◆ 画像は映画『ショーシャンクの空に』(The Shawshank Redemption, 1994)から。ショーシャンク刑務所の出所者のために用意された仮住居(halfway house)の壁。左に「BROOKS WAS HERE」、右に「SO WAS RED」とナイフで彫られた文字。ブルックス(Brooks)とレッド(Red)は、ともに仮出所者の名。《Wikipedia》に、こんなことが書いてあった。 ◇ 〔Wikipedia:ショーシャンクの空に〕ブルックスが壁に彫った文字「BROOKS WAS HERE」は、第二次世界大戦中にアメリカ軍人の間で流行した落書き「Kilroy Was Here(キルロイ参上)」のフレーズを捩ったものである。 ◆ いくらなんでも、これはちょっと考えすぎだろう。「Kilroy Was Here(キルロイ参上)」というフレーズは、キルロイではない数多くの他人がキルロイのふりをしてあちこちに落書きするところにおもしろみがあるので(逆にいうと、その一点にしかおもしろみはない)、ブルックス本人が「Brooks Was Here(ブルックス参上)」と書いても、それはごくありふれた落書きにすぎない。これを捩りというなら、古今東西、この世の多くの落書きが該当してしまうだろう。こうした「So-and-so Was Here(だれそれ参上)」式の落書きは、古代ローマのポンペイ遺跡でも複数見つかっている。 ◇ 〔The Writing on the Wall - AD79eruption〕 "Daphnus was here with his Felicla." "Staphylus was here with Quieta." "Aufidius was here." "Gaius Pumidius Dipilus was here on October 3rd 78 BC." "Satura was here on September 3rd." "Floronius, privileged soldier of the 7th legion, was here." ◆ 冒頭の画像に戻って、「BROOKS WAS HERE」の場合は、これを「ブルックス参上」と訳すのはちとまずいかもしれない。というのも、ブルックスはムショ暮らし50年の老人で、仮出所できたはいいものの社会復帰に失敗して、「BROOKS WAS HERE」と刻んだその直後にその部屋で自殺してしまうのであったから。たしか字幕は「ブルックスここにありき」だった。 |
◆ オクラホマ州の田舎のガソリンスタンドのトイレの落書き。 ◇ 私がトイレで見つけた落書きは、人類史上最も有名で最も多くの場所に書かれた落書きかもしれない。アメリカ人が書いた落書きとしてなら間違いなく歴史上最も有名で最も多くの場所に書かれた落書きだ。それは、"Kilroy was here" という落書き。〔中略〕 ◆ 大変申し訳ないが、ワタシは "キルロイ参上" という訳が適切ではないという理由がよくわからない。どうしてもよくわからないのだ。続きを読もう。〔画像は同書から(ただし、ガソリンスタンドのトイレの落書きではない)〕 ◇ 第二次世界大戦のとき、連合軍の一員としてヨーロッパ戦線で戦った大勢のアメリカ兵たちは、自分たちが到着した場所に "Kilroy was here" と書きまくった。アッチャコッチヤ、ホントにいたるところに書きまくった。いつ、誰が、どうして書き始めたのかはわからない。キルロイが一体誰なのかもわからない。正体不明もしくは架空の人物と考えるのが普通のようだ。でもアメリカ兵たちは、そんなことは気にもせずに書きまくったらしい。何故かはわからないが誰かが書き始めたのだろう。それがアメリカ兵たちの間で噂として広まったのだろう。それを面白いと思ったアメリカ兵たちは、自分たちが到着した場所に同じ言葉を書きまくるようになったのだろう。で、私が適切と思う訳は、"キルロイ参上" ではないのだ。キルロイは日本人ではないのに、"鞍馬天狗参上" みたいに "参上" はないだろう("鞍馬天狗参上" の意味がわからない人はトシいった男性に訊いて欲しい)。私なら、"キルロイは来たぜ" と訳す("キルロイはここに来たぜ" ではチョツト長いし、不粋だ)。この訳の方が若いアメリカ兵たちの気分に合っていると思う。まぁ、日本語に訳したりせずに "Kilroy was here" のままが一番イイんだろうけど。 ◆ ワタシは「キルロイ参上」の「参上」が謙譲語の一種だから不適当なのかとも思ったが、そうではなくて、「キルロイは日本人ではないのに、"鞍馬天狗参上" みたいに "参上" はないだろう」というのが適切ではない理由だそうだ。