて、イメージが固定化されるもののようである。その結果、「やればできる子」は、「後進国」を「発展途上国」と言い換えるような、なにやらPC語(politically correct words)めいた、表と裏の意味が存在するコトバになってしまったのではないかと思う。 ◆ と、やればできるオヤジのワタシは、いまやらなければならないことをいつものように先延ばしにしつつ、考えたのだった。 |
このページの URL : | |
Trackback URL : |