ようするに、あまりにも古めかしいということを言っているのだろうか。たしかにそれはそうだ。あるいは、「参上」だと「いまここに」という臨場感がありすぎて、「was」のもつ過去形のニュアンスに欠けるということだろうか。それもそうかもしれない。「参上」に代わる、もう少し日常的で落書きに適したコトバがあればいいのだが、なかなか見つからない。で、適当な訳としてあげられているのが「キルロイは来たぜ」。ワタシは落書きに「キルロイは来たぜ」はないだろうと思うけどなあ。辞書のこの項の執筆者が、どういう考えで「参上」という訳語をあてたのかはしらないけれども、参上というコトバのイメージで脳裏に浮かんでいたのは、おそらく鞍馬天狗のセリフではなくて、暴走族かなにかの落書きだろうと思う。落書きは話し言葉ではなく書き言葉なのだ。英語の場合はその差はほとんどないのかもしれないが、日本語の場合はその差がかなりあるだろう。話し言葉をそのまま落書きにするわけにはいかない。とはいえ、「××参上」という落書きもあまり見かけなくなった。そのうち、「××は来たぜ」という日本語の落書きを目にする日が来ないともかぎらない。 ◆ ところで、もし鞍馬天狗が壁にスプレーで「鞍馬天狗参上」と落書きしたとしたら、これを英語に訳すにはどうすればいいか? ワタシなら、"Kurama-Tengu was here" と訳す。鞍馬天狗はアメリカ人じゃないのに、とは言わないでおこう。 |
◇ 中央アジアの古い都市の回教寺院の塔の頂は申合わせたように青い。空の青さとも海の青さとも異った一種独特の人間の心を吸い取ってしまうような深い青さなのである。沙漠の旅行者は、また沙漠の都市の住人は、この青さを眼にすることなしには、その日その日を送れなかったのであろう。この塔頂の青さはおそらく沙漠で生きる人たちが生きるために、どうしても必要なものであると思われる。沙漠の旅行者は遠くからこの青い陶板で包んだ塔の頂を眺め、そしてそれに吸い込まれるようにして城門を持った聚落(しゅうらく)へはいって行ったのであろう。 ◆ 井上靖『西域物語』。これも実家の父の本棚にあった一冊。たしか、これは「ワタシの本」だった。懐かしくなってパラパラとページをめくる。高校生だった。ほかにも、氏の『桜蘭』や『敦煌』を読んで、シルクロードにひそかに憧れた。もはやタイトル以外にはなんの記憶も残っていないのが、ちょっと悲しい。それから、ちょっと悲しいことが、もうひとつ。『西域物語』の「序章」の冒頭。 ◇ 私は学生時代に西域(せいいき)というところへ足を踏み入れてみたいと思った。本当に西域に旅行できないものかと考えた時代がある。西域という言い方は甚だ漠然としたものであるが、これは中国の古代の史書が使っている言い方で、初めは中国西方の異民族の住んでいる地帯を何となく総括して、西域という呼び方で呼んだのである。だから昔は、インドもペルシャも西域という呼称の中に収められていた。要するに中国人から言えば自国の西方に拡がっている未知の異民族が国を樹てている地帯を、何もかもひっくるめて西域と呼んだのである。だから西域という言葉の中には、もともと未知、夢、謎、冒険、そういったものがいっぱい詰め込まれてある。その後インドやペルシャは西域とは呼ばなくなり、西域というと専ら中央アジアに限定するようになって今日に到っている。 ◆ なんと「西域」には「せいいき」とルビが振られているではないか! ああ、「西域」は「せいいき」と読むのであったか! ワタシは「さいいき」とばかり思っていた! さきに「タイトル以外にはなんの記憶も残っていない」と書いたが、そのタイトルの読み方さえ間違って記憶していたとは! 「ちょっと」というのは強がりで、ほんとうは「たいへん」悲しい! ◆ と、このルビに気がついたときには、そう思ったのだが、冷静になって考えると、当時は「せいいき」と憶えていた可能性もある。あるいは、読み方などどうでもよかったのかもしれない。現在にいたるまで「西域」の読みを問われたことなど一度もないので考えもしなかったが、「せいいき」だと言われても、とくに違和感はない。すぐ慣れてしまう。ET VICE VERSA。 ◆ 復習:「西」という漢字、呉音では「サイ」と読み、漢音では「セイ」と読む。たとえば、「東西(トウザイ)」の「ザイ」は呉音で、「北西(ホクセイ)」の「セイ」は漢音。 ◇ 〔ケペル先生のブログ〕 作家の陳舜臣が朝日新聞に「西域余聞」を連載していたころ、タイトルについて、読者から、「西域」を「さいいき」と読むのか、「せいいき」と読むのか、という質問が一番多かったそうである。陳は「読みたいように読んでもらうほかない。個人によって読み方が異なる。おもに仏教関係者は「さいいき」と呉音で読み、歴史学者は「せいいき」と漢音で読むのがふつうである」といっている。そういえば世界史辞典などでは西域(せいいき)とあるのがふつうである。 ◇ 〔「西域」の読み方は? | ことば(放送用語) - 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所〕 「西域」は、中国人が自分たちの西方の地域や諸国を総称したことばです。狭義には現在の中国西部の新彊<きょう>・ウイグル自治区方面をさします。読み方には(1)[サイイキ](2)[セイイキ]の両方あり、辞書類の扱いをみても(1)を採るもの(2)を採るもの、両方を採るものとマチマチです。しかし、歴史・文化部門の用語としては、古くから[サイイキ]と読まれ、東洋史などの専門家の慣用的な読みは[サイイキ]です。また、同音語の「聖域」[セイイキ]との混同が避けられるということからも、「西域」を歴史的な用語として放送で使う場合には、[サイイキ]と読んでいます。ただし、現在の新彊<きょう>・ウイグル自治区方面を主にさして言う場合は、[セイイキ]と読んでもよいことにしています。 ◆ なるほどなるほど、よくわかった。混乱していることがよくわかった。そういえば、陳舜臣の『西域余聞』も読んだことがある。これまたタイトル以外にはなにも憶えていない。今度、実家に帰ったら、読みなおしてみよう。 |
◆ 東京駅の赤帽。伝さんは、ミステリー仕立ての短篇のなかの人物。 ◇ 赤帽の伝さんは、もうしばらく前から、その奇妙な婦人の旅客達のことに、気づきはじめていた。 ◆ 山崎明雄さんは実在の人物。東京駅最後の赤帽。 ◇ 赤帽も長くやっていると、そこから社会の変わり様が見えてもくるのです。 ◆ いつのまにか見かけなくなってしまったもの。唐草模様の一反風呂敷、つづら、茶箱、柳行李、赤玉印のふとん袋。赤帽。 |
◇ 「ぼくたちも降りて見ようか」ジョバンニが言いました。 ◆ 鉄道の駅の「駅長や赤帽」、駅長を知らないひとはいないだろうが、いまでは「赤帽」に下線を引いてこの語に説明を加えなければならないのではないだろうか。〔画像は山崎明雄『思い出背負って―東京駅・最後の赤帽』(栄光出版社)カバーより〕 ◇ 赤帽(あかぼう) 駅構内において旅客から依頼された手回り品荷物を運搬する人。ポーターporterともいう。識別のため小判形の赤い帽子を着用しているところからこうよばれる。〔中略〕 旅装の簡易化や手押し車の普及で赤帽は激減し、2000年には上野駅で、2001年には東京駅で廃止された。 ◇ 〔Wikipedia:ポーター (鉄道)〕かつては日本でも他国と同様、全国各地の主要駅に常駐していたが、宅配便の普及などもあって旅客が持つ手荷物の分量が少量化したことで需要が減少したため、現在は日本の鉄道で赤帽が常駐している駅は無くなった。最後まで赤帽が常駐していたのは岡山駅で、運搬料は大小にかかわらず荷物1個500円であった。 ◆ 《Wikipedia》によると、岡山駅には2006(平成18)年まで赤帽がいたらしい。当然ながら昭和10年の岡山駅にもいた。 ◇ 岡山のホームには赤帽が幾人も待機していて、寝台係が下ろしてくれた私たちのトランクをかついだ。 |
◆ 大正の猫の例。 ◇ 春から夏に移るころであったかと思う。ある日座敷の縁の下でのら猫が子を産んでいるという事が、それを見つけた子供から報告された。近辺の台所を脅かしていた大きな黒猫が、縁の下に竹や木材を押し込んである奥のほうで二匹の子を育てていた。一つは三毛でもう一つはきじ毛であった。 ◆ 昭和の猫の例。 ◇ 私の家には現在猫が十匹いる。どうしてそんなに猫がふえたのかというと、今から七年ほど前に一匹のメス猫が私の家へ舞い込んでお産をした。それを発見してあわてて魚屋の若い衆を頼んで子猫を海に棄ててもらった。親猫も飼うつもりはなかったが、お産をしたばかりだのにすぐ追い出すのもかわいそうだと牛乳をやったり魚をやったりしているうちに、彼女が居すわってしまったのだった。もともとどこかの飼い猫であったのが、飼い主が転居するか何かで捨てられたという境涯で、私の家ヘネライをつけて来たのに相違なかった。 ◆ それから、平成の猫の例。 ◇ こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。 ◆ もしも口がきけるなら、猫の意見も聞いてみたい。友人の猫は、とつぜん昨日からしゃべり始めたそうだ。 |